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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −白及の巻−
178/192

二年季冬 雉雊 5



「へ?」


 理淑から間の抜けた声が出る。

 二人の打ち合いを囲むようにして見守っていた兵士たちも、え、と声をあげて固まった。


「聞こえなかったか? 私の……」

「えっと、聞こえましたけど冗談ですよね」


 騎駿が同じ台詞を繰り返す前に理淑が遮る。騎駿は腕を組んで不機嫌に見える強面を傾ける。


「いや。冗談のつもりはない。夏県主の剣術と夜雨が懐いているのを見て決めた」

「ええーっ!?」


 驚愕の声は、理淑ではなく見守っていた兵士たちのものだ。騒然とする周囲の反応にも騎駿は顔色一つ変えない。


「秀太子、ここはそういった話をする場ではございません」


 曹将軍が苦い顔をして諫めるが、騎駿は全く悪びれる様子もなく平然と言う。


「解っている。先ずは夏県主の意向を確認しておいた方が良いと思っただけだ」


 それに対して理淑が、うーん、と口を尖らせる。


「なんか、すごく適当じゃないですか?」


 理淑は理淑で他人(ひと)ごとのように応える。少なくとも、囲んでいる兵士たちよりも格段に落ち着いている。


「いや。適当ではない。前回蒼国に来た時から考えていたんだ」

「前回って、黯禺が出た時ですか?」

「そうだ」

「えっと、そんな話になりましたっけ」

「いや」

「ですよね」


 理淑が首を傾げる。夜雨とは遊んだが、騎駿とは挨拶を交わした程度だ。

 呆気に取られる兵士たちを尻目に、それが何だという態度で、騎駿が腕を組んだまま言い渡す。


「我が墨国の王は、武神玄天上帝に加護をいただいている。其方も知っているようだが、王の子のうち最も強い者が後を継ぐ。墨国を統治するには強い者である必要があるからだ。だからこそ、その妃にも、武に秀でていることが求められる。これは国としての条件だ」


 鋭い切長の目を細めて理淑を見ながら騎駿が続ける。威嚇しているように見えるが、機嫌は悪くないらしい。


「剣術に関しては、今日、其方と手合わせをして確かめさせてもらったが申し分ない。素晴らしい腕前だ」

「いやー、それほどでも」


 褒められて緊張感なく照れる理淑を、兵士たちがはらはらしながら見る。


「それに加えて、滅多に人に懐かない夜雨が其方をすこぶる気に入っている。これは私にとっての望ましい条件だ。だから、先回ここに来た時に、夜雨が其方に懐いているのを見てから考えていた」


