激戦を越えて
「誠司、そろそろそこまでにしておきなさい」
誠司はストラスの騎士団詰め所の中庭でひたすら弓の訓練を行っていた。あの作戦後、負傷した真由は今熱を出して寝込んでいる。カグヤも足を負傷し今は治療中だ。アイラも溶解液の上を走ったせいで足を少し痛めたそうだ。比較的軽傷なクラノスと誠司は簡単な治療を受けたのち戦後処理を手伝いながら仲間の回復を願っていた。
「うん…」
誠司は汗を拭って弓を丁寧にしまう。真由が寝込んだ後、カグヤは誠司の体に起きていることをクラノスとアイラに伝えたのだ。元々瘴気がない異世界人がこちらに来ると瘴気の排出が上手くいかず、だんだん体を蝕んでいくと。二人は絶句していた。クラノスは青ざめた顔で誠司をすぐベッドに放り込んで神官を呼びに走ったぐらいだ。慌ててカグヤが追いかけていったのもつい昨日のことだ。
「それにしても、君は弓の扱い方も習っていたのかい?初めてとは思えないぐらい上手だ」
「ううん、姉ちゃんと同人誌を作るとき…えっと個人製作の絵を書くときに構図とか再現するために調べてた程度だよ。あとはソーンさんに口頭で教えてもらった。」
「ほう、自分の体に落とし込む理解力が本当に素晴らしいね。私は弦を引きちぎってしまうからな…」
クラノスの遠い目に誠司は思わず吹き出してしまった。剛力にもほどがあるだろうと突っ込んでしまったがクラノスの怪力ぶりをずっと見てきているので納得してしまう。
「今はカグヤもいてくれるから前衛はだいぶ充実しているしさ、俺今回の戦闘であんまり役に立たなかったし…また真由を護れなかったし…使える手は増やしておこうかなって」
暗い顔をしている誠司をみたクラノスはそっと誠司の頭をなでた。
「君は弓矢で窮地を救ったじゃないか、素晴らしい戦果だよ。それに真由の警護を怠ったのはあの場にいた全員の落ち度だ。一人で気に病むものではないよ」
「そうですよ誠司殿。あなたは戦い抜いた。胸を張りなさい。」
凛とした声に誠司は顔を上げる。そこにはアルベルトが優しく微笑みかけていた。
「アルベルトさん…」
「最強だなんだ言われている私だって大蛇の性質に気付けなかったのです。不甲斐ない限りです。」
アルベルトは肩を竦めて笑った。それに、と続けて口を開く。
「あなたは賢い。独学で魔法を習得していることも、反省点をすぐ改善するための努力を欠かさない。ここまで真由殿が大きな怪我をせず旅ができたのもあなたの努力があってこそですよ。」
「へへ…ありがとうございます。真由も言っていましたけど、この世界の人達ってすぐ褒めてくれますよね。」
誠司は温かい言葉に少しだけ泣きそうになるが堪えて微笑んだ。大人達は涙に触れず穏やかに少年の頭をなでた。
「いくつになっても未来ある若者が頑張る姿は眩しく守りたいものですからね。」
長寿のアルベルトが言うと言葉の重みが違いすぎる。きっと今まで多くの人を見送ってきたのだろう。誠司はそんなことをそっと考えていた。
「アルベルト殿はいつまでこちらにご滞在の予定ですか?」
「一週間ほど滞在しようと思います。そろそろ帰らねば娘が心配ですからね。」
アルベルトは3週間ほどこちらにいるという。確かに愛しの娘が心配だろう。彼がいなければ今回の作戦はもっと負傷者がいたに違いない。誠司たちは深く感謝した。
「…アルベルトさん、お願いがあります。」
意を決したような誠司の声色にアルベルトとクラノスは誠司をゆっくり見つめた。誠司は息を吸うと決意を秘めたまなざしをまっすぐと向けた。
「お時間あるときに俺を鍛えてくれませんか。強くなりたいんです。」
「誠司…」
クラノスは体のことを心配してくれている。心労をかけるのは申し訳ないが誠司はこれ以上仲間が傷付くのは見たくないのだ。アルベルトは誠司の瞳をじっと見つめ少し考えると目を伏せてうなづいた。
