70 婚約者に鉄槌その一。(三人称視点)
三人称視点。
乙女ゲームの攻略対象者のその一人と、決着を。
シグレア伯爵邸の庭園の白いガゼボ。
ファマス侯爵邸の敷地の半分しかないが、十分豪邸だ。
歴史が浅い故に、建物自体は真新しさを与えるデザイン。
そこの令嬢であるマティアナは、格上である侯爵令嬢のリガッティーと温かな紅茶を啜って、気を鎮める努力をした。
リガッティーから、婚約破棄騒動の対処は任せてほしいと言われてしまえば、じっと待機するしか出来なかったのだ。
自分の婚約者が関わっているのだが、リガッティーの婚約者だった第一王子の婚姻問題。
迂闊には首を突っ込めないし、逆に下手を踏めば、リガッティーに迷惑をかけることにもなる。
リガッティーはそうならないためにも、一人で引き受けてくれた。
本当に申し訳ない。頼りになるリガッティーに任せるしかなかった。
リガッティーは王妃となる身だったため、すでに社交界では中心人物である淑女の鑑のご令嬢。彼女の優秀さは、周知の事実。
学園の成績だけではない。人柄も認められて、人望が厚い。
先ずは、リガッティーに話を聞いてもらってから、行動するくらいには多くの令嬢が頼っていたのだ。
マティアナも、その一人。
婚約者が第一王子の側近でもあったため、お近付きになれたリガッティーに、すっかり甘えてしまって、不満を吐き出すように相談に乗ってもらった。
リガッティーはマティアナには嫌な顔をせずに、真摯に相談に乗ってくれたのだが、内容には眉をひそめたものだ。
マティアナとしては、婚約者に粉をかける忌々しい令嬢と正々堂々と話し合いをしたかったが、先に注意した婚約者と口を利かない喧嘩中になってしまったため、火に油を危惧してリガッティーに止められた。
その令嬢は、自分の婚約者だけではない。
そもそも、最初にすり寄った相手は、リガッティーの婚約者である第一王子だ。そこから枝を伸ばすように、第一王子の側近とまで親しげになった。
何故だ。それをよしとする第一王子も、側近である婚約者も理解が出来なかった。
それでも、相手は第一王子。進言をしても、苦言を呈しても、聞き入れてもらえなければ、身分が下の自分達はお手上げ。
リガッティーは、不満を募らせる貴族の生徒達を宥め続けていた。防波堤のように、不満を押し留めて、解決案を模索してはいたのだ。
結局、問題の令嬢は何がしたいのか。それを明確にしてから対処しようと、リガッティーの提案が出された直後にあれだ。
リガッティー・ファマス侯爵令嬢を、公衆の面前で断罪しようとした。
婚約破棄を言い渡した第一王子が、挙げた罪状は、全て問題の令嬢に対する嫌がらせから最後には危害を加えたという罪だ。
そんな罪はあり得ない。
冷静でいよう。リガッティーが一同の不満をそう抑え込んでいたことを知っているからこそ、皆が困惑していたり憤怒していた。
マティアナは、憤怒していた方だ。
目の前が真っ赤になるほどの怒りで、飛び込んでは淑女らしかぬ怒声を上げたかったが、リガッティーはそれをよしとしなかった。
親しいマティアナ達に、関わるな、と第一王子達と一人で向き合いながらも、掌を控えめに突き付けて指示をしていたのだ。
そうやって、リガッティーは一人で、婚約破棄騒動を対処することになった。
幸いだったのは、リガッティーの義弟のネテイトは、第一王子の側近ではあったが、問題の令嬢には靡くことなく、リガッティーの味方として一緒に立ち向かったこと。
リガッティーに婚約者の相談していた日時を尋ねられたことがあったが、それがリガッティーの無罪の証明になってくれたそうだ。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
婚約者が、問題の令嬢に誘導尋問された証言を証拠として、集めたという。
そんな予想は出来たが、頭を抱えた。
自分が知ってもいいことは、リガッティーの口から聞いて、深呼吸。
