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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −白及の巻−
186/192

二年季冬 鶏乳 2




 騎駿の後ろ姿を見送り、佑崔が溜息をついた。そして理淑が持っている杯を見る。


「それ、飲んでいませんよね?」

「うん。飲んでないよ」


 はい、と佑崔に杯を手渡す。


「理淑様は酒に弱いんですから飲まない方がいいですよ」

「わかってるよ」


 理淑が口を尖らせ、騎駿の方を見ながらぼやいた。


「あれ、ほんとに本気なのかなぁ」


 佑崔が理淑の横顔をちらりと見る。


「秀太子から壮哲様に申し入れがあったのは聞いてますか」

「うん。兄上がすごい怒ってた」


 英賢の様子を思い出した理淑から笑いが出る。ちなみに英賢は壮哲に止められて、今夜の宴には出席していない。


「でも、秀太子が私に墨国に来いって言ってるのも、ただ夜雨が懐いてくれたからなだけだと思うんだよ」

「どうでしょうね……」


 佑崔が溜息をつくと、理淑が少し不服そうにしながらも、ぺこ、と頭を下げた。


「……ごめん」

「何がですか?」


 突然謝ってきた理淑を佑崔が驚いて見る。


「佑崔殿に勝つって目標を達成してないから、とか言っちゃったから、佑崔殿が絡まれちゃって」


 俯いてぼそぼそと言う理淑に佑崔が苦笑する。


「まあ、それは大丈夫です……」


 しかし、そう答えた佑崔を、理淑が頬を膨らませて見上げた。


「でもさ、昨日、秀太子との手合わせで佑崔殿がちゃんと勝ってくれたら、さっきみたいなこと言われなかったのに。わざと負けたでしょ」

「……買い被りすぎです。秀太子はお強いですよ」


 佑崔が言うと、理淑が、むう、と眉間に皺を寄せて唸る。


「まあね。確かに、強いんだよね。今日も手合わせに長いこと付き合ってくれたんだけど、あんなに大きいのに、ものすごく動きが早いんだよ。力も強くって。おまけに全然息が切れないの」

「ええ」


 理淑が壮哲と話をしている騎駿に目を遣る。


「でも明日帰るってことだから、もう大丈夫かな」

「帰ることになったけど諦めないって言ってませんでしたか」

「あれ、聞いてたの」

「聞こえました」


 うーん、と首を捻っていた理淑が、何か思いついたように佑崔に勢いよく振り向いた。


「ねえ、さっきの秀太子の言い方なら、逆に、秀太子が佑崔殿にメッタメタに負ければ諦めるってことだよね?」


 騎駿が佑崔と手合わせをしようとしたのは、自分に無残に負ける佑崔を理淑に見せつけることによって、佑崔に見切りをつけさせるためだ。


「だから、佑崔殿が秀太子にものすごい感じで勝てばいいんだよ」


 妙案だとばかりに勢いこむ理淑に、佑崔が苦笑する。


「無茶言わないでください」

「えー? 無茶かなぁ」

「無茶です」


 理淑は、そう? と一応引き下がったが、佑崔の顔を下から覗くように見た。


「でも、もしまた手合わせすることになったら、手を抜かないでね」

「まあ、それは」

 

