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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
圭徳の記【改訂版】
20/192

他日 後始末 1



 その日から早速、捕えられた呂氏、賈氏、陳氏そして古利への厳正な取り調べが行われた。

 拘束された怜花妃はとても話ができるような状態ではなかった。事が露見するのではないかとずっと怯えていたようで、拘束されたことにより何かが壊れてしまった。終始がたがた震えながら、なにやらぶつぶつ唱えている。

 逆に兄の呂氏は観念したのか、憑き物が落ちたように潔く全てを話した。







 一年程前から、王は体調を崩し始めた。普段は今までどおりの物静かで明敏な王であったが、公務を終えて私室に戻ると、ふとするとつい先ほど話したことを忘れていたり、些細なことに執拗に怒りを表したりすることが徐々に増えてきたという。

 呂氏は怜花妃から相談を受け、侍医に相談することを勧めたが、妃はそれによって王が廃位となることを嫌がった。

 ならばと、呂氏は近頃巷で評判との噂の呪禁師を連れて来た。

 それが長古利だ。

 古利は怜花妃の話を親身になって聞き、丁寧に治療を施した。王の状態も良くなった。それで怜花妃はすっかり古利を信用してしまった。


 王の精神状態が思わしくないのは、王という激務による心身の緊張からきているからだ。その緊張を解くことが最善の治療である。

 だから。


「これを陛下がお休みになっている間に焚いてください。緊張を(ほぐ)す香です」


 そう言って古利は怜花妃に"香"を渡した。

 怜花妃は、王が眠りに就くと、その枕元で古利にもらった"香"を焚くようになった。

 "香"を焚いた日は、起き抜けの啓康王の機嫌がとても良く、怜花妃の目には元の姿に戻った、ように見えた。


 やはり古利の言うことは正しかった。


 怜花妃は古利を信じた。


 しかし。

 次第に再び王の状態は怪しいものとなっていった。


 徐々に王の機嫌の良い時間が短くなっていった。

 それに伴い、怜花妃は古利に言われて徐々に焚く"香"の量を増やしていった。

 段々おかしくなっていく王の様子に、怜花妃は、"香"を焚くことが果たして本当に良いことなのか不安を感じるようになった。しかし、古利に「大丈夫」と言われると、「大丈夫」と思えた。

 だからまた同じように夜になると"香"を焚いた。

 これがどんなことを引き起こすのか、怜花妃は気付くことができなかった。


 今思えば、どうかしていたのだ。


 呂氏は振り返る。

 呂氏としても、最初から英賢たちを陥れようと思っていたわけではなかった。

 王のことは尊敬していたし、王を支える英賢たち青公へも敬意を抱いていた。

 ただ少し、壮哲のことをやっかむ気持ちはあった。

 呂氏は腕の立つ武人であり、その腕を評価されて羽林将軍となった。

 それなのに、口さがない者の中には、怜花妃のお陰だと言う者もあった。現に父親は娘のお陰もあって都省右丞 に昇進しているため、絶対に違うと言い切ることもできなかった。

 また、同じ禁軍の将軍ではあるが、右羽林よりも左羽林の将軍の方が序列が高い。その左羽林将軍に自分よりも若い壮哲が就いていた。

 壮哲の方こそ、青公三家の一員であるからその恩恵を受けている、と言われてもいいはずなのに、そういう声は呂氏には聞こえてこなかった。

 実際に壮哲が自分よりも優れているという事実は、呂氏を複雑な気持ちにさせた。

 禁軍の兵たちの中でも壮哲を慕う者は多かった。自身の部下でありながら、壮哲に心酔している者がいるのも自尊心を傷つけられる一因でもあった。

 そんな心の綻びが、この事件を起こしてしまった要因なのではないか。

 いつの間にか、王家など一つで良い。壮哲が属する青家など必要ない、と思うようになっていた。

 呂氏がぽつりと告白した。




**




 あの日、怜花妃に頼まれて、呂氏はいつものようにご機嫌伺いの(てい)で王の様子を見に来ていた時だった。王の兄である藍公と縹公が夕刻に王の元を訪ねて来た。

 いつも眉間に皺を寄せている藍公だが、この日は特にひどい渋面を貼り付けてやってきた。


「陛下。お話が」


 藍公は王の兄ではあるが、相対するときは常に臣下として礼を尽くすことを忘れなかった。

 その時の王は、日に日にそれが短くなっていく穏やかな状態だった。

 王が用向きを聞くと、藍公が固い声で言った。


「畏れながら、本日は臣としてではなく、兄として参りました」

「珍しいですね。何でしょう。兄上」


 王も弟としての態度をとった。


「申し訳ありませんがお人払いを」


 藍公が言うと、王が脇に控える兵士に合図をし、部屋には王と藍公、縹公の三人となった。呂氏は何かあってはいけないとこっそりと様子を見ることにした。

 藍公はしばらくやり切れない目で王を見つめていた。

 何かを言いかけて口を開くが、再び口を閉じる。それが何回か続いた。王はじっと待っている。

 藍公は意を決したように顔をあげた。


「啓康、今まで其方は蒼国王として、素晴らしい功績を残してきた。啓康のおかげで蒼国の民は安心して暮してこられた。其方は紛れもない名君だ。周家の長として、そして兄としても、とても誇りに思っている」


