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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −綠條の巻−
97/192

二年仲夏 鹿角解 2

**



 翠国から今回の材木の件での謝意を表す名目で、皇太子である桐恭仁の一行が蒼国を訪れた。


 その一行の中に奏薫の姿を見つけ、英賢は自分でも思っていた以上にほっとしていた。

 皇太子と壮哲の面会が済むと、英賢は奏薫の元へ向かった。


「柳副使」


 英賢の声に、奏薫が振り向いた。


「久しぶりです」


 英賢が微笑を向けると、奏薫が足早に歩み寄る。


「ご無沙汰をしております」


 完璧な礼をした後、顔を上げると、奏薫の青灰色の瞳が英賢を真っ直ぐ見た。


 英賢の中の何かが震える。


 その正体を確かめないまま言う。


「……辞められたのかと思っていました」


 奏薫の長い睫毛が伏せられた。


「……辞めるつもりでいました。実は……今、私は謹慎中なのです」

「どういうことですか?」

「今回の件は、私が部下をきちんと監督できていなかったことも原因の一つです。その責任を取るため辞職を申し出たところ、とりあえず謹慎ということで保留となりました。ですから本当はこちらに伺うことはできなかったはずなのですが……」


 奏薫がちらりと昊尚と話をしている恭仁を見て、言葉を濁す。

 恭仁に強引に連れてこられたのだろう、と英賢が察する。


「では、私は皇太子殿下に感謝せねばならないですね」


 さらりと言うと、奏薫が英賢を見上げた。

 感情を容易に見せようとしない整った顔は相変わらずだ。

 左頬の痣は綺麗に治っている。しかし、以前会った時よりも痩せたような気がする。


「やつれたんじゃないですか……?」


 見上げる奏薫の頬に英賢が無意識に触れた。奏薫がびくりと震え肩をすくめる。


「あ……失礼」


 英賢が触れた手を慌てて上げる。


「申し訳ない。つい……」

「……いえ……大丈夫です。少し、驚いただけです……」


 奏薫が俯いた。

 二人の間に気まずい沈黙が流れる。


「……そうだ。貴女に不撓の梅をお見せしたかったんです」


 英賢が自分の作ってしまった空気を拭うように言った。


「不撓の梅……というのは、もしかして」

「ご存知ですか。当国の建国の時に、我が太祖の三名方が手ずから植えられたものと伝えられている枝垂れ梅です」

「お聞きしたことがあります。是非拝見したいです」


 奏薫が顔を上げた。

 青灰色の目と合うと、英賢がほっとして微笑む。


「少し歩きますが大丈夫ですか?」

「はい。問題ありません」


 畏まった口調で答える奏薫に英賢が少し笑う。それを奏薫が見咎める。


「何か」

「いえ。相変わらず顔が怖いですよ」

「そうでしょうか」

「そんな風ではまた犬に吠えられますよ」


 そう言って揶揄(からか)う英賢を、奏薫は真顔でちらりと見ると背を向けた。


「恭仁様に許可をいただいてきます」


 気分を害しただろうか、と恭仁の方へ向かう奏薫を目で追うと、両手で頬を挟んで揉んでいる。表情を無理やり柔らかくしようとするかのような姿に、英賢がまた笑いを漏らす。

 奏薫が恭仁に二言三言、声をかけ、お辞儀をすると戻ってきた。英賢は何事もなかったような真顔の奏薫に、先ほどの姿を重ねて、つい(こぼ)れる笑いを抑えながら、こちらへ、と歩き出した。


「翠国にも建国時からの御霊木があるのですよね」


 奏薫と並んで歩きながら英賢が聞く。


「はい。"盟約の鳳樹"のことですね。太祖が后土神様にお会いになられた時に誓いを立てた梧桐の木です」


 翠国の創建前、戦乱により焼き払われていく森を守るために、森の民の長だった洞氏が立ち上がった。洞氏は、焼けてしまった森の中、鳳凰が止まった梧桐の大木の下で、大地の女神である后土神に(まみ)えた。そして、桐の姓を与えられ、その後翠国を一つにまとめたという。以来、その梧桐の木は盟約の鳳樹と呼ばれ、翠国の象徴として祀られている。

 二人が西内苑に足を踏み入れると、季節的に当然ではあるが、梅林に花をつけたものはなく、緑の葉が茂っていた。


「足元に気をつけて」


 梅の木々の間を進むと、見事な枝垂れ梅の木が現れた。

 奏薫は立ち止まり、しばし言葉を発するのを忘れたように梅の木を見上げた。


「……これは、素晴らしい梅の木ですね」


 堂々とした梅の木は、花はつけていなかったが、その存在感が見る者を圧倒した。


「樹齢二百年を超えているそうです。厳しい寒さの中でも咲く花になぞらえて、困難にもひるまず、しなる枝のようにこうべを垂れる謙虚な気持ちを忘れないように、と誓いを立てて太祖の三方が植えられたと言われています」


