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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −白及の巻−
176/192

二年季冬 雉雊 3



 梨泉は敬安と秋玉がいたはずの部屋へやってきた。

 声をかけてみたが返事はない。中へ入っても、侍女の言う通り、部屋には誰もいなかった。


「家の中は探してみたのね?」


 後をついてきた侍女に、部屋を見回しながら声を掛ける。

 次の間にある寝台を確認するが、その一つは使った形跡もない。


「はい。お屋敷の中で迷っているのかと思って、手分けをしてひと通りは探しました」

「そう……」


 迷っているのであれば、すぐに見つかるだろう。故意に隠れているのでなければ。


 もしくは。


 梨泉が物憂げに細い指を頬にあてた時、門を確認してくるように指示してあった侍従頭が渋い顔でやってきた。


「どうだった?」

「裏門の(かんぬき)が抜けたままになっていました……」


 梨泉から思わず溜息が漏れる。


「……じゃあ、やっぱり出て行ったんでしょうね」


 そう結論づけ、侍女たちに振り返って聞いた。


「あの二人、昨日の夕餉の後は何をしていたの?」

「早いけれどもう休みたいと言われたので、お部屋にお送りした後は……何をされていたのかは……」


 侍女が答えると、その後ろにいた若い下女がおずおずと言った。


「……あの、夜中に厠に行こうとしたら、連れの方とお会いしました」

「夜中に? 連れの女性だけ?」

「はい。真夜中を過ぎた頃でした。迷ったとおっしゃったので、厠へご一緒いたしました」

「その後は部屋へ戻ったのね」


 下女が、はい、と頷く。するとそこへ杏湖が慌てた様子でやってきた。


「敬安さんがいなくなったというのは本当?」

「そのようね」


 梨泉が答えると杏湖が、そんな、と呟く。純栄に代わってあれこれと敬安を気にかけていたのは杏湖だ。


「……ねえ、うちにいた間、あの子はどんな感じだった?」

「どんな感じって……?」


 梨泉が聞くと、杏湖が腑に落ちない顔のまま聞き返す。


「何をして過ごしてたの?」


 六日ほど敬安はこの家で過ごした。その間、何をしていたのだろうか。梨泉は昼間は仕事に出掛けているので良く知らない。


「私もずっと付いてたわけではないから、全て把握しているわけではないけど……庭や屋敷の中をあちこち探検している感じだったわ」

「割と自由に過ごしていたのね」

「子どもだから、じっとしてもいられないでしょう? 同じ年頃の遊び相手もいないし、好きなようにしてもらってたわ」

「家中を歩き回っていたってことね」


 梨泉が言うと、侍従頭が補足を入れる。


「とは言っても、奥様や旦那様や梨泉様たちのお部屋には入らないように、と釘を刺しておきました」


 しかし侍女が侍従頭をちらりと見て遠慮がちに言った。


「でも、やっぱりまだ小さな子どもなので……」

「……その言いつけは守ってなかった、ということね……」


 梨泉は呟くと、杏湖に聞いた。


「あの子、うちに来たその日も父上の部屋に入ってたわよね」

「え? 敬安さん? ああ、そうね」


 壮哲に見つかって、酷く怯えていたと言っていた。怖い思いをした割に、またその部屋へ入っていったということだ。

 改めて部屋の中を見回す。特に変わった様子はない。なくなっているものもない。強いて言えば、恐らく敬安に着替えさせていた服を、そのまま着て行ったというくらいだろう。


 梨泉は迷った挙句、侍女に言った。


「一応、何かなくなってるものがないか、確認してくれる?」

「え? あの子が何か盗って行ったっていうの?」


 杏湖が目を丸くする。


「そうは思いたくないけど、何も言わずに姿を消したのよ。迎えに来た大人も一緒にいなくなったんだから、念のため確認はすべきよ」


 そう言うと、後を杏湖に任せ、梨泉は縹公の部屋へと向かった。




