アルドリック
──私の番はとても美しかった。
初めて見つけた時、身体中に衝撃が走った。
今まで見たどんな女よりも輝いていて、それまで生きていた私の世界は、あっさりと番に塗り替えられてしまった。
番なんて煩わしい存在で、番持ちの奴らを見るたびに馬鹿らしいと、胸の奥底で思っていた過去の自分を殴りたい。
オレンジの長い髪は綺麗になびき、夏の訪れを待つかのような新緑の色をした瞳は、見ているだけで吸い込まれる。
けれど番は、その体に他の男の匂いを纏っていた。
その事実は、私を大いに混乱させ、嫉妬に狂わせた。生まれて初めて、胸を掻きむしりたくなるほどの耐え難い痛みが、私を襲う。
一体、誰の匂いなんだ──?
番に触れようとする汚らしいガキ共は消した。
こいつらの匂いではない。
続けて目の前に現れた、この人間の男──
何故、私の番の匂いがする?
私の番に触れたのは、お前なのか…?
悔しくて、惨めで、目からは勝手に涙が流れる。
私は男から守るように、番を抱きしめた。
番との関係を問い詰めれば、男は嘲笑いながら下品なことを口走り、私の逆鱗に触れる。
──こいつの存在を、この世から消してやろう。
剣を抜けば、頭部に感じたことのない強烈な痛みと衝撃が、私を襲う。
銃で撃たれようだが、竜人は肌が硬く、人間が作ったそんなおもちゃでは死なない。
ドロリと頭から血が流れる感覚がするが、そんなことよりも、番を落とさないようにする方が優先される。
誰に手を出したか、思い知るといい。
今度こそ息の根を止めてやろうと、剣を握る手に力を込める。
だが人間の男は、呪いのような言葉を吐いた後、あっさりと自ら命を手放した。
「…………クソッ……!!」
逃げられた……逃げられた……!
この私が、人間ごときにしてやられたなんてことはあってはならない。
私の手で殺せなかった、なんて事実は認めない。
しかも番が、私を愛さないだと?
番同士は嫌でも惹かれ合うものだろう?
男の遺体に何度も剣を突き刺し、塵も残さず焼く。そのまま鬱憤を晴らすかのように、今度はスラムの全てを破壊し、殺し、また燃やす。
これで、番を惑わすあの男は、どこにもいなくなった。私が、この手で、殺したんだ。
それと同時に、番が帰れる場所も奪った。
これからは私を頼り、私の元へ帰ってくるといい。
少しだけ、胸のすく思いがした。
・・・
目が覚めない番を、私は自分の隠れ家に連れてきた。誰の目にも触れさせないよう、使用人は、必要最小限にとどめた。
「ロキシー。私の番にこれを」
「はい」
幼馴染のロキシーに声を掛け、番の世話を頼んだ。彼女に、白いワンピースを手渡す。
私の番には、白が映える。
女に贈り物をしたことなどはないが、私が選んだのだ。
番は、きっと喜ぶだろう。
「まだ目が覚めないか?」
「はい。番様ですが匂いが……」
「────気付いたか」
竜人なら、わかるだろう。
番から、私以外の匂いがしていることに。
ふと考える。
私がいるというのに、裏切った番。
許せるか……?
