5.不思議な感覚。
ーーーワールド・スピラ。この世界は現実です。
その言葉が頭に響く同時に、得体の知れない不快感が脳を駆けずり回った。堪え切れずに頭を抱えると同じように苦痛の声をあげて幼馴染も頭を抱えしゃがみ込んでいる。わたしは俺、俺なのだ…? なんだって?
鈍器で頭を激しく殴られたような、頭の中がかき乱されたような。とにもかくにも、考えることを許さないと言わんばかりに“記憶”をかき回された感覚は不快感を与え、それは今もなお続く。雪野の記憶ではゲームであると実感しているから、ログアウトしようかと幼馴染へと視線を向けると不安げに目を左右に彷徨わせていた。
見慣れぬはずなのにどうしてかとても馴染む風貌をしている。まるで、生まれた時から彼女は「サクラ・フブキ」であったかのように。自分もまた、「ゼノ・ルプス」であったかのように。不快感はなく、ただ不安が押し寄せる。
そうして、視線がかち合うと発見できたことを喜ぶように表情を綻ばせ、そろりと初期装備のタンクトップの端っこを遠慮がちにつままれる。どうやら彼女も目の前の美青年のことを幼馴染と認識があるようだった。振り払うなんてことはせず、個人チャットで「不思議な感覚」を尋ね合う。……個人チャットは使えるのか。
サクラ:ゼノも?
サクラ:実は私も不思議な………どうしてだか、口調がサクラのままなのです…。
サクラ:記憶だって2つもあります。あなたは?
ゼノ :あぁ…
“あぁ”ではなくて、と普段の雪野ならば慌てるところだが、“サクラ”の言うように口調が設定したキャラクターのままだった。ゼノは『寡黙』だが『仲間想い』の『一匹狼』設定でコミュニケーションには不適切なつくりをしているのだ。
その設定を尊重するように、身体も、顔も、チャットも、制限をかけられているようだった。ログアウトボタンを二人で揃って探してみたが、見当たらない。不安のあまり泣き出しそうな幼馴染を抱き寄せて、泣き止むようにポンポンと背中を叩いてやると顔をリンゴのように赤く染め上げて「ふぁ…。」と力の抜けた様子を見せてくれた。
意識が暗転する前、聞こえた男性と女性の声は一体だれのものだったのだろうか。運営の声にしては、親しみがあって人間味のあるものだった。VRMMORPGをプレイするにあたって、現実世界の自分たちに影響しないよう痛覚は遮断されるはずである。…にも関わらず、光線に焼かれるときは痛みがあった。
謎に『庇う』スキルを獲得し、レベルアップすらしているのは彼女を庇ったからなのだろうか。咄嗟の行動だったけれど、彼女に痛みがなければそれでいい。気になってじっと見つめても、相変わらずけろっとした様子だったので最初の一瞬しか感じなかったのだろう。
辺りを見渡してみると保健室から、素朴な雰囲気の村が見える草原に立っていた。二つに別たれていたはずの“記憶”にあるゼノやサクラの故郷となる辺境の村ではなかったことに、ほんのちょっとだけ安心する。故郷の昔なじみを見たとして、今の雪野には“ゼノ・ルプス”として振る舞うには少し難しい問題があったのだ。
村の中ではなく、ちょっと遠くに見える程度の程よい距離感はまさしく始まりの村へ足を踏み入れんとする旅人の絵に見えるだろう。サポーターと呼ばれるプレイヤー専用に用意された掲示板は覗き込めるだろうか、と機能項目へ視線を滑らせても何もない。試してみて使える機能と言えば、ステータス、装備、アイテム、日記、個人チャットの5点のみ。個チャと呼ばれるそれは先ほど使用したものだ。
『ステータス』は言わずもがな。体力から始まる幾つかの状態を表すデータの表示とプレイヤーの成長や報酬で得たボーナスポイントの振り分けなどを確認・操作できる画面だ。
『装備』は現在の装備から、持ち物としての装備品の確認。アイテムも所有しているアイテムの確認。日記は自動的に行ったことを記録してくれるようだ。
『アイテム』は所持品のことで、アイテムを獲得すると自動的に“ストレージボックス”というものの中へ収納されるようだった。『小石』ゲットだぜ。ただの丸い小石、と説明書きが加わったことで『眼力』のスキルを手に入れたナニコレ。『眼力』を『眼力』で見る…説明文を読んでみると、認識力(DEX)の向上パッシブのようだった。レベルアップごとに補正が掛かってくれるらしく、ほうほう、と混乱ながらに喜びを噛みしめる。
『日記』は、冒険の記録のことだった。自動で記載されるものではなく? と日記を取り出してみると成長の記録が乗っている。
