21.アルテス美術館(2)
聖職者たちは自身へは『祈り』の効力で、アンデット系統ならば大抵のモンスターを遠ざけることが出来る。ただし、自分のレベル以下のモンスターであれば。と限られた話だ。
自分のレベルを上回る相手には『祈り』は通じず、普通に寄り付かれるし襲われもする。効果を実感するからこそ、彼女も気づいたのだろう。
サクラ自身のレベル以上のモンスターであれば容赦なく襲い掛かって来るので『祈り』のレベルを上げたとしても、一人で安心しきってダンジョン見学を洒落込むことは難しい。そのため俺が護衛兼クエスト納品物の回収に当たる予定だ。
しかし、スキルポイントを他のことに使ってしまったので、アンデット系統に友好的なダメージを与えられるスキルや魔法を取得出来なかった。『嗅覚耐性』『聴覚耐性』『耐熱』『炎属性耐性』と、耐性系統の補助スキルを一気に取得したからだ。
人間社会で過ごすには、獣人族たちにとっては山あり谷ありだったのである。背には腹はかえられなかった。
VRMMORPG系統に疎いサクラに迷宮や戦闘で回復支援型がパーティーを組むメリット・デメリットを教え込みながらアンデット系統に有効な『光』属性を付与してもらう。幼馴染が相手だからか、警戒心なんてこれっぽっちもなかったのが良くわかった。
過去に親しくなった相手、これから親しくなる相手、親しくしたい相手。
警戒しろと言う方が無理な話か。“信じる心”を持つことは、決して悪いことではないのだから。そして、“信じると決めたら、最後まで信じ切れる”ところが彼女の良いところであり、雪野が危惧する心であり、ゼノが警戒する部分だ。
前のように悪い奴に騙されてから気づくってのは嫌なんだがな。その分、彼女が傷つくってことだから。
彼女は「信じ切る」と決めたら、曲げることをしない。以前、それでとても酷い目に合わされたと言うのにそれでも変わらない精神は、強く、そして脆いものだ。
そう言い切るのには理由がある。
それは、まだ雪野だった頃、彼女は恋人にこっ酷くフラれたことが原因だった。……否、正しくは恋人詐欺を体験し、手酷く扱われたと言うべきか。
人にとっては「その程度!」と捉えられることもある理由だが、照美にとっては「今生の中で最たる傷」だったと言えるだろう。
その詐欺師は“最大の嘘”を誰にも気づかれることなく、照美の心の深くに根をさした。
卒業したら結婚するのだと幸せそうに目を細めて微笑む幼馴染が、悲鳴をあげる間もなく絶望の淵に立たされた日のことを覚えている。あんなに幸せそうな顔をさせられる相手になら大事な幼馴染を預けられる、と安心した矢先の出来事だったから…。
あの増悪の対象が行った大事な幼馴染への数々の悪行は、今でも記憶している。だからこそ、雪野は“物理的な会話術”を覚えたし、力を求め続けていた。
男は、照美の実家目当てだった。
照美の家柄は、高貴な家柄だった。
彼女の両親とも命を大切にされる素敵な人たちだった。医者が増えてくれるのは、救える人が増えることだと喜べるような人だった。そんな温厚で優しい人たちから推薦状を受け取ること、支援金を受け取ること。……それが、男の目的だったのだ。
目当ての大学へ入学を約束された男は気が大きくなっていたのだろう。酒を浴びるように飲んだ飲み会の帰りに、顔を合わせた友人たちや迎えに来た彼女の両親にすべてを面白い映画のように語らった。
交際から一年を過ぎた頃に真実を聞かされ、あまつ利用されたことを気づいてしまった彼女の家族は怒りに震え、照美は絶望に打ちひしがれた。男は決して人命救助のために医師になろうとしたのではなかったのだ。
あとから警察に聞くと男は自分が人気者になるため、多くの人を利用してきた悪い意味で有名なヤツだった。大人の女性から小学生まで。多くのオンナとその身内を弄んだ最低最悪な野郎だったことが判明したのだ。
クラスメイトの女子から最悪の人間に引っかかってしまった照美へ憐憫の目を向けられ、それがまた彼女の心を蝕んだ。
彼女にとっては、幸せな思い出もあったからこそ心に負荷をかけた。引き篭もりがちになり、家族へも疑心暗鬼の目をむけてしまう自身への叱責を続け、彼女はやがて意思を相手に伝えるための術の一つとして“声を失くした”。