「父上」


 部屋に入ると、縹公はすでに登城の支度を済ませていた。


「どうした?」

「例の子とその連れの女性が黙っていなくなったの」


 田秋玉が訪ねてきたことは、昨夜遅くに帰ってきた縹公にも話してある。

 驚いた顔で振り返った縹公に梨泉が更に言う。


「どうやら夜中から今朝のうちに出ていったみたいなんだけど」

「私の子ではなかったという話をしたのか」

「いいえ。そのことは言っていないわ」


 梨泉が首を振る。


「……あの秋玉という人が、やっぱりあの子を連れて帰りたいって言ったから、母上があの子を気に入っているから母上が帰ってくるまで待って、っていう話はしたんだけど」


 縹公が、ふむ、と顎に手を当てる。


「じゃあ、あの子をうちに取り上げられると思って連れて逃げたか」

「そうなのかしら……。でも、是非ともうちの子に、とまでは言っていないのよ」

「……じゃあ、慌てて連れて行かなくてもいいような気がするな」

「そうよね」

「何にせよ、一言もなく出ていくというのは解せんな」

「そうなの。書き置きすらなかったのよ」


 梨泉の声が尖る。


「そもそも、あの田という人、最初に来た時も子どもを一人で置いて行ったりするような人だから、非常識な人なのかもしれないけれど」

「……そうだな……」

「……会って話してみた時は、悪い人ではないと思ったのに……。ごめんなさい。私の判断が甘かったわ」

「まあ、仕方ないさ。そう気にするな」


 縹公に言われて梨泉が頷く。


「……でも、今、念のため何かなくなったものがないか、確認してもらってるところよ。この部屋にもあの子が入ってたみたいなのだけど、大丈夫?」


 縹公が部屋の中を見回し、文机や、抽斗(ひきだし)をいくつかあけて確認する。


「見た限り、この部屋からは何もなくなってないと思うが……」


 部屋には高価な置物などがあるが、それもそのままだ。


「母上の宝石とかも大丈夫だったわ」


 縹公は、そうか、と唸るように呟き、眉を下げて言った。


「……何にせよ、あの子がいなくなったと聞いたら純栄ががっかりするな」


 梨泉も、そうね、と溜息をついた。








 


「佑崔様……!」


 皇城へ向かう途中、鈴の音のような声に名前を呼ばれて振り向くと、大男を引き連れ、とてとてと走ってくる礼晶の姿が見えた。

 佑崔は礼晶がやってくるのを立ち止まって待った。


「……申し訳……ありません。お忙しいところを……」


 ようやくたどり着いた礼晶は肩で息をしている。


「……大丈夫ですか?」

「すみません。……お姿を見つけて焦って走ってきてしまいました」

「何かご用でしたか?」


 あれで焦って走ってたというのか、と思わず笑いが漏れそうになる。しかしそれを堪えながら聞くと、礼晶はごそごそと持っていた荷包(きんちゃく)を開けてさらに小さな袋を取り出した。


「あの、これをお渡ししたくて……」


 佑崔が困ったように首を傾ける。


「また母からですね。すみません。母に付き合わせてしまって」


 そう言いながら手を差し出そうとすると、


「あ、いえ。今日は違うのです」


 礼晶が形の良い大きな目で佑崔を見上げ、頬を染めて言った。


「これは私からです。香嚢(こうぶくろ)です」


 受け取ろうとした佑崔の手が止まる。

 礼晶は香嚢を両手で掲げたまま俯いた。


「あの……とても良い香草を手に入れましたの。身を守ってくれる効果が高いものだそうです」


 香嚢は香料を入れて使うほか、邪気を払うという生薬などを入れて身につけるお守りのような使い方もする。


「佑崔様は陛下の護衛で危険な目に遭われることもあるとお聞きしましたので……」


 佑崔が受け取るのを躊躇していると、ふいに刺さるような視線を感じ、はっと顔を上げた。礼晶の後方に続く塀の先から何やら不穏な空気が漂ってくる。よくよく見ると、曲がり角から四角い顔がこちらを覗いている。礼晶の兄の経史だ。

