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1.塔と勇者と一般人

本編完結・総合3,000pt到達記念スピンオフです。

お楽しみいただければ幸いです。


「君はこの塔に閉じ込められて、死ぬまでここで暮らすんだよ! 今日からよろしくねっ」


 少女の明るい声は仄暗い空間になんとも似つかわしくなかった。


 ここは、王都のほぼ中央、完成したばかりの高い塔の最上階。


 完成したばかりのはずなのに、暗くて冷たくて静か。

 新しい建築物ならもう少し採光に考慮して設計すればよかっただろうに。

 ただ、自分にとっては心地がいい。

 明るい場所は苦手だ。薄暗いくらいが、ちょうどいい。


 それにしても、今の状況。

 軟禁? 監禁? 幽閉?

 どの表現が適切なのだろう。

 しかしいずれにしても、自分が考えることではない。


 塔の主らしき少女へと視線を戻す。


 自分はいつでもぼんやりとしていて、話すよりも考える方に傾いてしまう。

 とりあえず今は頷いておかねばならないだろう。


「はい、分かりました」

「って、えええ!? そこは拒否とか質問とかもっと他に反応があるんじゃない!?」


 少女が瞳を見開く。

 まるで紫水晶のように透き通っていてきれいな瞳だ。


 この国では、瞳の色で宿している魔力が決まると言われている。

 自分は空のような青。

 そこまで強くはないが、手のひらから水を出すことくらいならできる。


 目の前の紫水晶は一体どんな魔力を意味しているのか。

 その珍しさはどこかで見たような気もする。ただ、記憶力には自信があるのにいつどこでだったのか思い出せない。


「僕にはやりたいことも叶えたい夢もないので、ちょうどいいと思いました」

「反応が薄くてつまんなかったけど、まぁいっか。わたしはリーベ。ということで、君にはわたしの世話係になってもらう」


 世話係?