----------------------------------------------------------------------
■星歴2217年
L◇アリエスの1日(見習い剣士Level.1)
『庇う』を獲得しました。戦闘時、一定時間に仲間が受ける敵からの攻撃を身代わりに受けることが出来ます。
『眼力』を獲得しました。これにより、レベルアップごとにDEXが補強されます。
----------------------------------------------------------------------
ゼノ・ルプスの日記は、完全にシステムのログだった。反対に、サクラ・フブキの日記を確認させてもらうと。彼女はおもむろにペンとインクを取り出して、困惑しながらも懸命に日本の言葉ではなく、スピラの言葉で日記に文字を記していった。
読み書きは出来るようだ、と安心した。いや、安心要素は何処にもないのだが。ログアウトが出来なくなってしまったのは、想定の範囲外。そもそもゲームで遊ぼうとして、ログアウト出来なくなってしまう事態など誰が予想していようか。
「ゼノ、これからどう……いたしましょう……?」
淡いプラチナブロンドを、その感情のように揺らしながら彼女は胸の前で祈るように手を結ぶ。空も暗くなっていくばかりなもので、状況把握のためにも野営を考えていたゼノはその考えを改めた。こんなにお人好しそうな美少女に野宿でもさせたら、ワルイモノに引っかかってしまいそうだ。何はともあれ、彼女を野宿させるわけにはいかない。
「…宿を取るべきだろう。」
「探索するための活動拠点を決めるのですね!」
どうして嬉しそうなんだ。憂いているときより何倍も良いが。
桜の花びらを閉じ込めたような瞳を輝かせたサクラは、ふわりと淡いプラチナブロンドを揺らした。動き回るのに下ろしたままなのは流石に作業の邪魔になるのではないだろうか。装飾品の一つでもあれば、と視線をずらしたところで小さな店を見つけた。
「村に入るぞ。」
「はいっ」
おおよそ民家の数は、ひい、ふう、みい、……10軒にも満たないのではないだろうか。民家として数えた建物は、教会らしきものやテントのようなものもあった。あのテントからは軽装とは言え、鎧を纏った兵士が顔を出すから村を守る兵のためのものだろう。店として構える家もあり、ゼノがひとえに村への立ち入りを決心した場所だった。
ばちっ、と視線があうと、店主は人の好さそうなまあるい顔をしわくちゃにして笑みを浮かべ、「見て行ってください」と言う。不用心に辺りを見渡してしまった“ゼノ”の不手際でしばらく滞在する村人と衝突は起こしたくない。買うつもりはなかったのだけれど、冷やかしになるつもりもなかった。世界の差異を探して問題がなければサクラにも教えようと思ってひらけた店に近寄って無言のままじっと見下ろしながら、安価の紐を見た。
どう考えても幼馴染の綺麗な髪を結わえるには、素材が粗悪のような気がする。しかし、結わえずに居たら、せっかくの流れるようなうつくしいサクラの髪が傷んでしまう。かるく腕を組み、無言のまま無表情で見下ろされ続けた店主は冷や汗を流し始めた。
幼馴染を大切に思うゼノは店主の様子に気づかぬまま無言のまま紐を2本持ち上げ、代金を支払った。5ボヌスーーー5bsがしかとステータス画面から引かれるところを見つめてコクリとうなずく。
蚊の鳴くような声で言ったのだろうが、その音量がちょうどよかった。消え入りそうな声でもはっきりと「ありがとうございます………。」と聞こえたことに疑問を抱くも、ふさりと腰辺りで動く尾を感じ取って納得する。獣人の聴覚ってスゲー…。
「ぜ、ゼノ……? どうしました?」
幼馴染の奇行に見えたのだろう。コミュニケーション不適切なゼノ・ルプスには、紳士のように導くことなど出来やしないが、それでも不安を感じる幼馴染の気持ちを和らげることはしたかった。ともに行動することが彼女にとっての最良か、と考えたところで視界の隅に「攻略対象」の文字が映り込んだ。
それは住民すべての頭上に名前と共に表示されるものであり、思わず見つめてしまった。失礼に当たる前に視線を逸らしたものの、どうにも視界に飛び込んでくる景色に紛れる住民たちの頭上には妙なものが見えるから見間違えではなかったようだ。
せっかくの異世界なのだからこの状況を楽しんでしまおうか。最優先で確認すべきことは決まったようなものである。宿を取ったらすぐさま別行動を取るが、理由を伝えるとサクラは納得してくれた。彼女もまた、この世界を楽しむことにしたのであれば、それを手伝うだけなのだ。