そして、紅茶を啜った。温かさを喉に通して、気を鎮める。
「私が選択肢を出す立場にはありませんが、言わなくてもわかりますわね」
「はい。……覚悟は決めましたわ」
流石だ。
そうマティアナは、しみじみと横目でリガッティーを見た。
普段の彼女だ。
落ち着き払った気品ある美しい姿。優雅に紅茶を啜っていた。
第一王子の婚約者。王妃になる未来。
それらが、なくなってしまった。
なのに、憂いた様子はない。
欠片もないとさえ思えた。
いや、本当は気持ちはわかるのだ。
マティアナの選択は――――決まっていたのだから。
メイドから、婚約者の到着を聞いた。
その時が来たのだ。
「冷静に、ね」
「……はい」
マティアナがテーブルの上で固めた拳を、リガッティーは手を置いた。
頭に血が上らないようにもしてくれる。本当に頼りになる人だと、心強くなった。
ハールク・デリンジャー。
本人が知る由もないが、乙女ゲーム『聖なる乙女の学園恋愛は甘い』の中では、攻略対象の登場人物だ。
自分は、表情を変えているつもりでいても、他人は気付かない無の顔。顔立ちのよさのせいで、一際冷たくも見えてしまう。
だから、ヒロインがその表情の変化に気付いてくれたことに、心が揺らぐ。そして、惹かれていくのだ。
冷たい美貌の冷静沈着な秀才。それが、ハールク・デリンジャー。
侯爵子息で、次期宰相の座を目指していた。
しかし、今回で失脚だ。
断罪のために、無実のリガッティーの罪の証拠を集めてしまった。
第一王子とともに、失脚。
謹慎処分のため、あの日から、部屋にほぼ軟禁状態。よって、家族とはろくに話せもしなかった。
なのに、昨日になって初めて、父親から「シグレア伯爵令嬢と婚約について、話しなさい」と告げられたのだ。
正直、茫然自失で何も考えられないでいた。
自分の将来は、お先真っ暗状態だというのに、婚約についてなど考えられない。
自分の将来の一部だとしても、考える時間が欲しいと頼むべきだろう。
そうセリフをまとめて来てみれば、自分の婚約者とともに、ガゼボにはリガッティー・ファマス侯爵令嬢がいた。
「何故……あなたが……」
「ごきげんよう、ハールク様」
微笑んで挨拶はするが、リガッティーは立ち上がることなく、紅茶を啜る。
じとりと厳しい目を向ける婚約者マティアナも、腰を上げようとはしなかった。
侯爵子息の自分に対して、礼を尽くさない態度。
ただでさえ、リガッティー・ファマスの顔を見るだけでも、苦々しい気持ちになるというのに、二人の令嬢の無礼さに不快感を抱いた。
「ごきげんよう、ハールク様」
明らかに、不機嫌の色を乗せた婚約者マティアナ。
不機嫌なのは、こちらの方だ。
「マティアナ嬢と話しに来たのですが、どうしてファマス侯爵令嬢がいらっしゃるのでしょうか?」
「あら? お聞きしていない? デリンジャー侯爵様には、了承済みですわ」
リガッティーは扇子を広げて、ひらりとゆっくりと仰いだ。
父親の名前に、ピクリと反応した。
婚約について話せ、と言った父親の許可を得て、リガッティーがここにいる。
「何故……」
「あの会談の中でもお聞きしたでしょう? 私は、マティアナ様に相談を受けていましたわ。婚約者のあなたのことです」
マティアナから相談を受けていたというアリバイがあったのだ。
ちゃんと聞いた。本当に口の中が、苦くなりそうだ。
「だからと言って、ただの相談者が、この場に同席するのはおかしいでしょう。なんの権限で」
「嫌ですわ、ハールク様。あなたが苦言でも呈する気ですの?」
「は?」
扇子で口元を隠していても、顎を上げたリガッティーは、座りながらも見下している目を向けていた。
「ただの相談者ならば、ええ、そうですね。ここに同席するのは、よろしくないですわ。けれども、思い出してくださいませ」
アメジスト色の瞳は、鋭利な光を宿らせているように、ハールクを貫いて見てくる。
