妹に婚約者を奪われた性格最悪と噂の令嬢が、俺にとっては理想の女すぎて、むしろ激しくご褒美なのだが
「デントパーズ侯爵令嬢が謹慎ですって? ああ、またやったのね。性格が悪いもの」
「可愛げがないのよ。ああいう女は誰からも好かれないわ」
令嬢たちが噂しているのを耳にした。
彼女たちは、どうやら王妃殿下主催のお茶会に参加するために、この王宮に来ているようだった。
「あら、ロベルト・オアリク様!」
俺に気づいた令嬢たちが、顔を赤らめながら寄ってくる。
俺は足早にその場を立ち去った。
自分で言うのもなんだが、俺は若くて見た目が良い。貴族らしい金髪に、青い瞳。整った顔。鍛え抜かれた肉体。
それらに加えて、俺は筆頭公爵家の次男でもある。身分まで高いのだ。
ただ立っているだけで、令嬢たちが勝手に集まってくる。
だが、俺は『孤高の剣』などと呼ばれている騎士だ。
その二つ名の通り、剣の道にすべてを捧げている。恋愛だの社交だのには興味がない。
ただ己の求める高みへと到達するため、ひたすらに我が剣の腕を磨き上げていた。
それが俺の生き方であり、軽薄な令嬢たちなど眼中にはなかった。
俺は王宮警備騎士団に所属している。令嬢たちの下らない噂話など聞き慣れていた。普段なら気にしない。
だが、その時だけは違った。
――性格が悪い?
なぜだろう。その言葉に妙な引っかかりを覚えた。
エリザベート・デントパーズの噂は、以前から俺の耳にも届いていた。
「実の妹がご自分の婚約者である王太子殿下に媚びを売っている、などと言い出したらしいぞ」
「『盗人を見逃すわけにはいかない』なんて言って、実の妹を糾弾したそうよ」
王太子殿下の婚約者が実の妹を虐げていると、貴族の間では密かに噂されていた。
どうやら令嬢とは、『優雅にして淑やかで、誰にでも愛される者』でなくてはならないらしい。たしかに普通の令嬢ならば、実の妹を人前で叱り飛ばしたり、盗人として突き出したりはしないだろう。
貴族の好む『可愛げ』などというものは、エリザベート嬢にはなさそうだ。
貴族の令嬢が社交界で好かれるなど簡単だ。ただ黙ってほほ笑んでいればいいのだからな。
だが、彼女はそうしなかった。
正しいことを、はっきりと口にした。
それを『性格が悪い』などと呼ぶならば、それは正しい者に付きまとう言葉となるだろう。
「俺はそういう女の方が、よほど信用できると思うがな……」
俺は半月ほど前にあった舞踏会のことを思った。
王太子殿下は舞踏会の最中に、婚約者であるエリザベート嬢を断罪し、婚約を破棄した。
「お前は嫉妬にかられて、実の妹であるアマーリエ嬢に嫌がらせをくり返した!」
などと、王太子殿下は英雄気取りで叫んでいた。
『姉に虐げられている気の毒な妹』を必死で庇っていた王太子殿下は、俺の目には、正義を振りかざす自分に酔っているように見えた。
「笑わせないで。わたくしは事実を指摘しただけよ」
エリザベート嬢は冷ややかに、王太子殿下と、殿下の腕に抱かれているアマーリエ嬢を見ていた。
姉も妹も、金髪に緑色の瞳の、美しい令嬢だった。同じように育てられたのだろうに、なぜ二人はあそこまで極端に違う性格になったのか、不思議でならない。
アマーリエ嬢は、その舞踏会でも姉の身につけているネックレスを欲しがっていた。姉の持ち物ならば、きっとなんでも欲しいのだろう。ついには王太子殿下まで奪い取り、姉の代わりに婚約者の座に納まるとはな。
デントパーズ侯爵家は、姉と妹のどちらが王太子殿下の婚約者でも良かったのだろう。エリザベート嬢に領地館での謹慎を命じていた。
アマーリエ嬢を野放しにしておくとは、デントパーズ侯爵家はどうかしているとしか思えない。
「愚か者ばかりね」
エリザベート嬢は冷たい笑みを浮かべて、颯爽と大広間から去っていった。
傷ついたふりをして出ていけば、同情する者もあっただろう。社交界への復帰もしやすくなる。
だが、あの態度ときたら……。
まさか、エリザベート嬢は、二度と社交界へは戻らないつもりなのだろうか。
俺は居ても立っても居られなくなり、休暇を取って、エリザベート嬢の謹慎している領地館を訪ねた。
そんなことをしている自分が、自分でも不思議だった。エリザベート嬢が王都にいて、舞踏会などでその姿を見かけていた頃には、こんな気持ちにはならなかった。
俺はずっとエリザベート嬢のことを、『損な性格をしている』などと思いながら、冷ややかに見つめていたはずだったのだ。
「失礼ながら、騎士が謹慎中の令嬢の元に押しかけるなんて、噂になりますわよ?」
俺が応接室に入っていくと、エリザベート嬢は挨拶の後、すぐに俺の行動の問題点を指摘してきた。
