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兎は月を墜とす  作者: hal
春の船
13/99

兎の月

「てめえナニ勝手に縄ぬけてんだよっ! ザけんなっ!」


 ぱっくり開いた赤黒い斬り口から盛大な血飛沫を散らしながらも、茶髪はヒステリックに喚き続けた。


 そうか、これは既に人ではない。

 血の雨を顔に浴び、ミューラーは目を眇める。

 先ほどの一太刀は背骨を断ち心臓を裂いたが、相手は屍人だ。指輪を割らなくては倒せない。


 ミューラーは手首を返し、茶髪の腕へ刀を落とす。

 だが茶髪は刃が届く前に、指を咥えて噛みちぎり、ゴクリと指輪ごと飲み込んだ。口の端から溢れたおびただしい血液で、顎が壮絶に濡れる。

 茶髪が肩と指、二つの断面から骨肉の覗く肉塊を拾い上げ、肩口に近づけると、腕はすぐ元通りに繋がった。


「ふ、ふははっ……やっぱり、スゲえ……! 指輪の……俺の、力っ!」


 捲れた唇が小刻みに震え、愉悦が漏れた。湧き出る笑いは膨れ上がり、身体がくの字に折れ曲がる。狂気に堕ちた二つの瞳は極限まで見開かれ、焦点を定められないまま揺れ動く。

 茶髪は突然横に飛び、足の刺青を弄っていた黒髪の男の手を踏み抜き、指輪を割った。

 呆然とするミューラーの目の前で、黒髪の男は崩れ、息絶える。


 茶髪の狂笑が獣の吼声に変わる。黒髪の男は今度は茶髪の屍人ペットとして、ゆらり蠢き始めた。


「ついでだ!」


 茶髪が投げた小刀は、蝋燭を掠め火を消した。

 いまだ煙に澱む船内は暗闇に包まれ、壁の割れ目から滲む月明かりだけがやけに眩しい。


 剣を抜いた音。

 ミューラーは五感を張り詰め、気配を探った。


 床板が大きく振動し、軋む。


 来るっ!


 体当たりを試みた屍人ペットを、ミューラーは海賊刀(カトラス)の背で押し飛ばした。捌いてしまえば肉塊となって数を増やしてしまう。


 『氷砕』で核持ちを指輪ごと砕かなくては。

 ミューラーは左手で結印しつつ、詠唱を始めた。


 屍人ペットが野犬のように喉を唸らせ飛び掛かる。刀を捻じり頭部を串刺すと、茶髪の剣が左肩を狙う。掠めた刀身が傷口を開き、どろりとした熱に頭が痺れる。


 月光に刃が煌めく。

 眠るダリアへ茶髪の剣が翻った。新たな屍人ペットを作ろうというのだろう。ミューラーは黒髪の屍人から刀を抜き、茶髪を殴り飛ばす。


 茶髪の狂笑が闇を揺らした。


 これでは印が結べない。

 ミューラーは詠唱を止め、刀を構える。


※※※


 酷く生臭い、血と肉の臭い。

 激しい剣戟の音と、獣じみた唸り声。

 周囲は真っ暗で、薄っすらと入り込む月明かりだけが、煙る船内を断片的に照らしている。


 ダリアは目を覚ました。

 薬のために記憶が混乱し、眠る前の事が思い出せず、何故ここにいるのかが全くわからない。


 しかし目の前では、三つの影がもつれあい、斬りあっている。豚や蟹ではない、人と、人と、人だ。

 喉が縮み上がり、悲鳴さえも出ない。生理的な恐怖感に目眩がし、全身から冷たい汗が吹き出した。


 誰が戦っているのかなど、混乱に陥ったダリアには判別がつかない。が、何故かヘクターの顔が胸を過る。


 ……ママ?


