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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −白及の巻−
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三年仲春 桃始華 1




 季節の名のとおり、桃の蕾がほころび、厳しい寒さは暖かな春光に塗り替えられた。心までも浮き立つような麗らかな温もりに満ちた日。

 壮哲と月季の婚礼の日だ。


 親迎の儀は、本来は新郎が新婦を迎えにいくものだが、君主については使節が代わりに出向く習わしだ。月季を迎えに紅国へ赴いたのは秦敬克——先日偽月季の件でやらかした——宗正卿である。今度こそ、間違いなく主君の元へ新婦を案内させてくれと自ら志願したらしい。


 蒼国への輿入れの日に相応しく雲ひとつないどこまでも青く続く空の下、大国紅国から来た壮麗な婚礼の列は、朱翡(しゅひ)門から采陽に入った。待ち構えていた民たちの歓声に迎えられ、輿入れの列は采陽の街を南北に貫く朱雀大通りをゆっくりと宮城へと進んだ。

 月季を乗せた輿が皇城の中通りを抜け、蒼翠殿に到着すると、衆目の中、壮哲の手を取り紅色の衣装を纏った月季が降り立った。するとそのあまりの美しさに、居並ぶ百官からは思わず感嘆の溜息が漏れた。

 ちなみに、その百官の感嘆の溜息で宮中に咲く花々の花びらが舞い、建物は揺れた、と後の書物で伝えられている。







 冕冠(べんかん)を着けた礼服姿の壮哲が宮城の回廊を進む。

 声をかけて目的の部屋へ入ると、鳳凰が中心に装飾された煌びやかな花樹冠を頭に戴いた月季が振り向いた。納徴の儀で壮哲が贈った紫の青玉を使った首飾りも、月季の胸元で光を受けて燦めく。

 しかしそれ以上に、窓から差し込む光に溶け込んでしまうような月季の柔らかな微笑みは、この上なく眩しい。

 壮哲は目を細めると、月季に歩み寄った。

 

「疲れてないか?」


 壮哲が月季の手を取り聞いた。

 婚礼に関する全ての儀式を終え、この後、蒼国の民たちに新しい王妃をお披露目する段取りだ。紅国から着いてひたすら慌ただしく続く行事で、ゆっくりと休む余裕もない。


「大丈夫よ。仮にも私は紅国禁軍にいたのよ。体力には自信があるわ。それに、この後は蒼国の国民への最初の挨拶だもの。疲れたなんて言っていられないわ」

「真面目だな」


 壮哲が嬉しそうに言う。


「あら。だって、一番大切なことでしょう?」


 そう言い切る凛とした琥珀色の瞳に、そうだな、と再び眩しそうに壮哲が目を細める。


「着替えたんだ」


 壮哲が握っていた月季の手を少し上げて、広がった衣装に目をやる。

 儀式の時の婚礼服は、豪華な刺繍のほどこされた絢爛な紅色のものだったはずだが、今、月季が身につけているのは、繊細で緻密な刺繍が流麗に入った雅やかな青色のものだ。


「これね、大叔母が用意してくれたの」


 大叔母というのは、紅国王の慧喬の叔母である宗正卿のことだ。


「蒼国の民たちに紹介してもらう時はこれを着るようにって」


 月季はくすくすと思い出し笑いをした後、咳払いをして声音を少し高いものに変えて言った。


「いい? 月季。貴女は紅国のただ一人の公主として甘やかされて育ったわ。でも、蒼国に嫁いだら、貴女はもう蒼国の王妃なのよ。その覚悟をちゃんと持ちなさいね。だから、蒼国の民たちの前ではこれに着てその覚悟を示しなさい」


 自分の芝居がかった実演に少し照れながら続ける。


「そう言ってね、紅色の婚礼服とは別にこれを用意してくれたの」


 「公主たるもの」と顔を見るたびに説教をされて疎ましく感じることもあったが、月季を思ってのことだったと今ならわかる。それに、こうして壮哲と結婚する運びとなったのも大叔母のお陰とも言える。


