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異聞蒼国青史  作者: おがた史
圭徳の記【改訂版】
3/192

一日目 事の始まり 3



 蒼国では王位の継承は純然たる世襲では行われない。

 玉皇大帝との誓約により、蒼国の太祖である夏氏、周氏、秦氏の血を引く三家のうちから、最も王に相応しいものが王となることになっている。その者のみが玉皇大帝に蒼国王として認められる。


 その選定は、まず時の太師、太傅、太保の三師が王族の三家のうちから王に相応しい人物を推挙する。現在三師には、太師に太学の師、太傅に郷学の師、太保に引退して野に下っている元都省丞相が就いている。三師に政治的な実権はなくいわば名誉職で、それぞれ政治の理論、民、実務に通じた者が任命される。

 王に推挙される人物については、年齢、性別、直系・傍系は問わない。青公三家の血が入っていることが条件である。

 次に、三師により推挙された人物について、碧公、藍公、縹公の青公三氏で審議し決定される。


 王の交代の形式には、三種類がある。

 一つ目は王の崩御による交代。

 二つ目は自発退位による交代。この場合の最も多い理由が健康上の理由である。まず王が退位の意志を表明すると、青公三氏が検討・承認する。その後三師による次王の選定、青公の審議・決定という手順となる。

 三つ目は罷免による交代。いかに王に相応しい人物であっても、時を経るに従い、そうではなくなる場合がある。国に害を為すもしくは為す恐れのある王を罷免することにより、国の安寧を守ろうというものだ。この場合、青公三氏全員の罷免の同意が必要となる。罷免は不名誉なことであるが、もちろん王と同族の青公の同意も要する。その文書を示し王に罷免を告げ、三師による新たな王の選定となる。



