恋と変態
「じゃあ、なおさらダリアちゃんから仕掛けなくちゃ。男子なんて目の前しか見えてないんだから罠に嵌めるのは簡単……って、私のママが言ってたわ」
ダリアの腰へ手を回し、アネットが言う。
「ダリアねーさま、無理なんてしなくていいと思うの。そんなの追っかけてないで、私の家で一緒に暮らそう?」
ダリアの肩にもたれ、ロージーが言う。
「ちょっとロージー、そうじゃなくて、ダリアちゃんが両想いになれる方法を考えてるのよ。諦めさせようとしてどうするの」
「でもっ! アネットちゃんのも無理があるよ、ダリアねーさまが罠とか……ぜんぜんセクシーじゃないのに……ねえ?」
もっともなのだが、酷い言い草だ。相槌を求められたダリアは、引き攣った笑いを返した。
夕刻前の『青兎亭』。
いつもより手早く掃除を終えた店内で、アネット、ダリア、ロージーは順に、カウンター席へ横並びで座っていた。
話題は専らダリアの恋路について、だ。
昼頃、ダリアが花を買いに青空市場へ向かうと、アネットとロージーが待ち構えていた。二人はピッタリとダリアについて歩き、買い物を終えた途端、人魚の歌をせがんできた。
これから店で酒を受け取らなくてはならないし、掃除もあるからと断ったのだが、結局二人は店までついてきてしまった。
ヘクターへの片思いを誰かに相談をしたい……そう考えた事も確かにある。が、さすがに十二歳の少女たちへ話すつもりなんてなかった。
しかしダリアは押しに弱い。
ダリアについて聞かれるがままズルズルと答えているうちに、いつの間にやら恋愛討論が始まっている。
「それはそうだけど、諦めてロージーの家に住んでもどうにもならないわよ。ロージーじゃ、男子の代わりにはなれないでしょ? 走るの遅いし、身体もちっちゃいんだから」
「人魚のおかげで走れる身体になったもの! 力持ちになったんだから男子の代わりくらいできるもん!」
二人は熱く議論しつつ、ダリアのあちこちへ親しげに触っていた。ダリアには同世代の友人などおらず、女児特有のスキンシップに慣れていない。
おかしな風にドギマギする感情を誤魔化し、ダリアは言った。
「ふ、二人には好きな男の子とか、いないの?」
「私は、ダリアねーさまとアネットちゃんが大好き」
ロージーはそう言ってダリアに飛びつく。
おかしな風に懐かれてしまった。
美少女に好かれる事は嬉しいが、ダリアはノーマル、その気持ちには応えられない。
困惑するダリアへ、アネットは平喘と言った。
「私は今は、好きな男子はいないかな。もちろんダリアちゃんもロージーも大好きだけど、そういう意味じゃないじゃない」
「……良かった。……って、それもそうよね」
ダリアが胸を撫で下ろすと、ロージーが身を乗り出し、目を丸くして叫んだ。
「アネットちゃん、好きな男子なんていたの!? いつ?」
「うん、むかーしね。もう七年も前、パパの仕事先の人。……でも今考えるとあの恋は間違ってたわ、ろくな男じゃなかった」
「七年前って……五歳? 随分早いのね。ね、どんな人だったの?」
自分の恋話よりも他人の恋話だ。矛先をそらそうと、ダリアも話題に喰いついた。
「見た目だけはカッコ良かったんだけどね。『大好き、結婚して!』って言ったら、『無理』って」
「……子供相手に随分正直ね」
「それだけじゃないの。『子供作るだけなら構わないけどな』って言われたわ。私、意味もわからずに喜んじゃったけど、……最低よね」
「……本当に、最低」
ダリアとロージーは、声をハモらせ呟いた。
「私の事はともかく……で、ダリアちゃんは好きな人と同棲してるんでしょ? チューとかしたの? 告白は?」
アネットがニヤニヤと笑い、話題を戻す。
キスもしたし、告白もしている。同じベッドで抱き合って寝たこともある。が、さすがに十二歳相手に話す内容ではないだろう。
思い出し、頬を赤らめダリアは答えた。
「同棲じゃなくて、ただの同居かな。告白はしたんだけど……」
「どうだったの!?」
アネットが目を輝かせたが、ダリアは首を振って答えた。
「返事は無いの。言い方がまずかったから告白だって気がつかなかったんじゃないかな。でもちゃんと告白したら振られちゃう気がする。……昔の恋人が店によく遊びに来るし、週に一度は昔の恋人の家に用事で行くし。……その人、すごく綺麗な人だし」
