14.イーリスの境界(1)
ゼノやサクラがゲーム開始と同時に降り立ったのは、七つある大陸のうちの一つ。最も乙女の加護が薄い、グリツィーニエ大陸。その北方領域と呼ばれる領土である。
主人公たちは最も加護の薄かった土地で生まれ育ったため、ある場面で瘴気に対して加護の強度が関係あるのではと疑問を抱き、最も加護の強い内側の大陸へと移動していく。しかし、一つ一つの大陸はどれもタイリクと言うだけはあってどれも大きく、冒険するには長すぎる。攻略掲示板の一文を思い出すならば、誰もがショートカットして進める道を模索していた。
何かと「虹」に関連付けてくるラ・シェルタだが、大陸の名前はそれぞれの大陸におわす王国の名前である。その名にふさわしく、グリツィーニエ大陸の王族は「藤」の家紋を背負う。「紫色」の藤は、魔除けの色として最も加護が薄れてしまう外側に回されたのだろう。
よくよく思い出さなくてもアダルヘルムが身にまとう装飾品は、紫色のものが多かった。そんなところにも拘りを見せてくる。流石はラ・シェルタ。本気の鬼畜ゲームと呼ばれるだけはある。
かつて獣人差別化が為された時代に、彼らが移住した定住地。
壁のように盛り上がった大地がおそらくダンジョンとしての境界線なのだろう。一歩踏み入れると、先ほどまで見えていた平和な古民家の並びはなくなり、血塗られた定住地が目の前に広がる。噎せ返るほどの血の香りは真新しく感じるようで古めかしい。肉の腐ったニオイに知れず眉間にしわが寄った。
「瘴気……!」
桜を閉じ込めたような瞳を驚愕に彩って、彼女は息を呑んだ。
言われてみれば、たしかにそれなりの瘴気を感じる。故郷で受けた瘴気の風よりも生ぬるく、しかし、それでも胸をざわめかせる不快感があった。長居は無用である。ただダンジョンを攻略するだけではなくさっさとダンジョンを攻略し、瘴気を抑え込む必要が出てきた。
ダンジョンを攻略すると、周辺の瘴気を抑制することが出来る。あくまでも”抑え込む”だけで浄化には至らないが、やらないよりかはマシだろう。
獣人族の無念がダンジョンを形作ったのだとしたら、此処のダンジョンのボスはきっと獣型だろう。足を進めるたび廃墟と化した古民家の近くに牛のような魔物が現れる。『腐った肉』をドロップすることから、このダンジョンの魔物はきっとアンデット化していると思っていいだろう。
はじまりの森にあるダンジョンの名前は、『イーリスの境界』。
ダンジョンとしての構成は、はじまりの森にある時点でお察しかもしれないがダンジョンとしては「初心者向けチュートリアル・ダンジョン」である。廃人向けの鬼畜難易度のゲームだから信じられないかもしれないが、チュートリアル・ダンジョンなのだ。
階層ごとに分けるとしたら、一階層目は敵の倒し方。二階層目はダンジョンのトラップ。三階層目はダンジョンを守る迷宮ボス討伐。のような具合だろうか。しっかり冒険者を始めるための人向けにつくられたような内容である。
このダンジョンの階層構成は本当に初心者向きと言えるようだから、サクラのような冒険型のVRMMORPGを苦手とする人にとって有り難いもののようだった。何せプレイヤー側が攻撃を仕掛けても、モンスター側はダメージを受けた様子を見せるだけで反撃しては来ないのだ。
試しに腐った肉のニオイがする牛を攻撃しても、何もしては来なかった。粒子となって姿を消してアイテムストレージの中に素材としておさまるものだから、本当にそこに在る戦闘訓練用の人形に向かって、バトルの練習をしてるような光景である。
ゾンビ、と言えるような魔物を相手にサクラは不慣れながら 本当にそこに在る戦闘訓練用の人形に向かって、バトルの練習をしてるような光景である。
悲鳴をあげつつダンジョンのナビゲーションに合わせて動きを止めたゾンビを相手に杖で殴りつけている。ええい。と気の抜けるような掛け声と共に、ぎゅっと固く閉ざされた眼は、暴力行為に罪悪感を覚えているように見えた。
いや、通常に生活していれば確かに殴る、蹴る、と言った行為は苦手だろう。あの世界は、そう言った暴力行為からほど遠くとても平和な場所だったのだから彼女の反応で当たり前なのだ。
ゼノはサクラを守るために何度も拳や口を出した。
それはそれ、これはこれ、というやつだ。
