二年仲夏 鵙始鳴 3
*
翌日、昊尚は奏薫を英賢に引き合わせた。
既に事情は説明してある。昼過ぎに出かけるというのに時間を合わせた。
「無理を言ってご迷惑をおかけいたします。よろしくお願いいたします」
深々と奏薫が頭を下げた。
奏薫は昊尚に言われて明遠が用意した袍を着ていた。英賢の部下という態でついて行くことになっている。
「誰かと思いました」
英賢が、ふふ、と微笑んだ。
慣れない男装でどことなく動きがぎこちないが、背筋を伸ばして立つ姿はやり手の若手官僚に見えた。
顔を上げた奏薫の左頬に英賢の目がいった。白粉で隠されているものの、痣が少し透けて見える。
それについては、奏薫が触れてほしくなさそうなので何も言わないが、英賢は会ったことのない奏薫の従兄弟に、そこはかとない怒りが沸くのを感じる。こんな目に遭っていても感情をほとんど出さない奏薫にも、歯がゆいような感覚に苛まれる。
せめて奏薫に有利な証拠を見つけられるよう尽力しよう、と英賢は気持ちを切り替えた。
「では、行ってくるよ」
英賢は昊尚に言うと、早速途に就いた。昊尚は外せない執務があるため、今回は同行しない。御史台の役人が二人ほど後に従う。
「材木の受け入れを担当した呉氏には、見張りをつけています。しばらくは何事もなかったようですが、最近動きが出てきました」
蒼泰山のある北青県までの馬車で、英賢はこれまでにわかっていることを奏薫に話して聞かせた。
翠国から届いた材木を港で検品し、蒼泰山の麓の倉庫まで運搬を指揮担当した呉氏は、聞き取りに対して材木の異常には全く気づかなかったと言っている。
折れやすい細工が施された材木は、保管倉庫の最も奥に積まれていた。倉庫の入口側のものを使用することになっていたが、職人の一人が勘違いをして奥にあったものを何本か運び出した。それで材木の細工が発覚したのだ。
確認してみると、翠国からの材木を保管倉庫に運び入れる際、いつも材木の管理している呉氏の部下は不在だったことがわかった。だから、その職員の代わりに呉氏が材木の運び込みを指示したらしい。
その職員は隣県への出張でいなかったのだが、それは呉氏から申し付けられた業務のためだった。
これは偶然なのか。
「やはり呉氏は、材木に異常があるのを承知していたのでしょうか。でも、そうすると、呉氏は細工のされた材木を使用させたくなかったように思えますが」
英賢の説明に、奏薫が疑問を口にした。
「そうですね」
英賢も、不正してまで受け入れた材木を、出来るだけ使われないように奥に追いやるという行為の意味がよくわからなかった。奏薫に聞いたとおり、使用途中で材木が折れるようにする計画だったのならば、その材木を使われにくいような場所に置くというのは、矛盾している。
だから呉氏が延士の仲間なのか引っかかるところがあった。
しかし、先日、監視を続けていた部下から、気になることが報告された。
呉氏は金貸しから金を借りていた。
調べてみると、しばしば妓楼に出入りしている呉氏の姿が目撃されていた。特定の妓女目当てに、妓楼に通っていたらしい。
呉氏は中央から派遣されている工部の官吏で、家族を置いて単身で赴任して来ている。采陽では妻と三人の子、それに妻の父母を養っているという。しかし、安定した収入があるとはいえ、家族を養いながら妓楼に通いつめるほどの余裕はないはずだ。
暫く借りた金の返済が滞っていたらしいが、最近返済がされているという。
一体その資金はどこで得たものなのか。たとえ今回のことに関わりのないものだとしても、きな臭さを感じる。
ちょうど呉氏に話を聞きに行こうかというところに、奏薫が翠国からやってきたのだった。
北青県の役所に着いた頃には日が暮れてしまっていた。
「暗くなってしまいましたね。呉氏に話を聞くのは明日になりますか?」