「よろしいでしょう。幸い今は戦後処理で私ができることは少ない。みっちり鍛えましょうか。何から始めますか?」
「ありがとうございます‼‼えっと、そうしたら」
アルベルトの返答に誠司は顔を輝かせてバッグから手帳を取り出した。クラノスが横から覗き込むとそこには文字がびっちり書き込まれていた。
「まずは戦闘の基本的な動きからお願いしたいです。俺防御取った後攻撃に移るのが同じ剣士のクラノスと比べてワンテンポ遅くて…。そのあと魔法を使いながら戦う戦闘を体に叩き込んで欲しくて、あぁあと魔法の理論も教えてほしいです。身体強化はだいぶ慣れましたし矢に付与するポイントもわかりましたので火属性の攻撃魔法の種類を増やしたいのと…」
次々と出てくる要望にアルベルトとクラノスは顔を見合わせ苦笑いをした。誠司は今までの戦闘の反省点をすべて書き連ねていたのだ。ここまでくると恐ろしいものだ。
「あと転移魔法についても教えてほしいです。魔法学院でジュール学院長からいただいたフユミ様の魔法書には通常魔法の他に転移魔法について書き込みが多くありました。自分なりに理論を考えていますが、如何せん基本の知識が無いので…」
「誠司殿、誠司殿。いったんストップです。私が追いつけません。」
やっとアルベルトが止めると誠司はあっと口を抑えた。すみません…と恥ずかしそうに頬を掻いた。
「とりあえず戦闘訓練を中心に魔法を組み込んでいきましょう。それから…その魔法書見ても良いですか?」
「もちろんです。…フユミ様、本当に勤勉なお方ですね。俺より深く考えていらっしゃる。」
誠司は魔法書をそっとアルベルトに渡すとアルベルトは慎重に本を開いた。ページを少しづつめくり、懐かしそうにゆっくりと目を通している。
「そうか…カタリヤに思い出の品として渡した本が巡ってあなたたちに…。これだけでも無事だったのですね。」
目の端には涙が浮かんでいる。最愛の妻の遺品でもあると同時に、旅をした仲間の遺品だ。一枚めくるたびに思い出が蘇るのだろう。
「フユミに魔法の基礎を教えたのはカタリヤでした。私は当時教えるのが劇的に下手でしたので。カタリヤは勤勉なフユミがとても気に入ってよく夜通し教えてましてね…。エノスに夜はちゃんと寝なさいと怒られていたものです。」
頬に流れる涙を気にせずアルベルトは仲間の思い出に浸っていた。何気ない一コマが今の彼には愛おしい思い出だ。誠司とクラノスはもらい泣きしそうになるのを堪えながら話を聞いていく。
「…おや、このページは…」
ふとアルベルトが手を止めたのは最後の白紙のページだった。きっと何かメッセージがあるのだろうと真由と誠司はずっと考えているが、受け取ってから何気解読する時間がなかったのだ。
「アルベルトさんは内容をご存じですか?」
「いえ、私も気になっていましたが解読できずそのままカタリヤに渡していました。魔法由来の仕掛けではないのは確かです。」
「魔法由来ではない、か…もしかしたら誠司たちの世界の方法で何かヒントがあるのかもしれないね」
クラノスがそっとハンカチをアルベルトに差し出しながら誠司に言葉をかけた。誠司は確かにと同意するといくつかの可能性を思い浮かべ始める。
「…ひとまず、今は誠司殿の訓練に集中しましょうか。本はそのまま持っていてください。」
「いいのですか?その、内容を書き写したらお返ししようと思っていたのですが…」
誠司の言葉にアルベルトは少し驚いたように目を開いた。そして誠司の気遣いに優しく微笑む。
「いいのですよ、この本はあなた達の旅に連れて行ってください。きっと、私たちの旅路があなた達を守ってくれる。でも、わがままを言うなら一晩預かっても良いですか?」