 少し間をあけて深く息を吸い、再び言葉を継ぐ。


「しかし啓康よ……ここ最近、体調が思わしくないのではないか? 明らかに以前の其方ではない。このまま王の職務を続けることは……難しいのではないかと……」


 ここまで言うと、更に大きく息を吸った。そして。


「……どうか、啓康……。自ら退位を……選んでほしい……」


 言葉を切り、ゆっくりと言った。

 このことは青公三氏で王に何度か進言したことだ。

 しかし、王は聞く耳を持ってくれなかった。

 だから致し方なく罷免の文書を作らざるを得なくなった。罷免の文書を執行してしまえば、王は王位を追われることになる。

 藍公は罷免の文書を正式に執行する前に、最後にもう一度だけ、王を説得させて欲しい、と英賢に言ってここに来たのだ。

 昔から啓康を兄のように慕う縹公も、敬愛する王を罷免という不名誉な形で玉座から追い出したくはなかった。なんとか自身で道を譲る決断をしてくれることを望んだ。だから、藍公からの申し出に、是非自分も同行させて欲しいと言って共に来たのだ。


「啓康……」


 藍公は王を真っ直ぐに見据えた。

 縹公もその様子を固唾を飲んで見守った。

 しばし沈黙が降りる。藍公は王が口を開くのを辛抱強く待った。


「……兄上は、私が王に相応しくない、と、言うのか」


 重い沈黙の後、漸く呻くように低い声で王がつぶやいた。


「そうは言っていない。貴方は優れた王だ。ただ……今の状態では……」


 藍公は言葉を絞り出す。


「……啓康、其方のためなんだ。今自ら王位を降りて自発退位という形を取れば、優れた功績だけが皆の記憶に残る。しかし、このままでは……青公として、啓康を罷免しなくてはならない。兄としても其方の名誉を傷つけたくないのだ。……頼む……承知してくれ……。王位についていることは負担も大きい。退位すれば療養にも専念できる……。其方の為なんだ……! 頼む……!」


 藍公の言葉は懇願に変わった。

 しかし。王は応えなかった。

 沈黙が王と藍公の間を遮る。

 次第に王の握りしめた拳が震え始めた。


「……兄上は私のことが気に入らないのですね……」


 怨嗟の滲む声が王から絞り出された。


「……っ! そんなことがあるか! 私は啓康のことを誇りに思っている! ……だから!」


 藍公が訴えるが、王には響かない。

 王は怒りに震えるように立ち上がった。


「陛下! どうぞお鎮りに! 私も敬愛する陛下に賢帝のままでいて欲しいのです! どうか、どうか藍公のおっしゃることに耳をお貸しください!」


 縹公が王の足元に跪き、縋り付いて懇願したが、王は怒りを露わにし、血走った目で縹公を睨みつけた。


「敬伯、お前もか! 私を侮辱するか! お前だけは私を裏切らないと思っていたのに!」

「私は幼い頃より陛下を誰よりも尊敬しております! 嘘偽りはございません! お願いです、どうか、どうか……!」


  縹公の切実な願いに反して、王の興奮は更に激しさを増す。


「嘘だ、嘘だ! お前も兄上の味方だ! 兄上はいつもそうだ! 私を褒めてくれたことなど一度もない! 私のためと言いながら、本当は私のことが邪魔なだけだ! 私が王になったことも初めから気に入らなかったんだ!」


 大声で叫びながら硯や筆など机の上のものをなぎ払った。それだけでは収まらないのか、机も椅子も倒し、凄まじい音が響いた。


「啓康! 落ち着け!」

「陛下!」


 もう何を言っても無駄だった。手当たり次第にものをなぎ倒し、投げつけ、引きちぎっていく。


「お鎮りを!」


 混乱する王を縹公が力ずくで制止する。

 力の限り暴れるため、縹公は王の戒めを緩めることができない。

 王は吼えるような喚き声を上げながら、縹公から逃れようと激しく抵抗していた。

 ところが。

 ふと王の力が抜けた。


「……あに…う…え……?」


 そして我に返ったように藍公を呼ぶ。

 異変を感じて縹公が王の視線の先を見てみると、そこには、床に倒れている藍公がいた。胸を押さえて脂汗を流し、体を丸めて呻き続けている。縹公は、あまりに突然のことに見つめるしかできない。

 ついには一つ詰まるような呻き声をあげると、藍公は動かなくなった。


「藍公!」


 縹公が慌てて駆け寄るが、抱き起こしてみた藍公は既に事切れていた。


「兄上……?」


 王はよろけながら近付いて藍公を揺すってみた。

 しかし、藍公はぴくりとも動かない。震える手で首に触れてみるが、脈を感じることはできなかった。


「兄上」


 もう一度呼んでみるがやはり返事はない。

 王は悲鳴をあげた。


「私が……! 私が兄上を殺したのか!? 私が!!」


 更に甲高い悲鳴を上げたのを最後に、ぷつんと糸が切れたように座り込んでしまった。藍色の目からは生気がなくなり、虚になった双眸はただただ虚空を見つめている。


「陛下!」


 縹公が王に駆け寄り、手を伸ばした。

 その時、混乱に乗じて音もなく近づいた何者かが、縹公の後頭部を殴りつけた。

 不意打ちに縹公は呆気なく昏倒した。


 縹公を背後から襲ったのは、朱国の使者だった。





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