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兎は月を墜とす  作者: hal
春の船
14/99

二章エピローグ 前

 西地区裏通り、坂道に面した小さな雑居アパートの二階。暗い共用廊下の奥に『青兎亭』と書かれた小さな紙が貼られた木製の扉がある。その扉を開くとドアベルが鳴り、異世界へ迷い込んだかのように風景が一転した。

 こじんまりとした店内には品良く落ち着いた木目のカウンターが置かれ、壁一面を飾るグラスと酒瓶が、橙色の灯りの下、幻想的に煌めく。


「いらっしゃいませ」


 男女の店員のもの柔らかな声が重なった。

 カウンターに佇む黒髪の野性的な男性店員と、ホールで出迎える白髪のあどけない女性店員。対照的な二人の見目も、このバーの非日常感を演出している。


「……ちっ」


 だが、入ってきた客の顔を確認した途端、男性店員……ヘクターは、盛大な舌打ちをした。


「もう店仕舞いの時間だから、さっさと帰りなさい」

「店仕舞い? まだギリギリ営業時間だろう」

「最近は夜が物騒になってきたので、少し早めに店を閉めているんです。屍鬼(ゾンビ)事件もあったばかりですし、バラバラに刻んだ死体の一部を握って次の犠牲者を探す殺人鬼がいるって噂も聞きました。帰り道でお客さまに何かあったら申し訳がないですから」


 女性店員……ダリアが続けると、ヘクターが舌を出して笑った。


「まあ、一杯だけならいいわよ。何呑むの?」

「相変わらず不気味な話し方だな。……じゃあ、任せた」


 閉店間際の客……王子ミューラーが以前、何故オカマなのか尋ねたところ、ヘクターは『バーのママ版のヘクターだから』と答えた。凝り性な彼なりのキャラ作りなのだろう。


 ヘクターは手際よく檸檬汁でグラスの縁を濡らし、粒の荒い塩を飾った。氷を入れ、無色透明な蒸留酒、淡黄色の柑橘ジュースを順に注ぎ、さっとかき混ぜる。


「はい、甲板の船乗りをイメージしたカクテルよ。どうぞ、誘拐犯」

「……ワザとだな。それに私は別に、誘拐したつもりはない」

「はいはい。でも実際、うちの子を無理矢理連れ回して怖い思いさせたんだから。ちゃーんと、ダリアちゃんに謝りなさいね、土下座で」


 ミューラーは、うっと言葉を詰まらせると、あまりの気まずさにカクテルをあおった。

 塩粒とともに、冷たく軽やかな液体が喉を駆け抜ける。あえて酒を濃くしてあったのだろう、ほんの一口で胸がカッと熱くなった。

 酒の勢いを借りて振り返ると、ダリアはびくっと身体を硬くし後ずさった。


 あからさまな、警戒。


「……あの、ダリア、さん……」

「あ、謝らないで、大丈夫ですよ? 運が悪かっただけなんですから。それに、お客さま(・・・・)なんですから、お気になさらないでください」


 お客さま(・・・・)


「っ! すまなかった!」


 確実に根に持たれ、心の距離を開けられている。

 ミューラーはカウンターに額を擦り付け、土下座せんばかりの勢いで謝った。


「えっ? お客さま(・・・・)っ、やめてくださいそんなっ。お客さま(・・・・)にそんなに頭を下げられたら申し訳ないです! ほらお客さま(・・・・)、これで顔を拭いてください」

「……」

「……ダリアちゃん、そのぐらいにしてあげないと、さすがに泣いちゃうわよ。……あとせめてミューって呼んであげて」


 ヘクターが言うと、理解していなかったのか不思議そうに首を捻った。


「これは、お詫びにと思い選んできた花だ。受け取って欲しい」


 気を取り直し、ミューラーは持っていた花束を渡す。大輪の白とピンクの小花を可愛らしく合わせたそれは、ダリアのイメージで選んだ物だ。ダリアは受けとると顔を埋めて匂いを嗅ぎ、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。早速お店に飾らせてもらいますね」


 花瓶に活けるのだろう、ダリアは鼻唄まじりに厨房へと入った。できれば部屋に飾って欲しい、という願いはあっさり打ち砕かれたが、心の底からの笑顔にミューラーも頬を緩めた。


「報われねーなあ、ミュー。完全に自業自得だがな。ああ、依頼は全部終わったぞ。ほら、報告書だ」

「そうか。じゃあ、これが次の分の依頼だ。すでに城でヘクターは屍鬼狩(ゾンビハンター)と呼ばれている」

「馬鹿なアダ名つけてんじゃねえっ、屍鬼(アンデッド)以外の依頼が無いからだろうがっ!」


 ヘクターは封筒を交換し、ダリアを気にしながら懐へしまった。

 中身はもちろん、ミューラーが事前に用意しておいた大量の屍鬼討伐依頼だ。国の狗であるヘクターに拒否権は無い。


 しかし。

 呟きミューラーは眉を顰めた。同じ事が引っかかるのだろう、ヘクターも顔に影を浮かべている。

 ヘクターは『主』の指輪を身に付けた奇妙な屍人(ゾンビ)、モーリスを葬ったと言っていた。が、屍鬼の被害は一向に減ってはいない。屍鬼主(アンデッドマスター)が他にもいるのか、それともモーリスがまだ死んでいないのか。