 佑崔が眉を下げると、理淑が言った。


「あ、でもでも、もし万が一負けても、私の目標が佑崔殿に勝つことっていうのは変わらないからね」


 そう言い切る理淑に、佑崔は問うような目を向けた。しかしふと、理淑の腰帯から下がっている香嚢が視界に入り思わず声に出していた。


「その香嚢……」

「あ、これ? 礼晶殿に貰ったんだ」


 理淑が手にとって刺繍を見せる。


「佑崔殿も貰ったんでしょ?」

「ああ、はい」

「ちゃんと着けてる?」

「羽林の控え室にあります」

「え! 身に着けとかないと効果ないと思うよ?」

「そうなんですが……」


 気まずそうに横を向いた佑崔を見て、理淑が思い出したように言った。


「そう言えば、礼晶殿、あの後大丈夫だったかな」


 昨日、泣きながら護衛に連れられて帰るのを見送ってから、礼晶に会っていない。


「経史殿があの後、何があったのか聞きに来られました。とりあえず礼晶殿は大丈夫みたいですよ」

「そっか。よかった」


 理淑がほっと息を吐く。しかし、ぶふ、と吹き出した。


「……って、いつの間にか礼晶殿の兄上と仲良しになってる!」


 楽しそうな理淑に、佑崔が眉を顰める。


「止めてください。仲など良くはありません」


 嫌そうに言う佑崔を、まあまあ、と宥めながら、理淑は手に持ったままの香嚢の刺繍を見た。

 朱雀はやっぱり可愛らしい(あひる)に見える。

 ふふ、と理淑から笑いが漏れる。


「礼晶殿って、時々突拍子が無いけど、可愛くって一生懸命でいい人だよね」

「まあ……そうですね」

「私、礼晶殿のこと好きだよ」


 そう言った理淑の横顔を佑崔が見る。


「お二人、少し似てますね」

「え? そう?」


 意外そうに驚く理淑に、佑崔が、ええ、と頷く。


「あ、そうか。兄上が過保護なとことか?」

「それもそうですが、例えば、見かけによらず無鉄砲なところとか」

「そうかな」


 首を傾げて理淑が、うーん、と考える。


「似てるかはともかく、確かに、あそこで私を助けようとして礼晶殿が棒を持ってやってきたのにはびっくりした」

「本当です。肝が冷えました」


 涼しげな顔をしかめる佑崔を理淑が見上げた。

 そして、何かを言いたげに口を開いたが、そのままにこりと笑顔を作った。


「でも、本当に怪我がなくてよかったよね」

「ええ」


 溜息をつく佑崔に、ね、と理淑が笑って前を向いた。

 




**





 騎駿の送別の宴が終わり、今や蒼国での常宿になっている涼美殿に引き上げた月季は、庭に出て石椅(ながいす)に腰掛けた。冷たい夜気は火照った頬には心地よい。

 月を隠していた雲はいつの間にかいなくなり、置いてきぼりにされた青白い月が立ちすくむようにぼんやりと浮かんでいる。

 月季は夜空に向けて吐いた息が、月を隠すように流れるのを眺めていた。


「ここにいたのか」


 声に振り向くと、歩いて来る壮哲が手を上げ、月季の顔を見て微笑んだ。


「飲みすぎたのか? 顔が赤いぞ」

「そう? そうね。そうかも」


 灯籠の明かりを受け、潤んだ目元をほんのりと赤くした月季はいつもよりも艶やかだ。

 横に座り壮哲が月季の顔を覗く。


「寒くないか?」

「平気よ。少し酔ったみたいだから、ちょっと冷ましに来たの。冷たくて気持ちがいいわ」


 頬を冷やすように両手を当てて微笑む。

 機嫌が良い様子の月季に壮哲が目元を緩ませる。


「それにしても薄着だな。風邪を引くぞ」


 そう言って壮哲が羽織っていた上着を脱ぎかけたのを、月季が押しとどめる。


「いいわよ。貴方が寒くなるじゃない」

「じゃあ、こうしよう」


 壮哲が月季の後ろに座り直し、羽織ったままの上着で抱えるように月季をくるんだ。


「や……っちょっと……!」


 焦る月季に構わず、壮哲が笑う。


「温かいだろ?」


 すっぽりと包まれ、頭のすぐそばで聞こえた声に月季が肩をすくめた。

 伝わって来る背中の温もりは、安心する一方で月季の鼓動を早くする。すぐそばで壮哲の声がするのも、どうにもくすぐったい。火照った頬を冷まそうとしていたのに、却って頬は熱くなった。