ダリアは自分の言葉に落ち込み、次第に声のトーンを落としていく。
「それに……一晩中、いない事も多いし」
「……きっと娼館じゃないかなあ……」
ロージーがおずおずと手をあげた。
娼館が何かわからないのだろう、目を瞬かせるアネットへ、ロージーが席をたち耳打ちをする。
「娼館……」
ダリアは呆然と呟く。
あり得ないとは言い切れない。一晩中出かけた翌日は、大抵へとへとに疲れている。
「……そっ! そんな所に行くような男子は絶対ダメっ!! 変態じゃないっ!」
アネットが真っ赤になって叫んだ。
ダリアの隣に戻ったロージーが、赤い舌を出して笑う。
と、ドアベルが涼やかに鳴り、『青兎亭』の扉が開いた。ヘクターだ。ヘクターは左手に大きな紙袋を掲げ、隙間から店内を覗いている。
「ダリアちゃん、ちょっと本買ってきたんだけど、上で手分けして調べない……って、こんにちわ。どちら様?」
思い切り顔を見てしまった。ダリアの心臓が跳ねあがり、兎の魔力がぎゅるぎゅるとうねる。
真っ赤になり視線を反らすダリアの様子に、目の前の男が思い人だと察したのだろう、アネットは椅子をおり、上から下まで品定めをするように眺めた。
「……あなたが、変態ね」
「はあ? いきなり何を……」
「確かに顔はいいけど……なーんか胡散臭いおじさん。それに、少し『狼』に似ていて、嫌だわ」
「オオカ……っ!? ていうかお前っ!」
ヘクターは顔に驚愕を滲ませ、慌てて口をつぐむとアネットを凝視した。
その視線を避け、アネットはくるりダリアへ向き直る。
「ダリアちゃん、こういうタイプはやめておいた方がいいわ。『結婚はしたくないけど子造りはしたい』とか言い出しそうだから」
「そんな事、言わないよ? すごく紳士的で優しいんだから」
「……絶対騙されてる。この手の顔の男は言うわよ、すごく遊んでそうだもの。それに結構なおじさんじゃない。うちのパパより年上っぽい」
「ママ、アネットちゃん位の子供がいてもおかしくない年なのね……」
ダリアはつい、遠い目になった。
ヘクターの年齢は知らないが、二十歳ほどで結婚していれば、子供はこの位に成長していてもおかしくないのだろう。
「ダリアちゃん、どういう状況なの? これ」
ヘクターはそう言いながら杖を突き、店内を進んだ。近くのテーブルへ紙袋を置こうとした時、椅子を飛び降りたロージーが唸るように叫んだ。
「近寄らないで」
ロージーは両手を大きく広げ、ダリアとアネットを庇うようにして立つ。大きな黒い瞳は獣のように見開かれ、強い殺気すら感じられるようだ。
幼い少女の奇行に、ヘクターは呆気にとられた。
「……ほんとに、どういう状況……? 私、とりあえず上に戻ってるわ。二人とも、店で遊んでてもいいけど仕込みの時間までには帰りなさいね」
そう言い残し、ヘクターは再び背後の扉を開け、店を出て行った。
張り詰めていた操り糸が切れたかのように、ロージーはふうっと息を吐き、床に座り込んだ。
「……まだ、身体が馴染んでない……。ね、ダリアねーさまの好きな人って、アイツなの!? やめた方がいいよっ、あんなの!」
「そ、そうよっ! アイツ、オカマ言葉だったわ。本格的に変態じゃない!」
少女二人から同時に罵られ、ダリアはずーんと肩を落とした。
※※※
バー『青兎亭』の営業を終え、ヘクターはダリアとともに三階の従業員部屋へ帰ろうとしていた。
このアパートには他の住民もいる。音をたてないよう慎重に杖を突き、螺旋階段を静かに登っていると、最上段、膝を抱えてしゃがむ少女の姿が見えた。
「アネットちゃん! どうしたの!?」
ダリアが小声で叫び、段を飛ばし駆け上がった。
街の治安が悪化し営業時間を短縮したとはいえ、既に日付を大きく跨いでいる。十二歳の少女が出歩く時間ではない。
「ダリアちゃん!!」
アネットが顔をあげた。心細かったのだろう、安堵の笑顔をみせてはいたが、鼻は赤く、頬に涙の筋が残っている。
「シーッ! 夜中に大きな声を出すと近所迷惑だからっ! さっ、アネットさん、うちに入って中で話しましょう」
ヘクターはアネットを促し、従業員部屋に押し込んだ。
※※※
従業員部屋のリビング、緑のソファーでアネットは所在無さげに俯いている。
