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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −白及の巻−
166/192

二年仲冬 水泉動 1

瓊玉の巻(本編)の4ヶ月ほど経ってからのお話です。



 冴えた月の影が水面に届き、ゆらゆらとその姿を青く映す。水辺の木々は凍えるような空気に身を寄せあい、さわわ、と葉を震わせた。

 しんしんとした寒さが広がる夜、夏邸の暖かな空気に満ちた部屋からは賑やかな声が漏れてきた。



「兄上っ! おめでとうございますっ!」


 本日何十回目かの祝いの言葉を理淑が英賢に捧げる。

 英賢も何度言われても飽きることなく、「ありがとう」と目を細めた。

 理淑は、へへ、と笑うと、その隣に座る奏薫を嬉しそうに見た。


 夏邸では、一通りの婚儀の儀式を終えた夏英賢と柳奏薫を祝う内輪の宴が催されていた。





 翠国での木材と木製品の貿易についての取り決めの会議から帰ってくると直ぐ、英賢は奏薫との婚姻を申込む文書を送った。

 その後、最速で納采(のうさい)門名(もんめい)納吉(のうきつ)納徴(のうちょう)請期(せいき)の儀を行い、本日、晴れて最後の婚姻の儀式である親迎の儀も無事に終えた。


 親迎の儀は花嫁を夫が迎えに行くもので、英賢が直接、翠国へと出向いた。


 翠国では、婚儀の日程に合わせて、これまで自分に関したこと全てに無頓着だった奏薫を、養妃自らが食事や美容、睡眠に至るまで気を配り徹底的に磨き上げた。その甲斐もあり、元から色白の肌は艶やかに輝き、頬は以前に比べて少しふっくらとした。元が良いだけに、これだけで目を見張るほどに美しくなっていた。

 それに加えて、奏薫の知的な美しさを最大限活かすよう注意深く念入りに化粧が施された。また、王妃が自ら指示して作らせた花嫁衣装は、細やかな刺繍が絶妙にあしらわれた絢爛なもので、英賢の好きな奏薫の青灰色の瞳によく似合う色あいの青色を基調に整えられた。


 そうして出来上がった花嫁の美しさたるや、養子先の大叔父の屋敷から現れた姿を見て、英賢が感動のあまりしばらく立ちつくしたほどだ。

 余談だが、そのくだりは、親族としてわざわざ後宮から出向き、一部始終を見ていた養妃が満足そうに王妃へ何度も語って聞かせていた、と後に翠国の桐太子が英賢に教えてくれた。


 蒼国へ英賢一行が帰ってくると、かの碧公が是非にと望んだ花嫁を一目見ようと、夏邸の門の前には黒山の人だかりができた。そこには宮城に勤める女官がやたらと多かった。

 注目の中、英賢に手を取られ輿から降りた奏薫を見て、英賢を他国の女子に取られたと歯噛みしていた女官たちはいずれも、自身が敵うはずもないと納得して帰ったらしい。





 宴の席で英賢の隣に背筋を伸ばして座る奏薫は、翠国の王妃たちが用意してくれた絢爛豪華な花嫁衣装は着替えていた。しかし儀式が無事に終わって青灰色の瞳は少し和らぎ、美しさは増すばかりだった。

 そんな奏薫をうっとりと見つめると、理淑は満面の笑顔でお祝いの言葉を述べた。


「おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 奏薫が生真面目に頭を下げる。


「理淑ったら何度言ったら気が済むの?」


 範玲がやってきて理淑の隣に座り、可笑しそうに言う。


「だって、嬉しくって。姉上だって嬉しいでしょ?」


 理淑が緩みきった顔を向けると、範玲が真面目な顔で頷く。


「勿論、ものすごく、とっても、この上なく」

「でしょ?」

「そうね」


 範玲はそう言って、理淑と目配せをすると、二人揃って深々と頭を下げた。


「おめでとうございます。末永く兄上のこと、よろしくお願いいたします」


 奏薫も改めて「こちらこそよろしくお願いいたします」と深く頭を下げた。

 お互いが長いお辞儀から顔を上げると、範玲が上目遣いで遠慮がちに奏薫を見た。


「あの、奏薫様、お願いがあるのですが……」

「何でしょうか」


 奏薫が緊張した面持ちで姿勢を正す。

 その奏薫をちらちらと見ながら胸の前で指を合わせ、もじもじと範玲が言った。


「あねうえ、とお呼びしてもよいでしょうか」


 奏薫が固まって目を瞬かせる。


「……だめ、ですか?」


 黙ってしまった奏薫に、範玲が不安そうに聞く。

 奏薫がはっと我にかえり、隣でにこにこしながら様子を見ていた英賢へ振り向く。

 英賢が奏薫の困惑した顔に、ふふ、と優しく笑う。


「範玲は貴女という姉ができたことがとても嬉しいみたいです」


 範玲が、そうです、とこくこくと頷く。

 奏薫は英賢と範玲を交互に見ると、膝の上に揃えていた手をぎゅっと握りしめた。


「あ、あの、私でよろしいのでしたら、どうぞ、よろしくお願いいたします」


 奏薫から辿々しい返事が返ると、範玲の顔がぱっと明るくなる。


「ありがとうございます!」

「こちらこそ……ありがとうございます」

「嬉しいです。私のことは、どうぞ"範玲"と呼んでください」


 すると、それまでうずうずしながら成り行きを見ていた理淑が声を上げた。


「ずるい、姉上」


 理淑が範玲の前に出る。


「私のことも、”理淑”って呼んでください!」


 二人の妹たちがこぞって新しくできた姉に夢中になっているのを、英賢は嬉しそうに見守っていた。





「……こんな幸せを私などがいただいても良いのでしょうか」


 奏薫のことを何度も”あねうえ”と呼んでみては照れていた範玲と理淑が、士信に呼ばれて後ろ髪をひかれながら行ってしまうと、奏薫がぽつりと呟いた。


 奏薫には腹違いの弟がいるが、”姉上”などとは呼ばれたことがない。それどころか実の父親の統来にとっては、出世の道具でしかなかった。

 母親とですら、家族としての温かい繋がりというものを感じたことがあったのか定かでない。

 そういったものは、たとえ求めたところで自分とは無関係なものと思っていた。

 英賢と結婚すれば、英賢と"夫婦"になるということは頭ではわかったつもりでいたが、奏薫の考えが及ぶ範囲はそこまでだった。英賢の家族が自分の家族にもなるということは、理屈で言えば当たり前なのに、そこに考えが至っていなかった。