 こうしたことに最初の頃より慣れてきたとは言っても、やっぱりまだまだ緊張するのだ。


「……そうだけど……」


 そう呟いて腕の中で大人しくなった月季の手に壮哲が触れた。


「手が冷たいな」


 月季の手を包むように握ると、壮哲が言った。


「何だかばたばたして悪かったな。昨日もゆっくり話もできなかったし、今日も宴につきあってもらって」

「こちらこそ取り込んでる時に急に来て悪かったわ」

「いや。来てくれて嬉しい」


 言葉どおり嬉しそうな壮哲の声に、ならよかったわ、と月季が顔を俯けた。


「……秀太子は理淑殿に求婚しにきたのね」


 早いままの鼓動を押し隠すように、月季が話を変えた。


「ん? ああ。……理淑に聞いたのか?」

「違うわ。さっき、宴の席で秀太子から聞いたの」


 ふいに月季から苦笑が漏れる。


「勝手なのは相変わらずだったわ」


 でも、と少し首を傾けて考えた後に月季が言った。


「……秀太子、理淑殿のことを本当に好きなのかも」

「どうしてわかる?」

「だって、あの傍若無人な秀太子がわざわざ飲み物を持って行ったのよ? あんなふうに気を遣うところ、初めて見たもの」


 月季が自分の言葉に頷いて続ける。


「それにあの無表情な人が、理淑殿とは楽しそうに話してたわ」


 壮哲は宴で騎駿が理淑と話をしていた様子を思い返してみた。


「……私にはよくわからんな……」

「そう? だって、笑ってたわよね」


 更に壮哲が考え込んで唸る。


「……さっぱり違いがわからん……」


 その言い方に思わず笑った月季を壮哲が覗き込む。


「月季殿は秀太子と親しいんだな」


 ようやく肩の力が抜けて壮哲にもたれかかっていた月季が、身体を起こして嫌そうな顔を見せた。


「やめてよ。そんなわけないじゃない」

「そうなのか?」

「兄上とは割と仲が良いから昔から知ってるだけ」


 念を押すように言うと姿勢を元に戻し、何かを思い出したように眉を顰めた。


「貴方こそ……」


 言いかけて言葉を切ると、月季が改めて聞いた。


「……そういえば、花姚君が私のフリをしてきた時、貴方はすぐに偽者ってわかったの?」

「ああ。もちろん」

「本当に? でも、すごく似てるって言ってたじゃない」

「そうだな。ぱっと見は月季殿だと思った。でも、何か違うな、と思って目を見たら、これは月季殿じゃないとすぐにわかったぞ」

「ふうん」


 生返事の後に、月季が探るように言った。


「……何か怪しい薬を使われそうになったって言っていたわね」

「ん? ああ。妙に甘ったるい匂いがしてくるし、どうも不自然にすり寄って来るし、おかしいと思ったんだ」

「……ふうん」


 月季の声の温度が下がる。


「すり寄ってきたのね」

「ああ。月季殿ではあり得ないからそれで確信したな」

「何よそれ」


 抗議の声に壮哲が笑いで返す。

 しかし月季は不機嫌なまま、左の手のひらを右の親指で摩り始めた。


「……まさか、その……いかがわしいこと……をしたのではないでしょうね」

「いかがわしいこと?」

「……口紅に薬を仕込んでいたって……」


 不貞腐れた声で呟く月季を見て、壮哲はその言わんとしたことを察した。


「ああ。なるほど」

「……花姚君は親しげだし、そのことを花姚君に聞いていた時に、貴方は急に話を変えたし……」


 詰る言葉に、壮哲が、うーん、と唸った。


「妬いてくれるのは嬉しくなくはないが、疑われるのは心外だな」


 黙り込んだ月季が珍しく拗ねたように口を尖らせる。

 子どもっぽい仕草に思わず壮哲が笑うと、月季が身体をひねって壮哲を睨んだ。


「何がおかしいの」

「いや。可愛いなと思って」

「そうやって誤魔化す気ね?」

「まさか」


 そう言って笑い、手のひらを擦り続けている月季の手を握ると、壮哲は見上げてきた月季に顔を寄せた。


「本心だって」


 そして月季の唇にそっと口付けをした。

 顔を真っ赤にした月季が動揺で瞳を震わせながら壮哲を睨む。


「……ほら、やっぱりそうやって誤魔化す気だわ」

「違う」


 壮哲は赤い顔で睨む月季に微笑み、再び月季の唇に口付けた。

 ゆっくりと唇を離すと、長い睫毛の下で揺れる琥珀色の瞳を愛おしげに見つめる。


「私が月季殿を間違えるわけがないだろう。だから偽者にこんなことはしない」


 壮哲の言葉に、月季は耳まで赤く染めて「そうやって……貴方っていつもずるいわ」と顔を隠すように壮哲にもたれかかった。


「その言い方も心外だな」


 壮哲は嬉しそうに笑うと、月季を包むように抱きしめた。





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