ジョブレベルが10を超えた辺りで、隠れた『パッシブスキル』が解放されたというアナウンスが脳内に響く。そのアナウンスは想定外で、思わず立ち止まって解放された隠しパッシブとやらの内容を確認してみ……―――とんでも性能じゃねーか。
最初から結構化け物クラスのステータス・パラメーターだったゼノ・ルプスの能力値は、更なる成長を遂げた。今なら小規模のゴブリンの群れ(約30体程度)を単騎で壊滅させられそうなほどの強さである。否、やったな、此処くる前にそう言えば。
通常の冒険者でも、ゼノと同じ程度しかないレベルなら精々5体から10体程度が限度のはず。しかし、パッと数値を見ただけでも「小規模でもゴブリンの群れやれちゃうわ。」と実行してしまった辺り、かなりの成長っぷりである。
隠れパッシブとやらは「プレイヤー本来の性質に合わせた固定パラメーター補強スキル」のことである。同じように化け物じみた成長でも遂げたのかサクラは目に見えるほど困惑した表情で、ステータスパラメーターの確認を求めてきた。彼女に誘われるがままステータス画面を覗き込んだ。
本来ならばもう少し時間を掛けるところ、何故だか獲得できてしまった『称号』の獲得短縮理由に激しく納得した。彼女のパッシブがあったから獲得できたのか。
隠れ・隠しと称されるだけあって、プレイヤーの目に着くようになるのは「10レベル」を超えた辺りから。それ以前から常時発動されっぱなしなのが、隠しパッシブの恐ろしいところだ。
サクラやゼノのように「良い方向へ働く」パッシブが見えないのであれば嬉しいことは多いだろうが、「悪い方向へ働く」パッシブが見えないのであれば恐怖に戦慄くことになるのだから。
サクラ:本来はどのぐらいかかったんです?
ゼノ :5日で取れると表記があったが、10日が本来の滞在期間だった。
そこも鬼畜仕様である。返答にサクラはぎょっとした。
ぽこん、と彼女の杖で殴り倒された牛型の魔物が素材を落として粒子化して消えてゆく。それを見届けてからサクラへと『聖女』ジョブの解放条件をやんわり伝えた。
ちょっと前にも説明したことだが…。
“照美”がゲームを手に取った理由となる、ウルトラレアな乙女ゲームストーリーやスチルを解放するためには、『聖女』クラスを解放する必要がある。その『聖女』解放の前提条件として『不殺』の称号を得ること。なお、『不殺』の取得条件は虹乙女にログインし、住民と関わりのある状態で数日間過ごす必要があるのだ。
時間が短縮できたのは、“良かったこと”だと思うとやんわり伝えるとサクラはどこか不満げに同意する。
「それは、わかりましたけど…。でも、今はあなたのために聖女を目指したいです。一定時間以内に死亡扱いとなった相手を復活させることの出来る回復魔法を覚えられるのは、聖女だけだって秘跡に書いてあったので。」
戦闘不能と死亡扱いは、見てわかるようにまったくの別物だ。
戦えなくなったものを再び戦えるようになるまで回復することは、聖女でなくても可能だ。しかし、死亡してしまった人間の蘇生を行えたのは、歴史書や人伝、かつての遺跡などを探っても『聖女』のみ。
レベルアップ制度やスキル制度があるから、ゲームなのかも。そんな希望はあるけれど、大切な幼馴染が怪我をしてしまったら。命の危険に陥ってしまったら。
そう思うだけで胸が苦しくなって息がしづらくなるからひとまずの目標として乙女ゲームのストーリーやフラグ回収は考えたくない。確かに興味はあっても生死の恐怖が勝る現状、回復魔法を極めたいのだとサクラは言ってくれた。感動した。
そんな彼女の幼馴染への気配りが純粋に嬉しい。しかし、気を遣ってばかりでは彼女自身の安全が疎かになる。他人の命を思い遣れる優しさは彼女の強みだが、他へ目を向けるあまり自身の安全がすっぽ抜けがちなのは弱点だ。
厳しく現実へと目を向けさせ、自身の安全にも目を向ける練習を行ってもらう必要があるだろう。戦う術のないサクラの出来ることは、援護や回復系統。まずは前衛ありきの後衛スタイルに慣れてもらおうか。
「俺が盾になっている間、回復か撤退する術を身につけた方がいいだろう。」
「そういう意味じゃ……もう、わかりました。」
サクラが最短5日で称号を獲得したのは、彼女のパッシブスキルが影響したから。そして影響を与えたパッシブスキルは、『善人』と『夢見る少女』の二つ。
