〈7〉迫り来る赤の番人
「しくじったな!全く使えない女だ。どうしてくれるんだ・・・なぜ陛下の元にあの女が」
盧双善は怒り狂った様子で机に拳を叩きつけた。
うまくいっていたと思っていた計画が手からこぼれ落ちていく様に焦りを隠せない様子であった。
「旦那様、そのよく回る頭でお考えください。彼らにはいままで培ってきた長年の絶大な信頼があるのですから、なにも問題無いでございましょう。逆に部屋にこもりきりの方が怪しまれます。どうかいつも通りにお過ごしくださいまし」
怒り狂う盧双善に対し何事もなかったかのように冷静に助言している女は、あの姚燕であった。
部屋の入り口の側に立ち、目を伏せすっと立つその姿はあの小さな小屋にいた時の質素な姿とは打って変わってとても派手であった。その美しく麗しい様子は似ても似つかないほどである。
盧双善は机に肘をつき、どこか落ち着かない様子で机の上を人差し指でこねくり回していた。
すると戸口に侍女が現れたのだ。
「旦那様、陛下の使いのものが来ております」
「・・・応接間に通せ」
すると盧双善は立ち上がり動揺を隠しきれていない様子でへやをうろうろし始めた。
「なんだもう来たのか、早いな」
盧双善には男の護衛が2人いた。むしろその臆病な性格からか侍女に見立てた護衛を何十人と立てていたのだ。姚燕はその内の一人でその組織を統制する頭でもあった。盧双善のその臆病さというは人よりも頭一つ抜けていて本当に臆病な性格なのである。
「まったく何考えているのか分からぬ、しおらしい女だ・・・フン。何か余計なことを喋れば・・・どうなるかわかっておるな」
盧双善は何か閃いたのかその護衛と共に応接間に向かった。
姚燕は伏せていた視線を前に向けた。その瞳は一点の曇りもなかったのである。
◆
盧双善は応接間に到着し椅子に座るや否や早速いつも通り御託を並べ始めた。
「陛下の遣いのもの、顔をあげよ。今日はどの様なご用ですかね?しばし休暇をというむねを、陛下に伝えさせていただいたはずなのですが」
「急用なのだ。盧家に長きに使えている『姚燕』という女性に聞きたいことがある」
すると顔をしかめ横目でこちらを見ると何かを疑うように見回した。
「・・・私の侍女が何かしでかしましたかね」
「その侍女に聞きたいことがあるだけだ。昨夜、あの火災で亡くなったとされていた、蘭家の人間が生きていることがわかった。盧双善それについて何か知っていることはないか」
すると盧双善は机に肘をつき拳で口を隠しながら答えたのだ。
「陛下がなぜ今更私にその様なことをお聞きになるのかわかりませぬな。大体その蘭家の娘というのは一体誰なんです?」
「その名はいえないが。・・・ん?今、娘と言ったか。いつ私が娘などと言った」
宋明は突然大きな刀を抜き盧双善の首元に振りかざした。
「貴様、丞相*¹とはいえ陛下に対して虚偽を述べるということは、どうなるかわかっているのだろうな」
あまりにも突然の行動に盧双善は「ひぇぇ」と目を瞑り体が震えきっているようにも見えた。陛下に悪事が知られることを恐れ、焦りのあまり口を滑らせてしまったのだ。
すると盧双善は苦し紛れに言い訳を述べ始めた。
「そ、それは・・・。蘭家にはほとんど女しか暮らしていなかったではありませんか・・・まぁ1人を除いてですけどね・・・ハハ」
盧双善は笑って誤魔化し、袖口で額を拭った。宋明は(この男、何か知っているな)と疑うも自分の判断ではどうすることもできないので話を持ち帰ることにし、刀を鞘に収めた。
「現時点ではそれいいが。真実ではないことがわかれば、どうなるかわかるな」
盧双善は息を呑んだ。
「ではもう一つ聞く。なぜその女を処刑することにしたのだ。噂では本国一の美女と謳われる女。もったいないと考えなかったのか」
「・・・あやつはわしに反抗したのだ。わしに反抗したということは皇帝陛下に反抗したのと同じだ。その時点で国家反逆罪だ」
先ほどの態度とは一変し、どこかイラつきを隠せていないようだった。
「ではそもそも、どうして身請けを。陛下は知らされていないとお怒りのようですが」
「そ、それはあれだ。あのような女が妻になるならと高い金を払って身請けをしたんだ。だが彼女は同居をどたんばで拒否した。怒り狂った私は殺すのは勿体無いと一度は考えたのだが、威厳を保つには仕方ないだろう」
悪知恵の働く頭で精一杯考えた言い訳であった。側から見てもこれでは気づくまいと思えるほどの口達者ぶり頭が上がらないほどである。
「では妓楼で女を身請けしたというのは本当のことなんだな」
「ああ違いない。だがそれを聞いてどうするのだね」
「特に意味はない。ただ・・・」
「ただ・・・?」
「彼女は記憶喪失になっている。真実を知りたがっているのだ」
「・・・記憶喪失?」
盧双善は少し考えた後「そんなはずは」と答えた。その事実を本当に知らなかったのである。
(どうりであの日、口数が普段よりも少なかったのだな)とどこか納得した様子であったのだ。
盧双善は目論見がまだばれていないと知り、口角が少し緩むも、それを隠すように咳払いをし言葉を続けた。
「一度は家内にと迎えた女の記憶がなくなったというのは悲しい出来事だ。早く記憶が戻ることを私は心から祈っておりますぞ」
先ほどの焦った様子とは一転、喜びに満ち溢れた後ろ姿にはそのような祈りなど微塵も思っているはずもないのである。
「盧丞相、あと一つ、お前のあの風変わりな侍女姚燕をこちらに一時的に引き渡してほしいのだ。できれば理由は聞かないでほしい、さもなくばお前を信じる術がなくなるとの陛下のご命令だ」
盧双善は少し考えてから答えた。
「まぁ、いいですよ。陛下のお望み通りあとで遣いのものと共に冥王殿に送ります」
「遣いは要らぬ。このまま連れて行きたいのだ」
盧双善は顔を掻き、納得がいかない様子であったが渋々姚燕を引き渡しに応じたのであった。
(なんて分かりやすいやつなんだ)と宋明はため息をついた。
*¹ … 丞相とは古代中国で君主を補佐して国務を執った最高位の官史を指す。