【聖女クラスを解放するための前提条件】
1.『不殺』の称号を得ること。(取得条件:ログインし、住民と関わりのある状態で5日間過ごす)
2.『乙女』の称号を得ること。(取得条件:ログインし、1人の攻略対象の好感度を親密度へ進化させること)
3.神聖系のジョブレベルが最大値(50)かつ、神聖系の上位ジョブレベルが最大値(100,150,200)であること。
まずは、住民と関わりのある状態で戦闘無しに5日を過ごすことを目標とする。他のプレイヤーでも『不殺』の称号を得られたのは、何百万人の中でも数百人程度しかいない。喧嘩っ早いのではなくて、ヒロインだけではなくサポーターも同じように『不殺』の条件を満たす必要があるからだ。
冒険者スタートであるサポーターが『不殺』のために5日間もぼんやりと過ごすのは無理があった。しかし、ゼノにとっては幼馴染さえ無事であればどこでもなんでも出来る気がする。
宿を見つけたらサクラには宿で待機してもらっておくか、それともゼノのかわりに住民たちへの挨拶をお願いしておくか。ある一定の素材を集め終わったら、さっそく裁縫師としての仕事に取り掛かってもらうこととなるだろう。
他のゲームでも培われてきたゲーム脳を今ここで活かすべきだろう。裁縫師のレベルを上げるために必要なものは、序盤で手に入る「ぼろの糸」である。『不殺』称号を獲得するためのバランスを得るためにも討伐せずに素材を獲得する方法は幾らでもあるはずだ。
作り方も簡単で最初の村近辺で「雑草」を大量に入手し、「スライムの粘液」で加工することによって、「ぼろの糸」を生成できる。
「毛皮」をゲットできれば、「スライムの粘液」と合わせることによって、「ぼろの布」を生成できるが『不殺』の称号をゲットするためにも、ある一定の期間はサクラと同じ条件でモンスターを討伐出来ない。ともなれば、「採取」はゼノが引き受けることになる。サクラのステータスとは異なり、ゼノのステータスならば、そこらの敵から攻撃を喰らってもさしたるダメージは受けないから攻撃を受けながらでも「採取」の作業は実行可能だろう。「スライムの粘液」はそこかしこに落ちているものでもある。
そのことをサクラへ伝えると不安げに眉を寄せはしたが、情報収集のためと付け加えるとすぐさま顔をあげた。「挨拶回り、がんばります」と両手に拳を握って言ってくれたので、対人関係を心置きなく任せる。彼女を村に残したままゼノは、再び村の外に出た。
プレイヤー同士をつなぐことの出来る「個人チャット機能」が何故だか利用できるので、そちらを利用してサクラとコミュニケーションを取りつつ、ゼノは素材の採取へ集中することにした。『アカウント共有』の影響はあるらしく、パーティを組んでいる場合のみ補佐役は主人公が受注した一部のクエストの肩代わりを行えるシステムのようだ。
おもむろに雑草へと手を伸ばし、ぷちっ、と引っこ抜く。そのたび「パーティクエスト」という項目の真下に表示される「雑草を引っこ抜く(11/50)」の文字が更新される。それはサクラが村の中で依頼を受注し、外で作業を続けるゼノの行動がたまたまクエスト内容に一致したからなのだろう。クエストの内容を読み取ることも出来るので、さらりと読んでみると清掃員のような気持ちになった。
----------------------------------------------------------------------
■清掃クエスト:はじまりの村
1.『雑草抜き』
青々と生い茂る「雑草」は、夏が訪れると子どもたちの背の竹ほどに成長してしまう。視界を遮ってしまうほどの「雑草」は危険なので、時期を見計らって村人たちが雑草抜きを行うのだ。
しかし、高齢化の進む村では足腰を痛める老人たちが増えて作業もままならない。村人たちの代わりに、「雑草」を引っこ抜いてあげよう。
◇―――報酬―――◇
1.+50bs/回数
2.スキルポイント+1
3.10回クリアごとに200EXP
----------------------------------------------------------------------
気が狂ってしまいそうになるほどの回数、受注と達成を繰り返した。とだけ言っておこう。
ゼノ・ルプス
■星歴2217年
L◇アリエスの1日(見習い剣士Level.1)
『庇う』を習得しました。戦闘時、一定時間に仲間が受ける敵からの攻撃を代わりに受けることが出来ます。
『眼力』を習得しました。これにより、レベルアップごとにDEXが補強されます。