あと三千年だっけ?
「なあ、地球ってさ」
「母なる星のことか?」
「うん、どんなところかな?」
あと三千年で目的地に着く。
そう告げられている。
誰がその計算をしたのかは、もう正確には答えられない。
ただ、その前提だけが残っている。
「気にしないほうがいいぞ」
「でもさ」
「考えたって分からない。
データベースを見れるのだって、将官でも限られた人だけだ」
「そうなんだけどさ」
人口二万人の外宇宙探査船アーク。
滅亡寸前の地球を旅立ち、航行開始から約六千年。
人類は過酷な宇宙に適応するため、すでに肉体を捨てていた。
最適化の外側に一度だけ逃げ道はあった。
しかし、それも消えた。
残っているのは、初代がサイボーグ化したときのデータだけだ。
そのデータは『ブレイン』と呼ばれる情報構造に蓄積されており、そこから各個体へとダウンロードされる。
技術の発展とともに腕や足、ときに全身を交換しながら、人類は更新され続けてきた。
人類は、死を克服したのである。
「それに、ロジックにハマると、エリックみたいにオーバーフローするぞ」
「ああ、それで最近見ないのか」
「人格復旧に、五年はかかるらしい」
たとえば、彼らはアークの外壁の補修を行っている最中だ。
肉の身体なら、一瞬たりとも生きていけない空間である。
真空。
放射線。
温度差。
どれも本来なら、存在そのものを拒絶する環境だ。
だが船員たちは、そこに普通に立っている。
宇宙服もない。
隔壁もない。
ただ、工具を持ち、外壁に触れ、作業を続けている。
「もうリブートしたほうがよくないか?」
「だよな。俺もそろそろしたいよ」
「最近、ギアの調子が悪いよ。たまに変な音がする」
「大丈夫か? イチキューロクオイルでも飲めよ」
「あれってさ、その場しのぎだろ? 気分は良くなるけど」
「まあな……。」
船内も、肉の身体では生きていけない。
酸素や温度の管理が無駄なコストだからだ。
味の概念も捨てた。
かつては食事という行為があった。
栄養補給と同時に、感覚の快楽としての意味を持っていたものだ。
しかし、それは徐々に削除された。
不要だったからではない。
維持コストに対して、効果が曖昧だったからだ。
今でも『栄養』は得られ、『老廃物』を放出される。
だが、その『老廃物』も再利用され、再び『栄養』として巡る。
残ったのは、情報としての自己だけだ。
「あと3124年だっけ?」
「3224年じゃなかったか?」
「どっちでもいいや」
「言えてる」
約六千年前、滅亡寸前の人類が活路を見出した惑星。
今では、時間だけが積み上がり、航行距離だけが更新され、『あと三千年』という数字だけが残っていた。
その数字は、アーク船内のいたるところに表示されている。
しかし、誰も気にしていない。
ただのカレンダー扱いになっていた。
アークの人類は、人口が二万人に調整されている。
故障やオーバーホール、リブートによる増減はあるが、常に保たれている。
それは統計上の目標値であり、同時に安全基準でもあった。
そう、アークは安全で完璧だった。
アークの人類にとって、アーク以上に安全な場所は存在しなかった
それは事実であり、前提であり、結果だった。
「そもそも、目的地に着いたからって、何なんだ?」
「……だよな」
「どうして、そこへ向かってるんだろな?」
「知らね」
人類は生き延びた。
そして生き延びるために、『それ以上を考えない存在』へと最適化された。
その結果として完成したのが、この船だった。
外宇宙探査船アーク
それは宇宙船であり、世界であり、そして人類そのものだった。