「私とマティアナ様。被害者ですわよ? 加害者は――――ハールク様です」
スッと扇子を閉じたリガッティーは、美しく微笑む。
そして、扇子の先を向けた。
加害者のハールクを指す。
「被害者の権限で、同席させてもらっています。もちろん、デリンジャー侯爵様は、そのつもりで許可をくださりました。何も聞いていらっしゃらないようなので、教えて差し上げます。デリンジャー侯爵様は、婚約については、シグレア伯爵家に決定を委ねました。そして、シグレア伯爵夫妻は、マティアナ様に選択をさせるそうですわ。そのマティアナ様の意思もあり、この場は私が仕切らせていただきます」
父親のデリンジャー侯爵は、シグレア伯爵家に婚約について、決定を委ねた。
話してきなさい。
それは、圧倒的な不利な立場であっても、婚約維持を説得させるためなのか。
被害者。傍からではそうは見えないくらい穏やかに微笑むリガッティーと、そして婚約者のマティアナ。
彼女達を説得すれば、少しは名誉挽回になるのだろうか。
ゴクリ、と息を呑んだハールク。
「それに言いましたよね? ハールク様。また後日、会いましょう、と」
第一王子と婚約解消を終えて、会談をした大会議室を一足先にあとにした際。
リガッティーは、確かにそう意味深に告げて去った。これのことだったのか。
「座ってください。始めましょう」
「……ええ、そうしましょう」
ハールクは扇子で指図されるがままに、マティアナと向き合うように座った。
「では、一先ず、ハールク様の言い分をお聞きしますわ」
「言い分?」
「ええ。私みたいに、一方的に断罪されるような形って、される側はとても嫌なものですわ。私もマティアナ様も、聞いて差し上げますわ」
気品ある淑女のように、微笑を浮かべたリガッティーは、見事に着飾っている。
けれども、隙あらば、ハールクを責める言葉を吐いていく。
ハールクには、わかっていた。
私みたいに。される側。被害者は嫌なものだったと、責めてくる。
そして。
聞いて差し上げますわ。
完全に、見下されている。
ハールクは、加害者。
膝をついて、懺悔をすべき罪人。
圧倒的に不利。
だが、言い分を聞いてもらえるのなら、好都合だ。
「ええ。聞いて差し上げますわ。ハールク様」
高圧的な声で、マティアナも乗じる。
「わかりました。……この度は、マティアナ嬢にも、ファマス侯爵令嬢にも、迷惑をかけて申し訳ありません」
先ずは、謝罪。
「迷惑。具体的に言ってくれます?」
「え?」
「迷惑とは、どんな迷惑を、私とマティアナ様にかけたのでしょうか?」
「それは……」
また扇子を開いて、胸の手前で仰ぐリガッティーの問いに、ハールクは言葉を詰まらせる。
「何故お言葉を詰まらせているのです? もしや、謝罪している迷惑とやらは、空虚なものでは? 迷惑をかけた、その内容はないまま、ただただ単に謝罪を口にしたのですか?」
「は? い、いや、違う、違います。この度のことを」
「まとめて謝罪をした? なのに、その内容を口に出来ないのは何故です? 果たして、心からの謝罪はあるのでしょうか?」
おい、話が違うっ。
ハールクは、怒る。
「言い分を聞くと言った口で、何故捲し立てるのですか!」
「捲し立てる? そんなつもりはありませんわ。ゆっくりと尋ねただけでしたのに……ハールク様が長く言葉を詰まらせたじゃないですか。どう思います? マティアナ様」
「私はリガッティー様がゆっくり尋ねている間に、ただ絶句しているように見えましたわ」
小首を傾げるリガッティーに、ゆるりと首を振って見せるマティアナは、じとりとハールクを見据えた。
悪意。
言い分を聞いて、情状酌量すらもする気はないのではないか。
「やめていただきたいっ。二人して茶番をするのならば」
「ああ! そうでしたわ!」
パン、と軽い音を立てて、リガッティーは扇子を掌に当てて閉じる。
「ハールク様は、自分の婚約者は信用に値しない。そう仰る方でしたわ」
「!?」
