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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −白及の巻−
167/192

二年仲冬 水泉動 2




「これが紫の青玉か」


 壮哲が執務室の卓の上に置かれた紫に輝く石を感心して眺める。


「一見すると紫晶のようだが、やっぱり違うな」


 それは蒼国の印璽よりも大きな原石で、まだ加工をしていないがきらきらと煌めいている。


「そうですね。紫の青玉は大変珍しいものです。私も喜招堂で紫色の青玉を扱うことはありますが、このように大きくて質の良いものは初めてです」

「へえ。昊尚がそう言うのなら、間違いないな」


 先日、秦家の分家が所有する鉱山で、紫色の大きな青玉が採れたと報告があった。

 蒼国と紅国の間で縁談がまとまったこの時期に、蒼色と紅色が混じり合った色である紫の大きな青玉が現れた。これはまさしく両国の固い結びつきを寿ぐ瑞兆である、とそのことを知った人々は噂した。


 それゆえ、その紫の青玉は本家へ送られ、壮哲と月季の婚礼への祝いの品として秦家から献上されたのだ。


「母上が持ってきてくれたんだが、ちょうど会議中で会えなかったんだ」


 壮哲が青玉を箱に仕舞いながら言うと、昊尚が頷く。


「折角来てくださったのに残念でしたね。純栄様にはしばらく会っていないでしょう。たまには顔を見せに帰ってさしあげたらどうですか」


 確かにここのところ、壮哲は建国二百周年記念に関連したことや月季との納采の儀などで恐ろしくやることが立て込んでいた。

 父親の縹公とは毎日顔を合わせるが、長いこと母親の顔は見ていない。

 恐らくそれもあって純栄が自ら届けてくれたのだろう。


「そうだな……」


 壮哲が頷き、傍で控える佑崔を振り返った。


「佑崔もしばらく斉家に帰ってないんじゃないか?」

「はあ、まあ。……あ、いえ……うちは大丈夫です」


 佑崔からは歯切れの悪い返事が返ってきた。


「どうした。何かあったのか」


 佑崔の方へ体の向きを変えて聞く体勢をとる。

 どう答えようか迷っている佑崔に昊尚が助け舟を出した。


「母君からの攻撃は止まないのか」

「攻撃?」


 壮哲が不思議そうに昊尚を振り返る。


「縁談の件ですよ」


 昊尚が言うと、ああ、と壮哲が納得した顔になった。

 斉家に持ちかけられる縁談が最近とみに多くなったということは壮哲も聞いていた。娘たちが皆片付いてしまい、母親の次なる目標が一人息子の佑崔の結婚となっているということも。


