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兎は月を墜とす  作者: hal
春の船
12/99

 調子外れの歌声が響いている。


 それは魔法の詠唱のようでもあったが、所々が適当な鼻歌に差し変わり、何を唱えているのか、それとも本当にただの歌なのか解らない。


 ミューラーが薄っすら瞼を開くと、汚れた床板と散乱する酒瓶が見えた。


 どうやら床に転がされているようだが、ここは何処なのだろう。

 薬を嗅がされた為か全身が気怠く、起き上がる事が出来ない。ミューラーは目線だけを上げ、周囲を眺めた。


 蝋燭が灯された暗い室内は白煙に濁り、噎せ返る程の酒の臭いに満ちている。

 部屋は広いが天井は低く、随分と歪に細長い。壁面が緩やかなカーブを描き、裂けた木目から月光が刺し入る。

 壁際には人影が並んでいる。宴会中なのだろうか、いひひとしゃくりあげるような笑い声が漏れ聴こえた。


 と、茶髪の若い男が腰を屈めて歩み寄り、何の前触れもなく腹を蹴った。

 ミューラーは思わず呻く。

 茶髪の男は嘲笑を残し、また壁際に戻った。

 すでに何度も蹴られていたのだろう。腸が捻れたかのように痛み、ハッキリと目が覚める。


 床に伏したままもう一度、辺りを観察した。

 細長い部屋の左右に無数の漕座が並び、それぞれの前から櫂が突き出している。

 ここはおそらく、ガレー船の漕室だろう。もしや海の上かと耳を澄ませたが、波音は聞こえない。


 少し離れた通路にダリアが見えた。着衣に乱れはなく、ぐっすりと眠りこけている。ミューラーと同じように薬を嗅がされたのだろう。

 駆け寄ろうとしたが、縄で縛られているようで動けなかった。


 船内には、見知らぬ男が四人。


 先程ミューラーを蹴った茶髪は、中年の男とけたたましく笑いあい、並んで酒を酌み交わしている。その隣の漕座では長髪の青年がおかしな歌を歌い続け、もう一人の黒髪の男が蝋燭の前でハーブを喫み、足首の魔法陣を熱心に引っ掻いている。

