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異聞蒼国青史  作者: おがた史
圭徳の記【改訂版】
5/192

二日目上午 宮城 1



 結局、範玲は明け方に僅かにうとうととしただけで夜が明けた。理淑も同じだったようで、二人は早々に昨夜追い出された部屋へ向かった。

 部屋の中は昨夜とほぼ同じ光景だった。彰高と壮哲、それに佑崔がいる。三人とも一睡もしていないのではないかと思われた。


「眠れたか?」


 二人の顔を見て壮哲が声をかけた。


「……いえ……ほとんど眠れませんでした。あの、それより、兄上はご無事でしたか?」


 戻ってきていた佑崔を見て気が急き、壮哲への返事をおざなりに済ませて範玲が聞いた。

 声が僅かに震える。


「英賢様はご無事のようです。ただどこにいらっしゃるかまではわかりませんでした。藍公と承健様殺害の嫌疑については、陛下の御前で審議されることになるようです」


 無事と聞いて範玲は安堵のあまり崩れ落ちそうになる。理淑も大きく息を吐いて、よかった、と呟いた。


 審議を受けるということは、少なくともそれまでは無事ということなのだろう。

 つまり、その審議まで英賢の無実を証明する時間の猶予があるということだ。


 佑崔が得てきた情報では、英賢は啓康王を廃位させ、自身が王位に着くつもりだったが、藍公と承健によりその計画が阻まれたため、協力者であった壮哲に殺害させたということになっているらしい。


「馬鹿馬鹿しい! そんなことするわけないじゃない! 出鱈目すぎるよ!」


 理淑が王族の県主(ひめ)らしからぬ勢いで鼻息荒く異議を唱えると、彰高が頷いた。


「ああ。全くだ。どうやらそういったことを言いふらしているのは呂将軍らしい」


 呂は王妃である怜花の氏だ。その父親の菅邦は都省右丞、兄である叔宝は右羽林将軍に就いている。

 昨晩壮哲を捕らえに来たのも、叔宝率いる右羽林軍であったという。


「それからもう一つ、悪い話がある」


 彰高が続ける。


「縹公の居処がはっきりしない」


 範玲が思わず壮哲を見ると、眉間に深い溝を刻んで目を閉じていた。

 昨夜、佑崔が秦家へ壮哲の状況を伝えに行った際に、壮哲の父親である縹公が倒れたらしいと知らされた。

 らしい、という不確定な情報なのは、登城したまま帰ってこなかったところ、夜になって宮城から縹公が倒れたから休ませていると知らせがあっただけだからだ。

 壮哲の姉の梨泉が縹公の元へ駆けつけようとしたところ、秦家を見張っていた右羽林軍に阻まれたらしい。だから実際には縹公が何処にいるのか確認ができていないということである。

 なお、秦家の屋敷周りはその後も相変わらず禁軍に見張られており、家の者たちは軟禁状態だという。


「倒れた、などと親父殿はそんな柔なタマではないんだがな。それでも、捕らえられたという言い方ではなかったようだから、何処かに幽閉でもされているのかもしれない」


 壮哲が険しい顔で言った。

 それに頷くと、彰高がその青みがかった冷たい瞳を範玲に向けた。


「そこでこれから私と範玲殿とで宮城へ行くことにする」


 突然の指名に範玲の背筋が伸びる。それを確認して彰高が言った。


「青公は既に陛下へ自発退位を進言している。だから英賢殿が王位を狙って起こした事件でないことは、ご承知のはずだ。なのに何故、呂氏がこのおかしな筋書きを流すのを看過しているのか。この筋書きが本当に陛下のご意向なのか確かめたい」


 範玲の顔を見つめながら彰高が続ける。


「元々宮城へは私は喜招堂として出入りをしているから、知らぬふりでいつもどおりを装って行く。範玲殿の顔は知られていないから手伝いとしてそれに連れて行く。行った先で、その良く聞こえる耳で陛下の様子を探ってほしい」


 範玲は、「わかりました」と神妙な顔で頷いた。

 自分で申し出たことではあるが、大役を言いつけられ、緊張がじわじわと身の内に広がっていくのを感じる。


「私は?」


 うずうずしながらその様子を見ていた理淑が前のめりに聞いた。しかし、


「理淑殿にできることはない。とりあえず大人しくしているように」


 そう彰高に言われて、理淑は不満げに頬を膨らませる。


「まあ、理淑はいつも宮城や皇城をフラフラ歩き回ってたから顔が知られているし、明るいうちは駄目だな」


 更に壮哲にも却下され、理淑は不貞腐れたように椅子に座り込んだ。




**



 