馬車から降りて辺りを見回す奏薫に、英賢は微笑む。
「いいえ。今日のうちに呼び出しましょう。そのためにこの時間に来たのですから」
采陽を発つ時刻が思いの外遅かったのも計画のうちだったのか、と奏薫は得心した。
役所に入ると、すでに勤務を終えて家に帰っていた呉氏を呼び出してもらった。
やって来たのは小太りの中年の男だった。暑くもないのに汗をかいている。
「遅くにすみませんね。つい先程着いたものですから」
呉氏が部屋に入ると、英賢が立ち上がって申し訳なさそうに眉を下げて言う。
呉氏は警戒するように、自分よりも背の高い英賢を上目遣いに見た。
「いえ。遠いところをお疲れ様でございます。……それより……どういったご用件でしょうか」
汗を手で拭いながら聞く。
「例の翠国からの材木の件で、確認したいことがありましてね」
英賢の言葉に、呉氏の目が僅かに泳いだ。
「材木の件でしたら、新たなものを送っていただくことで落着したのではなかったのでしょうか」
「ええ。そうなんですけどね」
英賢がにこりと微笑む。英賢をよく知っている者ならば、目が笑っていないのに気づくのだが、その穏やかな笑顔は、よく知らぬ相手にはただ優しげな笑顔に見える。
奏薫は、ここは自分が出る場面ではない、と黙って見守ることにした。
「どうぞ。お掛けください」
まるで自室かのように英賢が呉氏に椅子を勧める。勧められるまま、呉氏は椅子に浅く腰かけた。
英賢は、今日は暖かいですね、などと関係のないことを呉氏に話しかけている。
「あの……確認をされたい事とは何でしょうか」
椅子の座り心地が悪いかのように、更に浅く腰掛け直すと、呉氏から切り出した。
「ああ、すみませんね。いえね……実は、どうやら不正をはたらいている者がいるようなのですよ」
英賢が、困ったように整った眉を下げ、声を潜めて言った。それを聞いた呉氏の喉が上下したのを、奏薫は横から見ていた。
「実は、例の材木は、保管をしている間に細工されたのではないか、と考えているのです」
呉氏は英賢の言葉を聞いて僅かに息を吐いた。
「……と、言いますと……」
声に落ち着きを少し取り戻している。英賢は呉氏の変化にはまるで気にした様子を見せずに話を続けた。
「翠国に今回のことを問い合わせたところ、そのような材木を送ってはいない、との返答でした。それはそうです。翠国とわが国は大変良好な関係を保っていますからね。そもそもそのようなことをする理由がありません。そうなると、残念ながら、国内に不届き者がいて、材木が届いてから、細工をしたと考えるのが妥当です」
英賢が神妙な顔で囁くと、呉氏は何度も相槌を打ちながら聞いていた。先ほどまでかいていた汗が引いてきている。
「それで、貴方にわざわざきていただいたのは他でもありません」
英賢が改めて不安げな表情を浮かべた呉氏を見つめた。
「……貴方に恨みを抱いているような者に心当たりはないか、お聞きできないかと思って。……如何ですか?」
突然思ってもみなかった質問がされ、呉氏がぽかんとする。
「……ど、どういうことでしょうか?」
「今回の件が起きた理由として考えられるのは、まず、翠国との関係を悪くしようとする輩がやった、という可能性が一つ。そして、二つ目の可能性が、材木の検品を貴方がすることを知っている者が、貴方個人を陥れるために企てた、というものです」
英賢が辺りを憚るように小声で告げると、呉氏は驚いたように目を見開いた。
「……そんな……私には特に心当たりは……」
言いかけて、ふと黙り込んだ。何かを考えている顔だ。
「……誰か、心当たりがあるのですね」
英賢が我が意を得たりという顔で聞くと、呉氏は英賢の目を見ずに左上へ目線をやりながら口を開いた。
「実は……」
呉氏は不祥事を起こして辞めた同僚の名を告げた。