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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
163/192

余話12 理淑と秦家



 休日の昼下がり、秦邸の庭の緑の中に建つ円亭から楽しげな話し声が聞こえる。


「お妃様がこんなに急に決まるなんてね」


 嫋やかな姿が首を優雅に傾げ、意外だったわ、と頬にほっそりとした指を当てて付け足すと、


「とってもお二人お似合いなんだよ」


 その向かい側に座る理淑が満面の笑みを返した。


 屈託のない笑顔を向けられて、つい目を細めたのは壮哲の姉の梨泉である。

 壮哲よりも少し薄い縹色の瞳は、見る者に優美で儚げな印象を与える。梨泉の外見からは、本来持つ気の強さはおよそ想像がつかない。


 理淑は小さな頃から縹公に剣の稽古をつけてもらうために秦邸に入り浸っていたお陰で、秦家の人々にも身内のように扱われていた。

 大人になった今も、こうして時々遊びに来る。


「理淑は芳公主と仲がいいのよね? ……芳公主ってどんな方?」


 梨泉が茶を一口飲むと聞いた。


 絶世の美貌の持ち主であることは、叔父である宗正卿が興奮気味に話すのを聞いていた。

 おまけにあの壮哲がべた惚れだと昊尚が言っていたということも。


 そう。あの壮哲が、である。


 異性に関して無頓着で、自分と同じ失敗をするのでは、と心配をしていたというのに。

 壮哲のことだから容姿で決めたというのはあり得ないだろう。


 だから尚更、興味が湧いた。


「強いんだよ」


 恐らく大抵の者は月季を評するにはまず外見の特徴を挙げるところだろうに、その理淑の第一声に梨泉が思わず笑う。


「理淑はまずそこなのね」

「うん。初めて会った時に剣を交えたんだけど、その時、ああ、この人の剣、好き、って思って」

「やだ。理淑ったら変態。剣術馬鹿なんだから」

「ええ!? ひどい!」


 楽しそうに理淑を揶揄(からか)う梨泉の笑い声が響く。

 そこへ、壮哲に似た面差しの女性が、円亭へと続く小径に姿を現した。


「理淑。来てたのね」

「杏湖ちゃん」


 笑い声を聞きつけてやって来た壮哲の妹に理淑が嬉しそうに応える。


「今ね、芳公主がどんな方か理淑に聞いてたの」


 梨泉が言うと、あら、と壮哲と同じ色の瞳を輝かせながらいそいそとやってきて理淑の隣に座る。


「私も聞きたいわ。とても美しい方ですってね」

「うん。それはもう、びっくりするくらい美人だよ。でもそれを褒められてもあんまり嬉しくないみたい」

「そうなの?」


 卓の上の茶器で自分用に茶を入れ始める手を止めた杏湖に、理淑が茶を飲みながらこくりと頷く。


「むしろ外見のことを言われるのは嫌がる感じだったよ」

「きっと美しすぎるって大変なのね」

「ね。あ、月季殿は綺麗なだけじゃなくて、厳しいけど優しいんだよ。しかもね、とっても責任感が強くて真面目で信頼できる人なの」


 へへ、と嬉しそうに話す理淑に杏湖が微笑む。


「理淑は芳公主のことが大好きなのね」

「うん。だから蒼国の王妃様になってくれるのがもう嬉しくて」

「そんなに理淑が懐くのだから、きっと素敵な方なのね」

「そうなんだよ。それにねぇ、壮哲様とお似合いだなー、ってずっと思ってたから余計に嬉しくて」


 そして今度は鼻息を荒くして身を乗り出す。


「しかもね、月季殿の護衛の忠全殿から聞いたんだけど、黄朋たちに占拠されていた朱国の宮城に潜入して、忠全殿をかばいながら狍鴞(ほうきょう)土螻(どろう)を倒したんだって。すごいよね?」


 理淑が碧色の瞳をきらきらさせながら同意を求めた。


 興奮して話す理淑に、それはすごいわね、と杏湖が応える。

 理淑への相槌は杏湖に任せ、梨泉は、大国の公主なのに無茶をする人だ、と内心で苦笑する。その一方で、そういったところも壮哲が惹かれる要因なのかもしれない、と考えていた。


「芳公主の剣のお陰で黯禺を倒すことができたって聞いたわ」


 杏湖の言葉に理淑が益々興奮気味になる。


「うん。私は残念ながら見てなかったんだけど、黯禺を間近にして壮哲様が月季殿から剣を受け取って倒したんだって」

「そう聞くととても兄上とお似合いな感じね」


 杏湖が感心すると、理淑は、でしょでしょ、と言って満足したように椅子に戻った。


「……それにしても、この間の騒動は本当に大変だったのね。理淑も今度は怪我がなくて良かったわ」


 茶を一口飲んで、溜息をつきながら杏湖が言うと、理淑が少ししょんぼりする。


「私なんかは前の怪我がまだちゃんと治ってないからって、人数に入れてもらえてなくて役に立ってないんだよ」


 そして神妙な顔になって理淑が続ける。


「蒼国が無事だったのは本当に壮哲様たちのおかげだよね。黯禺って聞いてたとおり、びっくりするほど見境ないの。蒼翠殿なんか黯禺のせいでめちゃめちゃになっちゃったんだよ」

「初めは朱国での話だと思ってたのにね」


 杏湖が眉を顰める。

 

