御神木と恵みの力①
「…恵みの力を届ける御神木。特別に聖女ご一行様にお見せいたしますわ。」
それは突然の言葉だった。神域と呼べるものを見せていいのか。聖女はともかく、旅の仲間全員に見せるのかと誠司は開いた口が塞がらなかった。目の前のエルフ族長オーロラは優雅な笑みを絶やさずこちらを見つめている。お茶を吹き出していたユキが慌ててオーロラへ声を掛けた。
「お、オーロラ様⁉それ見せていいんですか⁉」
声が重なるように聞こえる。ドアの方を見るとオーロラについていた侍女が目を見開いていた。オーロラは息を吐くと口を開いた。
「えぇ。だって世界のために奔走する貴方方への最大の敬意を示さねばなりませんからね。…とは言っても間近でお見せするのは真由様だけですけれど。他の皆様は申し訳ないですが離れた場所にいていただきます。」
誠司は真由を見る。思わぬ申し出に驚いている様子だ。無理もない。本来ご神木は王族や最上位の神官ではないとその神域にすら足を踏み入れられないという。だが真由はハッとしてオーロラへ慌てて向き直った。
「あ、あのオーロラ様!お願いがあって…その、私の近衛騎士の誠司も一緒に間近なところまで同席させてください!」
真由はとっさに誠司の腕をつかんでオーロラへ懇願した。誠司が驚いていると小声で耳打ちしてくる。
「もしかしたら帰還のヒントを貰えるかもしれないし…私の頭だけじゃ絶対正確に伝えられないから…お願い、一緒に来て…!」
確かに大戦前から生きているオーロラに詳しく話を聞けるチャンスは中々ない。混乱と懇願に満ちた真由の瞳に誠司は頷いた。
「オーロラ様、自分からもお願いします。見聞きしたことは絶対に口外いたしません。彼女の近衛として、おそばにいることをお許しください。」
「ふふふ、少し見ない間に立派になられましたね。構いませんわ。この場ではお伝え出来ないこともありますし、特別に許可いたします。」
ありがとうございます!と二人は同時に声をそろえて頭を下げた。そこにクラノスが失礼、と一礼をして会話に加わる。
「寛大なご配慮を賜りましたことを心よりお礼申し上げます。ですが、神域に入る前には禊を行う必要がありますし、ユキ以外は連邦の者ではございません。本当によろしいのでしょうか?」
「えぇ。私が浄化―この場合は穢れのお祓いを掛けますのでそれで禊といたします。先ほども申し上げましたがこれは聖女ご一行様に対する私ができる最大の敬意です。遠慮なく受け取ってくださいませ。」
クラノスとアイラは顔を見合わせる。きっと何か狙いがあるのだろう。ここには侍女や衛兵がいる。彼らに聞かれたくない話もあるのではないのか。クラノスは頷くとお礼を言って騎士の礼を行った。
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一行はオーロラに案内され総統府の上へ上へと昇っている。エレベーターのような移動魔法陣に乗りぐんぐんと上昇していた。今自分たちは初日見ていた総統府の高く聳え立ったあの塔の尖端を登っているのだ。普段経験することのない高さと外の光景に思わず真由は怖くなりそっと誠司の腕に縋り付いた。
「おおおおおこれどこまで続いてるんだ?」
カグヤがウキウキしながら外の光景を見下ろしている。日頃忍者として高い建物の上を飛び回っている彼も勿論経験したことがない高さだ。アイラも隣でおぉと感嘆の声を上げながらストラスの方向を見ている。
「ねぇオーロラ様。お母さんも御神木を見せたんですか?」
「えぇ勿論。召喚されて王国から逃げてきて…ここで世界の事や魔法について教わっているときにね。その時もご一行…アルとマサノブ様とカタリヤ様―まだエノス様は仲間になっていなかったから4人を連れて登ったわ。」
ユキの頭を撫でながら懐かしそうに微笑むオーロラ。たださすがに神域の話は口外できなかったのか娘のユキも知らなかったようだ。
「…まぁ、アルとマサノブ様は高いところ苦手だから途中で気絶していたけどね。」
「おっちゃん…」
まさかの事実にカグヤとユキはお互いの肩を叩いた。女性三人で成人男性二人を運ぶのはさぞかし大変だっただろう。誠司はそっと思いを馳せた。
「さ、そろそろ着きますわ。足元お気をつけてください。」
そんなオーロラの声と共に陣がゆっくりと静止した。目の前には真っ白な空間が広がっている。足元は何やらごつごつしたものが一面に続いているようだ。誠司はそっと真由の肩に手を添えて共に部屋の中へと足を進めた。天井は見えず、一体どこまで続いているのか不安になるが、神域というだけあって空気は清らかな神聖さが漂っている。