「母にはまだ結婚するつもりはないと何度も言っているんですが……」


 普段は上がり気味の佑崔の眉が下がる。


「陛下のご結婚が決まったことで佑崔の母君が俄然やる気になっているようですよ。公謹殿が言っておられました」


 昊尚が佑崔の父親から聞いたことを補足すると、佑崔が諦めたように言う。


「だから帰り辛いんです」


 ぼやく佑崔へ、昊尚が思い出したように言った。


「そういえばこの間、吏部郎中が護衛の侍従武官の人数を増やしたらどうかと縹公に話していたな」

「それはどういう意味ですか?」


 佑崔の眉がぴくりと上がる。


「私では心許ないということですか?」

「そんなわけがないだろう」


 少し不機嫌になった佑崔に昊尚が笑う。


「陛下の護衛に着く人数を増やして、交代制にしてはどうかということらしい」

「私がお側を離れる時は別の者に交代しています」

「いや、そういうことではなくて、実質佑崔一人に任せきりだから、負担が大きいのではないかと言っていた。家に帰る時間もないのは気の毒だと」

「余計なお世話です」


 憤る佑崔に昊尚が更に笑う。


「まあ、佑崔の場合、陛下の護衛は生きがいのようなもんだからな」

「否定はしません……」


 佑崔に壮哲の護衛を他の者へ任せるつもりはない。


「吏部郎中って、もしかして孫尚書の三男か」


 卓に肘をついて苦笑しながら耳を傾けていた壮哲がふと聞くと、昊尚が、そうです、と意味ありげに頷いた。


「なるほど。そういうことか」


 感心したように壮哲も頷く。


「佑崔に決まった相手がいるのかと聞いてきたのは、孫尚書とその長男だったよな」

「ええ、そうです。今度は三男が佑崔の勤務体制のことを気にしていたと」


 昊尚と壮哲が揃って佑崔を見る。


「孫家から縁談の話でもあったんじゃないか?」


 壮哲が聞くと、佑崔が困った顔になる。


「……実は……」


 佑崔の返事に、やっぱり、と壮哲と昊尚が顔を見合わせる。


「どうするんだ?」

「……もうお返事はしました」


 佑崔が控えめに言う。

 結果は先ほどの佑崔の台詞と今の顔が物語っている。


「二十日以上前の話ですが」

「うん? 吏部郎中が護衛のことを言っていたのはついこの間だぞ」


 昊尚が言うと、


「どういうことなんだろうな」


 壮哲も首をひねる。


「縁談の話が終わっているのであれば、佑崔の勤務に口を出す理由は何だ?」

「やはり、ただ壮哲様の護衛が私では力不足と思われているからでしょうか」


 そちらの方が気になる様子の佑崔に昊尚が少し笑う。


「佑崔との縁談を諦めてないんじゃないか」


 いやいや、と佑崔が手を振る。


「それはないでしょう。私にこだわる理由がありません。斉家に話がきたのも、王妃様の座は決まってしまったから別の結婚相手を探し始めただけですよね」


 佑崔の言い分に昊尚が首を傾げる。


「いや。礼晶殿はまだ十代だろ。急いで嫁ぎ先を探す必要はないんじゃないか。そもそも、孫家久々の女子ということもあって一家で溺愛していて、孫尚書はむしろ嫁に出したがってなかったぞ。この間の王妃候補になったのだって、"王妃"だから孫尚書も承諾したという印象だったし」


 昊尚が言うと、確かにな、と壮哲が腕を組む。


「縁談を持ち込んだのは、佑崔だから、と考えるのが自然かもな。何せ佑崔は妹を溺愛するあの英賢殿に理淑の世話を任された実績もある。礼晶殿の兄たちに気に入られても不思議ではない」


 慌てて、もうその流れは勘弁してください、と眉を顰める佑崔に昊尚が言う。


「もしかしたら、孫尚書や兄たちではなくて、礼晶殿の意向なのかもしれないな」

「まさか。直接お会いしたのは、王妃様は決まったのかと聞かれた時だけのはずですよ」

「じゃあその時だ」


 昊尚は断定すると、困惑顔の佑崔に追い打ちをかけた。


「父親、長男と三男ときたから、今度は次男が登場するかもな」


 その言葉に「やめてください……」と佑崔が恨めしげに昊尚を見た。




**




 佑崔が久しぶりに羽林軍の鍛錬場へと向かっていると、「斉殿!」と呼び止められた。


 振り向くと、四角い顔の文官が小走りにやってくるところだった。


「急ぎのところ……申し訳ない。……孫……経史と申す」


 息を切らしながら目の前に到着した男が自己紹介をした。

 経史は孫尚書の次男だ。昊尚の予言どおり、孫氏が揃ってしまった。

 心の内を表に出さないよう気をつけながら佑崔が拱手を返す。

 佑崔が顔を上げると、経史がその四角い顔を幾分こわばらせた。


「……全く……礼晶は顔の良い男子が好きだな……」

「え?」


 ぼそりと呟いたのに佑崔が聞き返すと、いや、と咳払いをしながら姿勢を改めた。


「斉殿、話があって参った」

「……何でしょうか」


 佑崔が警戒しながら聞く。


「我が孫家の礼晶との婚約の件なんだが」


 警戒を解かず、佑崔が静かに答える。


「……それはもうお返事をさせていただいたと記憶しております」


 そして頭を下げる。

 