 その四人が全員、赤い石のついた指輪を嵌めていた。


 ミューラーは縛られた手をぐっと引いた。僅かに縄目が緩み、両手の間に隙間が開く。これならすぐにでも抜けられそうだ。

 しかし男が二人、ミューラーが起きた事に気が付き近寄ってきた為、縄抜けは中断となった。


「魔導師か、ガキ。豚をあんだけヤれりゃあ、魔導師だよなあ? あっちの女はどうだ?」

「二匹も運ぶのは骨が折れたぜ」


 すっかり酔っているのだろう、二人共呂律が回らず、発音が悪い。

 ミューラーが黙っていると中年男が顔を寄せ、魔導師かとしつこく尋ねた。酒臭い息と饐えた体臭に、ミューラーは思わず顔を顰める。


「ガキ、魔導師なんだろう?」

「もしお前が魔導師じゃないなら……」


 茶髪が小刀を取りだし、ミューラーの肩、豚に裂かれた傷口へ切っ先を添えた。ことさら時間をかけ、刃を捻じり刺し入れる。焼け付くような激痛にぶるぶると背中が震えた。

 熱い血がみるみる噴き出し、小刀の尖端が筋をコリコリと引っ掻く。


「魔導師か?」


 あまりの痛みに声も出せないでいると、中年がまた聞いてきた。男たちの深意が読めないまま、繰り返し頷く。

 二人は歓声を上げ、手を互いに打ち鳴らした。


「じゃあ、あっちの女もか!?」


 中年は興奮気味にダリアを指差した。

 ダリアはおそらく魔導師では無いだろうが、安易に答えていいものか。しかしミューラーが押し黙ったのを、男たちは否と捉えたようだ。


「魔導師じゃなけりゃ、男はペット、女はエサだなあ。そういう決まりだ」

「エサか。あれエサかあー。もったいねえなあ」

「……餌?」


 不穏な単語に、ミューラーは聞き返した。


「エサだ。ペットのエサ。ペットのペットのエサだぜ。あー、もったいねえ!」

「ガキ、お前は仲間だ。魔導師だろ? ほら、わけてやろう」


 中年男はミューラーの髪を引っ掴み、顔を上げさせた。左手に持つ火のついた巻きハーブを、ミューラーの唇へねじ込む。

 ミューラーは必死で拒絶し吐き出した。鼻につく煙の匂いに、これが中毒性の高い禁制ハーブ、『花』だと気が付いたからだ。


「なんだガキ、いらないのか?」

「すぐに欲しくて堪らなくなるぜ? あーあの時、もらっときゃよかったなーってなあ?」


 中年が満足そうにハーブを喫む。気持ち良さげに煙を燻らせ、葡萄酒の瓶に口をつける。


「じゃ、仕事すっか」


 茶髪に目配せし、中年はポケットから新しい指輪を取り出すと、ミューラーの目の前に翳した。


「これはすごい魔導具だ。力が強くなり、死ななくなる。ペットをいくらでも増やせて、そいつらを操れるようになる。どうだ、コレをやろうか?」

「なんて太っ腹っ!!」


 ぱちぱちと茶髪が拍手で盛り上げた。


 おそらくアレは、屠殺場の男と同じ『従』の指輪。

 『従』は屍鬼(アンデッド)従屍鬼(ペット)にするための『(コア)』だ。

 身に付けた屍鬼は核持ちとなり、屍鬼主(アンデッドマスター)の従屍鬼として、他の雑魚屍鬼を操る。

 魔導師を生きたまま従屍鬼にしつつ『花』で意思を奪い、脳の腐った屍鬼とは違う、便利で強力な駒に変えているのだろう。


「ペットはお前らの事だろう。飼い主はどこにいる」


 言った途端、目の前で火花が散った。茶髪の落とした踵に鼻を曲げられ、口腔に血が溢れる。

 さらにもう一度、足を振り上げた茶髪を中年が制した。


「殺したらどやされっぞ……ほら」


 中年が茶髪をなだめ、指輪を投げ渡す。茶髪は上機嫌でそれを捏ね回し、ミューラーの背後に回った。


「あー、マスターな。マスターはたまーに来るぜ。魔導師に指輪を渡すのがマスターに頼まれた俺たちの仕事だ。仕方ねえ、俺が嵌めてやろうか」


 茶髪が腕を掴む。手首の縄が緩んでいる事を悟られまいと、ミューラーは体を捻り抵抗した。すると茶髪は意外なほどあっさり手を離し、ミューラーの正面へ座り直すと嬉々として言う。


「嵌められたくないかー。素直なほうが楽だと思うぜ。わかってるか? 指輪はな、別に指に嵌める必要なんて無い」


 嗜虐嗜好があるのか、小刀をミューラーの喉に突きつけ、茶髪は悦にいる。


「例えばあ、この辺りを裂いて肉に埋め込む、とかはどうだあ」

「だから殺すなよ。マスターにどやされるのは、俺だ。それに身体に入れるだけなら、何も皮膚を割らなくても挿れられるだろ?」


 そう言うと中年は下卑た笑みを浮かべた。が、急に笑うのを止め、自分の指輪を見詰めて舌を打つ。


「……俺のペットどもが外で遊んでるみてえだ。行かねーとな。おい、ちゃんとマトモに指輪嵌めとけよ。それと、お前も手伝え」


 中年は歌っていた青年の服を引っ張り、樽から海賊刀(カトラス)を取りだすと甲板へ続くのだろう階段を上った。


 剣はあそこか。

 ミューラーは小さく頷く。


「オッサンが消えたぜ。これからは俺の自由にさせてもらう。……さーてと、どこからイくかな。いい声で喘げよ」


 興奮も露わに歯を剥き出しにした茶髪は、ミューラーの顔や首に小刀を当てると、刃を横に走らせた。薄く切れた皮膚から、血がぬるりと滴り落ちる。と、何を思い出したかのか、突然弾けるように笑い、ダリアを指差した。