「…誠司、足元のこれ…全部木の根っこじゃない…?」
真由の声にハッとし視線を向ける。真由の言う通り、足元に広がっているのは木の根のようだ。御神木、というだけあってやはり巨大な樹木なのだろうか。
「さて皆様ここで禊を掛けます。膝をついてください。」
オーロラの声に一同ゆっくり膝をついて顔を伏せた。頭上からオーロラの詠唱―祝詞だろうか―が聞こえる。アルベルトやユキが使うエルフ語とはさらに違う言葉なのだろうか。不思議な言葉が少し続いた後、術がかかるのを感じる。体が軽くなったようだ。終わったと声を掛けられゆっくり立ち上がる。
「それでは少し歩きながらお話しましょう。こちらへ」
オーロラの後に続いて奥へと歩いていく。樹木の根は相変わらず足元に広がっており、よく集中してみると何か魔力のようなものが根っこの中を流れていくようだ。これが恵みの力かと真由は一人息を吐いた。
「時に誠司様、先ほど私の年齢を暴こうとしましたわね?」
「うっ…大変失礼いたしました…」
やはりバレていたようだ。素直に認めて謝罪をするとオーロラは構いませんよと笑った。女性に年齢を聞くのはどの世界でもタブーなのだと改めて己に言い聞かせると疑問を一つ聞いてみることにする。
「…オーロラ様は大戦前の御生まれ…ですよね?クラノスのご先祖様が当時の獣人族長を討った時にはすでにもう記憶がはっきり覚えていられるご年齢でいらしゃったとお見受けしますが…」
「ご名答ですわ。私は現在400歳を超えたところです。当時のガードナー公爵がヴァランスで勝鬨を上げたときに200歳は越えていました。」
ユキも初耳だったのだろう。口を大きく開けて驚いている。無理もない、水源地の集落で出会った大戦前から生きているエルフ族は見た目も完全に老人だったのだ。だが彼女のその美貌は美しく皺ひとつない。生きる絵画、彫刻とも言うべきだろうか。
「じゃあ大戦の時のことも詳しいんじゃ…」
「それなりに詳しいと自負しておりますよ。私、あの時は最前線で戦っていましたし…」
アイラがぽつりと尋ねるとオーロラは遠くを見つめて頷いた。あの戦場で生き残ったのはさすがとも言うべきか。
「…神罰で小国が滅亡したことやハイエルフが失踪したことも覚えていらっしゃいますか?」
「えぇ。神罰―大地を切り裂くような巨大な雷が小国の城…現在のブルーボ聖神殿に落ちたとき私は妖精族の治療と保護にあたっていました。あの衝撃は今でも忘れられませんわ。それから…」
ここでオーロラはすっと奥を見つめた。あの先には御神木があるのだろう。
「ハイエルフについて皆様にここでお伝えしようと思っておりました。…ハイエルフは終戦時3名おりました。大戦前は10名近くおりましたが戦争や小国が用いた兵器の燃料として死んだものが多かったのです。」
「ハイエルフまで燃料に…⁉」
カグヤの驚きに彼女はえぇと頷いた。水源地の集落で聞いた話では小国は魔法兵器の燃料に妖精族を捕まえて用いていたという。きっとハイエルフの妖精族までは行かなくとも膨大な魔力炉が狙われたのだろう。
「大戦後、彼らは手分けをして浄化に当たっていました。ですがある日突然瘴気の核が浄化出来なくなったと一人が慌ててロンドリスに帰ってきました。ほかの二人も同様です。そこで彼らは神に見放されたと深く絶望しました。…二人はここで神に必死に祈りを捧げていましたが……誰よりもハイエルフとしての役割を誇りに思っていた一人は…神に、世界に怒りをぶつけていました。」
「よっぽどショックだったんだろうなぁ…でも神や世界に怒りをぶつけるってどうやって…」
アイラの疑問にオーロラは視線を奥の方に向けたまま簡単ですよ、と声を掛けた。
「…御神木を攻撃したのです。御神木は神から賜ったもの、すなわち神界に通じるもの。奴の執念は恐ろしく、そのおぞましい呪術により御神木につながっていた神を一柱手にかけたと妖精族長が震えあがっていました。」
「な…!そんなことが…!そこまでなぜ彼は怒りをぶつけたのでしょうか?」
パーティーの中で一番信仰深いクラノスが声を裏返りながら問いかける。神を殺せるほどの呪術―どれほどの怨念なのかと恐ろしくなると同時に一つ、真由は嫌な予感がした。呪術、古い呪術―以前身をもって体感したあの呪術はまさか―