 ぼんやりと思考を巡らせていたら、小さな手が差し出された。


「よろしくね、フリーデン君」


 僕よりも何歳か下に見える。10代前半だろうか。それにしては、言動が幼い気もする。


 ――それが、後の勇者リーベに対する第一印象だった。



 鮮やかすぎて眩暈がする。

 居心地が、……悪い。ここで呼吸をする度に寿命がすり減っていくようだ。


 豪奢な空間は父親の仕事部屋。

 王都の中心に、一代にして巨万の富を築き上げた豪商。

 それが父の肩書きであり、この家の評価だ。


 父に呼ばれる度に、胃の奥がきりきりと痛む。


 希少な大理石でつくられた執務机に、父は両肘をついて手を組み、顎を載せた。


『お前、弟に負けて悔しくないのか』

『ちっとも』

『フリーデンは優秀なのに、競争心が欠けているのがよろしくない』


 腹にも富を蓄えているのではないかという巨体。

 そんな父の吐き出す溜め息は、比例して大きく重たい。


『クリークは競争心と向上心のかたまりだ。このままだと、後継ぎは兄のお前ではなく弟になるぞ』

『かまいません。自分は、他人と争うことに向いていませんから』


 一礼して部屋を出ると、まさに話題の中心人物が廊下に立っていた。

 僕よりも濃い髪の色と淡い瞳の色。そばかすだらけの肌。

 5歳下の弟、クリークだ。


『兄さん。父さんは、なんだって?』

『後継ぎはクリークにするぞと言われた』

『へぇ』


 にやにやと、弟が笑みを浮かべる。父にそっくりな表情。

 僕にはできないし、やり方を知らない。


 僕のことを下から見上げてくる弟。心中では見下しているのかもしれない。

 だからといって反発心は湧いてこない。

 弟は弟。僕は、僕なのだから。


『安心して。僕が後を継いでも、兄さんを追い出したりなんかしない。いつもぼんやりしていても兄さんは賢い。優秀な参謀になってもらうよ』


 商い人というのは平気で噓をつく。

 というか、嘘を嘘だと思わないのだと、思う。

 口に出したときは本心なのだ。




 だから、父の急逝後。

 遺言通りに弟が16歳にして新しい当主となったときも、ちっとも驚かなかった。


『兄さんを雇いたいという奇特な人が現れたんだ。多額の支度金も用意された。だから、荷物をまとめて今日中に向かってほしい』



 そして、今のこの状況に至るという訳だ。


 王都に建設中だった高い塔。

 庶民の間では、他国の姫を招くためだとか、反対に犯罪者を永久に閉じ込めるためのものだとか、好き勝手にうわさが流れていた。

 うわさ話に興味はなかった。

 ただ、どんどん空へと伸びていく様にだけ、関心があった。

 青い空を分断する白い色に惹かれていた。

 空を見上げるのは苦手だったけれど、白い色があるおかげで顔を上げることができた。


 ……無事に完成した塔が、生涯の勤め先になるのだとは夢にも思っていなかったけれど。

 これは、ひとつめの想定外。


 そして。

 実際に閉じ込められるのは、万物神のいとし子。

 真実なんてそんなものだ。


 この国は万物神の加護なくして成り立たない。

 一方で建国以来――もしかしたら建国以前からかもしれない――仇なす存在もいる。

 それが、魔王ドゥンケルハイト。


 闇の魔王は気まぐれに戯れに、時折、魔物を王国へ送り込む。

 そのたびに血が流れ、争いが起きる。


 ところが、そんな魔王を滅ぼすことができるかもしれない存在が現れた。

 王城の奥に眠り続けていた聖剣ゲロープテ・シュヴェルトが抜かれたのだ。


 その者の名は、リーベ。


 辺境の小さな村の小さな集落で見つかった、奇跡の子。

 近くにいる人間の傷はたちどころに治り、草木はみるみるうちに生長し、土を掘れば温泉が噴き出す。

 まさしく万物神のいとし子。


 まさか自分が世話係に任命されるとは思わなかった。

 ふたつめの想定外。

 ただ、ちょうどよかった。


 恐らく王命なのだろう、奇跡の子の世話係というのは。


 実家にとっては厄介払いだけではなく、栄誉も得られる。

 弟に受けない理由などひとつもなかったに違いない。


 ……ただ不思議なのは、何故自分が選ばれたのかということ。


 そもそも性別が違う。

 年齢だって、自分が遥かに上だ。

 いくら相手に興味がないとはいえ、年下の異性、しかも万物神のいとし子を世話するには不自然すぎる。


 それだけを指摘すると、奇跡の子からは『勉強を教えてほしい』と返された。

 物心ついたときには、学びの機会を得ることができない状況にあったのだという。

 考えることも学ぶことも好きな僕にとってはありがたいことだった。

 少女の、しかも奇跡の子の世話係だなんて何をどうすればいいのか分からなかったから。


 不審な点はもうひとつある。

 僕にも部屋を与えられたのだ。

 自由はない、と告げられたのに。


「やっぱり、覚えてない?」


 翌朝。

 僕たちは、給仕係が運んできた朝食を同じテーブルで食べていた。

 現実に引き戻された僕は、ゆっくりと頷く。 

 奇跡の子は残念そうに眉を下げた。


「王都に来て速攻で脱走したんだけど、お腹が空いて倒れちゃって。そのときパンをくれたのがフリーデン君だったんだよ」

「え……?」


 ようやく手がかりを与えられて、頭が回転しはじめる。

 行き倒れていた子ども?


「故郷では見世物扱いだったのを神殿に見つかって王都へ来たんだ、わたし。でも、誰のことも信用できないから逃げ出して」

「もしかして……」


 1年ほど前のことだった。

 いつものように僕は建設中の塔を眺めながら歩いていたら、何かにつまずいた。

 小石なんてものじゃない、何か大きいもの。

 それは子どもだった。


『すみません。大丈夫でしたか?』


 しゃがんで子どもに視線を合わせる。


 ぼさぼさの髪の毛。

 汚れた服。

 擦りむいた両ひざ。


 王都の中心部では珍しい、孤児のような身なりをしている。性別も判別できない。


『聞こえています? 僕の声』


 声をかけるとびくりと警戒された。

 どうやら聴力はあるようだ。

 

 僕はたまたま持っていた紙袋の中からパンを取り出した。

 そして子どもに差し出した。


『食べますか?』


 こくこく頷く子ども。

 両手でパンを持つと、長い金髪の隙間から紫色の光が見えた。


 ……あぁ、あのときの。

 たしかに自分はパンを与えた。

 まさかあれが奇跡の子だったとは。


「あのとき思ったんだ。こんな美味しいもの、初めて食べた。美味しいものが、フリーデン君が。わたしの世界を救ってくれたんだ」


 歯を見せて、奇跡の子が笑う。

 あのときのみすぼらしさは影も形もない。

 何ひとつ不自由なく見える、万物神に選ばれた存在。


「ここで暮らす条件に、君と生活したいって言ったの。まさか神殿が探し出して、叶えてくれるとは思わなかった」


 信じられないことを彼女は言い放った。


「ありがとう、フリーデン君」


 花が綻ぶように、リーベさまが笑う。


 ……この僕を、選んだ、だって?

 それは、みっつめの想定外だった。

 

 

 

 

 

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