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いろ、いろ

作者: 桜木 彩音


 知らないようで知っている。

 知っているようで知らない。

 人はそれを既視感と呼ぶ。

 

 「おつかれさま」


 笑いながら、バスルームから出てくる彼はいつも見ている黒い部屋着を着ていた。

 黒で統一された部屋と黒い車と黒い部屋着。

 彼が黒が好きだと知ったのはわりと最近の話だ。

 黒いTシャツを着たわたしは、いつものようにスマホ片手にソファのクッションを潰しながら寝転がる。


 「へーこんな曲流行ってるんだ」

 

 TVから流れてくる音楽番組に、わたしはぽつりと零した。

 特に拾われることを意図していないひとりごと。

 彼もぼうっと画面を見つめた。

 

 今日行ってもいい?と聞いたわたしは、結局のところ1日中彼のことで脳内いっぱいだった。

 いつものように黒いベッドの上に寝転がった端正な顔は、きっといつスマホの通知を確認しようかと思案している顔。

 

 他にいる女がわたしよりも前から彼と関係を持っていて、自分より優先されていると彼の口から伝えられたのも割と最近だ。

 わたしはどう返答していいかわからぬまま、ただ笑いで受け流した。

 彼にとってわたしは時間と空間を埋めるベクトルでしかなく、物理法則からすると空気とあまり変わりない。

 昔からそこにいるのかいないのか存在さえ定かではないほど陰の薄いわたしにはぴったりの役割である。


 黒は拒絶の色だと何かの本で読んだ。

 きっと彼は白線より向こうに踏み込まれることを好んではいない。


 彼の好む白と青に爪を染めたわたしは、

 白線をせめて踏まないように今日もスマホの画面を見つめた。

 彼が自分のスマホを確認するのは、わたしが席をたった時から自分が煙草を吸うときだと知っている。

 その夜誤算だったのは、寝よっか、とベッドに座った瞬間にスマホの画面を見たまま、わたしからその中身を見られないよう隠したことだった。


 「あっごめん」


 なんの気なしに、謝罪が口をついて出た。

 彼は一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐにいつとのポーカーフェイスに戻り画面を見つめた。

 なんで、謝ったんだろう。

 自分でもわからないけれど、ここは白線だったのだと思った。

 寝ている間、わたしが寝たのを確認するといつも彼はその腕をわたしの肋骨のあたりに置く。

 わたしはいつだって寝ているし、起きているし、気づいていないふりをする。

 無知なふりがうまくなった。

 年齢を重ねるって不条理だ。

 ネイルかわいいね、あゆみさんはかわいいよ、今日からの呟いた言葉を噛み砕くように反芻する。

 軽率に彼の口からついてでるかわいいは、

主語を間違えていると思えるぐらいわたしには響かない。


 そう、よく知ってる。

 誰かの代わりにされて響く甘い言葉を、そのときの横顔を、わたしはこの人生で酷く学んできたのだ。

 朝方わたしが背を向けていると、彼はわたしにゆっくりと抱きついた。

 寝たふりを続けたまま、ただ彼のスマホのアラームが鳴るのを待つ朝は体感半日ほどある。

 アラームが1度鳴ると、わたしはその煩雑な音を止め、彼は眠そうにしながらわたしに体を寄せてくる。

 力の強さを感じると、誤解しそうになる厄介な神経回路を3回ほどわたしは切断するのだ。

 わたしとあまり変わらない大きさの手が、指を絡めるようにしてくるのに、その力はいつもわたしの方が強い。

 

 「おはよ」

 

 笑いながら呟くと、綺麗な二重が重そうに上下した。

 枯れた声で、おはよと呟きながら夢うつつ、また瞼が下がる。

 「あと2分したら起きる」

 ぼそぼそとそう呟くと、今までにないぐらい体を密着させわたしの髪に顔を埋めた。

 

 連休明けで起きて仕事に行くのが嫌なのか、と冷えた頭の片隅で考える。

 わたしは勘違いしたりしない、決して彼はわたしと離れがたいわけではない、人の体温なら誰でもいいし、欲しているのはわたしのことじゃない。

 もう、そんなことですら傷つかなくなった自分を憎んだ。

 傷つくことができれば、彼を引き剥がすことも容易なのに。


 2分後再度けたたましく叫ぶアラームを止め、起きなくちゃと呟きながら寝ようとする彼の背中をぽんぽんと叩いた。

 

 「時間だよ、起きて」


 自分でも驚くほど優しい声が口から出てくる。

 いつからわたしはこんなに穏やかに話せるようになったんだろう。

 んーと唸りながら布団に潜る姿に、愛しさしか感じないこともまた憎かった。


 なるべくピンクで統一されたわたしの持ち物たちは、みんながわたしの好きな色を誤解するには十分だ。

 きっと彼も誤解している。

 穏やかで平和的で愛情に満ちたピンクは、

わたしの世界ではないと、彼もしらない。

 彼の目に触れない布の下に纏われた色がわたしの好きな色だと、彼が気づくときは永遠に来ない気がした。

 

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