「最上位の浄化能力があった時代の話です。神から力を賜る代わりに定期的に最上位の浄化能力を持った者の中から一人、神に捧げていたことがありました。これを神婚と呼び、選ばれるのは一番能力が高く、純粋な心の持ち主でありました。…恐れ多くも神を殺した男こそが、神婚で天上に遣わされる予定だったものなのです。」
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「神婚…そんな文化があったなんて…」
「当然今は無くなりましたのでご安心を。私もその儀式は目にしたことはありませんが…。先代族長曰く、その身を捨て魂を天に捧げると。要するに生贄ですね。」
さらっとオーロラは流すが恐ろしい文化には違いない。本当に消えた文化でよかったと真由は心の底から安堵した。
「神を殺したハイエルフは残りの二人のハイエルフも殺し二人の魔力炉を奪うとそのままどこかへと消えました。…それとほぼ同時に魔王と呼ばれる魔物と瘴気の王が発生したのです。」
「…まさか魔王ってハイエルフのなれの果て…?」
ユキが震えるように声を絞り出す。まさかと誠司は声を出すが正直嫌な予感しかしない。だがアルベルトから魔王=ハイエルフだったという話は聞いていない。彼がハイエルフを見たことが無くてもオーロラへ報告した際に彼女が気付くはずだ。
「…正直同一人物かはわかりません。私も一度討伐前の魔王と対峙したことがありますが、私に反応が無かったことやかの者と魔力の性質、容姿が全く合致していませんでした。ですが…」
ここでオーロラは真由に視線を向けた。真由はまっすぐオーロラを見つめ返す。
「水源地の集落であった悪夢を見せる古い呪術、そしてストラスで姿を消していたという大蛇…あれはかの者が使用していた呪術に似ています。もしかしたらかの者が魔王として今出てきたのではないでしょうか。…皆様、本当にどうかお気をつけてください。ユキ、これを貴方に預けます。獣人族の神殿の戦闘までに身につけなさい。」
オーロラは一冊の魔法書をユキに手渡した。だいぶ古い魔法書のようだ。ユキは初めて見た師匠の顔に緊張した面持ちで本を受け取る。
「これはかの者が使用していた呪術に関する対策を書いた魔法書です。絶対に誰かに渡してはいけません。あなたがまず身に着けて真由様に伝授なさい。」
「わ、わかりました…ところでこの件、お父さんは知らないんですか?」
ユキの問いにオーロラはえぇと頷いた。
「古い魔法書なので複製にも時間がかかるのです。アルには貴方達が獣人族の集落に向かった後にこの内容と複製本を託します。…ただアルはこの分野の習得は苦手なので…ユキは何でもできるように教えたので問題ないですけど。」
「やっぱ最強って言っても得手不得手はあるんだな…」
「当たり前だろ?なんでもできる万能な奴なんて面白くないだろ?」
アイラのにやりとした笑いにカグヤは確かに!と手を叩いた。面白いかどうか判断していいのか誠司は苦笑いしたが、徹底した機密事項なことに変わりはない。ユキはよし、と気合を入れた。
「ひとまず皆様にお話できるのはこのぐらいですね。…今後の浄化作戦も苛烈になってくると予想しています。どうか油断だけは絶対にしないで。無事に帰ってきてくださいね。」
「ありがたいお話とお言葉、しかと心に刻みました。」
クラノスが代表して一礼する。真由もぺこりと頭を下げた。オーロラは力が抜けたように一息つくと真由と誠司を奥へと導くように手を伸ばした。
「さぁここからは三人だけの秘密のお話としましょうか。皆様はここでお待ちを。あぁ座ってても構いませんので。」
「一応神域なのにいいのかなぁ…」
ユキがまぁオーロラ様が言うのならと遠慮なく座り始めた。カグヤとアイラもどっこいしょと腰を下ろす。クラノスは一応御神木の方向に向かって一礼と祈りを捧げ、オーロラにも再び礼をするとゆっくり腰を下ろした。
「ふふ、そこまで畏まらなくていいのですよ。さ、真由様誠司様、参りましょうか。」
「はい!みんなちょっと待っててね~」
真由と誠司は4人に手を振るとオーロラの後を歩き始めた。御神木に近づくにつれて空気がより違うものに変わっていくのを肌で感じる。先ほどの恐ろしい話を頭の中で整理しながら誠司は真由の手を取り歩き続けるのだった。
とんでも男ハイエルフですねぇ…。長くなるので次続きます!
ちなみにユキがオーロラの年齢を知らなかったのは普通に大戦後の生まれと勘違いしていたからです。あと顔がいつまでも若いままなので普通に若いと思っていたという理由もあったり。