私の番が、下等な人間の女というだけでも我慢してやってるのに、更にこの裏切り行為。
「ふん、売女が番など、なんと穢らわしい……」
「ああ、アルドリック様……なんて、おいたわしい……」
二階から、微かに物音がしている。
番が、起きた──私は反射的に立ち上がるが、それをロキシーに阻まれた。
「わたくしが、先に様子を見て参ります」
「…………ああ、頼む」
───落ち着かない。
なんで、こんな気分になるんだ。
番が何をしているのか、気になって仕方ない。
段々と、苛立ちが募る。
「私が、番に振り回されるなどあってはならない」
自分に言い聞かせるように呟いていると、ロキシーの大声が上から聞こえた。
私は弾かれるように、番の元へと向かう。
目に飛び込んできた光景は、今にもロキシーが番を殴ろうとしている姿。
一瞬で頭に血が上るが、それを理性で押さえつける。
ここでロキシーを殺せば、番が怯えてしまう。
まずは、番の状態を確かめなければ──
だが、ここで番を庇うのは、私のプライドが許さない。本来ならば、番が私だけを、向こうから求めてくるのが望ましい。
それにまだ番からは殺したはずの、あの男の酷い匂いがする。どこまであの男は、私を馬鹿にすれば気が済むのだ。
私は番に罵声を浴びせ、遠ざけた。
「衣食住は徹底しろ。外には絶対、出すな。番の報告は、毎日だ。私はしばらく来ないから、後は任せるぞ」
「はい」
私が選んだのは、番から距離を取ることだった。
・・・
「……っ……くッ……」
心を落ち着ける為に、番から距離を取ったはずなのに、番が今、何をしているのか、どうしているのか、それがずっと気になってしまい、何も集中出来ない。
退屈しないようにと、たくさんの贈り物をしたが、番は本も刺繍も全く興味がなく、ならば手紙を書くことで私と交流できればと思ったが、それもしない。
最近では、送ってくる報告書も番が寝ていると、味気ないものばかりになった。
────あぁ、顔が見たい。
出会ってから一度も笑った顔を見たことがない。
目を合わせ、会話だってたくさんしてみたい。
そしてあの綺麗な声で私の名前を呼んでほしい。
そうだ、番が私の名前を呼んでくれたら私も返そう。
──だから、早く私の名前を呼んでくれ。
・・・
季節が少し巡る頃に、番が倒れた。
「……本当に、お前がやったのか?」
「も、申し訳ございません……」
「言い訳はいい。残念だ。ロキシー」
「アルドリック様!お許しを──!」
「一瞬だ。痛みは無い。私の番に手を出すのは……誰であろうと──許さない」
私はすぐに番の元へ赴き、必死に看病した。
絶対に死なせてなるものか。
見ない間、少し痩せた番に心を痛めた。
私が、番から離れていたせいだ。
一番いい解毒剤をすぐに飲ませ、苦しそうに呻いている番の手を、そっと握る。
(番の手は、こんなに小さかったのか)
夜が明ける頃、握っていた手を番が弱々しくだが握り返してきた。
ぼんやりと目を開け、潤んだ瞳でこちらを見ているが、意識はハッキリしていない。
小さな声で、うわごとを言っているので顔を近付けた。
「…………ロ、イ…?」
……また、あの男か?
どこまで私達の前に出てくるのだ。
───あの亡霊がッ!!!!
目が覚めた番に、私は起こったことを伝えた。
私はお前を助けたから、感謝するべきだと。
ロキシーは、お前のせいで死んだ。
私がいながら他の男の名前を呼ぶ、裏切り者。
やがて、何の反応も示さない番に痺れを切らし、私は部屋を後にした。
「──食べろ」
食事管理は、私がすることになった。
また、あのようなことがあっては困るからだ。
番の食べる量は、我々からすれば圧倒的に少ない。
味の濃過ぎる物は好みではなく、薄く味付けをした肉や魚、生の果物は好むのか、食がよく進む。
番は、いつも窓から外を眺めている。
憂いを帯びたその横顔は美しい。
だが私に、その視線が向けられることはない。
私は愚かにも、番と会話をしてみたいと思い、こちらから声を掛けてしまった。
「……護衛付きなら食後、庭に出る許可を与える」
反応は、何もなかった。
その後も、番とは全く会話がない。
いつだって俯き、オレンジ色の長い髪に隠れた表情はよくわからない。
侍女や護衛に聞いても、番との交流はなく、反応があっても頷く程度。
誰とも、一切の会話をしないことがわかり、内心焦る。
まさか、ここが気に入らないのか…?
確かに私の私室に比べれば、かなり狭い。
それに、これからもずっとここが安全とは限らない。やはり、もっと私の側にいるべきだ。
悩んだ末に、竜人祭後、城へ連れて行くことにした。これで私の目の届く範囲に、いつでも番がいるという安心感が生まれる。
これで、きっと番も素直になるはずだ。
・・・
竜人祭の日は、城に王族貴族が集まる。
民は街の広場に集まり、好き勝手に騒ぐのが恒例だ。
番が現れた私には、最早、関係のない祭りとなったが、王族が理由もなく欠席はできないため、渋々参加する。
「アルドリック!無事に番が見つかって良かったね!聞いた時は驚いたよ!いつ見つかったの?私にも紹介してくれるかな?明日にはここに連れてくるのでしょう?」
「兄上……そのように、一気に質問されては困ります」
「あ……ごめんね?でも本当に羨ましいな。私も、はやく愛しい番と出会いたいな。そうすればきっと、毎日が素晴らしいものになると思うんだよね」
──鬱陶しい。
武の才能はないが、頭は切れる私の兄。
媚を売る様な柔らかい物腰が、ずっと気に入らない。女のように、ベラベラと長く話すのも気持ち悪い。
王族たる者、もっと威厳を保つべきだ。
「アルドリックの番って、人間の女の子なんだってね?人間は体が弱いって聞くから、大事にしてあげないとだね!私に出来ることがあれば、なんでも言ってもらえると嬉しいな!あ……番の子は好きな物とかあるかな?将来、家族になるならせっかくだし、私も仲良くなりたいな」
目を細めて笑う兄を、無性に殺したくなった。
私の番を、お前が語るな。
私だって、番の好きな物が知りたいのに。
私の番と、仲良くなりたい……?