 奏薫は陽の光を受けた葉を輝かせて立つ目の前の梅の木に見とれた。


「花をつけた姿はさぞ美しいことでしょうね……」


 珍しく感情が宿った瞳を輝かせる奏薫を見て英賢が微笑む。


「樹の国の方からそう言っていただけると嬉しいです」


 英賢が梅の木に目を戻し、続けて言う。


「また花をつけた頃に見に来てください」

「……ありがとうございます。是非」


 奏薫の返事に満足をして、英賢がその横顔を改めて見る。


「そう言えば……家の方は落ち着きましたか?」


 奏薫の梅の木を見上げていた目線が下がる。


「家を出たままなので、柳の家のことはよくわかりません」


 言葉を切ると、沈んだ声で続けた。


「計相とはその後、話をしていません。……宣明……弟には会いに行ったのですが、会いたくないと言われました。聞いた話では、弟は、ずっと計相に私よりも出世しろ、と言われて悩んでいたということです。そんな時に延士に声をかけられたようです」


 そう言った後、奏薫は瞬きもしないでじっと梅の木の根元を見つめた。


「優しい子だったんです……。どうしてこんなことになってしまったのでしょう……」


 (こぼ)れるように言葉が落ちた。


「きっと、そもそも私の最初の選択が間違っていたのですね」


 原因を自分で引き受けようとする奏薫に、英賢が言い聞かせるように言った。


「貴女のせいではないですよ。自分を責める必要はない」


 奏薫が英賢を見た。

 いつもは冷静な奏薫の青灰色の瞳が、揺れているように見えた。


 ——石柳。


 奏薫がそう呼ばれていると聞いた。


 揺れない柳。固い柳。冷たい柳。


 しかし、どれも本当の奏薫には当てはまらないことを英賢は知っている。中身が壊れてしまわないように、石で覆わざるを得なかっただけだ。

 自分を見上げている、硬い覆いを保とうとする瞳は、英賢を揺さぶった。


 人に頼ることが下手で感情を押し殺すことに慣らされたこの女性の硬い殻を剥がしたい。我儘を言わせたい。思う存分甘やかしたい。


 英賢はそんな欲求に駆られた。

 こんなことを考えた自分に、英賢は困惑し、同時にこの感情の正体を自覚した。

 英賢は奏薫を見つめた。

 手を伸ばしかけて、しかし、先ほど不用意に触れてしまい奏薫を驚かせてしまったのを思い出す。


「……そろそろ戻りましょうか」


 浮かせた手をおろして、英賢は慎重に自分の感情に区切りをつけるように言う。

 そこに聞き慣れた声がかかった。


「兄上?」


 範玲が少し驚いたように、梅の木の間から現れた。

 昼休みの時間になったようだ。範玲はよくこの不撓の梅を訪れる。

 英賢と一緒にいる女性に気づき、範玲が会釈をする。


「範玲、こちらは翠国の柳副使。樹の国の方に、不撓の梅を見てもらおうと思ってね」


 英賢が奏薫を紹介すると、範玲がふわりと微笑んだ。


「お初にお目にかかります。そちらの夏英賢の妹の範玲と申します」


 それに対して奏薫は改まった自己紹介をする。


「お目にかかれて光栄です。翠国の柳奏薫と申します」


 二人の挨拶が済むと、英賢は奏薫に目配せした。


「こちらが夜に外でぼんやりするのが好きな方です」


 範玲を示すと、奏薫は、ああ、と頷いた。範玲の方はきょとんとして英賢を見る。


「え? 何のことですか、兄上?」

「いや、気にしないで」


 英賢が含み笑いをする。何ですか、と口を尖らせる範玲を宥めていると、もう一人、こちらに走って来る者がいた。


「あれ、どうしたんだろうな。動物に好かれる方も来ました」


 理淑だ。


「どうした?」


 三人の元にやってきた理淑に英賢が声をかける。理淑は、うん、と返事をすると、奏薫に向き直って言った。


「あの、柳副使、申し訳ありませんが、蒼翠殿にお戻りいただけませんか」

「何かあったのですか?」


 奏薫が幾分緊張気味に言う。


「ええと、桐皇太子殿下が暴走、あ、いえ。……ええと、とにかく、来ていただけるとありがたいです」


 何やら言いあぐねてはいるが、危険が差し迫っているような事態ではなさそうだ。


「取り敢えず戻りましょうか」


 英賢が言うと、奏薫が頷いた。




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