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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −綠條の巻−
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二年仲夏 鹿角解 1



 奏薫と共に翠国へ赴いた工部尚書が帰国した。

 工部尚書は早速、壮哲の元へ翠国でのことを報告に訪れた。


「結構な騒動になりました。しかし、私の出る幕はほとんどありませんでした」







 工部尚書の一行は翠国の首都洛泉へ着くと、事前に打ち合わせたとおり、奏薫が一緒であることを伏せて三司塩樹部の建物がある皇城へ向かった。

 工部尚書は、この度蒼国に納められた材木の不備の件で、と塩樹部の長官——奏薫が不在であることは承知の上で——への面会を求めた。


 通された長官の執務室に現れたのは、痩せた中年の男だった。塩樹部の次官である判官の職にある者だ。


「申し訳ありませんが、副使は不在ですので、私がお話をお伺いいたします」


 判官が執務机の脇に移動しながら慇懃に申し出た。


「柳副使はどうされたのですか?」


 工部尚書がしれっと聞くと、判官は眉を下げて芝居がかった口調で言った。


「……実は、今回の貴国へお納めした材木の件は、全て柳氏の仕業だったのです。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。現在柳氏は、お恥ずかしい話ですが、逃亡しているようなのです」

「何と。そうなのですか」


 工部尚書も大袈裟に相槌を打つ。


「しかし、今後はこの私にお任せくだされば、万事ご安心いただけると存じます」


 判官はそう言うと、まるで自分がその主であるかのように、長官の椅子の背に手を置いた。

 その時、大柄な工部尚書の陰にいた細身の官吏が、すい、と前に進み出た。


「折角ですが、貴方に任せることはできません」


 判官はその官吏を怪訝な顔で見た。そして、あっ、と声をあげると長官の椅子から一歩退()いた。


「ど、どうして……!」


 蒼国の官吏だと思ったのは袍を身に纏った奏薫だった。


「暫く留守にしましたが」


 奏薫が話しながら、元々の部屋の主らしく慣れた様子で中央にある(つくえ)へと進む。判官は慌てて部屋を出て行こうとしたが、工部尚書の部下が道を塞ぐ。


「貴方に話を聞かないといけないと思って」


 奏薫は卓の椅子の一つに座ると、行く手を阻まれて立ち往生する判官にも席に着くよう指示した。

 工部尚書が逃げ損なった判官を奏薫の向かいの椅子に誘導すると、判官は渋々、不貞腐れたように座った。奏薫は判官へ静かな眼差しを向けると、卓の上に置いた手を組んで言った。


