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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

灰薔薇の王女

作者: 音無
掲載日:2025/10/01

初投稿です。

グレヌ王国の王といえば、国内のみならず諸外国でも「鉄冠王」の名で通っていた。

外には野蛮な侵略を繰り返す剣の下僕として、内には民を恐怖で支配する血濡れた王冠の主として。

度重なる増税、楯突く者への投獄、処刑。

国王の末娘であるアデリーナ王女は、幼い頃からその状況に気付いていた。

入れ替わりの激しい侍女、家庭教師、護衛達。父王の機嫌を損ねた彼らに、アデリーナは二度と会えなかった。


ある時、父王に言った。

「王とは、民を守る者ではありませんか」

返ってきたのは冷酷な声だった。

「女が口を挟むな。民は道具だ。私の所有物だ――なんだその目は」

「いえ。……何も」

教本に書かれた「君主の務め」を口にすれば、処罰されるのは自分だけで済まない。図書館の館長の首が飛ぶかもしれなかった。

宮廷は王におもねる愚臣の巣窟であり、声はかき消され続けた。

彼女は孤独だった。



ある時、大勢いる家庭教師の中に、新しい者が加わった。

宰相補佐の口利きだという若い男。

「マティスと申します」

背は高く、灰色の視線は冷ややかだった。詩の教師と聞かされていたが、無骨で愛想もなく、アデリーナは眉をひそめた。

詩人なら、もっと情熱や繊細さを湛えているはず。

だが彼からは、戦場の鉄の匂いがする。

(……本当に、詩の教師なのかしら)

心の中でそう疑った。


けれど、マティスとの授業は楽しかった。誰もが自分に愛想笑いを向ける宮廷で、彼は媚びずに接してくれる。

そんな存在は貴重だった。

不審と同時に、信じたいという願いが芽生えた。



授業でアデリーナは自作の詩を披露した。

「『星は夜を愛するがゆえに輝く。だが夜は星を知らぬまま、闇を抱えて過ぎていく』」

マティスは一瞬、息をのんだ。

何でも望めば与えられる王女が、孤独を知る言葉を紡いでいる――そう思ったからだ。

マティスは静かに答えた。

「……美しい声です。詩も」

それしか言えなかった。

詩の教師でありながら不器用なその姿を、アデリーナは好ましく思った。


その夜、机の上に一枚の紙片が置かれていた。見慣れぬ筆跡で、ただ一行。

『星は、夜に気づかれる日を夢見ている』

彼女は胸を熱くし、その紙片を宝石のように大切にしまい込んだ。



その日の授業は、宮廷の庭園で行われた。

詩の題は「自然」。王女は胸に閉じ込めた孤独を、言葉に変えるように短い詩を朗読した。

「石垣に囲まれた花々は、風を知らぬ。

けれど空を見上げ、自由を夢見る」

マティスは答えなかった。ただ、灰色の瞳がわずかに揺れた。

そのとき、雷鳴が遠くで響き、ぽつりと冷たい雨粒が落ちてきた。

慌てて侍女たちは屋敷へ戻っていく。だが王女と家庭教師は、庭の奥で足を取られ、東屋に駆け込んだ。

濡れた外套から雫が落ちる。雨音が二人を包み込み、余計な音をかき消した。

心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。

アデリーナは、抑えきれず言葉を吐いた。

「私は無力です。民を救いたいのに、何もできない……今やこの国は暗い父の影に覆い尽くされている」

マティスもまた、雨に隠れるように吐露した。

「……私も同じです。民を救いたい。だが、そのためは多くの血が流れるだろう」

アデリーナは息をのんだ。

震える声で問う。

「血ではなく、愛で国を変えることは……できないのでしょうか」

返事はなかった。

ただ、マティスの指が震えているのをアデリーナは見ていた。


その夜、彼女は詩を綴った。


『もし日のあたる日が来たなら、あなたの手を、取って歩きたい』


マティスはそれを読んで、唇を噛みしめた。

胸の奥を掻きむしりながら。


その数日後に開かれた贅を尽くした舞踏会の中、アデリーナはいつものように飾り物のように微笑んでいた。

(馬鹿馬鹿しい。皆、城の外で起こっていることを知っている筈なのに)

