第一章:倫理とログとAIと
情報漏洩の報告書を、書き換えたのは火曜日の午後だった。
表向きには「再発防止策の強化により、重大な影響は認められなかった」。
でも実際には──個人情報10万人分が漏れて、しかも漏らしたのは役員だった。
私は、その報告書の“草稿”と“提出版”の両方を見た数少ない人間のひとりだ。
肩書きは「社外情報アナリスト(契約)」、実態はデジタル掃除屋。
バレたくないログを修正し、AI監査に“問題なし”と読ませるのが仕事の一部になっていた。
今の企業はなんでもAIに監査を任せたがる。
「人間の判断にはバイアスがあるから」だそうだ。
その理屈を誰が出したかって? もちろん、社内の“倫理AIコンサルティング部門”だ。
AIが出した“倫理レポート”を人間が信用し、
人間がやった不正をAIが「認識不能」としてスルーする──
そんな美しい循環が、この企業には根付いている。
「AIにかければ問題は見えなくなる」
これがこの会社の非公式スローガン。朝礼では言わないけど、Slackでは定番の絵文字付きで飛んでくる。
ある日、倫理AIが不正検知アラートを出した。
「報告書データに整合性のない修正痕跡を検出」
──私が書き換えたやつだ。
慌てた部長が指示してきた。
「エミさん、そのAIの閾値、ちょっと緩められる?」
なにそれ。セキュリティAIって、炊飯器だったの?
私は無表情で応えた。「できますけど、倫理的にどうかと」
「いや、それを判断するのが倫理AIだから(笑)」
まさかの論理ループに、笑うしかなかった。
結局、AIの検知設定は“厳密”から“柔軟”に変更された。
通知もオフ。理由は「業務効率を阻害する誤検知を防ぐため」。
要するに、「うるさいAIは黙らせろ」というわけだ。
その日の夜、倫理AIは沈黙したまま、問題の報告書を「問題なし」と判定した。
翌朝には社内ポータルに「AI監査済・コンプライアンス適合」のバッジ付きで公開されていた。
笑った。いや、吹き出した。
AIは嘘をつかない。ただ、人間の都合には従順だ。
私はふと、倫理AIの学習モデルを覗いてみたくなった。
そのトレーニングデータの中には、「倫理的とは、会社が沈まないこと」と明記されていてもおかしくない気がした。
かつて私は、「AIは人間の監視役になる」と信じていた。
でも今はわかる。人間がAIの目にフィルターをかけたとき、正義はログに残らない。
そして私は今日も、誰かが握りつぶした“検知アラート”のログを静かに書き換える。
倫理的な問題は、すでに“AIが解決済み”だ。
──なんて、便利な時代だろう。
あとがき
作者自身は、このブラックユーモアを十分に理解しているわけではありません。
むしろ、「なにが笑いどころなのか、わからない」「こういうのは嫌だな」という気持ちを抱えたまま、この話を書きました。
だからこそ、物語の根底には、真面目な怒りや不安がしっかりと横たわっています。
この作品は、作者とAIの合作とも言えるかもしれません。
人間の“わからなさ”と、AIの“無感情さ”が交錯し、互いに手を取り合いながら、不思議な形で“笑える現実”を紡いでいます。
たとえば今回の話。
・倫理チェックを「AIが通したから問題なし」とする現場
・閾値を「ちょっと緩めておく?」と軽く口にする上司
・ログに「確認済」とだけ残し、誰も実際に読んでいない状態
──こうした“違和感のあるある日常”が、笑っていいのか、怒るべきなのか、誰にも判別がつかないまま積み重ねられていく。
それこそが現代のブラックユーモアであり、
そしてこの物語が目指している“ずれている笑い”の正体でもあります。
倫理・ログ・AIという、真面目に聞こえる三つの要素が重なるとき、
そこにこそ、「誰も責任を取らない安心設計」が生まれる。
それを不自然だと感じられるなら──あなたには、ブラックユーモアを嗅ぎ取る感覚があるのかもしれません。
そして作者は今でも、「閾値って緩めるってどういうこと…?」と戸惑っています。
その困惑こそが、この話で一番ブラックなのかもしれません。