「おっと、忘れてた、忘れてた!! アレお前のか? ペットのエサにするには、ちょっともったいねえよな!」

「……っ!」

「オッサン、女に興味ねえんだよ。すっかり腐って取れちまったんじゃねえかなあ。ヤるなら、今のうちだろう?」


 ミューラーは手首を擦りあわせ、急いで縄を緩める。


 小刀をしまい、茶髪はダリアへ這い寄った。すでに欲望の虜になっているのだろう、こちらを気にする様子はない。

 茶髪がダリアに触れる。


 縄を解いたミューラーは海賊刀を掴み、思い切り凪ぎ払った。


※※※


 カミュの振るった剣が、腐りかけた屍人(ゾンビ)の首を千切った。次の瞬間、他の屍人が噛み付こうと口を開いたが、緑鷲の大盾がそれを弾き、手斧でかち割った。

 赤黒い体液の飛び散る中、二人に守られた赤鷲が詠唱を終える。


「『浄炎』っ!」


 清らかな青い炎柱に包まれ、屍人たちが燃え上がる。三人の騎士たちは、慣れた連携で屍人を葬っていった。


「……ふーん。案外使えるな」


 ヘクターは呟き、船に向かって突き進む。右脇に死体の足を挟んだままレイピアを無造作に振り、屍人を切り刻んで道を開いた。動きの鈍い屍人など、敵ではない。


 が、猛進するヘクターを押し留めるように、低く重い叫び声が草原に響き渡った。

 船の甲板から落とされた、人間のモノとはとても思えない、雷鳴にも似た野獣の咆哮。

 屍人たちが跳ね、切り離した頭部が次々と吼え始める。

 首の無い胴体が一斉に立ち上がった。


「核持ちが来たか!」


 月に照らされた甲板の縁に、二つの影が佇んでいる。

 ヘクターは死体から切り取った足を高らかに掲げ持ち、思い切り魔力を流し入れた。足の魔法陣は小刻みに震えながら閃光を発し、ヘクターを引き上げ宙に浮く。


「……んなっ!? メチャクチャな奴だな!」


 驚く赤鷲に笑いかけ、ヘクターは空を飛び、船に降り立った。

 振り返りざまに、中年男へ足を投げつける。ずっしり重い足がくるくる回りながら命中し、中年はよろけ、オールにぶつかり跳ねながら草の海に墜ちた。


「一匹はお前らに任せた! 指輪を壊せ! 雑魚は気にすんじゃねーぞ!」


 ヘクターは赤鷲に手を振ると、甲板へ降りた。


※※※


「気にするなと言われてもだなあっ!!」


 首なしの屍人は赤鷲たちを包囲し、距離を保ちながら指輪の命令を待っている。カミュと緑鷲に守られ、赤鷲は結印と『浄炎』の詠唱を開始した。


「うひ。足を投げるなんて、あいつイかれてやがる」


 相当な高さから無防備に落ちた中年男はしかし平然と立ち上がり、戦い馴れた様子で剣を構える。


「お前、……剣士なのだろう。何故このような事を?」


 魔法の発動には時間を要する。緑鷲は赤鷲を背に隠したまま話しかけたが、中年は応えず油断なく左手を振った。

 指輪の赤い石が怪しく煌めき、斬り取られた頭部たちが口々に吼え叫ぶ。

 一斉に飛びかかる首のない胴体、身体のない頭部、刻まれた欠片。

 詠唱を中断させる訳にはいかない。緑鷲とカミュは盾となり、破片たちを叩き切る。

 が、刻んだ肉はそれぞれに意思を持つかのように跳ね回った。斬る度に数を増やす塊に、騎士たちは次第に翻弄され始める。


 襲い来る風圧。

 中年の化け物じみた重撃を魔法盾で受け止め、緑鷲は力任せに押し払った。中年が飛ばされ地に伏すと、屍人の群れは突然、動きを緩める。


 赤鷲の『浄炎』が発動し、屍人の肉塊を焼き付くす頃、中年は高イビキをかきはじめた。


「寝ている、のか? これはむしろ捕縛した方がいいのだろうか」


 緑鷲が呟き、赤鷲は肩を竦める。


「こいつ、酔っぱらってたのか。確かに酷く酒臭いが、なんというか……とりあえず指輪、だったか?」


 赤鷲が脇にしゃがみ指輪を引き抜くと中年はビクビクと痙攣し、大きなシャックリを飲み込むとともに呼吸を止めた。時間を凝縮したかのように肉が崩れ、みるみるうちに土気色の死体に変わっていく。


