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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −綠條の巻−
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二年仲夏 鵙始鳴 4



 その日の深夜、材木の保管倉庫へ入って来た呉氏を、英賢とともに待ち受けていた御史台の職員が囲んだ。呉氏の手には、紺色の小さな荷包(きんちゃく)が握られていた。


「こんな夜更けに何をしに来たのですか?」


 手燭を掲げて英賢がにこやかに聞くと、呉氏は荷包を持つ手を後ろに隠す。


「……見ま……を……しよ……かと……」


 喉に何が詰まったのかと思うほど、声が出ていない。


「見回り? 明かりも持たずに、ですか。……おや。今、後ろに隠したのは何でしょうね」


 英賢が言うと、御史台の職員が後ろに隠した呉氏の手を前に出させる。呉氏の震える手から英賢が荷包をするりと抜き取る。


「ふむ。荷包に名前が入っていますね」


 手燭の明かりを近づけて確認をすると、それは先ほど呉氏が英賢に、自分を恨んでいるかもしれない、と告げた職員の名前だ。荷包の紐は千切れている。


「この者がやったことにしたかったのですね」


 呉氏が何か言いたげに口を開けるが声は出ない。


「こんな手に引っかかってくれてありがとう」


 可笑そうに英賢が言うと、呉氏はがっくりと腹の肉付きに比べて狭い肩を落とした。



 夕に役所へ呉氏を呼び出して話を聞いた後、呉氏を部屋から下がらせると、英賢は奏薫に目配せして言った。


「明日の朝、材木の倉庫を調べましょう。呉氏が教えてくれた人物は倉庫に入る用事のない人物です。もし倉庫にその人物の物が落ちていたりしたら証拠になりますからね」


 扉の外で、呉氏が聞き耳を立てているのを承知の上で。

 呉氏が英賢に名前を告げた職員は、先日不祥事を起こした者だ。逃げるように役所を去り、役所に置いた荷物はそのままで、行方がわからなくなっている。だから濡れ衣を着せるには好都合だと思ったのだろう。



 英賢が顔色を失くした呉氏に言った。


「さあ。今度はちゃんと全て話していただきましょうか」


 英賢の美しい顔が優しげに笑む。

 しかし呉氏は、これほど肝の冷える笑顔を向けられたことがなかった。





 英賢らは呉氏を連れて役所の元の部屋に戻った。向かいに英賢が腰掛けると、呉氏は失くした顔色が戻らないまま、おどおどと話し始めた。


「……す、翠国からの材木が届くひと月ほど前だったと思います。妓楼の通りを歩いていたところを、見知らぬ男に声をかけられました。その男は私のことを知っているようでした……」


 英賢のにこやかな笑顔を前に、呉氏は居心地が悪そうに何度も座り直しながら続ける。


「男は、翠国の三司塩樹部の者だと名乗り、今度納品する材木の件で話がある、と言いました。私が、こんなところで仕事の話をするのは嫌だと言うと、妓楼へ誘われました。……妓楼に入る機会はなかなかないので、着いて行きました」


 呉氏が言い訳じみた余計なことを付け加える。呉氏が妓女に入れ込んで妓楼に通っていることなど承知しているが、英賢はそのことには触れず、先を促す。


「……部屋に入ると、酒と料理だけが出て来ました。なのに……、いえ、そこで男は、私に頼みがあると言いました。翠国では、今、質の良い木材が不足していて、今度納品する分も、一部、他のものに比べると質の落ちるものが混じる予定だとのことでした。でも、建材としては問題ないものなので、検品の際にはその辺りを斟酌してほしい、と言いました」


 そこまで言うと、呉氏は英賢を媚びるように見た。


「でも、私は断ったんです。……そんなところで、本当に塩樹部からかもわからない頼みなんか聞くわけがないじゃないですか。……するとその男は、これは塩樹部の長官の柳副使からの依頼だ、と言ったんです」


