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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −白及の巻−
174/192

二年季冬 雉雊 1




 朝議の後、青公と都省長官の斉公謹が別途打ち合わせのため、壮哲の執務室へと向かっている。壮哲の後ろを歩いていた佑崔を英賢が呼んだ。


「何でしょう?」


 立ち止まった佑崔に追いつくと、英賢は少し声を落とした。


「ねえ、佑崔。理淑が孫尚書のご息女に剣を教えてるって知ってた?」

「え……ああ、はい……」


 再び歩き出しながら、佑崔が英賢へ視線を向けず歯切れの悪い返事をする。


「何だ。知ってたの」

「……昨日聞きました。礼晶殿が剣術に興味を持たれたとか」

「うん。佑崔の鍛錬姿を見て、自分も剣をやってみたいって思ったんだって。それで、教わるならば女子の方がいいってことで理淑にお願いにきたみたい」

「はあ……そうなんですか」


 佑崔の上がり気味の眉が困惑して下がるのを英賢が覗き込む。


「……礼晶殿と何かあるわけじゃないよね?」

「何かとは何でしょうか」

「孫家から縁談の申し出があったんだろう?」

「ああ……そのことですか。はい。でも、それは白紙に戻っています」

「だよね」


 貴族同士の婚姻は派閥の形成に関わる。司空としての英賢はその辺りの情報収集にも抜かりがない。だから孫家から斉家への縁談の申し入れについても当然のことながら把握していた。

 だが、縁談が白紙に戻った後も、佑崔の母親が礼晶を気に入って、佑崔に近付けようとしていることまでは流石に知らないようだ。


 首を傾げている英賢に佑崔が言った。


「理淑様は……大丈夫でしょうか」


 思わず英賢が目を瞬かせて佑崔を見る。


「ちゃんと礼晶殿に教えることができるでしょうか」


 続いた言葉に英賢から苦笑が漏れた。


「……ああ、そっちね」

「え?」

「いや、ごめん。何でもない。ええと、それはどういう意味?」


 英賢が誤魔化すように聞き返すと、佑崔が続ける。


「理淑様の剣の腕は確かです。ご本人は無茶な方ですが、教える際に他人に無茶を強いるような方ではないですし、教えること自体は大丈夫だろうとは思うのですが……」


 涼しげな目元を憂鬱そうに伏せる。


「でも、礼晶殿は全くの初心者です。それに相手が相手……あの孫氏のご息女です。もし万一、怪我でもするようなことがあれば……孫氏が黙っていないのではないでしょうか。面倒なことになるのじゃないかと……」

「うん。まあそうだね」


 英賢は再び苦笑いを漏らすと、先日あった経史からの抗議の顛末を佑崔に話して聞かせた。


「だから釘を刺しておいたよ。そもそもあちらのご息女が言い出したことを理淑が厚意で引き受けただけだからね。勿論、怪我のないようには気を付けるけど、必要以上に干渉するようならばこちらにも考えがあると」


 にこやかに話しているが、実際に言われた方はさぞかし肝が冷えたことだろう。その情景は容易に目に浮かぶ。

 しかし英賢の抜かりなさに佑崔がホッとした顔を見せた。

 その顔を見て英賢が微笑む。


「ありがとうね。いつも理淑を気にかけて面倒を見てくれて」


 思いがけない言葉に佑崔がつい驚きの目を英賢に向ける。


「何、その顔は。佑崔にはちゃんと感謝してるんだよ」

「いえ、そんな」


 佑崔は慌てて前を向く。

 確かにきっかけは英賢から強引に押し付けられたことではあった。しかし今や理淑のことを気にかけるのは、佑崔にとって極めて自然なことで面倒をみているという気持ちはない。だからこうして改めて英賢に礼を言われるのは思いもよらないことだった。