 ダリアはパクパクと口を上下させた。心臓が痛いほどに強く打ち鳴らされる。


 斬られた生首がガンッと鈍い音をたて壁にぶち当たる。斬った男をもう一人が羽交い締めると、首を失った胴体が立ち上がり、捉えられた男に剣を振り下ろす。


「嫌っ!」


 鮮血が散り、男はがくりと膝をついた。


「嫌ああああっ!!」


 ダリアの絶叫が木霊する。

 全身が震え、鳩尾が締め上げられた。兎の魔力が吹き荒れ、嵐となって渦巻く。

 引き裂かれんばかりの衝撃に、ダリアは心と瞳を閉ざし、立ち竦んだ。


 月が兎に応える。

 木目の隙間を割り裂き、青白い光が洪水のように雪崩れ込む。

 怒涛の勢いで月光を注がれ、兎の魔力は一気に増幅し、じわりとダリアの身体をはみ出した。

 ゆっくり、兎の魔力が船内を満たしていく。


 ダリアは再び目を見開いた。

 青い瞳はすっかりと、王を示す赤色へと塗り変えられている。


 兎は甲高い声で月に吼えた。


※※※


 三人の騎士は船の外周を巡り、入り口を探していた。


 胴体から櫂が二段に飛び出たこの船は、ガレーにしては大型で、よじ登るのは難しそうだ。うまく櫂をつたえば甲板に上がれるかもしれないが、櫂が固定されている保証はない。


 ふとカミュは足を止め、前を歩く先輩二人に声をかけた。


「あの……この壁の向こうから、声が聞こえた気がします」


 赤鷲と緑鷲も手を当て様子を伺った。確かに、中に動く誰かがいるようだ。

 緑鷲が手斧に魔力を込め、振り上げながら言う。


「この辺りを開けてみるか」


 その時カミュは、違和感を覚えた。

 コップの水に墨汁を滴したかのように、空間をじわりと塗り潰す怪異な魔力。既に船内は飽和しているのだろう、木目の隙間から魔力が溢れ、船全体を包み込もうとしている。


 カミュは手を離し、後退った。

 コレと同じタイプの魔力に、触れた記憶がある。

 あれは確か十年前。学校で魔法剣の修練をしていた時の事だ。

 おかしな魔力は津波のようにカミュを襲い、魔法剣を飲み込み狂わせた。法則を見失った魔法はただひたすらに暴れ、刀身とカミュを切り刻み、学校中に暴走を連鎖させた。


「危ない! 斧を離してください!!」


 カミュが叫ぶ。

 斧は投げ下ろされ、船に当たる瞬間に粉々に弾け、周囲を切り裂いた。

 尻もちをつく三人の目の前で、船体に大穴が開く。


 騎士たちは目配せをし魔法武器をしまうと、穴へ近づこうとした。


 船が小刻みに震える。

 空気の塊を押し込んだかのような圧が巻き起こり、船底に集められる。


「……これは、何が起きているんだ!?」


 立っている事すら難しい、激しい風圧。

 騎士たちは急ぎ、風に逆らって船から距離をとった。


 船がぐらり、大きく傾く。


※※※


 これは、ダリアか!