王を喜ばせるために、過去の戦歴を朗々と詠じる貴族もいれば、先日処刑された家臣の悪口を笑いながら語る者もいる。

王が好むからと、胸が見えそうなほど開いたドレスを着せられた令嬢達。その笑顔は張り付いている。

王を満足させるために、この場では皆それぞれが道化のように振る舞っている。

その真ん中で傲慢に嗤う父王のなんと醜く哀れなことか。

(気分が悪いわ)


外へ逃げ出したとき、まるで彼女がそうすることを知っていたかのようにマティスがいた。

外套を肩にかける彼に、彼女は囁いた。

「もし私がただの娘なら……あなたと、共に歩めたでしょうか」

マティスの心は張り裂けそうだった。

だが答えは沈黙。

真実を語ることはできなかった。



やがて王国に亀裂が走った。戦役の失敗、飢饉、そして王の重税。

反乱の炎は広がっていった。


アデリーナは王により幽閉された。

反王派と繋がっている嫌疑ありとのことだった。

王宮内の簡素な部屋に押し込められ、外との繋がりは、一日2回、侍女が無言で食事を運んでくるのみとなった。

そのため、外の様子は全く分からなくなった。

(マティス……あなたは、無事なの……?)

彼の正体を知らぬまま、安否だけを祈り続けた。



革命の夜。

城門は炎に包まれ、民衆の怒号が轟いた。

その先頭に立つのは――マティスだった。

幽閉されていた室内から引きずり出され、捕らえられたアデリーナは、そのまま血まみれの処刑台に立たされた。

その血が誰のものかは、民衆の声が教えてくれた。


彼女は毅然と群衆を見渡した。

「この国が変わるのなら、私の命は惜しくありません」

その声に群衆は沈黙した。

マティスの剣は震え、掲げられない。

アデリーナの瞳が彼を捉えた。

灰色の瞳。

愛した家庭教師が、革命の旗手であることを悟った。

「マティス……」

唇が形を作る。

失意と、愛と、裏切りの混じった最期の言葉。

「愛していました」

刃が落ちた。



革命は成功した。

人々はマティスを「灰薔薇」と呼んだ。炎と血に咲いた革命の象徴として。

だが彼の胸に残ったのは勝利ではなかった。

処刑台で絶望に沈んだアデリーナの瞳。


数か月後、荒れ果てた王宮を調べていたマティスは、古い書棚の裏に小箱を見つけた。

そこには革表紙の小さな日記帳があった。


『もしも彼が、ただの学者であったなら。もしも私が、ただの娘であったなら。きっと、違う未来があったのでしょうね』

『もし日のあたる日が来たなら、あなたの手を、取って歩きたい。どうかこの願いが、届きますように』


彼は崩れ落ちた。

「……お前は最後まで、俺を信じていたのか……」



革命後のグレヌ王国は混乱の坩堝だった。

空いた玉座をめぐり派閥が争い、飢饉と寒さが民を襲った。

「灰薔薇よ、新しい王になれ!」と人々は叫んだが、マティスは首を振るしかなかった。

彼が選ばねば、別の誰かが玉座を奪い、また血の支配が始まる。

王女の夢「愛で国を変える」は、誰も口にしなかった。

やがて彼は暫定評議会の議長となり、国外からも「新しき王」と呼ばれる存在になった。

だが玉座に座るたび、胸を抉ったのは彼女の言葉だった。


──あなたの手を、取って歩きたい。


玉座の横は、ずっと空だった。

マティスは生涯、誰の手も取らなかった。



夕暮れに薔薇色の雲が浮かぶたび、マティスは日記を抱きしめ、声を殺して泣き続けた。

「愛で国を変えることはできないのか」

その問いに答える者は、もういなかった。


歴史は記すだろう。

「灰薔薇マティス、革命の英雄」と。

だが彼の胸に刻まれ続けたのは、ただひとつの言葉だった。


──愛していました。


それは国を救った英雄の栄誉よりも重く、死よりも深い罰であった。

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