「はい、もちろんです。ありがとうございます、アルベルトさん。」
誠司の返答にアルベルトはそっと本を胸に抱いた。最愛の亡き妻と大切な仲間との思い出が、今は何より愛おしくてたまらない。三人がいる中庭に包み込むような優しい風が吹いていった。
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目を開けると平原に立っていた。空は夕暮れのように鮮やかな茜色で、足元に目を落とすと黄金色に輝く草原が広がっている。真由は瞬きを何度か繰り返すとゆっくりとあたりを見回した。耳を澄ますと少し遠くから鐘の音が聞こえる。どこかで聞き覚えのある音に不思議に思いながら音の方向へと足を動かした。
「だれかいる…」
少し歩くと前方に人影が見えてきた。真由がゆっくり近づくと、人影はこちらに気付いたのか振り返ってきた。人影、いや女性は夜空のように深い色をした美しい髪の毛、雪のように白く美しい肌、そして真由を見つめる美しい黒い瞳がやけに印象的だ。真由も目の前の絶世の美女に思わず開いた口が塞がらないほどだ。
「こんにちは、横山真由さん。お会いできて嬉しいわ。」
鈴のような心地よい声色で名前を呼ばれ、真由は驚きすぎて変な声が出てしまった。
「えっと…こ、こんにちは…あの、どうして私の名前を…?」
「ふふ、そんな緊張しないで。…あなたのことはずっと見ていました。とても頑張っていますね」
ずっと見ている。真由はさらに驚いた。今までの人生でこのような女性に会ったことは無い。勿論親戚や母親ではない。母と180度違う天然美人など会う機会すらないのだから。
「あ、ありがとうございます…その、あなたは…?」
真由がおずおずと聞くと女性は垂れた美しい髪の毛を耳にかけながら優しく微笑んだ。
「私は死後魂を恵みの力に吸収され、この世界に縛られた幽霊…のようなものです。」
「世界に縛られる…?」
不思議なことを返され真由は首を傾げた。こういう時誠司ならすぐどういう意味か理解できるのだろう。もっと勉強や読書をしておくべきだったと内心反省している。
「…詳しく話せる時間はないし気にしなくていいわ。今から離すことだけは忘れないで」
ずっと聞こえてる鐘の音が大きく聞こえる気がする。女性は真由をそっと抱きしめると言葉をつづけた。
「これからあなたは世界をもっと旅をして様々なことを知るでしょう。美しい営みも、あなたが今まで得られなかった家族の温かさも。でもね、いい事だけじゃない。この世界のことを深く知ったとき、きっと絶望に近い感情を覚えるかもしれない。」
真由は女性の言葉を一字一句心に刻んだ。家庭のことも知られていることに驚いたが。それでも言葉の続きを待った。
「それでもどうか歩むことを止めないで。大丈夫、あなたは充分強い。理不尽に耐える強さも、自分をどう変えていけばいいのかをわかっている。それに、心強い仲間がずっとそばにいるわ。これだけは決して忘れないでね。」
「…はい、諦めません、全部、全部…!乗り越えて見せます、みんなと…!」
真由はこの女性の正体を悟ってしまった。そう、彼女はきっと先代の―
「えぇ、見守っているわ、ずっとずっと。そしていつか、私たちを連れてあるべき場所へ帰ってね。」
鐘の音が大きくなる。茜色の空が夜空に代わっていく。真由の視界は眩しい光に覆われていく。女性はそっと真由のおでこに口づけをして美しく、泣きそうに微笑んだ。もう時間だと言わんばかりに。
「それから、アルとユキと、どうか仲良くしてあげてね。二人に、ずっと愛してる―
言葉は最後まで聞けなかった。でも真由は続きの言葉をしっかり胸に刻んだ。声をかける暇もなく、真由は鐘の音と光と共に自分の世界へと戻っていった。
まさかのあのお方登場です。一瞬だけどね★