 英賢から託された文書は、まさにこの三つ目の形式である罷免のための文書であった。碧公、藍公、縹公の署名と各公の印もあった。


「この本文を書いたのは英賢殿だな。署名も……英賢殿と藍公本人の分は本物だ。壮哲、この縹公の署名はご本人の手で間違いないか?」

「ああ、これは親父殿の署名で間違いないと思う」


 この罷免文書の署名や印影を壮哲と彰高が検分していると、戸の外で壮哲に呼びかける声がした。

 範玲すら気がつかない程静かに、音を立てず近付いて来ていたのだ。


「佑崔か」


 壮哲が声をかけると音もなく戸が開き、するりと一人の男が入って来た。

 しなやかな物腰と涼やかな目をした細身の若者だった。範玲と理淑に気がつくと、わずかに会釈する。


「どうだった。何かわかったか」


 壮哲の問いに、佑崔はちらりと彰高を見遣り、いたたまれないように目を伏せた。


「……どうした」


 何事かを察した彰高が聞くと、佑崔はもう一度彰高を見て、辛そうに声を落として言った。


「……藍公と承健様が……弑されたとのことです。……壮哲様が手を下したということで、禁軍が探索しておりました」


 その場にいた全員が凍りつく。

 承健というのは周家の嫡男である。当主とその嫡男が揃って殺されたというのだ。しかもその嫌疑が同じく王族である青家の嫡男にかかっている。これは尋常ならざる大事だ。

 彰高は言葉を失くしたまま動かなくなってしまった。壮哲も青ざめたまま時を止める。

 蝋燭の炎がゆらゆらと揺れて落とす影が沈黙を濃くする。


「彰高……」


 沈黙を破った壮哲が彰高の肩に手を置くと、我に返ったように彰高が顔を上げた。紙のように白くなった顔で壮哲を見る。


「……念のため確認するが、お前……」

「そんなことするわけがないだろう」


 言いかけた言葉を壮哲が険しい顔で遮る。

 ひっそりと控えていた佑崔が更なる情報を告げた。


「……実行したのは壮哲様ということですが、殺害の計画自体は英賢様が立てたと疑われています……」

「え……」


 思いがけない展開に更に範玲と理淑が言葉を失くす。


「……ありえない。そんなこと……」


 ようやくそれだけを範玲が絞り出す。

 範玲の頭の中で思考の糸は(もつ)れたまま固まる。順序立てて考えることがこれほどまでに難しいと感じたことはなかった。

 時が巻き戻ったようにその場に再び沈黙が降りる。


「……まず状況を整理しよう」


 壮哲が巻き戻った時間を進めた。


「……そうだな」


 まだ血の気がなく白い顔のままの彰高も同意する。僅かに声が震えたが、冷静さは取り戻したように見えた。


「大丈夫か?」

「ああ。予想外のことだったので驚いただけだ。……大丈夫だ」


 壮哲が彰高の肩に手を置くと、大きく深呼吸するように息を吸って再び主導権を得て切り出した。


「まず……この罷免文書についてだが、これについて壮哲、お前も縹公から話は聞いていたな?」

「……ああ。文書自体は見てなかったが、進めていることは聞いていた」

「私もだ。実際にどこまで進んでいたかは知らなかったが」


 壮哲が知っているのは秦家の嫡男であるから理解できるが、何故、彰高がこのことを知っていたのか。

 範玲はつい話に割り込んだ。


「どうしてそんな機密事項を貴方がご存知なのですか? 彰高殿、貴方何者なのですか?」

「承健殿には色々と情報の提供をしていた」


 範玲をちらりと見て、彰高が面倒そうに答えた。

 周家に雇われた間諜ということだろうか。であれば雇い主が殺害されたと聞いて動揺するのもわかる。

 もっと詳しく聞こうとしたが、追求する前に彰高が逆に範玲に尋ねた。


「英賢殿は宮城に上がる用件は言っておられなかったのだな?」

「はい。緊急案件、としか……」

「登城する前にこの文書を私に託そうとしたということは、夏家……いや、青公三家に置いておかない方が良いと判断されたのだろう。私が事情を知っているのをご存知でもあったから、私に預けることにしたというところだろうな」


 そこまで言って再び黙り込むと、静かに控えていた佑崔を見た。


「それで、壮哲はどういう理由で藍公たちを手にかけたことになっている?」

「……申し訳ありません……そこまでは……」


 佑崔が詫びるように頭を下げる。


「兄上が帰ってこなかったのは、その疑いで捕えられたからなの?」


 理淑が不安げな声で聞いた。


「その可能性が高いだろうな」

「そんな……」


 思いもしなかった成り行きにどうしていいのかわからない。しかしふと範玲はなかなか帰ってこなかった侍従頭の士信のことを思い出した。


「あの……と……とりあえず、一度家に帰ります。家の者にも無断で出てきたので。それに当家の侍従頭が何か知っているかもしれないです。元々この文書を届けるのは彼のはずでしたし……」


 立ちあがろうと腰を浮かせた範玲に、佑崔が遠慮がちに言った。


「……士信殿のことをおっしゃっているのでしたら……彼も捕えられているそうです……。無事であれば良いのですが……」

「え? それはどういう……?」

「……斬られたようです……」


 佑崔がもたらす情報は(ことごと)く悪いものばかりだ。


「英賢様の命により色々と探っていたとのことで、捕えられたのですが、その時に抵抗したため、斬られたと聞きました……」


 佑崔が再び申し訳なさそうに俯く。

 範玲は浮かせたままだった腰をすとんと下ろした。

 言葉が出ない。

 士信は範玲が物心ついた頃には既に夏家にいた。父の、そして家督を継いだ英賢の右腕として、公に私に夏家を支えてくれた。綺麗な仕事ばかりではないだろうから、危ない目にあうこともあるかもしれないとは思っていたが……。


「……どの程度の……怪我なの……?」

「申し訳ありません。怪我の程度までは……」


 ようやく声の出るようになった範玲の問いへの答えは、僅かな安心をも得ることができないものだった。

 範玲のこめかみが冷たくなる。

 士信が斬られた。ならば英賢も無事とは限らない。

 目の前が暗くなりかけたその時、視界に理淑の顔が入る。いつも明るく屈託のない顔が青ざめている。


 そうか。

 自分がしっかりしなくては。


 範玲は震えが止まらない手を握り締めると、唇をぎゅっと結んだ。




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