 謎ばかりがつのる。


 と、ダリアがカウンターに入り、花瓶を飾った。


 ミューラーの身体に触れそうな位置で白くふわふわとした髪の毛が揺れる。

 つい伸びる指を必死で押し留めていると、ヘクターがダリアの頭を撫で、見せ付けた。

 あまりに大人気ない。

 ミューラーは酒をあおり、不機嫌さを隠さず言う。


「ヘクター、うち(・・)の医者が、足を診せに来いと言っていたぞ。倉庫を片付けていたら沢山の古い魔導具が出てきてな、幾つか試したいのだそうだ」

「それ、実験台っ!? そりゃ治した方がいいんでしょうけど、でも私、ミューの()、あんまり行きたくないわ」


 ヘクターが頬に手を当てて言うと、ダリアは心配そうに足を眺めた。


「行った方がいいよ、ママ。一日くらいお仕事お休みにして、お医者さんに診てもらってよ」

「そうだぞ。最初の手術以来、完全に放置してただろう。取り合えず来い」

「……じゃあ、そのうち、ね」

「よし、明日の昼に迎えに行く。こういう事は早い方がいい」


 強引なミューラーに、ヘクターが溜息で応えた。

 二人の付き合いはかなり長い。

 自身の事に無頓着なヘクターには、時に強気で押さなければならない事を、ミューラーは経験で知っている。


 ヘクターの背後から、ダリアがミューラーを射るように見つめていた。

 深く蒼い、吸い込まれそうになる大きな瞳。ミューラーは頬を紅くし、バツの悪さに目を反らす。


 するとダリアはヘクターの袖をちょんちょんと引っ張り、言った。


「……ママ、気を付けてね」

「ん? 何を?」

「……」


 ダリアはミューラーをチラリと見た。眇められた眼差しには、あからさまな侮蔑が含まれている。


「貞操」

「……っどんな人間だと思われてるんだ、私はっ!! こんなやつ襲うかっっ!! ヘクターッ、お前ほんと、何吹き込んだんだっ!?」


 ミューラーが顔を真っ赤にして叫んだ。ヘクターはあまりの衝撃にカウンターの下へしゃがみ、肩を震わせ笑いに耐えた。ダリアはサッと厨房へ隠れ、柱影からミューラーを睨みつける。


「さあさあ、呑んだならさっさと帰りなさいねー。キャー怖いわー! 変態がいるわっ!」

「変態はむしろお前だっ! 背中を押すな! 少しは弁解させろっ!」

「じゃあねー、今日の支払いは明日貰うからっ。お休みなさいっ!」


 ミューラーは店を追い出されてしまった。内鍵のかけられた薄い扉ごしに、やたらとはしゃぐヘクターの声が漏れ聞こえる。


 踵を返し、ミューラーは慎重に階段を降りた。

 斬られた腹も、抉られた肩も一歩ごとに痺れ、力が入らない。痛みに耐えながらもわざわざ店に来たのは、医者(・・)からの強い要請があっての事だ。


「ちゃんと、解っているか? ……ヘクター(・・・)


 ミューラーは呟いた。

 階下へ着けばいつも通り、護衛たちが待ち構えている事だろう。


 夜空には丸い月が、力強く輝いていた。


※※※


 翌朝、ヘクターは朝食をリビングへ運びつつダリアを呼んだが、起きてくる気配がなかった。


 寝坊だろうか。


 ヘクターは今日、王子ミューラーの家……つまりは王城へ赴かなくてはならず、昨夜は屍鬼を狩っていない。

 久振りに二人で過ごせる穏やかな朝、なのだが。


 深緑のソファへ沈み、ミルのハンドルをゆっくりと回して珈琲豆を磨り潰す。深く焙煎された豆がガリガリと砕け、芳ばしい薫りが室内に満ちた。


「……ママ、おはよう」


 と、ようやく起きたダリアが、目を擦りながら部屋から出てきた。細く柔らかな髪の毛は縺れ、長い兎耳は眠たげに垂れ下がっている。白いパジャマは無防備にはだけ、そして、やけに顔が赤い。


「どうしたの! 風邪?」

「……たぶん風邪じゃないから、大丈夫」


 俯き、消え入りそうな声で答えたダリアへ、ヘクターは急いで駆け寄りコツンと額をを合わせた。

 かなりの、熱。背中も汗でじっとり濡れている。鼻頭が触れ合うほどの距離、瞬きに煽られた風から甘い体臭が漂い、脳が痺れた。


 心臓がドクドクと脈を打ち、熱い血液が全身を巡る。


「大丈夫だから。……ごはん、いただきます」


 ダリアがふいっと離れ、ソファーに座り、朝食に手を伸ばした。


 滑らかな白い指先で未だにほの温かいトーストをつまみ、裂く。バターがとろりと滴り、ぷっくりした手の丘を黄色く濡らした。艶かしく光る液体の上をピンクの舌が這い、舐めとる。