冷たい美貌に鋭い目。俺をまっすぐに見つめてくる毅然とした態度に、思わず笑みがこぼれた。
「なるほど、『性格が悪い』か」
あまりにも率直な物言いは、貴族令嬢らしくない。『性格が悪い』と言う者もいるだろう。
だがな、本当に性格の悪い者は、俺が噂になって困るだろうことを指摘したりしない。『気持ちが悪い』だのなんだのと、相手を傷つける言葉を吐くだけだ。
「……今、なんて?」
「俺は君の性格の悪さが、たまらんのだ」
エリザベート嬢は、あからさまに眉をひそめた。
――ああ、いい。
この気に入らないものには容赦しない態度。媚びず、すがらず、虚飾を拒む、このまっすぐさ。
「君のような毒舌は、偽善者や愚か者を暴く刃だ。どうやら俺は、君のような人が好きなのだ」
こんな令嬢に会ったのは初めてだ。誰にも懐かず、誰にも好かれず、それでも凛としている。
「噂になることなど承知の上だ。それでも君の言動を聞き、来たくなったのだ。君は『正しくて嫌われる』稀有な存在だ。民衆受けのために真実を飲み込むような者たちより、よほど誠実ではないか」
「……貴方、少しおかしいのでは?」
困惑する顔も、実に愛らしい。
自分でも、いきなりすぎることくらい、わかっていた。
だが、これほど魅力的な相手を前にして、落ち着いていることなどできなかった。
「あの舞踏会での君の皮肉は、とにかく絶品だった」
「王太子がどれほど無能か、君の理論は明解で気持ちが良いくらいだ」
「君は本当に良い性格をしている。最高だよ」
俺は興奮を抑えられず、その場に立ったままエリザベート嬢を褒め称えた。
「とても褒め言葉とは思えませんわ。なぜか、嘘はないようですけれど……」
エリザベート嬢も、最初はこんな俺にひどく戸惑っていた。
だが、休みのたびに会いに行っているうちに、次第に慣れていってくれた。
そんなある日。
俺とエリザベート嬢が、庭園の東屋でお茶を飲んでいる時だった。
「貴方といると楽しいですわ」
俺はエリザベート嬢から遠慮がちに打ち明けられた。
こんなことを言われる日が来るとはな。
俺はたまらない気持ちになり、その場でひざまずいて、エリザベート嬢の手をとり求婚した。
「両家が合意したら、結婚いたしますわ」
俺にはその返事が、今のエリザベート嬢が言える、精一杯の愛の言葉だとわかった。
エリザベート嬢は自分が『王太子殿下に婚約破棄をされた、性格最悪という噂の女』だということを、きちんと理解しているのだ。
――こんな時にまで、冷静に常識を弁えたことを言うのだな。
悲しいほどに、やさしくて、まっすぐで、賢い女性だ。
「俺は君以外には、誰も娶る気はない。どうか待っていてくれ」
俺は急いで家に帰り、両親と兄と妹に「大事な話があるから時間を作ってほしい」と伝えた。
その日の夜、俺はエリザベート嬢と結婚したいと家族に話した。
「お前は一生独身なのかと、この父は諦めていたのだぞ!」
「ロベルトに結婚したいほどの相手ができるなんて! しかも、身分の釣り合う貴族令嬢! 奇跡ですわ!」
「私はオアリク家の次期当主として、一生お前の面倒を見る覚悟を決めていたのだぞ!」
両親と兄はとても喜んでくれた。
三人とも、エリザベート嬢が王太子殿下に婚約破棄をされた、性格最悪という噂の令嬢だということなど、まったく気にしていない様子だった。
「お兄様、なんでそんな女と結婚するのよ!」
妹だけは、俺の結婚に反対した。
両親と兄が慌てて、「この機会を逃したら、ロベルトは二度と結婚する気になどならない。お相手の評判なんて、どうだっていいだろう」と説得を始めた。
「お兄様が結婚なんてしたら、わたくしのお小遣い稼ぎはどうなるの!?」
妹は両親と兄をふり切って、俺に詰め寄った。
どうやら妹は、俺と騎士団長や、俺と副団長などが、男同士で交際しているという設定の小説を書いて売っていたようだった。
俺が女にまったく興味を示してこなかったので、男色だという噂が流れていたらしい。
妹はその噂を利用して、金儲けをしていたのだ。
「――お前が作者だったのか!」
兄が叫び、両親は妹のせいで泣き崩れた。
いろいろ思っていたのとは違う展開になって、俺はひどく驚いた。
だが、そんな小さいことは、どうだっていいのだ。
俺は両親と兄の熱烈な祝福の元、無事にエリザベート嬢との結婚を許された。
それからしばらくして、王宮からエリザベート嬢の元へと使者が来た。
「元王太子殿下が婚約破棄の件で謝罪したいとのことです。殿下はアマーリエ嬢と婚約破棄をするご決断をされまして……」
