〈0〉序章
「我に後宮はいらぬ。すぐに解体せよ。」
皇帝である霍明嶡は、そう宣言し後宮を後にした。
◆
後宮とは皇帝一族が子孫を絶やさずに受け継いでいくための言わば"システム"であると、そう時代劇で見た記憶があった。
眼球に光を感じてうっすら目を開けた。白い天井に肌色のカーテン、窓越しにはじんわり暖かい春の日差しが差し込んでいた。いつもと変わらない光景だった。
彼女の名は李飛凛。
(・・なんだか今日は不思議な夢を見たな)
以前巷で流行っていた中国時代劇をふと脳裏に思い返す。
(あんな恋愛、私には全くご縁がなかった。そりゃそうか)
李飛凛は少し微笑んだ。
窓辺には小さな蘭花が飾られていた。
その花は本当に美しかった。父に頂いたもので大切に大切に毎年手入れして長年育ててきたものである。
「ちょうど開花時期だね」
小さいながらに毎年咲き乱れるその花は力強く、自分の人生を描いているようで気に入っていたのだ。
李飛凛は母親譲りで、子供の頃から容姿が美しかった。だが彼女には重苦しい過去があり、生まれながらに病気がちだったのである。
それは生まれて間もない頃であった。
先天性の心臓病を持つと診断され、体の弱い子が生まれてきたことによって母は拒絶反応を示した。
そう李飛凛は生まれながらに重い心臓病を患っていたのだった。そんな李飛凛の状態を見て自分から生まれてきたと母は信じることができなかったのであろう。
まだ幼ないながらに入退院を繰り返し、物心がつき話し始めるようになると母はパタっと近づいてこなくなった。そう、巷で言う育児放棄である。そんな母の近くに置いておくことは危険と考え、父は仕方なく児童養護施設に預けることに決めたのだ。
李飛凛にとって児童養護施設での生活は案外楽しくむしろ自宅や病院で過ごす生活より楽しかった。
もちろん寂しいと感じることもあったが、それ以上に苦しく切なかったあの日々を忘れることができる事が李飛凛の中で大きかったのであろう。
施設にはいろいろな境遇の児童が集まっていた。境遇は違えどそこの児童らには一つ共通点があった。それは皆、育てる親がいないということ。
李飛凛の目には他の児童もみんな何事もなかったかのように平然と人生を楽しんでいるようにも見えた。
だがきっと笑顔の裏で悲しい思い出を何度も何度も繰り返し思い出しているのかもしれない。夜泣きをする子もいるし、母親代わりの先生にべったりの子供もいた。
李飛凛にとって他の児童と違う点は父が存在して面会に来てくれるということだった。だから周りから恵まれていると思われていたのである。そこで初めて恵まれた立場の、気持ちを理解したのだった。
しかし李飛凛の容態は年々悪くなり、施設から病院に移った時、そこからが本当の孤独だったのである。
昔から体が弱いことで全身に滲み出てしまうオーラによって人から感じる『可哀想』という無言の視線が嫌だった。
『私は全然可哀想じゃない』いつもそう思って生きていた。だが恵まれた立場の気持ちを知った時そう思ってしまうのは仕方のない事なのかもしれないと感じたのであった。
誰しも経験した事ないことを想像し、その人の気持ちを想像することは容易いことではない。そう感じたのであった。子供は思ったより強い。というように病人だって思ったより強いのだ。だけどもちろん心が折れそうになる時もある。
側から見たら"可哀想"に見えることでも当人にとってはそれが″普通″なのである。彼らはむしろその"可哀想"な現状でも楽しんで生きているのだ。
そんな李飛凛には夢があったのだ。それは“普通の人“になると言う夢。
だが李飛凛の体は鉛のように重く、もう腕すらも上げることができなくなっていた。以前はもう少し体も動かすことができ笑うこともできたが、最近ではそれすらも全くできなくなっていたのだ。
(もう追い先も短い)
そう思いながら毎日を生き、目を開けては閉じ目を開けては閉じを繰り返していたのである。
昨晩、病院からの連絡で駆けつけた父がベットの横で心配そうにこちらを見ていた。
「飛凛、思ったより長い人生だったな。よく頑張った」
いつもどんなときも味方、それが父であった。
父の言葉は一見冷たい言葉のように思えるが。李飛凛にとっては冷たい言葉ではなく逆に喜びの言葉であったのである。なぜなら5年前にはすでにあと余命半年と言われていたからだ。そこからの日々李飛凛は夢に向かって力強く生き、その気力から生まれるエネルギーによって余命よりも生きることができたのだった。
1日1日生きることができる喜びを噛み締めてくれていた父だからこその言葉だからである。
ベットに横たわる李飛凛は静かに静かに意識が遠のいてゆく。もう目を開ける力も残ってない彼女はは父の顔を焼き付けるように目を閉じた。
「父さん今までありがとう。今年の満開は見れなさそうだよ」
最期の力を振り絞り父の方に手を力一杯差し伸べると父は優しく手を握ってくれた。
(最後くらい母と笑顔でお別れしたかったな・・・)
そう頭で考えているうちに意識が朦朧とし、そのまま意識の奥へと消えていった。あの日以来母と会うことは2度とこなかった、もう母の顔は思い出せない。
李飛凛はその生涯で“普通の人“になる夢は叶える事ができなかった。だがきっと彼女が精一杯生きた証は父によって記憶として受け継がれてゆくのだろう。
もうすぐ21歳の誕生日。そんな日の出来事だ。
窓辺に咲いた一輪の蘭花は本当に美しく輝いているように見えた。