 紅く色づいた唇が油で汚れ、光った。

 白い歯列が割れ、トーストが舌先へ運ばれる。ダリアなりの精一杯に開かれた、しかし小さな口腔に、小麦色の塊が捩じ込まれた。

 ダリアはゆっくりと味わい咀嚼し、美味しいと目を細め、指についたパン屑を唇に押し込んだ。指先が唾液で濡れる。


「……って! 俺は何を必死に見ているんだ!!」


 ヘクターの心臓はひたすらに打ち鳴らされている。まるで、歯痒さに目覚めたばかりの少年のように。


 再びダリアを見ると、ゆで玉子にかじりついているところだった。眠たげな半目でゆで玉子を見つめ、小さな歯先を優しく立てる。ゆで玉子はぷちゅり、噛み千切られた。因みに半熟だ。

 歯型のついたゆで玉子を皿に戻し、コーンスープをすくった匙を、口の前へ運んだ。唇を尖らせてそっと息を吹きかけて冷ますと、匙を口の中へ挿し入れる。唇を白い液体が濡らし、舌が拭い取った。


「……美味しい?」

「すごく、美味しい」


 極端なほど敏感に意識が尖り、膨大な熱が身体の芯に注がれる。

 これはあまりにもおかしい。

 ヘクターは期待に胸を膨らませ、訪ねた。


「あの、ダリアちゃん。もしかして、繁殖期?」

「やっぱり、わかっちゃう? ……うん、今朝からおかしくなっちゃってるの。迷惑、かけると思うから、私部屋で寝てるね。ご飯も部屋で食べようかな」

「なんでこんな日に俺は城にっ!?」


 ダリアは兎耳の毛細血管までもを紅く染め、俯き、恥じらいを隠す上目遣いでヘクターを伺っている。

 ……何を恥ずかしがっているのだろう。人間なんて……俺なんて、年中堂々と発情期だというのに。


「だから今日から一週間、お仕事お休みもらうね? ママ、最近夜も忙しいのに、ごめんなさい」

「そうね。一週間あるのよね。私も一緒にお休みするわ。ああ、大丈夫。色々ヤりたい事をヤっちゃうってだけだから。うん。ダリアちゃんは繁殖期なんだし、本能の赴くままに繁殖してて?」

「ママ、ありがとう。あ、スープ冷めちゃうよ? 食べたら?」

「……そうね。ミューが来る前に食べちゃうって事も出来るわよね。まだ朝だし」


 ヘクターはダリアの隣に並び、座る。


「じっくり、丁寧に時間をかけて味あわなきゃね」


 唇の横についたパン屑をついばむ。

 本能の命じるままに、二人は瞳を閉じた。


※※※


「ヘクター、迎えに来たぞっ! ……って、えええっ!?」


 ほぼ間を置かずに勢いよく玄関扉が開き、ミューラーが飛び込んで来た。


 この従業員部屋には廊下がなく、リビングは玄関から丸見えだ。

 ソファの上、ダリアを押し倒し唇を貪っていたヘクターは、帰れ、と視線だけを上げ訴える。


「……ん、っうん……」


 ダリアの吐息が漏れた。


 呆然と立ち竦むミューラーに痺れを切らし、ヘクターはダリアをひょいっと抱えあげ、リビングの隣、自室へと運び入れた。


「帰る気がないならそこで二刻、待ってろ」

「お、おいっ! それ、頭おかしいだろっ!」

「出ていかないお前の方がおかしい。あと、来るのが早すぎだ。空気読め、この馬鹿」


 ダリアをベッドに横たえ、すがるような瞳に口付けをし、仕方なしにリビングへと戻る。せっかくの好機を潰され、腹立たしくてたまらない。

 一方ミューラーも、発情中のダリアに完全にやられてしまったのだろう。顔を真っ赤にし心臓を押さえ、カチカチに固まっていた。


「む……迎えに行くと言っておいただろう」

「昼の予定だったんじゃないのか? まだ朝飯も喰ってないぞ」


 机には食べ掛けの料理が並んでいる。ヘクターは珈琲を淹れ、ミューラーにも差し出した。


「あー。医者というか……白竜(アイツ)がな、処置に時間がかかりそうだから早く連れてこいと急かすのだ」

「うわーっ、めんどくせっ!」

「……あとそれと、コレ……なんだ?」


 ミューラーが頭上に両手のひらを立て、パタパタと指を曲げる。ダリアの兎耳、のつもりなのだろう。


「ああ。ダリア、獸人だからな。兎の」

「へ? 兎人は、ああいう感じじゃないだろ? もっとこう、本当にでかい兎みたいな……」

「父親が兎人で母親は人間だそうだ」

「……生命の神秘だな。そうか、じゃあこの間のおかしな魔力は……」

「兎の力らしい。本人は隠しているから、触れ回るなよ?」


 ミューラーは神妙に頷いた。

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