「……死んだ、な」


 指輪からはいまだ、禍々しい魔力が発せられている。赤鷲は慎重にハンカチで包んで袋にしまい込んだ。


 その直後、盛大な爆発音が連続して轟き、船体が大きく揺れた。甲板で大きな魔法が発動されたようだ。


「上れる場所を探すぞ!」


 三人の騎士は船へ走り出した。


※※※


 青年屍人の歌が途切れると同時に、火弾が炸裂し足元を砕いた。


 耳をつんざく騒音が続けざまに鳴り響き、爆風がなぶるように追う。ヘクターは狭く細い上甲板で、巧みに杖をつき転がりながら逃げ回った。


 この屍人の指輪は甲板へ降りた直後、腕ごと切り落とし踏み付け破壊している。が、何事も無かったかのように、腕は宙に浮かび胴体へ繋がった。

 あの指輪は核ではなかったのだろう。ならば『従』ではなく『主』。この髪の長い青年が屍鬼主、という事になる。


 が、しかし、屍人だ。

 肉体が完全に死んで月日が経っているのか、既に身体は腐り脈動も途切れているようだ。切り取った腕の断面から血は噴き出ず、ドロリとした半透明の体液が滴るだけだった。


 火弾が止み、青年は再び歌いだした。


 この青年はずいぶんと音痴だが、同じような音階に乗せ、よく似た歌詞で歌による詠唱を行う魔導師を、たった一人、知っている。

 もう遠い昔に死んでしまったが。


 懐かしさを感じさせる歌に、心臓は焦げ付くように痛む。


 ヘクターは身を翻して急加速し、青年の喉にレイピアを突き刺した。腐った肉からはやはり、一滴の血も噴き出さない。

 喉を串刺すレイピアを気にも留めず、少年のように幼い口調で、青年は言った。


「ね、おじさん。そんなに顔が近いと歌いにくいんだけど」

「……お前、その歌をどうやって知った?」

「教えてもらったんだ、僕の大事な人魚に」


 青年は得意げに笑う。


「……人魚」

「そうだよ。深い海の底で歌を歌う、優しくて美しい人魚だ。おじさん、……人魚のこと、知ってるでしょう?」

「人魚に心当たりはないな」


 その答えに青年は目を細め、小馬鹿にしたように呟いた。


「心当たりない……そう……おじさんは、冷たい人だね」


 ヘクターはレイピアに注ぐ魔力を強め、喉から垂直に切り裂いた。腐った骨肉は柔らかく破け、生白くぶよぶよした中身を露出させる。右の手を突っ込んで臓物を掻き回し、引き千切りながら核を探した。しかし、青年の身体はすぐさま元に戻り、核が見つけられない。


「……おじさん。僕、こんな酷い事をされるのはさすがに始めてだ。冷たくて残酷だなんて、なんだか気に入ったよ。僕の名前はモーリス。今から君の新しい主人になる。……さあ、殺してペットにしてあげよう」


 モーリスはゆっくりと目を閉じ、調子外れに歌いながら、踊るように印を結んだ。モーリスの全身の魔法陣が力強く輝き、桁外れな魔力が竜巻のような渦を作り出す。

 全く無防備なモーリスを、ヘクターは上から下まで細かく刻んだが、核はない。どころか歌で強まる魔力に回復速度が早まり、レイピアを挟み込むように切り口が戻る。

 魔力の渦は加速度を増し、勢いを強める。これだけの魔力が注ぎ込まれた魔法を喰らえば、ヘクターだけではなく、この船も、中にいるダリアもミューラーも、下手をするとヨルドモ城塞でさえもただではすまない。


「……どこにあんだよっ!?」


 ヘクターは叫びながらモーリスを細裂き、核を探し続けた。

 モーリスの顔が悦に歪む。

 閉じた瞼をゆっくりと開き、灰色に濁った死者の瞳でヘクターに笑いかけた。

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