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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
162/192

余話11 佑崔と壮哲と昊尚

時期は余話10より少し前です。



 昊尚は黄酒を注いだ杯を壮哲に渡すと、佑崔を手招きした。

 そして新たに酒を満たした杯を手渡した。


「今日くらいはいいだろう」


 執務をようやく終えた昊尚が、壮哲の私室に酒と肴を携えてやってきていた。


 黄朋の乱の後始末も無事に終わった。そして何より今日、壮哲と月季の婚約の儀の日程が決まったのだ。


「しかし私は護衛ですので……」


 杯を受け取ってしまったものの、その中で揺れる褐色の液体に困惑の目を落とす。

 壮哲が相変わらず真面目な佑崔に笑顔を向ける。


「たまには付き合わないか?」

「そうだぞ。壮哲の望む相手が王妃に決まって、一番ほっとしているのは佑崔だろ?」


 昊尚が、ほら、と椅子を示して急かす。


「そんな……旦那様や奥方様を差し置いて……」

「そんなことないぞ」


 昊尚が立ち上がって佑崔の肩を叩きながら促すと、佑崔もそろりと卓に加わった。


 佑崔はつねづね壮哲には、壮哲自身がこの人と、と望む女性と結婚をしてほしいと思っていた。

 壮哲は王族である秦家の嫡男であり、若くして禁軍の将軍を務めるなど政治的に有望であるとともに、精悍な顔立ちと鍛えられた無駄のない体躯、おまけにさっぱりとした嫌味のない人柄で、元から女官や貴族の息女の間でも人気が高かった。しかし本人はそういった女性たちから向けられる好意にも無頓着で、贈り物などを受けても全く興味を示さない。

 そんな壮哲を心配し、せっかくの高い評判を落とさぬよう、壮哲の代わりに返礼の品を用意したり、こまごまとした気配りをしていたのは佑崔だった。


 結局その努力とは関係のない紅国の公主を壮哲自らが妃と決めたのだが、ともあれ、壮哲が望む相手と婚約するということは佑崔にとって嬉しいことに変わりない。

 昊尚に言われて、改めて喜びのほかに安堵の気持ちも湧いてきた。


「……では、少しだけ」


 佑崔が折れたのを確認すると、昊尚がにこりと笑顔を向けて合図し、三人は杯を空けた。

 酌をしようと酒器を持った佑崔から、いいから、とそれを取り上げ、昊尚が三人の杯に再び黄酒を満たしながら言った。


「婚約の日取りも早々に決まって良かったな」


 正式な婚約が成立するまでに、納采(のうさい)門名(もんめい)納吉(のうきつ)納徴(のうちょう)という儀式を行う。その日程が決まったのだ。ちなみに婚儀の日は、納徴の後の請期(せいき)の儀により決められる。


「すまんな。昊尚よりも先になってしまって」


 壮哲が申し訳なさそうに言う。

 昊尚と範玲は、婚約してはいるが、昊尚の喪が明けていないこともあって、これら正式な儀式をまだ行なっていない。


「いや。それは構わない。婚儀ももちろん先にしてくれ。二百周年の式典に新しい王妃がいると一層盛り上がるだろうし」

「皆そう言うな」


 壮哲が卓に肘をついて笑った。


 紅国からの輿入れの打診を受けることが決まると、家臣たちは口を揃えて、是非とも式典までに新王妃を迎えてくれ、と言った。大陸一の大国である紅国のただ一人の公主が小国に嫁いでくるというのは、異例のことであり蒼国の益々の繁栄を示唆するものでもある。

 式典に紅国から来た美しい王妃が出座すれば、当然祝賀も(いや)が上にも盛り上がるだろう。

 だから二百周年の式典には、月季に王妃として出席してほしいと皆が思う気持ちもわからないでもない。


「それに、範玲殿自身が二百周年の記念事業の国史編纂の仕上げでばたばたしてるしな。彼女も外へ出はじめてまだ一年だ。焦ることはないさ」

「余裕だな」

「今更だ。何せ考えてみたら十三年越しだからな。待てるよ」


 昊尚が穏やかに笑う。範玲との関係がそれくらいのことでは揺らがない信頼をそこに見て、壮哲が、そうか、と目元を緩ませる。


「だけどこちらも、婚約は急ぐが、婚儀はもう少し先になる予定だ。月季殿もまだ紅国から離れがたいだろうし」


 婚約の儀の日程は思った以上に早い時期に決まった。

 月季が言うには、大叔母である宗正卿が、早く婚約を済ませろと急かしたらしい。

 「叔母上は私の気が変わるんじゃないかって疑っているのよ」とむくれていた月季を思い出し、壮哲から笑みがこぼれる。

 壮哲が「慌てなくてもいいぞ」と言うと、顔を赤くして「別に早いのに文句を言ってるわけじゃないのよ」と口ごもっていたから、早々の婚約については月季も異論はないはずだ。