向かいのソファーにはヘクターとダリアが並んで座り、低いテーブルにはヘクターの用意した暖かい牛乳が置かれていた。
アネット、随分大きくなったなあ。ヘクターは懐かしさに目を細める。
『無色』になったばかりの頃、母親に先立たれ城で暮らす幼い子供を、その母親との縁から気に掛けていたところ、王子ミューラーを初めとする他の子供たちの世話まで押し付けられた。
アネットはその子供たちの一人、ヘクターが剣を教えた少年の娘だ。
最年長だった少年はあっという間に結婚をし、やがて幼いアネットを連れてきた。
感慨深い。
狗に墜ちた際にだいぶ雰囲気を変えたためか、アネットはヘクターの事に気がついていないようだが。
やがて牛乳を飲み干したアネットは、二人とは視線を合わせず、カップを見つめたまま呟いた。
「……私も、ここに住もうと思って」
「えっと、どういう事? アネットちゃん、それおかしいよ?」
「だって、ダリアちゃんが心配だし……」
ダリアの問いにアネットはますます視線を落とし、俯いたままそう答えた。
「心配って。何を心配してくれてるのか解らないよ。私、アネットちゃんが心配して泊まってくれなくても大丈夫だから」
「……そいつ、変態だし……」
「そんなことないって。ママはちゃんとしてるから。優しくて紳士でいい人だし」
「変態の顔だわ。ダリアちゃんフワフワしてるから騙されてるのよ」
人が変態かどうかを議論の中心に据えないでもらいたい。ヘクターは眉をしかめ、会話に割り入った。
「ちゃんとしている優しい紳士ではないけれど、だからってアネットさんがここへ泊まる理由にはならないわね。御両親にはちゃんとよそに泊まるって話してあるの?」
「……した」
ヘクターがじっとアネットを見つめると、アネットは肩をさらに小さく丸め、消え入りそうな小声で答えた。
「こら。嘘はつかないでちょうだい。ちゃんと言ってないでしょう」
「……言ったもん」
「どんなふうに言ったの? ほら、御両親に言ったようにここで言ってみなさい」
「…………もう家に帰らないからって」
アネットは手で顔を覆った。
仕方ねえなあ。ヘクターは内心、大きな溜息を吐く。
「それは家出っていうのよ。絶対心配してるから、さっさと帰りなさい」
「あ、私が送っていく! この時間じゃ馬車も呼べないし、アネットちゃん一人じゃ危ないよね」
「ダリアちゃん、あなたとアネットさんじゃ御馳走が並んでるようにしか見えないじゃない。私もついていくわ」
「……嫌っ! 家に帰りたくない。ダリアちゃんと一緒に寝るか、このソファーで寝るから。お願い、ここに住ませて!」
親子喧嘩が原因か。
一晩程度なら泊めるのは構わないが、アネットの祖父に睨まれては困る。ここは無理矢理にでも家へ帰すべきだろう。
ヘクターはワザと半目を作り、より変態的な節回しの猫なで声を出した。
「あー、そーなの。うちに住みたいの。……じゃ、何日でもお好きなだけ泊まってて頂戴。でも一応言っておくけど、私、裸族よ。家ではいつも裸なの。朝なんてそのまま、ダリアちゃんを起こしに部屋に押し入るけど、それでも構わない?」
「……裸っ!?」
アネットは顔を上げ、ダリアとヘクターを交互に見つめた。
「ダリアちゃん、ほんと?」
「んー。寝るときはいつも裸みたい。そのままリビングうろうろしたりするよね。昨夜も裸のままリビングでお酒呑んでたみたいだし」
「あれ、見てたの?」
「……ど変態」
軽蔑混じりの声を受け、ヘクターは苦笑いした。やはりアネットは免疫の低いお嬢様だ。『変態』くらいで家に帰ってもらえるのなら楽なものだ。
調子に乗ったヘクターは、淫靡な表情でアネットへトドメを刺す。
「なに? アネットさん、うちに泊まるって事は興味があるの? 男の身体に。やだー、最近の子ってませてる!」
「ちがっ!! 絶対そんなもの見たくないんだから! っこの変態! 痴漢! 露出魔!!」
「なら今すぐ家に帰りなさい。帰らないなら……見せるわよ」
ヘクターがシャツの襟首に手をかけネクタイをほどくと、アネットは立ち上がり、あわあわと両手を振る。
「ああああ!! ダメ、そんなもの見せないでよ! 馬鹿なんじゃないの!? ……わかったから、ちゃんと帰るから!!」
ベストを脱ぎ、シャツのボタンをはずすと、茹でダコのようになったアネットはあっさり降参した。