 夜毎の鍛錬で身体に馴染んだ兎の魔力。

 ヘクターは輝く月を一瞥すると、レイピアへ魔力を注ぐのを止めた。月に膨れた兎の魔力は、法則を狂わせる。


 ただの脆い細剣となったレイピアを嘲り、モーリスは高笑いした。


「あれ、どうしたの? ようやく、無駄だって気がついたのかな。だけど、今更命乞いをしても助けてあげないけどね」


 ヘクターはモーリスから距離をとった。

 大雨に水嵩が増すように、兎が甲板を侵食する。重力が空気の流れを歪め、吹き荒れた風がガタガタと船を揺さぶる。


「……っね、おじさん! なにこれ、どうなってるの!?」


 ヘクターは帆柱を掴み、策具に腕を絡め固定した。


 稲妻が走ったかのように、ほんの一瞬、蒼白い強烈な光を放って月が眩く輝いた。

 嵐同然の強風に船体が軋む。

 船は斜めに傾くと反動をつけ、勢いよく宙に浮かび上がった。


「船が!?」


 床へ転んだモーリスは兎の魔力へ落ち、浸された。兎は発動直前の強大なモーリスの魔力を食い潰し、それ自体が怪物であるかのように、一回り大きく膨らむ。


「んなっ!! なんだ、この力!? ぼくの、魔力、があああ……っ!? っふざっけんなっ!! なんだ、これ!?」


 『狂炎』


 焦ったモーリスがキーを叫び、魔法を発動させる。既に兎へ溶け込んだ魔力は命令を理解できず、狂騒した。

 破壊の竜巻が立ち上る。


「うわああぁぁぁぁっっ!!!」


 渦の中心で、モーリスは原型を留めない程に細かく割り刻まれた。船の木片や金属と混じり合い、ただの粉末となったモーリスは、月明かりに煌めいて夜空に溶け消えた。


「……核が、無い? 一緒に壊れた、のか?」


 ヘクターは呟いた。 

 青紫の星空の下、月は地に墜ちそうなほど重たげに輝き、船は一直線に月を目指す。

 

「……ダリア」


 やはり船内にはダリアがいる。ヘクターは急ぎ、階段を駆け降りた。


※※※


 赤い瞳の少女はじっと茶髪を見詰めていた。

 足が地に着いていないのか、船が揺れ傾いても姿勢を崩さず、地上に対して垂直なまま佇んでいる。


「バケモンか!」


 そう叫んだ直後、茶髪の身体は床板へ押し付けられた。

 重力は徐々に強まり、容赦のない圧を全身で受ける。じりじりと骨が軋み、眼球は押し込まれ血が垂れた。

 痛みを感じない屍人の身体は抵抗を知らず、なすがままにひしゃげていく。


 いつの間に開いていたのだろう、船尾に割れた穴から月光が差し込み、船内をくまなく照らしあげた。

 這いつくばる屍人を前に、少女は目を三日月に曲げ無邪気に微笑む。


 パン、と水風船が割れるような音が響いた。茶髪の頭蓋骨が、胴が、手足が砕け、赤黒い水溜りの中、雨後のカエルのように薄く潰れる。


 圧縮された屍人は、しばらく皮を波立たせ蠢いていたが、胃袋に隠されていた指輪が兎の魔力に砕けた途端、完全に静止した。


※※※


 海賊船が空を上っている。


 船尾に開けられた大穴から巨大な月が煌々と輝き、船内は突風が吹き荒れていた。


 茶髪への仕返し(・・・)を終えたダリアは、引き寄せられるように通路を進み、穴の前に立つと、何のためらいもなく床を蹴った。


 ダリアがぶわりと夜空を舞う。

 が、その足首はしっかりと掴まれていた。


「……あっぶね!」


 ヘクターはダリアを船内に引き摺り下ろし、抱きとめた。


「おい、正気に戻れっ! ダリア!!」


 月へ吸い込む風は、ますます強まる。ヘクターは櫂を握り身体を支えつつダリアをしっかりと抱え、兎耳へ叫び続けた。船はぐんぐん高度を上げ、船内は凍えるほどに冷えていく。