 ただ、まだ紅国で慧喬の役に立ちたいという思いが月季の中にあるのも壮哲は知っている。

 だから婚儀は急いで行うことはせず、余裕を持った日程とする予定だ。ただし、慧喬や月季までもが式典には王妃として臨んだ方が良いと考えているので、それまでには行うことになっている。


「じゃあ一番早く婚儀を挙げるのは英賢殿になりそうだな」


 昊尚が壮哲の杯と、余り減っていない佑崔の杯にも酒を足しながら言った。


 翠国へは片道最短で五日はかかる。気軽には会えない距離だからというのも急ぐ理由ではあるが、奏薫に害をなした統来から遠ざけたい、という意図も英賢にはあるようだ。


「そうだな。柳副使の母君の喪が明けたようだから、養子縁組の手続きが済めば直ぐに進めるんじゃないか。私より先になってもいいかと聞かれたし」


 壮哲が笑いながら昊尚の手から酒器を取って、昊尚の杯に酒を注ぐ。


「あの溺愛ぶりを見るにつけて、木材の事件が無ければ英賢殿と柳副使が出会うこともなかったかもしれないなんて、本当に不思議だな」


 そう言った壮哲に、昊尚がにやりと笑う。


「お前と月季だってそうだぞ。まさか二人が結婚することになるなんて思いもしなかった」

「まあ……そうだな」


 月季との距離が近くなったきっかけは月季が昊尚を好きだと知ったことだったが、相変わらず昊尚は露ほども気付いていない。

 いつもの鋭い洞察力がそれに関しては全く発揮されなかったのは、本当にありがたかったな、と笑いを含みながら壮哲が杯に口をつける。

 それをどうとったのか昊尚が壮哲に言う。


「なんだその含み笑いは。まあ、思い返してみれば、初めから気が合う感じだったけどな」

「そうか?」

「佑崔もそう思わなかったか?」


 二人の会話を聞きながらゆっくりと杯を傾けていた佑崔に昊尚が話を振ると、くすりとその整った顔をほころばせた。


「以前……昊尚様が壮哲様に、月季様のことをどう思っているか聞かれたことがあったじゃないですか。それよりも前に私も同じことを聞いてみたことがあるんですよ」


 佑崔が笑いを堪えながら言う。

 昊尚が、ほう、と身を乗り出す。逆に壮哲が気まずそうに椅子の背にもたれる。

 その壮哲にちらりと目線をやって佑崔が言った。


「その時の返答が、”猫だな”、だったんです」

「は?」


 昊尚が反射的に聞き返した。当時それを聞いた佑崔の反応と重なる。


「月季様は猫のようだと」


 昊尚がその意図を理解して、ぶっ、と吹き出すと、それを見て佑崔も弾けたように笑った。

 壮哲はバツが悪いのを誤魔化すように杯の残りを飲み干す。


「仕方ないだろう。本当にそう思ったんだから。身のこなしといい、態度といい……」

「壮哲らしいな」


 昊尚が笑いを残しながら言うと、佑崔が、はい、と同意する。

 決まり悪そうに首をさする壮哲に、嬉しそうに佑崔が言った。


「ですから、あの時は、そういう対象ではないのかな、とも思ったのですが……良かったです」


 昊尚も杯に口をつけながら頷く。


「佑崔はずっと壮哲の結婚相手のことを気にしてたからな」


 そう言った昊尚に少し微笑むと、佑崔は卓の上の灯りに視線を移し、揺れる炎を見つめがら遠慮がちに言った。


「……実は、以前、梨泉様がおっしゃったことが気にかかっていたんです……」


 急に姉の名前が上がり、壮哲が驚いて佑崔を見る。


 壮哲の姉の梨泉は門下省で侍郎として働いている。

 現在は独身だが数年前に一度結婚している。しかし、一連の婚姻の儀式を終えたその日に嫁ぎ先から帰ってきてしまったのだ。結局そのまま梨泉が結婚相手の元に戻ることはなく、破婚ということになった。