「……陛下の納采の儀などで立て込んでおりまして、お返事が遅くなってしまったことはお詫び申し上げます」


 実は斉家に孫家からの婚約の申込みの文が届いてから返事をするまでにひと月ほど間があいてしまった。

 というのも、確かに色々と立て込んでいたのは事実だが、一番の原因は、母親がその気のない佑崔を説得しようと返事を保留にしていたことだ。どうあってもいい返事をしない佑崔に、母親がようやく諦めた頃にはひと月経ってしまっていたのだ。


 抗議をされるのならば返事が遅れたことだろう、と佑崔は先手を打って謝った。

 しかし張った予防線に対して経史も恐縮して頭を下げた。


「いや、こちらも色々と大変な時に申し訳なかった」


 公私混同しない孫尚書の子息だけあって、無茶な話を振ってくるわけではないのかもしれない。

 そう佑崔が警戒を解きかけたのも束の間。


「礼晶との婚約を断った本当の理由はなんだろうか」


 四角い顔を厳しいものにして経史が聞いた。

 佑崔は経史の質問の意図を探りながら慎重に答えた。


「……それは……文でもお伝えしたように……私は、陛下をお守りすることに全力を注ぎたいのです。ですから、大変申し訳ないのですが、今は結婚について全く考えていないのです」


 昊尚が言ったとおり、壮哲の護衛をすることは佑崔にとって生きがいでもあり、最優先事項だ。

 もし結婚したとしても、自分の性格上、家庭が疎かになる可能性が高いと思っている。良い夫になどなれない、という自覚もある。

 だから縁談を持ち込まれても、正直、困るのだ。

 

「建前ではなく、文に書いてあったとおりのそれが本心ということなのか」

「はい」


 佑崔が力を込めて言うと、そうか、と経史が頷く。


「礼晶のことが……そんなことは全くありえないが……気に食わないというわけではないのだな?」

「え? はあ……気に食わないというほど存じませんし……」


 話が妙な方向へ向かいだした気配を感じる。


「では、礼晶のことをちゃんと知ってくれればいい。それに、今は、と言ったから、そのうち、結婚について考えるようになるということだな」

「……それは……」


 つい付け加えてしまった言い回しを持ち出されて、佑崔は一瞬、言葉に詰まる。

 言葉に詰まる佑崔を見て、肯定の意と断定した経史が一歩距離を縮めた。


「こう言ってはなんだが、うちの礼晶は非常に美しいし、しかもこの上なく愛らしい。性格も素直で良いぞ」

「はあ」


 佑崔が一歩下がって生返事をする。


「それに礼晶はまだ若い。時間はある。今はその気がなくても、気持ちというのは変わるものだろう? もう少し猶予をもらえないだろうか」


 ぐいぐいと経史が押す。


「頼む……!」


 挙句にがばりと頭を下げた。通りがかる官吏が何だ何だと振り返る。

 自分よりも年上の大の男が、人目に晒されながら頭を下げている。


「……う」


 剣を持っていない佑崔は意外と勢いに弱い。


「猶予……」


 つい復唱しただけの佑崔の呟きを交渉の糸口と捉えた経史が、ぱっと顔を上げると言った。


「なに。時々茶を飲んだり、礼晶に時間を作ってくれれば良いさ」

「いや、でも、陛下のお側に常に控えておりますのでそんな時間はありません……」


 慌てて佑崔が断ると、経史が勢い込んで言った。


「ならば護衛を増やして交代制にしてもらっては……」


 佑崔の顔が急に無表情になる。

 それまで押し切ることができそうだった佑崔が急変したのを見て、失言を悟った経史はその続きを言うのを止めた。

 経史は、咳払いをして場を立て直すと、再び頭を下げた。


「では、頼む。礼晶がもし尋ねて行ったりしたら、冷たくあしらわないでやって欲しいんだ」

「……別に冷たくなどしませんが……」


 佑崔は常に姉四人に”女子には優しく”と言って聞かされて育った。

 元から女性に冷たくしたことはない。


 佑崔の返事を聞いて、経史はほっとしたように四角い顔を緩めた。そして、


「よかった。くれぐれも頼んだぞ!」


 そう念を押すと、不安げな顔になった佑崔を置いて、そそくさと去って行った。




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