「……朱国へも派兵したんでしょう? そちらの方は大丈夫だったの?」


 しばらく黙って聞いていた梨泉が、湯呑みの縁を指でなぞりながら興味のなさそうな口調で聞いた。


「うん。葛将軍たちが行ってたんだけど、結局朱国では戦闘にならなかったみたい」


 理淑が答えると、梨泉は湯呑みに視線を置いたまま聞く。


「じゃあ、そっちは誰も怪我がなく?」

「そう聞いてるよ」


 長い睫毛を伏せたまま、ふうん、と呟く梨泉に理淑が更に口を開きかけると、そこへ再び新たな来訪者が現れた。


「庭が賑やかだと思ったら、理淑じゃないの。いらっしゃい」


 壮哲たちの母親の純栄だ。瞳の色は違うが顔立ちは梨泉とそっくりである。

 ただ、受ける印象は、梨泉よりも陽気で朗らかだ。ちなみに佑崔の父親の妹である。


「お邪魔してます。純栄様」


 理淑が満面の笑みで手を振ると、ふふ、と笑いながらひらひらと手を振りかえす。


「理淑に芳公主のお話とか聞いてたの」


 杏湖が言うと、「まあ、そうなの? 私も聞きたいわ」と両手を合わせて嬉しそうに微笑む。

 その純栄の後ろにいた人物に梨泉が気付いて声をかけた。


「佑崔じゃない。久しぶりね」

「ご無沙汰をしております」


 佑崔が頭を下げる。


「今日は母上にご用事だったの?」

「はい。壮哲様からの使いで参りました」

「そう。お疲れ様。貴方もお茶でもどう?」

「ありがとうございます。でも、用事も済みましたし、壮哲様が待っておられますので戻ります」

「相変わらず真面目ね」


 梨泉が笑う。


 そのやりとりを見ていた理淑が、あ、と声を上げて突然焦ったように腰をあげた。


「私もそろそろ帰るよ」

「あら、もう帰っちゃうの?」


 残念そうに純栄が理淑を見る。


「うん。兄上が今ものすごく忙しくて皇城に泊まり込んでるの。兄上に届け物があったの忘れてた」

「そうなの? ……じゃあ……仕方がないわね」


 純栄が目に見えてしょんぼりするので理淑が慌てると、梨泉が、良いから行きなさい、と手を振り、


「佑崔、理淑を送ってあげなさいね」


 と二人を送り出した。







「……送ります?」


 秦邸から出て、一応、という感じで佑崔が聞くと、理淑が、いらないよ、と笑う。


「壮哲様が待ってるんだよね。それに私だって羽林軍の武人だよ。もう怪我も治ったし」

「本当にちゃんと治ったんでしょうね」

「うん。もう大丈夫ってお医者も言ってた。さすが文始先生の薬は効き目抜群だね」

「そうですか。……まあまだ無理をしないようにしてくださいね」


 そう言うと、佑崔が歩き始めた。


「何か、佑崔殿と話をするの久しぶりだね」


 理淑が横に並んで佑崔を嬉しそうに見上げる。


「そういえばそうですね」

「もう傷も治ったんだから、稽古つけてよ。約束は守ってもらわないと」


 急に思い出したように不満げな顔をして文句をつける。

 それを横目で見て佑崔が笑う。


「最近ちょっと立て込んでて。なかなか鍛錬場にも行けてなかったんです」

「そっか。受叔の騒動の後始末とか、昊尚殿とか壮哲様たちも忙しそうだもんね。兄上はまた別の理由もあるみたいだけど」


 そして、肩を落として言った。


「黯禺が出たあの時、佑崔殿も大変だったんだよね。私なんか安全な場所にいたのに」


 理淑が申し訳なさそうに俯くと佑崔が苦笑する。


「でも黯禺が塀の外に出て暴れていた時、皆を避難させる誘導してましたよね。あの場に理淑様がいて目を疑いました」


 すると理淑が、だって、と顔をしかめる。


「あれは……月季殿を追いかけて行ったら黯禺が見えて。私にできるのは誘導くらいだったんだもん」

「……相変わらず無鉄砲ですね。あれがどれほど危険な状況だったかわかってますか?」


 佑崔が形の良い上がり気味の眉を下げる。

 その横顔を見て理淑が言う。


「……あの時、佑崔殿が剣を投げてくれたから皆助かったよ。でなければもっと犠牲が出るところだった」

「まあ、ちょうど黯禺を引きつける必要がありましたし」

「……そいえばあの時、剣を投げちゃって、あの後ってどうやったの?」

「昊尚様に借りました」

 

 それを聞いて理淑がふと笑いを漏らす。


「前に私が剣を投げちゃった時、佑崔殿に馬鹿かって言われたよね。ほら珠李殿が広然に連れて行かれた時」

「そんなこと言いましたっけ」


 とぼける佑崔の前にまわって立ち塞がり、理淑が首を傾げて覗き込む。


「言ったよー。そう言いながら剣を投げて寄越してくれたもん」

「覚えてません」


 僅かに笑いながら理淑の横をすり抜けてとぼけ続ける。


「いっつも佑崔殿に助けてもらってばっかりだよね」


 佑崔を追いかけて理淑が再び隣に並び、少し不満げに言う。


「貴女がふらふらとどこにでも顔を出しすぎなんです」

「そうなんだけどさ」

「それは認めるんですね」


 むう、と理淑が口を尖らせる。


「結局のところは実力不足なんだよね。自分の理想の行動に実力が追いついていないんだ」


 ちら、と理淑を見て佑崔が言う。


「そうでもないと思いますよ」

「いや、まだまだ全然」


 ぐぬ、と悔しそうに拳を握りしめる理淑に佑崔が吹き出す。


「一体どこを目指してるんですか」

「それはもちろん、打倒佑崔殿だよ」

「まだそこは変わらないんですか」

「初志貫徹」

「馬鹿ですねぇ」


 笑いを残しながら言う。


「あ、また馬鹿って言った」

「気のせいです」

「あしらい方が雑すぎるよ」


 あはは、と笑いながら文句を言う理淑につられて、佑崔も、そうですね、と笑った。



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