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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
圭徳の記【改訂版】
21/192

他日 後始末 2



 朱国の使者は数日前に蒼国にやって来た。朱国の第三皇子と蒼国の公主(ひめ)との婚姻の申し入れを持って。

 呂氏が怜花妃から紹介されたその使者は、丁白起と名乗っていた。


「……白起殿……何をされるんですか……!!」


 呂氏が隠れていた場所から飛び出し、思わず叫ぶ。


「このまま居られても邪魔でしょう?」


 白起が面倒くさそうに言って、手にしていた重量感のある花器を投げ捨てた。ごとん、と鈍い音が響いて花器がごろごろと転がる。


「え……どういうことですか……」


 呆然としたまま花器の転がる行方を目で追いながら呂氏が聞く。


「大丈夫ですよ。死なないように加減したから。だけど起きてしまう前に、別室に移して薬を焚いておいてくださいね。量はいつもの啓康王のの五倍程だね」


 その場を仕切り、淡々と呂氏に指示をする。


「焚く……?」


 "薬"とは、怜花妃が王の枕元で毎晩焚いていたものだろうか。

 あれは香ではないのか。


 呂氏は目の前で起こっている出来事に対応できずにいた。


「もー、使えないなぁ。早く動く」


 白起が、やれやれ、と呂氏の目の前に立った。


「王妃様はね、啓登殿に王位に継いで欲しいんだって」


 美しい顔が呂氏をじっと見つめる。


「そもそもね、蒼国の王位継承の方法は変なんだよ。どうして王家が三つもあるのさ。王家は一つでよろしい。現王の直系が継ぐのが一番自然なんだ。王妃もそれをお望みだし、貴方も王の伯父としての権力が手に入る」


 白起の美しい顔が異様に艶めかしくなり、言葉が妖しく呂氏の心に忍び込んで来た。

 いつの間にか呪禁師の古利が傍らに立ち、そっと呂氏の腕に触れている。

 呂氏の頭の中に白起の言葉が響く。


 そうだ。王家は一つでいい。青家など糞食らえだ。

 青家がなければ、壮哲など大したことはない。

 啓登が王に。怜花もそれを望んでいる。そうすれば私は王の伯父だ。


 それはとても素晴らしい考えのように思えて来た。

 そうあるべきなのだ。そう心の中で声がする。


「……陛下はどうしますか」


 気がつくと聞いていた。

 呂氏の問いに、白起は呆けたように座り込む王をちらりと見やる。


「ちょうどいいんじゃない? まだ死んでもらっては困るしね。とりあえずしばらくはただ居てくれればいいんだから」


 白起は怖しく美しい顔に冷んやりとする笑みを浮かべた。







 次に呂氏は白起に指示されたとおりに、藍公の嫡子の承健を呼び出した。

 床に横たわり動かない藍公を見て、取り乱し縋った承健を呂氏が後ろから拘束した。

 状況が全く理解できない承健に、白起が今後の王位継承は現王の血筋からのみとするという誓約書を見せた。先に中書省令の賈氏が啓康王の筆跡を真似て署名し、呆けて動かなくなっているのを良いことに、無断で啓康王の左手の中指に針を刺して、その血により御璽を押させてある。