住民の好感度を上げやすくする常時発動パッシブなので、日常会話でも住民たちの間にサクラ・フブキは“心優しく清らかな少女である”という印象を強くしたことによる獲得のようだった。称号とは、「何をしたか」「どういう人物か」というのを分かりやすく表記したもので、住民たちに印象づけた方が称号を獲得しやすいということなのかもしれない。
幾ら称号を得やすくなるパッシブがあっても、彼女のジョブは戦闘からかけ離れた「回復支援型」のか弱いもの。だからこそ、先ほども口にしたようにサクラがまず極めるべきは、何度も言うようだが「撤退」もしくは「回復」系統のスキルだと同意した。
もう、もう、と白くまろい頬を膨らませて不服を申し立てんと吊り上げられた眼が、妙におかしくて滅多と動かないはずの表情もくつりと喉を震わせて笑みを浮かべた。サクラは悶えた。
話は戻るが、ゼノが新しく得た『カリスマ』というパッシブは、CHAが高ければ高いほど説得力や信頼・信用を得やすくなるというものらしい。簡単に言うと、ゼノによる言動の一つ一つに妙な説得力や迫力を感じるという謎のパッシブのようだ。
話術やコミュニケーションからかけ離れたゼノからしてみれば、謎しかない。一体どこで『カリスマ』とやらを発揮しろと言うのだろう。賑やか和やか大好きな雪野ならまだしも、優れた聴覚を有する獣人であるゼノとしては人混みの中に突っ込んで行く元気などありはしないから、カリスマを要する場面が想定しづらいのだが。
「ゼノ? どうしました?」
「………何でもない。」
コミュ障を拗らせた、などとわざわざ報告するような内容でもない。一定数を倒し終えたらしく、魔物の出現率が低下してきたことを察して前進する。杖を構えたまま後方をついてくるサクラには『地上望遠鏡』で周囲の敵を索敵する練習をやってもらうよう声掛けしつつ、ふって湧いたゾンビ型の魔物を蹴り飛ばした。消えたんだが。EXP獲得出来たんだが。俺の蹴りは一撃必殺なのか。それは驚いた。
ダルマ転がしのようにコロンコロンと簡単に倒れて粒子化する魔物たちの素材は、『ストレージボックス』の中に項目や数を増やすばかりだ。
アイテムの詳細を閲覧できる『鑑定』スキルのおかげで、内容やどの生産ジョブで使う素材か把握できるのは有り難い。布系統は裁縫師を育成中のサクラへと流し、木工や薬草、謎の素材を受け取る。
進むにつれて大きな岩の盛り上がりを発見した。なんとなく次の階層に移動できる場所だと認識が出来たから確認だけとる。…次の階層だった。移動するためには大きな岩の盛り上がりを登る必要があるのだが、サクラは大丈夫だろうか。
「はわぁ、………大自然の石階段、です。」
「…背負っていくか?」
「い、いえ! わたしだって、頑張れます!」
キュッと眉を吊り上げて杖を背中のベルトに引っさげてから大岩に手を掛けた。顔を真っ赤に染め上げて、ほっそりとした白木の枝のような両腕を震わせながら必死に自身の身体を持ち上げようとしている。ゼノは後ろから見守ることにした。
「ふぐぐぐっ!!」
まだ持ち上がらない。
「うんんんっ!」
ぶるぶると両腕が震えていることや、指先が真っ白になるまで力を入れていることはよくわかるが、やっぱりまだまだ身体は持ち上がっていない。女性視点でよく気にされる彼女の体重は十分に持ち上げられる軽さだ。
彼女が重たいというわけではなく、STR値が低いというわけでもない。これはもうただ単純に懸垂できるか否かの問題になってくる。スキルに懸垂はないが、運動能力がどれほどあるかは現実世界で多くの人が体感して理解するものだろう。パラメーターが指し示してくれるのは、『戦闘能力の数値』だ。
スポーツや学校で学ぶような知識は反映されることはない。今までの行動から見ていてわかるように、サクラには「自分の身体を持ち上げる行動」は出来ないのだろう。サッカーやバスケットボールなどの運動系も、はっきり言ってかなり苦手の部類だ。
唸り声をあげて必死になっている間、彼女の視界にうつり込みそうなゾンビを蹴飛ばし続けることが面倒になってきた。ちらりと視線を向けてみても、やっぱりまだ唸っている。数ミリ単位で浮かんでいることに感動を受けるも、どれだけ時間が掛かってもちょっと浮かぶのが限度なのだろう。
ゼノ・ルプス
■星歴2217年
L◇アリエスの5日(見習い剣士Level.7↑)
称号『不殺』を獲得しました。
『地図』を習得しました。
『獲得経験値量UP』を習得しました。
◇迷宮『イーリスの境界』を攻略中です。