 ダリアの赤い瞳には、月しか映らない。

 ヘクターは漕座にしゃがみ、月光からダリアを庇い、影に閉じ込めた。


「ダリア、俺だけを見ろ」


 呟き、毎晩そうしているように顎を掴み固定させる。月をけして見せないよう、視界を自らで埋める。

 赤い瞳をじっと見詰め、中に映る影を確認すると、柔らかな唇に唇を重ねた。


 長く、しかし押し付けるだけの優しい口づけに、ダリアはようやく瞼を閉じる。


 やがて静かに唇が離れ、ダリアは目を開いた。瞳は元の青へ戻っている。

 睫毛が擦れあうほどの至近距離に、ダリアは顔を真っ赤にし、口を拭って跳ねた。


「ママ! な、なにしてるのっ!? もーっ、ダメだよーっ!」


 まあ、いいか。

 ヘクターは溜め息をついた。


 あれほど吹き荒れていた風が、いつの間にか凪いでいる。狂気に満ちた月光もなりを潜め、星空にはただの月がぽかりと浮かんでいた。


 間違いなく、全てはこの少女の力だ。あの無惨に潰れた屍人の残骸も、モーリスが粉末となったのも、今この船が空を飛んでいるのも。


「ねえママ、ところでここ、どこ? なにここ、船?」

「……記憶、無いのね」


 ヘクターはオカマ言葉に戻ると、ダリアの視界に死体が入らないよう、さりげなく位置を変えた。月明かりが弱まり船内は暗い。死体を見せずに済むならその方が楽だ。


「……ヘクター。こっちにも手を貸せ。屍人に刺された」

「馬鹿ミュー。迂闊すぎるんだよ、お前は。黙って死んで猛反省しろ。……こっちまで這って来れるか?」

「すまなかった……」


 ミューラーはずりずりと通路を這い進む。ヘクターは顔面と肩、腹の傷を調べ、布を裂いて巻いた。

 それほど深い傷ではないが、早急に城へ戻り処置を施す必要があるだろう。


「じゃあ、ダリアちゃん! このままお船をお城まで運んじゃって頂戴っ!」

「は? ……あ、これ、私が浮かせてた……の?」


 途端、船が大きく傾いた。


「ごめんママ、私ムリーーッ!!」

「えっ!? うわっ船が、落ちてるーーっ! ダリアちゃん、ちょっと頑張って!」

「流石にこのサイズは、持ち上がんないって。ごめんなさいーーっ! 月明かりに当たったら暴走しちゃうしっ」


 船が加速度をつけ、月から離れ、墜ちていく。

 ミューラーが転がってきた葡萄酒樽を抱きとめ、口を向けた。


「月光に当たらず、小さければいいんだろう!?」

「ミュー、よし、それでいこうっ!」

「なに、ちょっと、えーっ入るの? ここに!? いやああっ!」


 酒樽にダリアを押し込め、上着を脱いで蓋をする。その樽を船尾の穴の前へ運び、弾みを付けて落とした。

 ヘクターとミューラーは樽に覆い被さり、しがみつく。


「ダリア! 浮かせながらゆっくりおろせっ!」

「お酒臭いっ、酔っちゃうよー!」


 樽の中でどこか趣旨のズレた悲鳴があがる。

 しかしダリアはきちんと力を使ったのだろう。葡萄酒樽は落下速度を落とし、ふわりと星空へ浮かんだ。


 凄まじい轟音。地響きに森が揺らぐ。

 豪快な土煙をあげ、船は草原に激突しぐしゃぐしゃに潰れた。


 樽はゆっくりと、高度を落としていく。


 酒の匂いに酔っ払ったのか、小さなしゃっくりが聞こえ始めたのは恐ろしいが、どうにか無事に降りられそうだ。

 ヘクターとミューラーは樽に掴まったまま、顔を見合わせた。


「凄い、な、アレは」

「……だろ」


 そう言って、ヘクターは目配せをする。

 兎人の力を持つダリアの事を国に報告されては困る。ミューラーならどのようにでも誤魔化せるハズだ。


 意図が伝わったのだろう。ミューラーは口の端に苦笑を浮かべ、話題を変えた。


「……ヘクター。少し、気になったんだが。お前、珍しく、先に進めていないんじゃないか? ダリアさんと恋人同士と言うよりも、母娘みたいだったぞ。第一、呼び方が変過ぎる」


 ヘクターは思い切りミューラーの腹を蹴った。


「堕ちて死ね」

「やっ、やめろっ! 痛い痛い! 本当に死ぬだろうがっ!」


 ふざけあいながら、しかし墜落することなく、地面に降り立った。


 樽から転がり落ちた赤葡萄酒まみれのダリアは、完全に酔っていた。ヘクターに抱き上げられると一瞬だけ幸せそうに笑い、すぐ眠ってしまった。


※※※


 騎士たちにミューラーを引き渡し、ヘクターが帰ろうとした時、腕の中の少女を見たカミュは思わず声をあげた。


「……ダリアちゃん?」


 しかし春の強い風に紛れ、声は二人までは届かなかった。

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