「私、覚えておきます、と言いましたわよね」
ズキリと痛みが走るほどの焦りを、ハールクは感じた。
あの会談の最中の失言だ。
まさに、マティアナがリガッティーのアリバイを証言したと聞いた時。ハールクは苦し紛れに、口論のあとのせいで自分に不満を抱えているマティアナが、意趣返しで口裏合わせの証言もしかねないと言いかけた。
それを、リガッティーは、覚えておくと宣言。
そして、今日のことを予告した。
リガッティーは、加虐的な笑みを見せる。
そんな笑みなら、淑女の微笑みで隠せるだろうに、あえてハールクに見せ付けた。
いたぶっているのだと。
親切に真実を突き付けた。
リガッティーから視線を移せば、マティアナは怒りを煮えたぎらせた紺色の瞳で睨んでいる。
説得すべきマティアナは、すでにこの話を聞いたのだと察した。
「ち、違うんだ、マティアナ嬢」
「違う。以前も言いましたわね。図書室で、かの令嬢と親しげに寄り添っていたことも、あなたは違うの一点張りで否定しました。他にも婚約者がいる殿方に、不適切な距離でそばにいるかの令嬢と、今後一緒にいるべきではないと進言したら、妙な言いがかりだと跳ね除けましたわ。結果どうですか? かの令嬢に擦り寄られた殿方達が唆されて、リガッティー様を公衆の面前で断罪なさろうとしました」
腕をきつく組んで、マティアナは強い声音で放つ。
「しかも、リガッティー様の罪の証拠は、ハールク様が集めたとか。かの令嬢に、誘導されているにも気付かず、捏造の証拠。私は、あなたの頭脳明晰で聡明さのある優秀さを尊敬して、尊重していましたわ」
口にされては、痛い事実。
まだ受け入れ難く、自分の中でも整理が出来ていないそれに、抉られた。
さらには、失望したと言い放つような口ぶり。
「ええ、本当に。尊敬すべき点でしたのに」
残念だと言いたげな声を零すリガッティーは、テーブルに肘を置いて、組んだ両手の上に、顎を乗せた。
「私と第一王子殿下の間に、恋愛感情はありませんでした。ただ互いを尊重して、切磋琢磨し、支え合うと口にしなくても決めていましたわ。マティアナ様とは、口約束をしていたと聞いています。だから、恋愛感情がなくとも、マティアナ様はあなたに釣り合うように学業に力を入れてきましたわ。ご存知ですよね? もちろん」
優雅に歌うような声で、語るリガッティー。
もちろん。知っていた。
家同士の利益があっての政略結婚による婚約。恋愛感情が今後芽生えなくとも、尊重し合うと決めていたのだ。
「それなのに、悪女に陥落。婚約者がいるにも関わらず、誑かされて、築き上げた信頼を踏み潰して、悪女に熱を上げたなんて」
「なっ! 熱を上げていたわけでも、陥落したわけでも」
「あら見苦しい」
否定の言葉は、リガッティーの鋭利な声に遮られた。
「第一王子殿下と彼女が、秘密の恋人関係にあると知ったあなたは、さぞ傷付いていたじゃないですか。ここまで来て、まだ足掻くのですね。聡明さまで、失ってしまったのですか」
嘲笑を浮かべて、リガッティーは横目で見下す。
この上ない屈辱だが、もう否定が出来ない。
見抜かれている。
感情が顔に出ない自分から、傷付いた様子だと目に見えるほどに露わになっていたのだ。言い逃れが出来ない。
「確かに、言い分は聞いて差し上げますとは言いましたわ。ですが、空虚の謝罪を聞く気はありません。取り繕う嘘だって、何故私達が聞かなくてはいけないのでしょうか? これ以上、私とリガッティー様に、迷惑をかけないでいただけます? 煩わせないでください」
はっきりと、バッサリと、マティアナは言い放つ。
「もう昼食の時間が迫っているのですから、単刀直入に、今日ここに来た言い分を仰ってください」
さっさと終わらせたい。マティアナが急かす。
今日、来た、言い分。
ハールクが言いたいこと。
単刀直入に、マティアナに言わなければいけない。
ここに来るまでに、考えていたこと。