 相手から求められて結ばれた縁組で、梨泉自身も異論はなく承諾していた。男性は家柄もよく、優秀で誠実な官吏だった。何ら欠点は見当たらない。

 だから突然の梨泉の行動に周囲は困惑するばかりだった。

 梨泉が言うには、とてもいい人だから上手くやっていけると思っていたが、夫として愛することができない、ということに儀式が全て終わった後に気付いてしまったらしい。気付いてしまったら、このまま結婚してしまうことに耐え難くなったのだと言う。

 周囲の説得にも梨泉は頑として譲らず、ただ謝るばかりだった。


 当時、梨泉には他に想う人がいるのではないかと噂されたが、本人がそのことを語ることはついぞなく、未だ独り身を通している。


「壮哲様は自分と同じくそういうことに無頓着だから、下手をすると結婚してから後悔するかもしれない、と」

「姉上がそんなことを言っていたのか」


 佑崔の言葉に壮哲が唸る。


 確かに、月季に出会うまで、たとえ愛情がなくても結婚すれば上手くやっていけると思っていた。

 しかしこれほど月季のことを愛しいと思う自分を(おもいみ)るに、今となっては彼女以外との結婚は有り得ない。


 それを思うと冷や汗が背筋を伝う。梨泉の言うとおり、結婚後に後悔をする事態になった可能性がないとは言えない。


「はい。ですから壮哲様には是非、壮哲様の望む方と一緒になってほしかったんです。だから本当に良いご縁があってよかったと思っています」


 佑崔が静かに言うと、壮哲が、本当だな、と神妙に呟く。


 昊尚もそれに頷いていたが、そういえば、とおもむろに切り出した。


「……縁といえばだな……昨日、孫尚書から、佑崔には決まった相手がいるのかと聞かれたぞ」


 佑崔が口につけかけた杯を下ろして、ああ、と溜息のように声を落とす。


「知らないと答えておいたが……良かったか?」

「はい。結構です」


 佑崔が上がり気味の弓形の眉の尻を下げる。


 最近こういった縁談を匂わす話が頻繁に持ち込まれることを、母親からも聞かされたばかりだった。

 母親の口ぶりから、早く身を固めてもらいたがっていることはわかったが、佑崔は気付かぬふりで話を逸らした。

 父親の公謹が急かすようなことを何も言わないので、それに甘えている状況である。


「孫尚書の息女とは知り合いか?」

「いいえ。知り合いというほど知りません」


 佑崔が昊尚の問いに答えると、壮哲が、ん? と首を傾げる。


「孫尚書の息女って、礼晶殿か」


 お妃候補の面接の際の、ぎこちなく茶を淹れる手つきが壮哲の記憶に蘇る。

 男系の家系に久々に生まれた女子ということで、父親である戸部尚書や兄三人を始めとして、一族に可愛がられ育てられたとのことだった。それは物怖じしない態度からも察せられた。


「そうです。……一度羽林の詰所に訪ねて来られました」

「ほう。何の用事で?」


 昊尚が聞く。


「受叔の騒動の前あたりでしたが、お妃候補は文莉殿に決まったのかと聞かれました」

「ああ。紅国からの打診があったから決定が保留になってた頃か。しかしどうして佑崔のところに?」

「孫尚書が教えてくれないと言っていました。壮哲様にいつも従っている私なら知っていると思ったのでしょう。元より話すことができるわけもありませんし、知りませんとお答えしましたが」

「それだけか」

「はい。鍛錬場に行く途中だったので急いでいましたし」


 佑崔には、礼晶自身より、歴代三師を何人か輩出している家系なだけあって、溺愛する娘に対しても公私の別を心得ている、と孫氏に感心したことの方が印象に残っていた。

 昊尚は佑崔を探るように見ると、含み笑いをしてもう一つ情報を付け加えた。


「……実は礼晶殿の兄の方にも尚書と同じことを尋ねられた」


 思わず顔をしかめた佑崔を見て昊尚が吹き出す。


「どうも佑崔は妹を溺愛する兄君に目をつけられやすいみたいだな」

「どういう意味ですか?」

「いや」

「何か言いたいことがあるなら……いえ、やっぱり言わなくていいです」


 佑崔が嫌そうに言うと、昊尚が慰めるように、ぽんぽん、と肩を叩いた。




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