 横に立って聞いていた奏薫がちらりと英賢を見る。英賢は卓の上で手を組んで、呉氏の話を遮ることなく聞いている。


「だったら、柳副使からの依頼だとわかるものを持ってきてくれ、と言いました。そうしたら、数日後、再びその男が訪ねてきました。今度は文書を持ってきました」


 自分の話を、英賢が口を挟まず相槌を打ちながら聞いてくれることで、呉氏は声に落ち着きを取り戻していた。


「内容は、先日聞いたものと同じでした。そして、きちんと署名と捺印がありました」

「誰のですか?」


 英賢が聞くと、呉氏は力強く言った。


「柳副使です。柳奏薫という署名と"三司塩樹副使"の印が押してありました」


 奏薫が柳のような眉を顰めた。英賢は奏薫にちらと目線を遣ると、次に呉氏を見て首を傾げた。それを見て呉氏が焦って訴える。


「ほ、本当です。私だって塩樹部の長官からでなければそんな話を受けたりしません!」


 英賢は卓の上で組んだ手に顎を乗せ、奏薫の方に顔を傾けて言った。


「……と、言ってますよ」


 突然話を振られた奏薫は、英賢の碧色の瞳を真っ直ぐ見返し、そして温度の低い青灰色の目を呉氏に移す。英賢はその視線を追って呉氏に向き直ると言った。


「ああ、紹介していませんでしたね。こちらは翠国の三司塩樹部の柳副使です」


 そう言われて呉氏は怪訝な顔をした。その顔で、英賢はここまで呉氏が語ったことは作り話ではないと判断する。


「貴女様が柳副使ですか。ならば、貴女様が指示されたのですから、私が嘘を言っていないのはお分かりになりますよね」


 呉氏は文書の差出人である柳副使が、何故ここにいるのか混乱しながらも、縋るように奏薫の方へ身を乗り出した。


「……その文書はどこにありますか?」


 奏薫が、自分が送ったものではないと、否定しないで言うと、呉氏は、はっとして奏薫を見つめ、何かを迷っているように押し黙った。そして正解を探るように言った。


「……読んだ後、処分するように、と指示されたのは貴女様ですよね」


 そのやり取りに英賢が割り込んだ。


「その文書が無いのなら、柳副使からの指示があったという証拠は無いわけですね。柳副使、そのようなものを送ったのですか?」


 それを受けて、奏薫が言った。


「いいえ。そのようなものを送った覚えはありません」


 呉氏が慌てて叫んだ。


「私を切り捨てるつもりですか!」


 恨みを込めた目を向ける呉氏を奏薫が無表情に見返すと、呉氏が口を歪めて笑った。


「ばれたからと言って私一人に責任を押し付けようとしてもそうはいかないぞ! あの男は、あの文書は読んだら破棄しろと言ったが、そんなのに従う訳がないじゃないか。私が破って燃やしたのは別の文書だ。万一のためにあの文は手元に取ってあるからな!」


 激昂した呉氏の言葉を聞いて、英賢が奏薫に笑みを投げて目配せした。


「そうですか。では、後でそれを見せてくださいね」


 英賢は呉氏に上機嫌で言った。そして、奏薫を恨みがましく見ている呉氏の注意を自分に戻させた。


「それで、貴方は依頼を受けることにしたというわけですね?」


 英賢の問いかけに、呉氏が卓に手をついて前のめりになって言った。


「そうです。でも、材木が届いてみると話が違ってました。材木には、よく見ると木を継いであるものが混じっていました。私も伊達に検品を任されている身ではありませんから、木の良し悪しはわかります。品質は良いのに、何故不必要に継いであるのか、その理由が分かりませんでした。建材としては問題がないだって? 使用する場所によっては、折れる可能性だってあるっていうのに! だから、問題のある材木は使用しないように、倉庫の奥へ置くようにしたんです。念のため、普段倉庫を管理してる部下を余所にやっておいたからこそ、そうできたんですよ!」