「私などが面倒を見るまでもなく、理淑様は一人でちゃんとやっておられますよ。すでに羽林軍でもなくてはならない存在になってます」

「そう?」

「……理淑様は才能がおありなのに剣に対して真摯でいらっしゃいます。それに、公正で正義感も強く、皆に信頼されていて、こちらも学ぶべきところが沢山あります」

「うんうん」


 溺愛する妹を褒められ、英賢が頬を緩めて満足げに頷く。


「ありがとう。佑崔にそんなふうに言ってもらえるなんて理淑も嬉しいと思うな。理淑もとても佑崔に懐いているよね」


 英賢が言うと、佑崔も目元を和ませた。


「……正直を言いますと……最初は確かに困ったことになったとは思いましたけど……弟がいたら、こんな感じだろうかと思うようになって……」

「んん?」


 機嫌良く聞いていた英賢が佑崔を二度見する。


「弟?」

「え、あ……いえ……その」


 聞き咎められて佑崔が慌てる。

 しかし英賢はふと笑いをこぼした。


「なるほど」


 英賢が一人、頷く。


「あの……」

「いや」


 英賢が佑崔の肩をぽんぽんと叩いた。


「これからも理淑のこと、よろしく頼むね」


 そう言って微笑んで向けられた碧色の瞳に、佑崔は少し、居心地の悪さを感じた。





「公謹殿、母上が何日も世話になって申し訳ないな」


 執務室に入ると、壮哲が思い出したように言った。


「いえ。妻も話し相手ができて喜んでいるのでお気になさらず」


 公謹が席に着きながら穏やかに答える。その隣に縹公も座る。


「結局、あの子は父上の子ではないようだが」

「そのようですね」


 梨泉が葛将軍に確かめたことは、壮哲や純栄にも知らされた。

 縹公は嬉々として純栄を迎えに行ったのだが、敬安を養子に迎えることに乗り気になっている純栄に、公謹に相談するまでは帰るつもりはない、と追い返されたらしい。


「早く純栄と話して家に帰るよう言ってくれ」


 身を乗り出して訴えた縹公を、まあまあ、と受け流して公謹が言った。


「養子は微妙な問題ですから。いっそのこと実子であった方が面倒がないのですけど」

「やめてくれ」


 縹公が太い眉を下げて抗議をすると、失礼、と佑崔に似た涼しげな目元を緩める。

 しかし緩めた目元を引き締めて言った。


「でも、考えてみてください。本当に縹公の血を引く子なのであれば、青家の一員として名を連ねるのに何ら問題はありません。しかし、血の繋がりのない養子だけれども縹色の瞳を持つとなると、将来正当な血筋か否かの混乱を招く恐れがあります」

「あの子を養子にすることは反対なんだな」


 壮哲が聞くと、公謹は真面目な顔で頷いた。


「正直を言えば」


 そして、縹公にもちらりと目線を送って続ける。


「少なくとも、あの子を縹公の落とし子としてわざわざ連れてきた者の真意がわかるまでは、軽々しく答えを出すことは危険かと。もう少し様子を見てからの方がよろしいと思います」

「だから母上との話を避けてるのか」


 いくら忙しいとはいえ、公謹も家には帰っている。純栄と話をする時間すらないはずがないのに、未だ純栄がきちんと相談できていないのは、公謹の方で敢えてはぐらかしているからなのだろう。


「ならばそう純栄に言ってくれればいいじゃないか」


 縹公が少し不満げに言うと、公謹が苦笑いを漏らす。


「妹……いえ、秦家の奥方様は斜め上の行動をすることがありますので、確実な答えが出てからの方がよいでしょう」

「……確かに……」


 壮哲が頷くと、縹公も唸ったまま反論はない。


「ああ、それから、朱国に問い合わせた返事を先ほどいただきました。方暁明という舞人は確かに太楽にいたようです。九年ほど前に辞めたということも事実でした」


 こういった王族に関することを処理するのは本来、宗正卿の仕事だ。しかし宗正卿は現在、壮哲と月季の婚姻のことで手一杯だ。だから公謹が純栄からの相談を受けてそのまま調べている。


「辞めた理由は?」

「そこまでは記録に残っていないようです。何せ朱国は反乱や黄朋の乱のせいもあって、紛失した文書も多いようですから。それに当時のことを知る者たちも残っていないようで、詳しいことはわからないとのことです」

「それはそうだろうな」

「辞めた後、どのように暮らしていたかはもちろん判りません。その子が言うとおりならば、戯場を調べてみた方が良いのですが、官の管轄ではありませんからね」

「そうか」

「市井の情報は藍公の方がお詳しいかと思いますが」

「……昊尚に聞いてみるか……」


 壮哲が言うとちょうど昊尚が英賢たちと執務室に入ってきた。


「どうかしたんですか?」


 席につきながら、昊尚が自分に注目している公謹と壮哲、縹公を順に見る。

 すると公謹が壮哲に言った。


「ことは青公の後継問題、ひいては蒼国の王位継承に絡んでくることです。秦家の私的な問題としてではなく、公的な問題として扱っていただいてよろしいと思いますよ」


 その言葉を聞いて、ならば、と渋い顔の縹公に目で合図を送ると昊尚と英賢に言った。


「申し訳ないな。本題の前に少し時間をもらっていいか」


 そう言って、壮哲は秦家の隠し子騒動をざっと説明をした。


「しばらく敬伯様のお元気がなかったのは、そんなことがあったからだったんですね」

「理淑が公謹殿の屋敷に行ったと言ってたのも、その件でだったんだ」


 話を聞き終わると昊尚が気の毒そうに言い、英賢は納得顔で頷いた。

 昊尚は苦い顔で腕を組んでいる縹公をちらりと見ると言った。


「朱国で一番大きな戯場ならば蝶夢苑(ちょうむえん)でしょう。……でした、というべきでしょうけど」

「でした?」


 壮哲が聞き返す。


「ええ。蝶夢苑は以前は非常に繁盛していたんですが、朱国の国情が傾いてくると民も娯楽どころではなくなりましたからね。経営状態も悪くなったようです。そうなってからは専ら、澄季妃の娯楽のために王宮に呼ばれていたようですが……武恵様の代になって、仕事も無くなり廃業したんです」

「なるほど……。他の戯場は?」

「いくつかはありましたが、蝶夢苑が廃業するより前に潰れています。首都の寧豊ですらそんな状況ですから、地方ならばなおさら存続は難しかったでしょう」


 戯場で舞人をしていた母親が亡くなったから縹公に会いに来た、と敬安は言っていた。ということは、おそくまでやっていた戯場である可能性が高いだろう。


「じゃあ、その蝶夢苑に方暁明という舞人がいたかわかるだろうか?」

「……申し訳ありませんがそこまでは存じません。でも、確かに蝶夢苑では舞踊の公演もありましたね」


 昊尚は少し考えた後に言った。


「明遠なら詳しく知っているかもしれません。朱国の喜招堂(みせ)は主に明遠に任せていましたから。蝶夢苑とも取引があったはずなので聞いてみます」

「すまん。ああ、それから、例の子は田秋玉という者と一緒に朱国から来たらしいんだ。田という者を知ってるかも聞いてもらっていいか」

「わかりました。……では、明日にでも明遠をここに呼びましょう」


 昊尚が頷いた。




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