「叔母上に可愛がられてたんだな」


 壮哲が微笑むと月季も嬉しそうに、そうね、と笑った。


「それにしても」


 壮哲が月季をまじまじと見た。その視線に月季の笑顔が怪訝なものになる。


「何? 変?」

「……いや、まさか。凄く似合う。本当に綺麗だな、と思って」


 壮哲の言葉に面食らう月季に構わず、壮哲がうんうんと何かを納得したように頷きながら言った。


「皆が月季殿のことを美しいと言うわけだ。普段は胡服だから、こういう格好は最初は見慣れなかったが……よく似合うな。凄く綺麗だ」

「なにそれ」

「いや、何を着ても似合うもんだなと思って」


 手放しの賛辞に居たたまれず、泳ぐ目の行き先を無くして月季はぷいと横を向いた。

 しかしふと、月季は綺麗だと言われたことを嫌だと思っていない自分に気付いた。いや、むしろ、嬉しいと感じている。

 容姿のことを言われるのは嫌いだったはずなのに、だ。

 小さな頃から、会う者会う者、月季の容姿ばかりを称えた。それに対して自分の価値は見た目だけなのかと反発して、化粧もせず飾り気のない胡服ばかりを選び、好んで煌びやかな格好をすることはなかった。着飾ると、ただでさえ似ていると言われる叔母の澄季に、より似ることも気に入らなかった。

 なのに何故、今は嬉しいと感じるのか。

 壮哲が自分を好きになったのは、容姿のせいではないということは知っている。だから、壮哲の言葉は素直に受け入れることができたのかもしれない。

 そこまで考えて、ふと思った。

 容姿にばかりこだわっていたのは、むしろ自分の方だったのではないか。

 そう気付くと急に、これまで容姿を褒められることを頑なに拒んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなった。肩から力が抜け、笑いが漏れる。

 月季はちらりと壮哲を見た。

 うん? と首を傾けて見返してきた適度に無神経で真っ直ぐな男。この人はいつも、月季の自分でも面倒臭いと思う部分を楽にしてくれる。

 ああ。この人が好きだ。

 そう思うと、月季は嬉しくなった。


「ねえ」

「ん?」

「もっと綺麗って言って」


 突然のおねだりに壮哲は思わず吹き出すと、月季の腰に手を回した。壮哲の腕の中で頬を染めた月季は、瑞々しさも加わり溜息が出るほど美しい。


「本当に凄く綺麗だと思う」


 そう言うと嬉しそうに月季が笑った。その可愛さに思わず顔を寄せようとしたところ、冕冠の上部から垂れる五色の珠玉の糸縄がしゃらしゃらと音を立てながら壮哲の行く手を遮った。


「邪魔だな」


 無造作に冕冠を取る壮哲に、驚いて月季が声を上げる。


「ちょっと。これから皆の前に出るのに取ったら駄目じゃない」


 その顔を目を細めて見つめ、壮哲が頓着なく笑う。


「また(かぶ)ればいいさ」


 そう言って月季の唇に口付けた。

 唇が離れると月季は壮哲を非難するように睨んだ。しかしその視線もどこか甘い。


「紅がついたわ」


 壮哲の唇についた紅を月季が指で拭う。


「それにこれからお披露目なのに、私の紅も取れたじゃない」


 咎める月季に、愛しくて仕方がないというように壮哲が微笑む。


「すまん。でもそれくらい誰も気付かないだろう。相変わらず綺麗だし」

「駄目よ。初めて蒼国の皆の前に立つのよ。きちんとしていたいわ」

「私の妃は本当に真面目で最高だな」


 壮哲は嬉しそうに笑うと、月季の顰めた眉間に口付けをした。






**






 昼間の民たちへのお披露目の熱気が冷めやらぬ中、すっかり陽が落ちると、蒼翠殿とその広場に篝火を煌々と焚き、大規模な宴席が設えられた。そこには、六省の長などといった役職の者だけでなく、月季の希望で宮中で働く多くの者たちが参加していた。


「皆嬉しそうですね」


 範玲が会場を見回しながら言うと、隣に立つ昊尚が笑みを返した。


「そうだな」


 特に壮哲のかつての部下である禁軍の兵士たちは、引きも切らず祝いの言葉を述べるために主役の二人の前に並んでいる。美しい王妃が、先の黯禺(あんぐ)の騒動の時に壮哲を助けて活躍した武人であることも、人気の理由の一つのようだ。

 壮哲と月季は並ぶ者たちひとりひとりと言葉を交わしている。その傍に護衛にはあるまじき緩み切った笑顔の理淑をみつけて、範玲もつい微笑む。


「理淑もすごく嬉しそう。私ももう少し落ち着いたらご挨拶に伺ってみます」

「そうだな。是非そうしてやってくれ」


 昊尚も目を細めてその光景を見守りながら頷いた。


「そう言えば、月季様に出来上がった『青蒼史記』をお持ちしたいのですけど、よろしいでしょうか」


 範玲がふと思い出したように聞いた。

 『青蒼史記』と題された蒼国の史書は、これまで周年の節目に編纂が行われている。蒼国の建国の祖である夏賢成、周文幹及び秦思廉を含む歴代王の事績を記した「本紀」、年表や主だった家の系譜を内容とする「表」、地理や諸制度等を書いた「志」、そして「列伝」からなる構成だ。