 中途半端な矜持と小賢しさからとった行動を、呉氏はさも手柄のように語った。

 その弁舌が滑らかになった呉氏に、英賢はにこりと微笑むと、卓をとんとん、と長い指で叩いた。


「なるほど」


 今までよりも低い英賢の声に、呉氏がぎくりとする。

 不穏な雰囲気を感じ取って前屈みだった体をそろそろと戻した。それを冷めた目で見ながらゆっくりと英賢が言った。


「……万が一のために、破棄しろと言われた文書を保管しておき、材木が到着する日に合わせて、用意周到に倉庫の担当を余所にやっていた。つまり、貴方は最初から、本当はその話が不正なものだと承知していたのですね。だから、材木が不適切なものであっても、黙って受け入れた」


 呉氏の顔が強張る。追い討ちをかけるように英賢が更に冷たい笑顔を向ける。


「それで? 危ない橋を渡る見返りとして、いくら受け取ったのですか?」


 呉氏の滑らかだった舌は凍りついて固まった。


「貴方の話はそのあたりを省いていますよね。全て話して、と言ったでしょう? 貴方にあまり人には言いたくない借金があるのは、把握しています」


 呉氏はみるみるうちに青ざめると、肩を落として金を受け取ったことを認めた。借金を返しても十分余る金額だ。


「結局、どう言い繕おうと、貴方自身が金のために不正を働いたことは事実です。罰はきちんと受けてくださいね」


 英賢は冷たく言った。





 呉氏が保管していた、柳副使からのものであるという文書を提出させると、英賢は呉氏の処遇を御史台に任せた。


 塩樹部の者だという男は、署名捺印の入った文書により柳副使からの依頼だと呉氏に納得させると、それを破棄するように要求した。しかし、呉氏は口ではわかったと言いながら、(たもと)に持っていた別の文書とすり替えて、それを破って燃やして見せた。そして本物の文書を保管していた。


 英賢がその文書を確認すると、呉氏が言っていた内容で間違いなく、最後に奏薫の名前と三司塩樹副使の印があった。署名はともかく、印は先日材木に押してあった奏薫の印と同じに見えた。

 奏薫に濡れ衣を着せるつもりならば、この文書を破棄させるのはおかしい。署名と捺印のある文書は、奏薫に不利な証拠にできるはずだ。


「これは貴女が書いたものでないのですね?」


 腑に落ちないまま英賢が奏薫に文書を手渡す。広げた文書をじっくりと見つめる奏薫を、英賢が注意深く見守る。印のところに目線が移ると、伏し目がちになった目が(すが)められた。


「私が書いたものではありません。恐らく弟の手です。……印も私のものではありません」


 顔を上げた奏薫は、英賢を真っ直ぐに見た。英賢もその青灰色の瞳を見返す。

「印が貴女のものではないというのは、どうやって判別を? ここに"三司塩樹副使"、と……」


 奏薫から返された文書をまじまじと見て、英賢の言葉が途切れた。そして、印の部分を灯りに透かして見る。


「……これは、改竄(かいざん)してありますね」


 印の"三司塩樹"の次の"副使"の部分が、よくよく見ると不自然だった。

 奏薫は頷くと静かに言った。


「これは恐らく、私の部下……塩樹判官の印です。"判官"部分の一部に朱がつかないように押した後、書き足して、"副使"と直してあるのだと思います。上手く似せてありますが、印の大きさも私の"副使"のものより若干小さいです」

「なるほど」


 英賢が文書を手に呻る。


「だから、読んだら直ぐに破棄するように言ったのでしょう。文字も、印も私のものではありません。印を改竄するなど、印綬を授けてくださった陛下への背信と同じです。少なくとも文書の偽造の罪にはなります」


 奏薫が長い睫毛を震わせて溜息をついた。


「……これで塩樹部の部下で加担していたのが、判官だいうこともはっきりしました……」


 奏薫の青灰色の瞳に悲しみと諦めの色が浮かんだのを、英賢は言葉もなく見つめた。




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