 ふざけた理由に聞こえるが、本気のようだ。心なしか一瞬、冷淡な瞳が和らいで見える。

 理淑は、うーん、と尚も唸りながら額を掻いた。


「夜雨はかわいいし、馬の群れも見たいけど、でも、お断りします」

「何故だ」


 憮然とする騎駿を理淑が真っ直ぐ見る。


「私は蒼国のために働きたいんです」

「其方は王族だろう。王族として婚姻によって他国との縁を繋ぐことは、蒼国のためになることだと思うが」

「確かにそうかもしれませんけど」

「それに、其方は剣の道を極めたいと思っていると見受けた。我が国は武の国だ。剣の腕を磨きたければ、蒼国にいるよりも我が国で鍛えた方が力がつく」


 理淑が、むう、と眉を顰める。


「……そっか……。墨国へ行けば、剣をもっと学べるというのはいいですね……」


 理淑から出た言葉に、おいおい、と髭の先輩兵士が慌てて声を上げる。同僚兵士たちの気を揉む声を背に受けながら、理淑が改めて騎駿を見上げる。


「でも、私が強くなりたいのは、自分の手で蒼国の人たちを守るためなんです。だからそのお誘いは受けられません」


 そして、鼻息荒く言った。


「それに、まだ目標を達していないので」


 騎駿が眉間に深く溝を刻む。


「目標とは何だ」

「佑崔殿に勝つことです。まずはそれを達成しないと」

「佑崔?」


 強面を更に厳しくしたところで、鍛錬場の外から騎駿を呼ぶ声が聞こえてきた。

 やってきたのは騎駿を探す佑崔だった。


「あ、佑崔」


 兵士の一人が言ったのを耳にして、騎駿が走ってくる佑崔へと身体の向きを変えた。


「秀太子殿下、こちらにいらしたのですね」


 佑崔が騎駿の前にたどり着く。


「困ります。勝手にあちこち出歩かれては」


 弓形の眉を下げて言う佑崔に、騎駿が低い声で咎めるように言った。 


「其方か」

「……はい?」


 騎駿がじろじろと遠慮のない視線で佑崔を()め回す。


「どうかされましたか」

「私と手合わせをしろ」


 突然の命令に、佑崔は一瞬面食らったように騎駿を見上げたが、静かに頭を下げた。


「我が君が殿下を待っておりますので、速やかに部屋へお戻りください」

「其方と手合わせしたら戻る」


 佑崔が下げていた頭を上げて騎駿を見返す。騎駿は腕を組み、一歩も引かぬ構えだ。

 渋い顔で立っている曹将軍に、何があったのかと佑崔が目で問うと、それを遮るように騎駿が言った。


「其方が一本付き合えば良いだけの話だ」


 佑崔が騎駿に視線を戻す。

 そして言った。


「承知しました。では、一本だけ」


 佑崔が曹将軍に、いいですか? と聞くと、溜息と共に首肯が返された。

 騎駿はそれを確認する前に位置につき、腰の剣を抜いた。佑崔もその向かいに立ち、静かに剣を抜く。

 集まってきていた兵士が再び大きく場所を空けた。


「では、よろしくお願いいたします」


 佑崔が礼儀正しく頭を下げるや否や、騎駿はいきなり打ち掛かってきた。見守っていた兵士たちが、思わず声を上げる。

 しかし、佑崔はひょいと軽く横へ跳ぶと、何事もなかったように剣を握り直した。

 佑崔の気負いのない、肩の力の抜けた静かな構えに騎駿が目をすがめる。

 二人は動かないまましばしの間向き合った。

 突然、金属のぶつかる音が響いた。いつの間にか騎駿が佑崔に長い剣を振り下ろしている。騎駿が大柄な身体を、そうとは思えない身軽さで自在に操る。

 佑崔は受けていた騎駿の剣を器用に逃して横に跳んだ。それを追う振り向きざまの騎駿の剣が佑崔の肩口を襲ったが、佑崔は剣で防ぐ。

 その剣で押される力を利用して後方へ跳び退くと、騎駿も追うように踏み込み、激しく剣がぶつかる音が連続する。

 何度か剣を交差させた後、佑崔が再び跳び退いた。続いて即座に、びゅん、と空を切る音が耳に響き、気がつくと長い剣は佑崔の鼻先でぴたりと止まっていた。


「参りました」


 佑崔が穏やかなままの目を細め、静かに言った。


 固唾を飲んで見守っていた兵士たちがどよめく中、佑崔はゆっくりと剣を下ろした。

 しかし騎駿は、剣を佑崔に向けたまま、その厳つい顔に怒気を孕ませた。


「……お前」


 低い声で言った騎駿に、佑崔が剣を仕舞い、一歩下がって拱手する。


「我が君が待っておりますのでお戻りください」


 穏やかに言った佑崔を騎駿が忌々しそうに見つめる。しかし、


「まあ、今回のところはいい」


 そう言うと、剣を鞘に収めながら夜雨を呼び、来た時よりも更に大股で歩いて行ってしまった。


「佑崔!」