 今回も建国二百周年を記念して編纂が行われた。第八代の夏英照(恭王)の治世から第十一代の秦壮哲の即位までの内容となるもので、四月の二百周年の式典を前に、つい先日、完成したばかりだ。


「勿論。我が国のことを学んでいただかないといけないからな。前のものと合わせてお持ちしてくれ」


 その言葉を聞いて嬉しそうに頷く範玲に、昊尚の目が和む。

 国史の編纂は、長い間、屋敷に引きこもっていた範玲が一昨年から携わっている初めての仕事だ。完成を喜ぶ気持ちも一入(ひとしお)なのが溢れ出ている。


「おめでとう。ご苦労だったな」

「ありがとうございます。私は随分と後からの参加でしたけど、本当に嬉しいです」


 労いの言葉に、範玲は頬を紅潮させて花びらが開くように笑うと、幸せそうに言った。


「私を史館に呼んでくださり、本当に感謝しています」

「適任だと思ったから推薦しただけだ」


 普段のやや冷淡な印象を受ける青みがかった黒い瞳が、優しい色を帯びて範玲に向けられる。範玲は大好きなその瞳を見上げ、これ以上の幸せがあるだろうかとしみじみと思った。

 すると、二人の目の前にやってきた人物が声をかけた。


「相変わらず仲睦まじいね」


 陽気な声の主は紅国の太子である大雅だった。


「酔ってるな」


 昊尚が苦笑すると、大雅が、へへへ、と大国の次期君主らしからぬ人懐こい顔で笑う。


「少しね。何せめでたい席だから」


 大雅は月季の輿入れに際して、紅国王の名代としてやって来ていた。公式の宴は夕刻に催されており、この夜の宴は、主に蒼国の者たちが参加する言わば内内のものだ。しかし大雅は進んでこの宴にも参加している。


「この度はおめでとうございます」


 範玲が祝いの言葉を述べると、大雅が嬉しそうに目を細めた。


「ありがとう。月季のこと、よろしく頼むね」

「こちらこそよろしくお願いいたします。月季様に来ていただいて、皆、喜んでいます」


 範玲からの真心の込もった言葉に、大雅がうんうんと大きく頷く。


「ありがとうね。母上と父上の代わりに、しっかり我が妹の幸せそうな様子を確認できて安心したよ」


 大雅が蒼国の兵士や官たちと楽しそうに話をしている月季へと目を移す。範玲もつられて上座へと顔を向けた。

 すると、視線に気付いた理淑がぴょんぴょん跳ねながら手を振って範玲を呼んだ。


「あ、理淑が呼んでくれてる」

「行ってくるといい」


 昊尚に勧められ、範玲は大雅に拱手をすると月季の元へと向かった。その範玲の後ろ姿に手を振りながら大雅が言った。


「紫の青玉の話は聞いたよ。皙国(せきこく)絡みだったんだって?」

「直接皙国がどうこうしてきたわけではなかったみたいだけどな」

「まあ、念の為、皙国や北の方の動向には注意しといたほうがいいかもね」


 大雅が低く呟くと、昊尚も声を落として聞いた。


「謐の郷はその後、変わりないか」


 先日文陽から、皙国の軍関係者が、間諜として使うために謐の郷の者を探しているらしいということを聞いていた。念の為、範玲も気をつけておいた方がよいかもしれないからと教えに来てくれた件だ。


「ん? ああ。皙国の奴らが暫くしつこくうろうろしてたけど、こっちが追尾していた分は皆引き上げた。皙国に戻ったのを確認したよ」

「そうか」


 ほっとした表情を見せた昊尚に、大雅が少しからかうように言う。


「範玲殿が心配なら、早いとこ結婚すればいいのに。そうしたら今より安心できるだろ?」

「……そうかもな」


 苦笑しながら昊尚が認めると、大雅が腕を組んで、ふふんと笑った。


「結婚したらその時は私も兄弟子として祝ってやろう」

「だから、私の方が入門は先だと何度言ったらわかるんだ」


 昊尚は顔をしかめて見せたが、へらへら笑うだけの大雅に、しまいには堪えきれず吹き出した。




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