 だから、範玲や理淑がこんなに暖かく家族として自分を迎え入れてくれることに驚いてしまったのだ。


 膝の上にぎゅっと握りしめられた奏薫の手に、英賢がそっと手を重ねると、奏薫が不安そうに英賢を見上げた。


「英賢様と一緒にいられるだけでも信じられない幸せなのに、その上、範玲様や理淑様にあのように歓迎していただいて……。何かバチが当たる前触れなのではないかと……」


 英賢が思わず吹き出す。


「何を言ってるのですか。困った人ですね。貴女は本当に。バチなんて当たりませんよ」

「でも、私は英賢様に何もして差し上げていないのに……」


 奏薫の手を英賢がぽんぽんと優しく叩く。


「そんなことはありませんよ」


 奏薫を愛しそうに見つめながら英賢が言う。


「私は貴女から沢山のものを貰っています」


 奏薫の青灰色の瞳が揺れる。それににこりと微笑んで見せると英賢が続けた。


「それに大丈夫ですよ。これから貴女にはやっていただく重要な使命がありますから」


 使命と聞き奏薫がわずかに緊張するのを見て、英賢の声が更に優しくなる。


「貴女が笑うと私も笑う。貴女が楽しいと私も楽しい。貴女が幸せだと私も幸せになるんです。だからこれから、私を幸せにするために、貴女自身が幸せになるよう頑張ってください」


 奏薫が泣きそうな顔で英賢を見つめる。


「……これ以上の幸せというものが想像つきません」


 英賢は思わず笑いを漏らすと言った。


「じゃあ、そうですね。とりあえずの目標は、我儘を言えるようになることにしましょう」

「我儘ですか……?」


 示された目標に奏薫の声に戸惑いが混じる。

 我儘など、これまで言ったことがないだろう。


「全力で貴女を甘やかしたいので、楽しみにしています」


 そう言うと、英賢を見上げた奏薫の手を取って、励ますように握った。


 そして、ところで、と英賢がにっこりと笑う。


「その前に、まず、お願いがあるんですけど」

「何でしょうか」


 ”お願い”という言葉に、奏薫が反射的に姿勢を正す。


「何度も言ってるように、私のことは"英賢"と呼んで欲しいんだけどな。さっき範玲と理淑も同じことを言ってたよね?」


 奏薫が固まる。そして柳のような眉を困ったように下げる。


「……それは……だって。無理です。呼び捨てなんてできません」


 以前と比べて格段に表情の変化が見られるようになった奏薫を堪能しながら英賢が言う。


「"英賢"が嫌なら、"あなた"でもよいですよ」


 奏薫が真っ赤になって、口をぱくぱくさせる。

 そして俯いてぎゅっと眉間に皺を寄せると、小さく言った。


「……もう少し、準備の時間をください」

「そんなに待てませんよ」


 英賢が楽しそうに笑った。





「本当に嬉しそうだな、英賢殿」


 壮哲が英賢と奏薫を眺めながら、隣に座る昊尚に言う。

 私的な宴会ということで壮哲も王としてではなく、友人として参加している。


「ああ。早くに両親を亡くしてずっと一人で気を張っておられただろうからな。本当によかった」


 昊尚が普段はやや冷淡に見える目を優しげに細める。


「そう言えば、奏薫殿は喜招堂の顧問になるんだってな」


 壮哲が昊尚の杯に酒を注ぎながら聞く。


「ああ。木材部門を見てもらうことになった。凄いだろ。翠国の塩樹部の元副使だぞ。最強だよな」

「勧誘したのか」


 自分の杯にも注ぐと、壮哲が昊尚を見る。


「いや。奏薫殿が喜招堂で働かせて欲しいと言ってくれたんだ。喜招堂には命を助けてもらった恩があるから、だそうだ」

「なるほど。義理堅いな……」

「明遠の大手柄だ」


 翠国で統来から逃げてきた奏薫を匿い、蒼国まで連れてきたのは喜招堂の大番頭の明遠だ。あの時の明遠の判断がなかったら、きっとこの目の前の情景はなかっただろう。


「従業員として働きたいと申し出てくれたんだが、助言をもらえるだけでも有難いからな。とりあえず顧問に落ち着いた」


 昊尚が言うと、壮哲が、ふむ、と考えながら聞いた。


蒼国(うち)の官になってくれる気はないだろうか」

「確かに。欲しい人材ではあるよな」


 昊尚が杯に口をつけながら英賢をちらりと見る。


「英賢殿としては、まずはゆっくりして夏家の暮らしに慣れてもらいたいんじゃないか。……まあ、奏薫殿がやりたいと言ってくれれば英賢殿は反対しないと思うが」

「だな」


 壮哲も英賢を見ながら頷く。


「……奏薫殿が宮城で働いてくれれば、仕事中でも顔を見られると英賢殿を唆してみるか」


 壮哲が半ば本気で言うと、昊尚は思わず声を出して笑った。






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