昔から兄は、こちらが気に障ることしか言わない。無自覚に、好き勝手発言しているのならば、それは自分の命を縮める行為だ。
「……兄上は、私の番のことをよくご存知なんですね……」
「え……?ああっ、違うんだよ?番の子のことは、父上から聞いてね?私は、自分のことのように嬉しくなってしまったんだよ。また明日、二人に会えるのを楽しみにしているからね?着いたら、みんなでお茶会をしよう?あ……緊張しなくても大丈夫って、アルドリックから番の子に伝えておいてね?」
言いたい事だけを言って、兄はさっさと会場へと戻る。その様子を眺めていれば、波のように寄ってくる令嬢達に囲まれながらも、談笑に花を咲かせていた。
「ふん、くだらない……」
その場に残された私は、番に会いたくなった。
今日は、竜人祭だ。
この後はゆっくり番と過ごそう。
使用人達も今日だけは全員、出払っているはずだから、本当の意味で二人きりだ。
既に寝ているなら、それでもいい。
今日だけは……ただ、二人で同じ空間にいたい。
「────どこへ……行った……?」
番がいるはずの部屋は、鍵が開けられていた。
焦りながらその他の部屋も、全て見回っていく。
一階のトイレの窓が開いたままになっているのを見て、私は考えたくもない現実を理解する。
────逃げた。
「どこへ行った!!?絶対に、逃がさん!!!」
叫びながら、私は空を飛ぶ。
なぜ、私から離れようとする?
こんなにも尽くしてやっているのに!
こんなにも愛しているのに!
逃げるなら、捕まえるだけだ。
私はどこまでも追いかけて、お前を逃がさない。
番の僅かな匂いを辿り、スラムがあった場所でようやくその姿を見つけたが、番は狼の匂いがする獣人と寄り添いながら歩いていた。
──そうか……お前は私じゃなくてもいいんだな。
犬を殺すために剣を抜いたが、犬は不意打ちにも拘らず、被害を最小限に抑えたようだ。
(自分の腕を盾にしたか……)
番が、犬を庇う姿を見て更に怒りが込み上げる。
他の男ばかりに尻尾を振る番は、私を嫉妬させたいのかもしれない。
お前の可愛いお遊びに付き合う私は、とても良い番だろう?
だが、何事にも限度というものがある。
やりすぎたらよくない、ということを番にはわかってもらわなければならない。
(お前のせいで、この犬は死ぬんだ)
「お前がこいつを殺したら、私も一緒に死ぬ」
ピタリ、と私はその場から動けなくなる。
────番が死ぬ……?
その言葉を、すぐに理解することは出来ない。
番に死なれるなんて、無理だ。
番が死ぬことは、許されないことだ。
お前が死んだら、私はどうなる…?
身体の中を、冷たいものが駆け巡る。
次第に呼吸が荒くなるが、それを誰にも悟らせないようにするため、犬を殺すのを諦め、さっさと消えろと命令する。
(あんな犬……また見つけた時に殺せばいい)
犬が消えた後、私と番だけになる。
これで、やっと安心して私も息ができる。
一緒に城へ帰るぞ、と促すが番は俯いたままだ。
今度は何が気に入らないんだと思えば、番は髪を掻き上げ、私と目を合わせた。
美しい顔立ちで、私だけをその瞳に映している。
湧き上がった感情は、歓喜だ。
ずっと、私だけを見て欲しかった。
私だけを見て、会話をして欲しかった。
それが、やっと叶ったのだ。
嬉しくないわけがない。
番はそのまま、細く、美しい脚を見せて、私を誘惑する。
私に、触れて欲しいということか……?
竜人祭だから、番もその気になってくれたのか?