 見守っていた兵士たちが佑崔を囲む。


「お前、何だよ! 何負けてるんだよ!」

「そんなこと言われても……」


 佑崔が眉を下げる。

 その少し離れたところで、理淑が口を尖らせて佑崔を見ていた。

 佑崔はその顔を、ちらとだけ見て、騎駿の後を追った。





 不機嫌な顔で戻ってきた騎駿を、壮哲が昊尚と共に応接室で迎えた。

 向かいあって座ると、壮哲が(にこや)かに言った。


「先日の騒動の折には、協力いただき助かりました」


 受叔の騒動の最中に、大雅からの伝言を夜雨に持たせてくれたことは、結果的に勝因の一端となった。

 しかし壮哲の感謝の言葉に騎駿は愛想の一つも見せず、「私は何もしておりません」と頭を下げた。

 なるほど本国で”氷点の黒太子”と渾名されるわけだ、と壮哲が内心で納得する。


「今日はどうされた。秀太子が蒼国へ来られるとは珍しいのでは?」


 世間話は性に合うまい、と早々に本題へ入ることができるように水を向けると、騎駿が顔を上げた。


「突然伺い、申し訳ありません。現在魁族とは小康状態を保っていますので、私も以前より安心して本国を離れることができるようになりました」

「……魁族との停戦の話は、まことだったのですね」

「はい。最近首長が代替わりして、方針が変わったようです」


 その先の言葉を待ったが、方針の内容については話すつもりはないらしい。

 騎駿は無表情のまま、本来の目的であろう来訪の理由を口にした。


「実は、魁族との交渉を進める前に確認したいことがあり、こちらに参りました」

「確認したいこととは」

「夏家の県主殿を我が妃に貰い受けることの可否です」

「ほう」


 思わず壮哲から驚きの声が出た。

 横に座る昊尚の眉がぴくりと動く。表情は一見変わらないが、青みがかった黒い瞳に冷ややかなものが浮かぶ。

 漂ってくるぴりりとした空気を感じつつ、この場には英賢が居なくてよかった、と内心で冷や汗を拭いながら、表面上は平静を保って壮哲が言った。


「それはまた唐突な。その理由を聞いてもよろしいか」


 すると騎駿はやはり無表情のまま答える。


「魁族の方針の変更により、我が国が取るべき方策の選択肢が変わることになりました。……詳しくは申せませんが、我が妃に相応しい他国の王族を娶るか、魁族により変更された選択肢を取るか……」

「……よく解りませんが……つまり、その他国の王族というのが、我が国の夏家の県主だと」

「はい。夏理淑県主です」


 騎駿の言葉に、壮哲の後方に控えていた佑崔が思わず顔を上げる。すると騎駿は佑崔を、敢えて、というように一瞥した。

 壮哲は「なるほど……。理淑ですか」と腕を組む。

 騎駿は壮哲へと視線を戻し、淡々と言った。


「我が国は武の国です。王や太子はもちろんのこと、その妃にも武に秀でていることが求められます。夏県主は墨国の太子妃として申し分のない剣の腕を持っています」

「よくご存じですね」

「先ほど、手合わせをしました。その際に我が妃として適任だと確信を得ました」


 壮哲は騎駿の何を考えているのか今ひとつわからない切長の目を真っ直ぐに見て、慎重に言った。


「貴国と交誼を深めることはやぶさかではありません。王族同士の婚姻が成れば、その結びつきは強くなるでしょう。しかし、夏理淑は県主ではあるが、将来、我が軍の中心的役割を担う人物になるだろうと期待される者なのですよ」

「おっしゃることは解ります。それを承知の上で、申し上げております。だからこそ、我が国の太子妃、つまり、ゆくゆくは王妃となるに相応しい人物なのです。それに私個人としてもかなり夏県主を気に入っております。是非、妃に迎えたいと思うほどに」


 騎駿が氷点の黒太子と渾名される所以でもあるのだろう。表情は依然として無表情、声の温度も低い。しかし、その内容はかなり熱量のあるものだ。


「……そうですか。太子の意向は承知しました……が……」


 壮哲がどう答えようかと躊躇すると、騎駿が先回りするように口を開いた。


「無理に夏県主を墨国に貰い受けることは、私の本意ではありません。ですから、夏県主が墨国に来ても良い、と承諾したら、この件をお許しいただけますか」

「……それは、理淑の意志に任せたい、ということですか」

「はい。実は先ほど、夏県主に打診してみたのですが断られました。しかし、まだ交渉の余地はあると考えています」


 騎駿が言った。



 


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