「……あなたとの婚約は維持させてほしい、マティアナ嬢。時間をいただきたいのです」
頭を下げて、頼む。
「嫌です」
拒絶の言葉に、ハールクは弾けるように顔を上げた。懇願するしかなかったが、それすらも許されない。
「あなたは、自分の婚約者など信用に値しないと仰る方です。私を信用せず、裏切ったあなたを、どうやって信じ、今後婚約関係を維持しなきゃいけないのですか? ふざけないでいただきたい。もう尊敬すらも出来ない相手と、未来をともにしたくはありません。婚約はなかったことにしていただきますわ」
グサリと、今日一番大きな鋭利な言葉を突き刺された。
完全なる拒絶を言われようとも、ハールクは縋り付くしかない。許しを得るための償いをさせてほしいのだと、口を開こうにも、また許されなかった。
「この婚約について、最終決定を下すのは、マティアナ様です。これが、マティアナ様の決定ですわ。婚約は白紙です。答えをお聞きしたのなら、もうここには用はないのではありませんか? お帰りくださいませ。デリンジャー侯爵子息様」
リガッティーが追い出そうと催促をする。
最初から――――。
許される余地なんてなかった。
ただ、婚約破棄をされに来ただけ。
「あなたの失脚からの再起に、マティアナ様が付き合う義理はないのです。裏切っておいて、婚約維持をして時間をいただきたいだなんて、厚かましく浅はかなことをお考えでしたの? 信用に値しない婚約者は、すでにお互い様でしょう。先に、信用に値しない婚約者だとほざいたのですから、お一人で這い上がってくださいませ」
信用に値しない婚約者。
その失言が、グサグサと複数のナイフとなって、突き刺された。
グッと唇を噛んだハールクは、もう、諦めて帰るしかない。これ以上、ここにいても、そのナイフで、滅多刺しにされるだけなのだ。
「よかったですね」
腰を上げたところで、マティアナが言う。
「私もあなたの無表情な顔は不満でしたが、あなたも気にしてましたよね。今日は、感情がよく顔に出ていますわ」
「!」
マティアナは、顔を指差して示すと、嫌悪と怒りを込めて吐き捨てた。
「自分を棚に上げて、私とリガッティー様を敵意に満ちた目で睨み、不機嫌や苛立ちと怒りを露わにしたしかめっ面。本当に感情が顔に出るようになって、ようございましたね」
皮肉をねじ込むように言って、メイドに指示を下す。
「デリンジャー侯爵子息様がお帰りよ、見送りをして。では、さようなら、デリンジャー侯爵子息様」
「さようなら。デリンジャー侯爵子息様」
マティアナも、リガッティーも、目もくれない。
マティアナは他のメイドに紅茶のおかわりを頼み、リガッティーは紅茶菓子を摘む。
無だった顔は、醜く、感情を露わにしていた。
恋をしてしまった相手に、指摘された時は、自分をしっかり見てくれる人だと、心が惹かれたというのに。
それは幻だったと、思える。
帰りの馬車の中で、ハールクは、その顔を両手で押さえて、蹲るように座った。
マティアナは、脱力する。
「ありがとうございました、リガッティー様……。おかげで、腐った縁を断ち切れましたわ。……もっと言ってやりたい気持ちはありますが」
「お疲れ様です、マティアナ様。思う存分、罵倒の言葉を並べてぶつけたところで、あの方は嵐をやり過ごすように、じっと耐えては、少しは気が済んだマティアナ様を上手く説得するでしょうから、これでよかったと思いますわ。彼への鬱憤は、他のことで晴らしましょう」
感情的なマティアナに、胸ぐらを掴んで罵倒するよりも、声を上げることなく静かに言葉で打ちのめす方がいい。そう助言したのは、リガッティーだった。
確かに頭の回るハールクならば、上手く言いくるめてきたかもしれない。
悔しいが、感情的だからこそ、上手く扱われやすいとマティアナ自身も自分の欠点を理解していた。
「はい……本当に、ありがとうございます、リガッティー様。ご自分の婚約問題の直後に、私の婚約まで手を貸してもらってしまって」
