序章:「情報の味」
「第三者AI」について
本作で描く「第三者AI」=「ミラージュAI」とは、
誰のものでもなく、誰にも操られない、
中立的なAIのイメージを表しています。
詳しい説明は物語の中で自然に感じ取っていただければ幸いです。
パスワードリストがまたひとつ流れてきた。
出どころは不明。いや、正確には“言えない”。
グレーなサイトを毎朝のコーヒーみたいに眺めるのが、私の日課になってしまっている。
私は吉良エミ。36歳。元SE。今は情報調査会社で“フリーランス”として働いている。
仕事は、依頼された人物の「ネット上の痕跡」を探すこと。
消されたツイート、古い掲示板、漏れたメアド、個人ブログのキャッシュ。
法のギリギリでやってる…いや、たぶん片足はもうアウトだ。
最初は正義感だった。
「ネットで詐欺を働くやつを暴く」とか、「被害に遭った人を守る」とか。
でもいつの間にか、“見ること”自体が快感になっていた。
この人、夫に内緒でマッチングアプリ使ってるな。
あ、この学生、パスワードが「1234」かよ。バカすぎ。
なぜか、笑ってしまう。
こんな世の中なのに、人って油断してる。無邪気すぎて、怖い。
今日見つけたリストには、見覚えのある名前があった。
大学のとき付き合っていた男だった。
パスワードは──「emi_kira_lover」。
10年前と、何も変わってない。
たぶん彼は、いまでも私のことを引きずってるんだろう。
笑った。
でもそれは、「嬉しい」とかじゃない。
“あまりにも人がデジタルで丸見えになること”が、もう可笑しくなってしまったのだ。
気づけば、私は自分でも気持ち悪いくらい、人の裏を追っていた。
ハッキングはしていない。たぶん。
けど、誰かの“ちょっとした甘さ”を見つけて、そこから生活が透けて見える。
たとえば、
・同じパスワードを何年も使い回してる人
・銀行のセキュリティ質問に「ペットの名前」とか設定する人
・Facebookで「出身小学校」を公開してる人
それらが、“鍵”になる。誰かの人生のドアを開ける、安っぽい鍵に。
だけど最近、ふと思う。
私は、なぜ“そこ”を見てしまうのか?
普通の人なら「気持ち悪い」と思うだけだろうに。
私は、むしろその中に“自分”を見ている気がする。
他人の弱さを見ることで、自分の境界を確かめているような。
そして今日も、流れてきたリストを見て、また笑った。
この作品は、作者とAIの合作とも言えるかもしれません。
人間の“わからなさ”と、AIの“無感情さ”が交錯し、互いに手を取り合いながら、不思議な形で“笑える現実”を紡いでいます。
たとえば今回の話──
パスワードリストに「emi_kira_lover」と残っていた元恋人
“鍵”になるような情報を、自らネットにばらまいてしまっている人々
他人の無防備さに笑いながらも、自分自身の境界があいまいになっている語り手
──どれも現実にありそうで、どこか抜けていて、だけどぞっとするほどリアルな笑いです。
情報の海に無防備に浮かぶ人間たち。
誰かの人生が、たった一つのパスワードで丸裸になる。
それを“楽しい観察”として消費している主人公自身もまた、どこか壊れている。
その滑稽さに気づいたときにこそ、
私たちはこの物語のブラックユーモアに、思わず「くすっ」と笑いながらも背筋が寒くなるはずです。
……とはいえ、作者自身には、正直まだこの“ブラックユーモア”というものがよくわかっていません。
どこが笑いどころなのか、何が滑稽なのか──そんなことを考えながら書いているうちに、
むしろ「わからなさ」に困惑している自分に気づきました。
それでも、もしこの物語を読んで、
誰かが“くすっ”と笑ってくれたり、「あるある……」と苦笑してくれたなら、
それは作者にとって、とても救いになる気がしています。