あんまりな出来事に信じ切れずヒステリックな叫びを弟や優しい両親に浴びせたことが、さらに彼女を追いやったのだ。
無論、彼女の家族は慌てて医師に見せた。幸せばかりか声も奪うのか。赦せない、と怒りに燃える彼らに同調するように雪野も怒りのままに力を求めた。
医師は、家族を傷つける“言葉”を発したくないあまりに、自ら“声”を捨てたのだと言った。あくまでも一時的なものだし、精神状態によるものだから、声帯は傷ついていない。だから結果として、声は“出そうと思えば出る”。
かろうじて付け加えられたような言葉に、彼女の家族たちはしばらく学校を休ませ、家族間で付きっ切りになるようになった。面会謝絶状態が続く中、雪野はかろうじて顔を合わせることを許された。
あの男に大事な幼馴染を任せようとした愚か者なのに、と自責していたら、声を失くしたはずの照美が雪野に向かって飛びついてきたのは印象的だった。
―――『そばにいて…!』
―――『ずっと一緒にいて…!』
―――『あなただけは私のこと裏切らないで……!』
聞こえるはずのない声が、聞こえたような気がした。
“雪野”は強く在れなかったから、せめて彼女たちを守れる“富・権・名声”を求めた。
株を勉強し、法律を独自で学び、ボランティアへ積極的に参加したのだ。富はすぐ手に入れられるものではなかったけれど、参加したボランティアの仲間に相談したのが良かったのだろう。
望んだ“名声”はすぐさま手に入った。メディア放送を遠慮してもらう数は両手では足らぬほどになり、純粋な拳を求めて叩いた門からは勧誘の声が鳴りやまなくない。
そんな非日常への道だって、あの日、側に居てほしいと願ってくれた幼馴染を想えば乗り越えられた。欲しいがままに名声と富を手にした雪野は、世の中の“当たり前”の傾きを目の当たりにする。極一般的な生活スタイルだった雪野は、人々からの脚光を浴び、一目置かれる人気者となった。
わたしを悪ガキのように扱ってきた周囲の人間は、驚くほど見事に手のひらを返し。誰もがただの悪ガキであった雪野を称賛した。そこには純粋な気持ちはなく、富や名声に目が眩んだ人々の欲望にまみれた気持ちが見え隠れし、照美が求められてきたものを初めて本当の意味で理解して鳥肌が立ったものだ。怖ぇよ。
人を恐れ、人に恐れさせて孤立の道を選ぼうとした雪野を励ましてくれたのは、声を失くした照美だった。
耳にすることの出来ない声で、彼女はいつも言葉を送ってくれた。そうやって元気をもらうのはいつだって雪野の方だ。
頑張れる気力を受け取ったのは、雪野ばかり。何か恩返しが出来るとしたら、彼女を守れる人になることだろうか。力を求めた雪野は「アンタって本当にバカね」といつものように楽しそうに、呆れたような笑みを零す幼馴染の姿を想像した。
そして、実行した。
彼女の家族の献身と雪野の奮闘の甲斐もあり、二年生の中頃には、“あの忌まわしき噂”は雪野の活躍に塗り替えられ、照美の声も心も復活した。
『てっちゃんに近づく悪はわたしが成敗するのだ!みてみて力こぶ!むんっ!』
『……バカ言ってないで、帰って遊ぶんじゃなかったかしら?』
『うん!』
望んだ笑顔。大好きな彼女の、気持ちの籠った笑顔だった。
望むものを取り戻した雪野は、更に高みを求めた。ずっとずっと、大事な幼馴染を守れる強さを欲したのだ。
あんなことがもう二度と彼女の身を襲わないように強く願って、挫けそうな己を叱咤した。小さな身体を憎み、少女であることを憎み。幼馴染が悪いものにとりつかれるぐらいだったら、その忌み嫌った幼く見える見た目だって利用してやる。
幼く見えるのなら可愛い子ぶって、彼女が好ましく思うのなら幼く見せて。必要とあらば、雪野は手にした力を謙遜するのではなく、“有効活用”することを覚えた。
『アイツに手ぇ出したら潰すからな。覚悟しとけや』
『はぁーい! ………警告を忘れんじゃねぇぞ。』
幼馴染に呼びかけられたら、無垢な子どものフリをして。
己は敵を穿つ刃なのだと言い聞かせて。
そう言えば、裏で照美に近寄って来る害悪を遠ざけているときの言動はゼノに似ているかもしれない。ゼノは寡黙設定だから、雪野ほどアクティブではないのだけれども。やっていることも、言っていることも、すべてゼノと雪野は似通ったものがあった。…あれ、雪野の本当の口調ってゼノなのでは…?