「まあ、水臭い。言ったでしょう? 以前の相談の時も、婚約解消まで差し迫ったのなら、必ずマティアナの意思のために最善を尽くすって」
貴族令嬢同士の距離感はなくなり、リガッティーは様付けを取り払って、そう笑いかける。
思う存分、ただの友人と話していい合図に、マティアナはパッと顔を明るくさせた。
一番、身分の高い令嬢から許可をもらってから、こうして淑女の仮面を外して話すことがやっと出来るのは、暗黙の了解。
社交界では、人目を気にすべきだが、学園内では、ほとんどはこうやってリガッティーの許可を受けたあとに、気軽に話せる。
今日は、気を抜けない対面があったために、ハールクが来る前も、令嬢同士の距離感でいたのだ。気を緩ませないためのリガッティーの気配り。
「それに、捏造とは知らなかったとはいえ、証拠を集めては公衆の面前で、私を断罪しようとしたのよ。私だって、少しでも意趣返しがしたかったもの」
ふふっと、冗談めいて言うから、つられてマティアナも笑ってしまった。
だが、そう笑っていい内容ではないと、顔を歪ませてしまう。
「……少しの意趣返しでは足りないわ。この件では、誰よりもリガッティー様が傷付けられた……。もしかしたら、ハールク様だけでも目を覚まさせていれば!」
証拠が集まっていなければ、断罪するという行動に出なかったかもしれない。
あんなパーティーの最中では。
ギュッと拳を握ったあと、マティアナは言いかけた。
「もしもの話を考えて悔やんではだめ。そんな鬱憤だけを増やすのは、やめなさい。あの方はとっくに目が曇っていたので、顔に平手打ちをしたところで、止まらなかったと思うわ。我が義弟がしたように、真っ向から証拠を突き付けて、正しい現実を見せないと、納得しなかったのよ」
つんとマティアナのこめかみをつつくと、リガッティーはやれやれの口ぶりで肩を竦めて見せる。
「自分の過信が強すぎたせいで、突っ走ってしまい、パーティーで騒動を始めたの。真の証拠を用意したネテイトだって、直前まで必死に止めていたのに、あの悪女に背中を押されてパーティーの最中でアレよ」
「……あの悪女……どうしてくれようか」
「残念ながら、私達の手が届く範囲にはもういないわ。然るべき罰を受けるだけ」
今度は殺意を握り締めたマティアナだったが、リガッティーからかの令嬢は、もう大きな処罰を待つ身だと教えてもらって、しぶしぶ引き下がった。
自分達では、彼女に直接報復は出来ないのは、残念である。
「あの悪女の毒牙にかかった彼らは、やはり今後は謹慎処分中に再起を懸けた再教育を受けるのでしょうか?」
「そうねぇ……周囲の失望度が高く、期待値がどれほど下がったかにもよるけれど……よくて、そうなるでしょうね」
「……そう、なのね」
「マティアナとの婚約までだめにしたのだから、あの方の失望度は高いはず。現宰相のデリンジャー侯爵様の後継者候補からは除外でしょうね」
「……フン。どう足掻いても、彼には再起なんてないわね」
「絶縁がないだけマシだと理解すべきね」
ハールクはどう足掻いても、目指していた父親には、自分の後継者にはなりえないと切り捨てられた。
こうして、婚約についてを相手側に委ねたのも、どうぞ、愚息を手荒く切り捨ててくれ、と言っているようなものだったのだから。
「……はぁ。私達まで、あの悪女に足を引っ張られて、転倒。未来の道を見失ったわ。卒業前に、いい方を見付けられるかしら? リガッティーは、もう目途が立っているの?」
道連れにされてしまったマティアナは、憂鬱にため息を吐く。
自分はともかく、リガッティーなら引く数多で、貰い手には困らないだろう。
ただ、問題は、リガッティーを求める相手が、リガッティーに釣り合うかどうか。
「……私の方は、もう見付かったわ」
「え!? ほ、本当に!?」
もう相手が決まったのか。
こんなにも早く? 第一王子の婚約解消直後に決まるなど、一体どんな大物なのだ!
