『辺境』は田舎という意味じゃないよσ(゜∀゜ )というお話
2/7日刊ジャンル別一位を頂きました。評価・いいね・感想・ブクマありがとうございます。
なろうファンタジーあるある。辺境伯=田舎者と馬鹿にされる設定ですね。
王家の頼みで婚約した辺境伯の娘を、『馬鹿王子』が婚約破棄してみたいな展開が良くあります。
さて、辺境伯という設定は実際どういったものなのかよく考えましょう。
『辺境伯領』のあった場所。これは、異民族・異教徒の住む場所との境目に設定されていたりします。
例えば、オーストリア、フランスとスペインの国境、そしてイタリア北部です。ドイツ東部にもありました。設定された時期は八世紀くらいです。カール大帝のフランク王国の領土の周辺に当たる場所でしょうか。なので、英国にはありません。
『辺境』は境の辺りという漢字の意味そのもの。そして、辺境伯領が設定された時代、都市らしい都市は存在していません。ロンドン?パリ?ローマ? ないよ。地名としては存在したとしても、都市では全然ありません。
古代ローマ崩壊後、石造の城壁のある都市は十字軍の時期までほとんど存在しないか、あったとしても古代ローマの遺跡遺構を利用した防塁のようなものにすぎません。
人口が千人くらいで木柵で囲んだようなものが『都市』としては中規模になります。店舗はありません。古代ローマにはありましたが、略奪・貨幣経済の消失・物流の崩壊で都市が成立しないのが中世のルネッサンス以前の時代です。
その時代に存在したのが『辺境伯』です。
ルネッサンス期には辺境伯は公爵に代わっていきます。開拓できる土地がたくさんある(異民族討伐をしてかっぱらう)ので、大きな領地を持っていたりしますね。ネーデルランド辺りもいわゆるヴァイキングのなりそこないみたいなのがたくさん住んでいたので、辺境伯領か大司教領として開拓され、やがて力を付けた辺境伯や伯爵が大司教領・司教領をかっぱらって『公爵』に成り上がったりします。
一番辺境伯が多い地域はどこか。意外なことに北イタリアですね。
北イタリアの都市の起源は古代ローマ以前まで遡れます。エトルリア人の都市から始まり、司教座都市を経て金融を中心に北方貿易で栄えていきますね。これが「辺境伯」領です。どこが田舎だよ。
これは、神聖ローマ皇帝がアルプスの向こうの非ドイツ(神聖ローマ皇帝はドイツ国王を兼ねるので、それ以外の地域に影響を与える場合、『辺境伯』として爵位を与えます)の地域を支配下におさめた場合。ルネッサンス以降は北イタリア貴族に与える爵位は『侯爵』ばかりになりますが、神聖ローマ皇帝が与えた爵位がマルキスだからです。時代によって『辺境伯』であったり『侯爵』と訳されるわけですが、前者は辺境伯領が設定された場合、後者はただの身分として与えられた場合になります。
トリノのサボイア家(後にイタリア王家)、ミラノのヴィスコンティ家(後公爵家)あたりが有名どころです。
辺境伯領を日本に例えると『郡内小山田氏』辺りでしょうか。
戦国物に詳しい方は、武田勝頼が逃げようとして天目山で自刃しますが、その逃げようとした先が『小山田氏』の根拠地である郡内です。今の大月市のある辺りですね。
小山田氏は、富士講と深く結びつきのある大豪族で、信玄の時代以前においては甲斐武田氏と敵対し争うほどの勢力を持っていました。武田氏が甲府盆地内で一族が分家と本家で争ったり、豪族と争い、駿河今川と争っていたので、弱かったというのもあります。
信玄の叔母の孫が小山田信茂であり、勝頼とは又従兄弟になるようです。信玄とは母方の従兄弟同士という説もありますが、小山田氏は独立した大名であり織田と浅井の同盟関係に近い存在であったと思われます。
裏切ったのではなく、袂を分かつ、が近い関係でしょうか。だから、信長は許さなかったのかなと思います。真田はオケだが小山田はだめな理由。家康はドサマギで上手く取り込みました。
江戸時代であれば、伊達や島津が『辺境伯』に相当します。
そう考えると、辺境は馬鹿にできない存在だと思いますがいかがでしょうか。
【追記:Wikiからの引用】
『日本では『田舎の貧乏貴族』と勘違いされるケースがままあるが、正しくは中央から離れて大きな権限を認められた地方長官である。単なる伯爵より上位であり、侯爵に近い』……なろうの影響力か
二年くらい前と比較して内容が充実した気がします。辺境子爵や辺境男爵、辺境騎士はバルドさんですが、歴史的には存在しませんね。辺境公爵もです。
なぜ『辺境伯』だけが存在するのか、疑問に思わなかったのでしょうね(・・?
【作者からのお願い】
下記にある広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。