「蒼国への輸送の船の中で、材木を細工させたのですね?」


 声の温度は驚くほど低い。


「……知りませんよ」


 判官は浅く腰掛けて椅子の背にふてぶてしく体を預けた状態で、奏薫と目を合わせず言う。


「その指示をしたのは、柳延士ですか?」


 続けて奏薫が聞く。


「……指示をしたのは貴女じゃないんですか」


 判官は工部尚書をちらりと見て言った。まだその筋書きで通すつもりのようだ。


「……ところで、印綬は持っていますか?」


 突然話が変わったことに判官は訝りながら奏薫を見る。


「……もちろんです」

「失くしたことは?」

「そんなことあるわけがないじゃないですか」


 印綬を失くすことは職を失うことと等しい。


「そうですか。それは良かった」


 確認は済んだ、とばかりに奏薫は淡々と言った。その様子を見て判官の顔が不安なものに変わった。

 奏薫が工部尚書から油紙に包まれたものを受け取り、中身を出して卓の上に広げた。

 それを見て判官が椅子から身を起こした。


「……どうしてこれが……!」


 呉氏から回収した例の偽造文書だ。判官にとっては、この文書は破棄されたはずのものだった。

 奏薫は判官の視線が文書に向いているのを確認すると、細い指で文書の押印された部分を示した。


「これは、貴方の印ですね」


 判官は青い顔で奏薫の指の先を凝視したまま声が出ない。


「返事を」


 奏薫が静かに急かす。


「……"塩樹……副使"……と見え……ます……。……副使……の……印だ、と……思います……」


 息苦しそうに判官が言った。


「いいえ。これは塩樹判官の印です。副使の印とは大きさも違います。わかっているでしょう? 貴方の印ですもの」


 奏薫が俯く判官を青灰色の目で従容として見る。


「誰かが私の名前で署名をして、判官の印を副使の印のように改竄して押してあります。これがどういう罪に当たるか、分かりますね」


 返事をしない判官に構わず続ける。


「印の改竄はいかなる理由であっても重罪です。事によっては陛下への背信であるとして極刑もあり得ます」

「馬鹿を言うな……!」


 奏薫は立ち上がって激昂する判官にも怯まず言った。


「この偽造した文書については、貴方を厳しく断罪するつもりでいます。もしかしたら成り行きで、木材の件も、全て貴方のやったこと、という話になるかもしれませんね」


 判官が卓の上の文書を奪おうと手を出した。奏薫は判官の手が届く前に、さっと文書を引き上げた。工部尚書が卓に身を乗り出した判官を軽々と押さえる。


「この文書は、皇太子殿下へお渡しし、然るべき処置をしていただくことになります」


 奏薫は文書を元のとおりに畳む。


「ただし、今回の材木の件について、正直に全て証言するのならば、文書の件は減刑を嘆願して差し上げましょう」


 眉ひとつ動かさずに奏薫が言うと、判官はぶるぶると身体を震わせた後、がっくりと肩を落とした。




 塩樹判官は、その後すぐに現れた衛兵に身柄を拘束された。それは恭仁が差し向けてくれた皇太子付きの衛兵だった。

 奏薫の叔父の敬元は、奏薫を蒼国に送り出した後、皇太子の恭仁が地方視察から帰って来るのを待って、連絡を取りつけた。

 その頃既に、統来の根回しによって、蒼国へ納めた材木の不備は奏薫の仕業であるということで確定しようとしていた。蒼国への材木を船の中で細工した職人も、敬元が突き止めたものの、奏薫の指示でやったことだと主張した。


「奏薫は私に罪を告白すると、後悔のあまり気が触れてしまった。そんな奏薫を管理できなかったのは私の責任だ」


 統来はそう言って、奏薫を逃してしまったことを涙ながらに懺悔した。計相という高い地位にいる統来が涙を流す姿に、官吏たちは同情を寄せた。

 奏薫が予想したとおり、恭仁は初め、奏薫を心配しながらも、統来の主張を覆すのは難しいのではないか、と弱気だった。しかし、奏薫が殺されかけたことを知ると、頼りないながらも奏薫を皇太子の権限で保護することを敬元に約束した。

 奏薫は洛泉へ入ると、先ず敬元に連絡を取った。敬元は奏薫のために、恭仁に塩樹部へと衛兵を遣わしてもらったのだった。




 奏薫の部下の判官の証言により、皇太子である恭仁の権限で延士は捕らえられた。奏薫の弟の宣明も拘束された。

 まだ年若い宣明は、捕らえられるとようやく自身の犯した罪を自覚し、奏薫になりすまして呉氏への文書を書いたことを含め、洗いざらい話した。船の中で木材を細工した職人は、木材を切り出す部署にいる宣明が延士に紹介した者であった。蒼国で呉氏に接触した、塩樹部の者だと名乗った男は、延士に命じられた柳家の使用人だったこともわかった。

 次々と明らかになる事実に、奏薫によるものと確定しかけていた材木の不備の件は覆された。

 そして、宣明の罪を隠そうとして奏薫を監禁した統来についても、糾弾されることとなった。







「柳計相は更迭されることになりました」


 工部尚書は苦々しく言った。翠国の政治中枢の一角である計相が更迭されるというのは、本来あるまじきことである。


「柳氏は皇太子殿下のご生母様のご実家でもありますし、家の取り潰しは免れたようです。首謀者の延士の兄である柳氏の当主が、延士を庇うことなく証拠の捜索に協力したことも、取り潰しを免れた一因かと思われます。呉氏に不正を持ちかける役割をしたのが柳氏の使用人だったと突き止めたのも、延士の兄でした」


 養妃の実家を取り潰しさせるわけにはいかない、と延士の兄も葛藤し、弟を切ることにしたのだろう。


「柳副使は無事ですか?」


 壮哲の執務室には、英賢と昊尚も揃っていた。

 英賢は、工部尚書の報告を聞きながら終始気になっていたことを、ようやく口にした。


「柳副使は、部下である判官の不祥事は自分に監督責任があると言って、辞任を考えているようでした」

「辞めたの?」


 翠国に帰る日の前夜に、奏薫がとうに仕事を辞めるつもりだったと言っていたことを思い出す。


「いえ、皇太子殿下が引き止めていらっしゃいましたが……。結局どうすることにしたのかはわかりません」


 工部尚書が申し訳なさそうに言った。


 奏薫が辞めてしまったら、もう会うことはないのかもしれない。


 そう思った時、英賢の鳩尾のあたりが重く疼いた。




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