かなり脱線したが、何が言いたいかと言うと。彼女が騙されてしまわないように、痛みを受けることがないように、忠告するのだ。
回復支援型のジョブの子たちは総じて“利用されやすい”。騙されやすいのは、彼らが清く優しい存在である証。ヒーラーは回復・支援をメインとした活動のジョブだ。
それゆえに攻撃系統のスキルや魔法は、雀の涙程度しか発現されない。とは言え、回復魔力の高さ=光などの聖属性に部類する魔法攻撃力の高さとなる。そのためヒーラーに攻撃系統のスキルや魔法の数が少なくても、攻撃力は高めなので大した問題はない。
「ええっと、攻撃はしてはいけないんですか?」
攻撃を苦手とするものの、ダンジョンを幾つか突破したことによって、自信がついてきたらしい。―――照美の頃なら、つけなくても良いかもしれないものだ。
攻撃しなくてほっとするのではなく、攻撃をしないことで不安を感じるなんて。…不安がる彼女はヒーラーたちが抱えるものと酷似している。というよりも、そのものとも言えるだろう。今後の戦闘方針にも関わるし、何よりも彼女の生死の安心出来るように、きっぱりと否定した。
納得しない可能性もと思い、軽く理由も付け加えて。
「いいや、そんなことはない。攻撃系統の技が少ないというだけで攻撃にまわった方が事を有利に進められることもある。」
「どういうことです?」
ゼノも最初に聞いたときは疑問だったが、すぐさま納得できたのはMMO慣れしていたからかもしれない。のんびり穏やかな大先輩から教わったことを、分かりやすくなるよう噛み砕きながらサクラに伝えた。
「長期戦になればなるほど回復支援型への負担が多くなる。だから、最初は攻撃にまわって、味方の耐久具合を確認しつつ敵を減らすのも手だ。敵の数が少なければ少ないほど、味方が受けるダメージも減るからな。」
「……なる、ほど?」
「仲間や自身の怪我の度合いにもよるが、基本的には“被弾する可能性”。つまり、敵の排除に当たったほうがいいってことだ。」
雪野だった頃も良くやって来たことだから、ゼノにとっては身近なことで分かりやすい。要は、邪魔な敵は片っ端から潰せというテレビや小説でもよく見かけるアレである。
喧嘩っ早いと言われがちだが、喧嘩だって“下っ端”から片づけて幹部を。無双系統のゲームだって一般兵を。それぞれ大量に出現する敵を片づけてから、しっかりと下準備と言う名の場面のセッティングを済ませてエリアボスに挑むから戦闘方針としては間違っていない。頭から潰すのもありだが、それはそれ。これはこれ。状況判断と言う奴だ。
「怪我をしないようにするためには、怪我をする要因を減らすべきだってことなんです? 怪我をしなければ、ずっと回復魔法をかけておく必要がないってこと……です、よね?」
「ああ、君のジョブは、ただでさえ敵味方の全体を観察する時間が長い。処理する情報量やダメージを減らすことで、回復支援型へかかる負荷が減る。」
「な、なかなか難しいですけど……なんとなく分かりました。今までの態勢も考えてみれば、接近で戦うゼノの数メートルは離れたところで術攻撃をしていたかもですし……。」
困惑しながらもサクラは納得したようだった。
根を詰めて無理に勉強させるつもりはない。考えるよりも慣れろ。こう言うのは、経験からなる五感が役立つのだ。体験談からそう思った。
「俺が居る時はお前の好きに動けよ。カバーする。」
「はいっ!ありがとうございます。」
ヒーラーがソロで活動するに当たっては、経験を積んで行けば問題はなくなる。しかし、パーティーを組んでの活動を前提とするならば、問題が生じるだろう。どのような問題なのかと言えば、『パーティーリーダーごとに異なる役割の方針』での衝突だ。
ゼノ・ルプス
■星歴2217年
L◇アリエスの6日(見習い剣士Level.12↑)
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