アマーリエ嬢は王妃殿下主催のお茶会で、『王妃様ったら、ずるいですわ! わたくし、早く王妃になりたいです』などと何度も言ったために、両親と共に不敬罪で捕らえられていた。
最初は王妃殿下もアマーリエ嬢を笑って許していたが、次第に国王陛下の身を案じるようになられたらしい。王太子妃となる女性が、王位を狙うような発言をくり返したのだ。王妃殿下から警戒されて当然だろう。
王太子殿下はこの一件で王太子の座から下ろされて、公爵として北方にある雪山ばかりの土地の領主となることが決まっていた。国王陛下と王妃殿下から、『王位に野心あり』とみなされたのである。
「元王太子殿下に治められる白ヒグマや白獅子などの、領地に住む動物たちが気の毒だ」
と、民の間では、だいぶ噂になっていた。
『元王太子殿下が治めるのは、獰猛な野生動物しかいない雪山だ』という意味の笑い話だった。
本来ならば、エリザベート嬢も家族と共に捕らえられるはずだった。だが、俺の両親が筆頭公爵家の権力を使って、エリザベート嬢を守ってくれた。
両親は「オアリク家の嫁となる女性に手を出すな!」と言って、王家をすごい勢いで脅していたらしい。俺は兄からこの話を聞いて、両親のことが少しわからなくなった。
両親は常々、「筆頭公爵家とは、最も高貴なる貴族だからこそ権力を振りかざすことなく、どの家よりも王家に忠義を尽くす、高潔なる姿勢あってこそ」などと俺たちに語っていたのだが……。
両親は俺たちのために、『今こそ筆頭公爵家の権力を振りかざす時』と考えてくれたのだろう。
俺は些細なことは気にしないことにして、エリザベート嬢を全力で守ってくれた両親に深く感謝した。
「元王太子殿下にお伝えください。謝罪など必要ありません。わたくしにはもうすでに、性格の悪さを褒めてくれる方がおりますので」
エリザベート嬢は使者に、迷いなく言い放った。
使者はエリザベート嬢の皮肉に顔を引きつらせながら帰っていった。
俺とエリザベート嬢との結婚式には、エリザベート嬢の実家であるデントパーズ家からは、誰も出席しなかった。だが、参列した貴族たちは、誰もそのことを口にしなかった。
「おい、ロベルト。両親がお前たちのために、参列した貴族たちを『こちらは最上位貴族だ』などと威圧して黙らせていたぞ。しかも、彼らに金まで渡していた。感謝しろよ」
俺は兄に耳打ちされて、両親のことがさらにわからなくなった。
俺は参列した貴族たちのことも、両親以上にまったく理解できなかった。
彼らは結婚式の間、大勢で両親を囲んで「大変でしたね」だの「人生いろいろありますよ」だのと言っていた。
普通は格上の貴族から権力を盾に黙らされたりしたら、怯えたり反発したりしこそすれ、相手を気の毒がったり励ましたりすることなどないと思うのだが……。
不可解な点も多々あるが、俺はエリザベート嬢と気持ちの良い結婚式を挙げられた。
俺は細かいことを気にするのは止めて、祝福してくれる家族と参列者たちに深く感謝した。
俺は今、妻が『性格が悪い』と噂されているのを聞くたびに、誇らしい気持ちになる。最愛の女性を悪く言われること自体は、非常に腹立たしいがな。
「いいぞ、もっと言ってやれ。君の言葉は誰よりも誠実で嘘がない。俺はそんな君の自由を守る、君だけの剣でいよう」
「そんなに煽らないでくださいませ。……本当におかしな方」
俺は恥じらうエリザベートを抱きしめる。
エリザベートはさらに恥ずかしそうにして、耳の先まで赤くなる。
俺はそんなかわいいエリザベートが、たまらなく好きだ。
俺はエリザベートが、言っても良いことと悪いことを判断できる、心やさしい人間だとわかっている。その信頼があるからこそ、俺は安心してエリザベートに「なんでも言え」などと言えるのだ。
俺が愛しているのは、万人受けする性格でも、愛想の良さでも、淑女らしい慎ましさでもない。
エリザベートは物事の本質を見極める目を持ち、たとえ一人でも己の道を歩んでいく。俺はそんなエリザベートの生き方に、心を奪われたのだ。
ひたすら一人で剣の道を歩んできた俺は、どうやらエリザベートに仲間意識があったようだ。
エリザベートの孤独に戦う生き様は、我が命ともいえる騎士道と重なって見える時がある。
エリザベートにこの話をしてみたら、怪訝そうな顔をされてしまったがな。
己の信じる道を歩む者同士、わかりあえると思ったのだが……。
そんな俺の二つ名は、いつの間にか、『この国の最高戦力』に変わっていた。
社交界の人々は、いまだに我が妻を毒舌だと評している。
これが毒だというのなら、俺はこの先も、ずっとこの甘美な毒に酔いしれ続けるだろう。