「さあ、藍公の印を押してください。陛下はそれをお望みなのですよ」


 白起が温度のない声で、賈氏に保管庫から出して用意させてあった印章を手に、承健に迫った。

 藍公の署名も賈氏により偽造されている。

 藍公が亡くなった今、藍公の印章の持ち主は嫡子である承健に移っている。

 現在、藍公の印を押せるのは承健しかいない。

 承健が唇を噛みしめ白起を睨みつけるが、全くその美しい顔が意に介した様子はない。


「そんなことをしても無駄だ。既に王の罷免の文書を用意している」


 承健が抵抗を試みるが、白起は鼻で笑った。


「その文書は何処にあるって言うんです?」


 しかし白起を睨みつけたまま口を開かない承健に、白起は面倒くさそうに溜息をついた。


「まあそんなものはいいです。それにしても困りましたね。貴方が言うことを聞いてくれないなら、ご子息の昌健君にお願いしないといけなくなります」

「……っ! 父上だけでなく昌健にまで手を出すつもりか!」


 普段感情を高ぶらせたことのない、穏やかな承健が声を荒げた。拘束を振り払おうとしたが、呂氏の力には到底敵わない。

 白起はそれを冷ややかに見下ろす。


「やだなあ。だからね、藍公は勝手に死んじゃったんですってば。それに貴方が捺印してくれれば、昌健君のところにはお願いに行きませんよ?」


 物分かり悪いな、と白起がつぶやく。

 承健は青ざめて目をきつく瞑り、俯く。


「まだかなぁ」


 白起が腕を組み、人差し指をいらいらと動かしながら急かす。


「……わかった……」


 承健は低く絞り出すような声でとうとう承諾した。

 そして、黙り込んだまま自身の左手の中指を渡された針で突き、滲んだ血を藍公の印に付けると、文書をじっと見つめた。


「ぼんやりしない」


 白起が舌打ちをすると、承健は印を王の御璽の真下ではなく左下に力を込めて押した。

 印を上げると、そこに「藍」と刻まれた菱形の青い印影が現れた。白起はそれを確認すると、にこりと笑った。そして、「罷免の文書とやらは一応探してみますけどね」と言うと、印が押された文書を取り上げ、背を向けて立ち去った。

 その背中が承健が見た最後の光景だった。

 直後、承健は後ろから呂氏に心臓を一突きされ、声をあげる間も無く絶命した。

 剣を引き抜く呂氏の傍らには古利が立っていた。







 承健の遺骸をその場に置いたまま、英賢を呼び出した。

 驚いて遺骸を抱きおこす英賢を呂氏が捕えると、英賢は淡々とその理由を聞いてきた。捕縛の理由を告げると、当然否定はしたが、大声をあげて抵抗することはなく、その代わり、自分の置かれた状況を理解しようとするためか、委細漏らさず観察するように視線を走らせていた。

 呂氏は薄気味の悪さを感じながら清命殿の牢へと英賢を連れて行った。牢に入れられても英賢は大人しかった。

 誓約書のことを話すときに古利が手を掴んでいても、抵抗する様子もなく、間も無く惚けた表情になった。そして誓約書への署名捺印にも簡単に同意した。

 碧公の呆気なさに、青公など大したことはないと侮りの気持ちが生まれた。


 やはり青公など必要ない。

 これから成そうとすることは、蒼国のためなのだ。


 呂氏は、自分の行為は正しい、と自らに言い聞かせた。




**




 呂氏らからの聞き取りにより、今回の事件の経緯は明らかとなった。

 朱国からの使者は丁白起と名乗っていたが、彰高と大雅の証言から朱国第三皇子の范雲起であるのは間違いないと考えられた。

 雲起をあの時あのまま返してしまったのは大失態であった。

 後の祭りとは思われたが、朱国に使者を遣わし、古利と雲起のことを問うた。

 しかし、朱国の答えは全てを否定するものだった。


 長古利などという呪禁師は朱国とは関係ない。

 朱国には丁白起などという者はいない。

 これ以上言いがかりをつけるのであれば考えがある。


 そう強く出られた。

 もし朱国が蒼国に軍事力を行使したとしたら、紅国が手を貸してくれるだろう。しかし、実質的に王が不在の今、これ以上の混乱は避けたい。

 承健を直接弑したのは呂氏であり、雲起が直接手を下したのではないので証拠も弱い。公主との婚姻の申し出についての文書も残っていない。

 そして、古利からの証言も得られていない。

 捕えた古利は、手の平を自由にできないように布で巻かれて獄に繋がれていた。

 表面上は大人しくしているようではあるが、事件については、どれだけ強く責められても一切口にしなかった。


 よって、今回は朱国に牽制をするに留めるという、極めて全く納得のいかない苦渋の決断をすることとなった。




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