その場で、理性を失いかけそうになるが、次の番の一言で、そんな気持ちは消え失せた。
「私が知りたいのはここであの夜に何があったか。知っているのは、当事者だったあなたでしょう?」
あの夜に、何があったか聞きたい……?
未だ、出てくるあの亡霊のせいで、あの夜の事はもう忘れたかった。
話すつもりはなかったのに、番が体に纏わりつく。
番の意思で、私に擦り寄っている。
(私の番はなんて、柔らかくていい匂いがするんだ)
脳が、甘く痺れる感覚がして堪らない。
そのまま番の綺麗な指で、私の口を撫で、官能的に誘惑するから、完全に油断していた。
「驕るなよ竜人。私の目を見て、真実だけを語れ」
私の首に、隠し持っていたナイフを突き付け、そう言い放つ番に、ただ見惚れていた。
例え、このまま番に殺されても悔いはないだろう。
(私の番は、なんて気高く美しい女なんだ)
そんな愛しい番の頬に、触れようとする。
「私に触れるな。触れたらここで舌を噛み切って、死ぬ。私に死なれると困るんだろ?」
頭の回転が速く、賢い、私の番。
自分の死を利用する番に、観念して私は全てを語る。
目を合わせて話しているうちに、番への想いが溢れ、私の感情を初めて言葉にしてみた。
この言葉で、番も同じ気持ちになってくれたら嬉しかったのに、返ってきた答えは私の予想と全然違うものだった。
「──じゃあ、私の気持ちは……?」
まだ番は、素直になれないのだろう。
私を愛するのは、番同士なら当たり前のことだ。
あの男のことだって、寛大な私は許そう。
反応がなくなった番に、違和感を感じながらも城へ連れて行こうと、手を差し伸べた。
「……私は行かない」
「──何を言っている……?」
まだそんなことを言うのかと、苛立つ。
お前にだけ私は、こんなに心を砕いているのに。
「私の帰る場所はここなの。もう何もないの私。私の大事なもの……あんたが全部奪ったから」
「私がいるだろう!?私がお前の帰る場所に──」
「それ本気で言ってる?いらないよ…」
───私が……いらない?
番に言われたことが信じられなくて、固まる。
これは、本気の拒絶だ。
番が、私からそっと離れ、自身の首にナイフを当てる。これから番がなにをするのか、わかってしまい、体が無意識に震えはじめる。
本気だ……本気で──
助けようと手を伸ばすが、うまくいかない。
いやだいやだいやだ。
私を、置いていかないでくれ!!!
初めて見た、心から笑う番の綺麗な笑顔は、酷く美しくて悲しくて……なぜか、涙が溢れた。
「私が初めての挫折と絶望をお前に贈るよ」
そのまま自らの首を切る番に、目の前が真っ赤になる。咆哮を上げながら、なんとか番に近付き、緩やかに倒れてゆく体を、必死に抱きとめた。
(駄目だ……血が……流れ過ぎている)
顔色は悪く、目の光は次第になくなっていく。
番の消えそうになる命に、私は気が狂う。
ずっと涙が溢れて、もう何も見えない。
息が、うまくできない。
───ただ、獣のように叫ぶ。
「ドナ!!逝くな!!私を置いて逝くなッ!!!!嫌だ!!嫌だッ!!!私が悪かったから!!!!逝くな!!!」
・・・
────私の声は何も届かず、番は死んだ。
よりにもよって、竜人祭という番達が出会い祝福される日に。
亡骸を見ても、満足そうに目を瞑り、まるで眠っているかのようだ。
死体すら、私の番は美しい。
私から逃げられて、よかったか?
まだ名前だって呼んでもらってない。
手を、ちゃんと繋いですらない。
抱きしめ合ってもない。
口付けも、その先も──
本当はあなたと、ひとつになりたかった。
誰かが言っていた。
番を得たら、誰もが幸せになれると。
出会えれば、死ぬまで互いを想い、一緒だと。
しかしなんだ、私のこのザマは。
番を失ってから、ずっと心が荒れ狂っている。
満たされていたものが完全に欠けた感覚がする。
後に残ったのは、喪失感と虚無感だけ。
そんな私が願うのは、ただひとつ。
番に、また会いたい。
今度こそ、ずっと側にいたい。
私を──許してもらいたい。
「ドナ……お前は私のものだ。死んでも逃がさない……」
私は自身の剣を取り出す。
この剣ならば、竜人である私の肌にも刃が通る。
力を込め、一気に剣で自分の心臓を貫いた。