 経史と目が合い佑崔が固まっていると、経史が礼晶の背後あたりまでじりじり近付いてきた。礼晶の護衛の大男が経史に場所を譲るように横へ退く。


「ええと……」


 佑崔が礼晶と経史を交互に見る。

 礼晶は経史に気付いていないようで、香嚢を佑崔に捧げるように持ったまま下を向いている。その後ろで経史が佑崔に向けて激しく頷いているのである。

 受け取れという合図らしい。

 手を止めたままの佑崔に、経史が視線で催促する。

 佑崔はついその圧に負けた。


「……あ……りがとうございます……」


 掲げられた礼晶の手のひらから、佑崔がそっと香嚢を手に取った。手のひらが空になったのに気付き、礼晶は顔を上げて嬉しそうに笑った。


「香嚢は私が作りました。初めてなので自信はないのですが、刺繍も頑張ってしてみました」


 香嚢を改めて見ると、ぽってりとした翼の鳥の刺繍が施されている。


「お上手ですよ。この(あひる)も、とても良くできていると思います」


 佑崔が言うと、礼晶が頬を染めて恥ずかしそうに俯いた。


「……あの……鴨ではなくて……朱雀(すざく)です……。朱雀は邪気を払うと言われているのでちょうど良いと思ったのですけど、すみません、難しくて……」

「あ……え? ああ、本当だ。朱雀です。どう見ても朱雀でした」


 慌てて取り繕う。

 経史のじっとりとした視線を感じるが、佑崔は気付かないふりをして話を変えた。


「そういえば、剣術の稽古はまだ続けるのですか?」

「はい。毎日、素振りをしています。少しずつできるようになってきました」

「そうですか。理淑様の教え方はどうですか?」

「とっても親切に教えてくださいます!」


 礼晶が嬉しそうに言うと、突然、礼晶の背後の経史が口を開いた。


「そうだ、斉殿。ちょうど良い機会だ。斉殿が礼晶に教えてやってもらえないだろうか」

「え!? 兄上!? どうして!?」

 

 礼晶がびくりと驚いて振り返る。


「私が教えてやれると良いのだが、剣術はさっぱりわからなくてな。さあ、斉殿、是非よろしく頼む」


 そう言って、ぐいぐいと礼晶の背中を押す。


「兄上ったら! やめてください」

「何を言うか。こんな機会は滅多にないぞ」

「もう! 兄上!」


 礼晶が経史から逃れて、逆に経史の背を押して帰らせようとする。

 その孫兄妹のちまちまとした小競り合いに思わず佑崔が笑うと、礼晶が振り返って佑崔を見た。


「ああ、すみません」


 佑崔が笑いを収めて謝ると、礼晶は耳まで真っ赤にしてふるふると首を振る。

 礼晶が動きを止めたために自由になった経史が、佑崔の目の前に来て改めて頭を下げた。


「斉殿、お願いいたす」


 しかし佑崔は苦笑して答えた。


「勤務中ですし無理です」

「斉殿は堅いな」

「……経史殿も仕事中なのではないですか?」


 佑崔が言うと、経史は「そうであった」と手のひらで額を叩いた。そして、「たまたま通りかかっただけなんだ」と言い訳をすると、では、と名残惜しそうに何度も振り返りながら去って行った。

 角を曲がって経史の姿が見えなくなると、佑崔は言葉を選んで感想を述べた。


「経史殿は……面白い方ですね」


 すると、礼晶は、はい、と楽しそうに笑った。

 その屈託のなさにつられて佑崔も微笑む。

 礼晶の笑顔はまわりを照らすように明るい。経史の言っていたとおり、素直で気立も良さそうだ。

 母上が気に入るのもわかる気がする、と佑崔は初めて礼晶のことを考えた。

 皆が言うとおり、縁談の相手としてこの上ないご令嬢なのだろう。

 思えば、斉家の跡取りでありながら、今まで自分の好きなようにさせてもらってきた。そのことに申し訳なさを感じないわけではない。


 ——母上の望むとおりにしたら、親孝行になるだろうか。


 ふと、頭を掠めた。


 




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