 不貞腐れた理淑はそのままにして、範玲は用意してもらった朝餉(あさごはん)を無理やり胃の中に押し込むと、渡された動きやすそうな襦裙(じゅくん)に着替えた。

 彰高は、洒落た黄楊(つげ)の櫛や美しい飾り細工の(かんざし)白粉(おしろい)などを箱に入れて包むと、行くぞと言って範玲を振り返った。

 ところがしばし見つめた後、包みを解いて箱から何かを取り出すと範玲に差し出した。白粉と眉墨だ。


「この少し濃いめの白粉を塗って、眉を書き足したら、ついでに目の下に黒子を書くように」


 そう範玲に指示を出した。


「素のままだと目立ちすぎる。それと、出会った人とは目を合わせるな。瞳の色を見られないよう、できるだけ下を向いているように」


 碧色の瞳は夏家の者であると示すものだから、気をつけろということらしい。

 範玲が言われたとおり顔に手を加えると、再び彰高の点検を経て、ようやく宮城へと出発した。

 彰高は、ちょっと遠回りになるが、と賑やかな通りを避け、できるだけ人通りのない、静かな道を選んで進んだ。

 あえて聞きはしなかったが、彰高が範玲の耳のことを気遣ってくれたのだろう、ということに範玲は気付いた。







 向かう先の城は大まかに言って、官庁街である皇城と、王の御在所である宮城に分かれる。そのうち、宮城は王が執務を行う外廷と、王と妃、王子たちが暮らす私的な部分の内廷に分かれる。

 宮城の入り口の長楽門で彰高が通行札を見せると、それまで鹿爪(しかつめ)らしい顔をしていた門兵が、表情を緩めて声をかけてきた。


「この間はありがとうございました。おかげで助かりました」

「いやいや。大したことじゃないですよ」


 彰高はいかにも親切そうな微笑みで返す。


 !?


 範玲はぎょっとして隣の彰高を二度見した。


 誰この人!

 いつも極寒の海のような冷たい眼差しを寄越して、自分には愛想笑いの一つも向けたことがないのに、何この差!


 範玲があんぐりと口を開けて見ている中、彰高は門兵ににこやかに軽く挨拶をした。そして小声で、ほら行くぞ、と持っている荷物で範玲の腕を小突き、先へと歩を進めた。


「阿呆面をやめろ」


 眼差しに冷たい色が戻り、未だ口を開けている範玲に低い声で言う。


「いえ……ちょっと意外で……」


 開いていた口を手で閉じ、受けた衝撃を告げずにはいられなかった範玲がもごもご口籠る。


「商売で客相手をする以上、振りまく愛想くらい持ち合わせている。先日来た時にあの門兵が具合が悪そうだったから、持っていた薬を分けてやっただけだ」


 彰高の意外にも親切な一面に、範玲の口が驚きのあまり再び開いた。

 いやしかし、ここに来るのに、できるだけ静かな道を選んでくれたこともあるし、実は良い人なのかもしれない。

 範玲が思い直して口を閉じる。


 人を見かけで判断してはいけない。


 うん、と一人頷きながら彰高に置いていかれないように足を早めた。

 彰高は、足取りに迷う様子を全く見せず、左手に朝議が行われる蒼翠殿を見ながら内廷へ通じる門へと向かった。

 範玲にとっては初めて見る宮城が物珍しい。歩きながらきょろきょろとあちこちに目を奪われていると、急に足を止めた彰高にぶつかりそうになった。


「あぶっ……」


 急に止まらないで、と範玲が言いかけたが、彰高はそれに気付きもせずある方向を凝視していた。


「何です?」


 彰高が見つめる方向に目を向けると、客人らしき者と役人が蒼翠殿の軒先に立っているところだった。


「……いや、何でもない」


 彰高は言葉を濁し、思い直したように再び歩き始めた。範玲は彰高が気にしたものに後ろ髪をひかれながらも、置いていかれては困る、と後を追った。


 たどり着いた内廷への入り口で、再び通行札を見せる。


「何だかいつもより物々しいですね」


 この門兵とも顔見知りなのか、何気ない口ぶりで彰高が言う。


「あまり俺らのところには事情が降りてこないけど、上の方でゴタゴタがあったらしいんですよ。通行は厳しくしろと言われているんです。面倒なことになるといけないんで、今日は帰ったほうがいいと思いますよ」


 話しかけられた門兵が難しい顔で通行を渋る。


「それは困ったな。殿中省のお姉様方からのご注文の品をお持ちしたんですよ」


 彰高が眉を下げて思わず同情を誘う表情を作ると、門兵も困った顔をする。

 うーん、と大袈裟に唸って悩んだ後、門兵が少し声を落として言った。


「仕方ないですね。殿中省には裏口から入って用事が済んだらさっさと帰ってくださいよ」

「ありがとうございます。恩に着ます」


 人好きのする笑顔で彰高が礼を述べた。

 今まで見てきたのとは全く違う表情の彰高は、範玲には明らかに胡散臭さしか感じられなかったが、門兵はすっかり信頼している感じである。日頃から良い関係を作っているのだろう。


 それにしても内廷に立ち入りを許されているというのは、この人は一体どういう人なのだろう。豪商とはいえ、普通はこのように気安く入れるものではなかろう。

 壮哲らとの関係といい、相当太い繋がりがあるのだろうか。


 しれっと宮城に入り込む彰高の背中を見ながら、この得体の知れない人物に興味が湧いていた。


 二十二年間引きこもっていた身には刺激が強い。


 範玲は大きく息をついた。





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