「それはそのうち、ね」
唇に人差し指を立てて微笑むリガッティーを見て、口を閉じる。
あまりにも美しいリガッティーを目の当たりにして、マティアナはここで気付いた。
大きく輝かしい未来がなくなったにもかかわらず、普段通りでいたのは、もう新しい未来が見えていたからだ。
流石だと、惚れ惚れする。
転んだとしても、無様なまま地面に座り込むことなく、スッと立ち上がってしまうのだ。
「もう行かないと。昼食を公園広場で済ませたら、次へ」
「ここで済ませてくれていいのに……次って?」
「ハーメリンとケーヴィン様」
引き留めたかったが、そのまま名前を聞いて、マティアナは苦しげに顔を歪めた。
「立て続けに申し訳ないわ……でも、ハーメリンこそ、必要ね。私も行きたいけれど……邪魔ね」
自分なら、我慢が出来るはずがない。
平手打ちだけなら、まだいい。魔法を放つくらいは、怒りを爆発させかねないだろう。
今さっきのように、リガッティーは心強くそばにいてくれるはずだ。
「力になりたいその気持ちは、ハーメリンに伝えておくわ。ことが済んだら、彼女から手紙を送るようにも。じゃあ、何かで鬱憤晴らしをしながら、次へ歩き出すことを考えて」
「あっ! お茶会はっ? 新学期が終わる前には開こうって」
「ごめんなさい。想定していたより時間がかかってしまったから、みんなでお茶会は難しいわ。次は学園で会いましょうと、お茶会の参加者に伝えて。お見送りは結構よ」
リガッティーが軽く手を握ってくれたあと、立ち上がって帰ろうとした。
次は、数日後の学園内で再会か。もっと春休み中に、この件を愚痴りながらお喋りをしたかったと残念に肩を落とす。
「そうだわ。うちのネテイトを、候補にどうかしら?」
「……え?」
何を言われているかわからず、小首を傾げるリガッティーを、ポカンと見上げてしまった。
「次期宰相を目指した秀才の捏造証拠を、見事自分で集めた証拠で打ち破ってくれた我が義弟、とても優秀よ」
「……えっ!? わ、私がっ……ネテイト様の婚約者候補に!?」
リガッティーの義弟は、ファマス侯爵家の跡取り。
マティアナは、侯爵家に嫁ぐ予定ではあったが……まさかのリガッティーの身内が、新たな結婚相手候補に!?
「ええ。前に言った覚えがあるのだけれど、私の両親は恋愛婚。私が恋愛感情を一向に芽生えさせないことも拍車をかけてしまったみたいで、ネテイトには想い人を作ってほしいと切に願って、恋愛婚を目指してほしいと思っているのよね。マティアナが望むなら、交流出来るように取り計らうから、いつでも言ってちょうだい。ネテイトはまだ見付けられていないから、二人で相性を確かめ合ってみたらどうかしら」
なんでもないみたいに軽く言うリガッティーに、マティアナは口をハクハクと開け閉めしてしまう。
「ネテイト自身のコンプレックスは小柄さだけれど、今後成長するだろうし……あと、ネテイトは可愛いわよ。照れ隠しでツンッとしても、照れているって顔に出るんだもの。あ、これは内緒よ」
そっと口元を周りから隠すように手を添えて、リガッティーは楽しげに笑った。
「今度は、わかりやすい相手と、恋愛を試みるのもいいと思うの。じゃあ、次は学園でね」
ほぼほぼ放心したまま、マティアナは離れていくリガッティーに手を振り返して、その姿を見送る。
恋愛を試みる? リガッティーの義弟? あのネテイト・ファマスに?
リガッティーの義弟として、恥じない優秀さを学園の成績で示していて、ちょっと可愛い顔立ちと評判のネテイト・ファマス侯爵子息。
そんな義弟を結婚相手にどうかと提案したのは、冗談ではなく、本当に選択肢として出してくれたのだ。
つまりは、リガッティーからすれば、マティアナは候補者になる資格は十分と認められているということ。
マティアナの頬は、真っ赤に染まり、熱を灯した。
次も、三人称視点。
乙女ゲームの攻略対象者のその一人の婚約問題について。
2023・02・10





