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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
160/192

余話10 英賢と奏薫(前編)

「大雨時行 2」で範玲が言っていた英賢の様子を受けてのお話です。



 ざわ、と周囲がどよめいた。


「……あの……」


 いつもは落ち着いた青灰色の瞳が戸惑いで彷徨う。


「元気でしたか?」


 出迎えた奏薫を見つけるなり英賢が抱きしめたのだ。


「げ……元気、でした。ですから、碧公……あの」


 奏薫の動揺する声を聞いて英賢が、ふふ、と笑う。


「名前を呼んでくれたら離してあげます」


 楽しそうに英賢が奏薫の耳元で囁くと、奏薫が固まる。


「まさかとは思いますが、私の名前をご存知ないですか?」


 英賢がわざと悲しそうな声を出すと、英賢の腕の中で消え入りそうな声がした。


「……英賢様……あの、皆が見てますので……」


 英賢が奏薫を囲っていた腕を解く。


「すみません。嬉しくてつい」


 俯く奏薫に英賢が悪びれもせず微笑んだ。





 英賢は翠国に来ていた。

 木材と木製品の貿易についての取り決めを確認する会議のためだ。

 内容についてはこれまでの協議により既にほぼ固まっており、実務は貿易の担当の太府寺卿が担うので、青公の同行は権威付けの意味合いが強い。

 昊尚にこの役目を打診されると、英賢は二つ返事で引き受け、黄朋の乱の後始末と通常業務を倍速で片付けてやってきたのだ。


「碧公、ご無沙汰をしております。遠路お疲れ様です。それにしても派手なご登場でしたね」


 平静を取り戻した奏薫から英賢を引き合わされた翠国皇太子の桐恭仁が、屈託のない笑顔で楽しそうに言った。


「これは、桐太子。こちらこそご無沙汰をしております。お変わりないようで何よりです」


 しかし、英賢の定型の挨拶を聞いて、年よりも幼さを残す人懐こい顔を不貞腐れたようにしかめる。


「お陰様で。……と言いたいところですが、貴国のせいで私の心の中は荒れ放題なんですよ!」

「と、言いますと?」


 英賢がにこやかにとぼける。


「わかっていますよね?」

「何でしょう?」


 美しい笑顔のまま首を傾げると、恭仁が不満を垂れた。


「奏薫を連れて行ってしまうじゃないですか」

「大変申し訳なく思っております」


 英賢が全くそうは思っていないのを隠すこともせずしれっと謝る。


「それどころか……月季殿まで……!」


 恨めしげな顔で恭仁が更になじる。


「壮哲様は月季殿との結婚はないとはっきりおっしゃっていたではありませんか」

「そう言えばそうでしたね。それに関しては我が君に代わってお詫び申し上げます」


 英賢が恭しく頭を下げた。

 来月、壮哲と月季の婚約を正式に結ぶ手続きが始まることになっている。懲りもせず月季に求婚をしたらしい恭仁にもそれは伝わっていたようだ。


「……まあ、ある程度予感はありました。それは。見るからにとてもお二人は仲が良さそうだったし……」


 恭仁が子どもっぽく口を尖らせる。


「ええ。申し訳ありません。芳公主と我が君は相思相愛のようなので」

「羨ましいです」

「きっと桐太子にも良き方が現れますよ」


 しょんぼりとした恭仁に慰めの言葉をかける。


 ついこの間まで女性に全く関心がないように見えた壮哲だったのに、昊尚曰く、"月季にべた惚れ"らしい。かく言う英賢自身にしても、まさかこれほどまで愛しいと思える人と出会うとは、つい数ヶ月前は想像もしていなかった。だから縁というのはわからない。


 そんなことを考えていた英賢に真面目な顔になった恭仁が言った。


「……奏薫は、最も信頼のできる家臣であり、私にとってはいわば姉のような存在でもあるんです。だから、嫁いで行ってしまうのはとても寂しいんです。でも、母上たちに諭されました。奏薫のためを思うのであれば、気持ちよく送り出すようにって」


 そして背筋を伸ばして真っ直ぐに英賢を見た。


「……碧公、奏薫のこと絶対に幸せにしてやってください」


 英賢はその恭仁の素直な眼差しを受け止める。奏薫の幸せを願う恭仁の気持ちが嬉しかった。


「ご安心ください。お約束しましょう」


 そう言うと、太府寺卿と話をしながら歩く奏薫のほっそりとした後ろ姿を目で追って微笑んだ。




 その後、翠国王へ謁見して挨拶が済むと、早速本来の目的である貿易に関しての取り決めを確認し、木材の伐採及び加工現場への視察が行われた。

 英賢の不意打ちの登場の際には動揺を見せた奏薫だったが、仕事に入ると終始冷静でかつ沈着、説明も指摘も至極的確で全く隙が無かった。

 塩樹部では奏薫以外にも更迭による次官の交代があった。そのこともあって奏薫は何度も慰留されたらしいが、この仕事を最後に三司塩樹副使を辞することになっている。

 引き継ぎを兼ねて側に控えていた後任は、いかにも切れ者といった風情の男性官吏だったが、奏薫の仕事ぶりを細大漏らさぬ意気込みで注視していた。

 三司塩樹副使という重要な地位での奏薫の手腕がいかに評価されていたかが、その様子からもよくわかった。




 協議と視察が滞りなく行われ、後はその結果を蒼国へ持ち帰って最終的な確認の後、正式な両国の合意の文書を交すだけとなり会議は終了した。

 会議が終わると、英賢は恭仁に、会ってもらいたい人がいる、と別室へ連れて行かれた。




「母上が是非、碧公にお会いしたいと言ってきかなくて」


 そう言いながら恭仁が戸を開けた先に待っていたのは、養妃——恭仁の産みの母——だった。


「お忙しいところ申し訳ありません。柳菫香です。ようこそおいでくださいました」


 菫香が立ち上がってにこやかに迎える。


「お目にかかることができて光栄です。養妃様。夏英賢と申します」


 英賢が拱手すると、菫香が、ほお、と溜息を漏らす。


「奏薫の言うとおり、本当に見目麗しい方ですね」

「恐れ入ります」


 照れも謙遜もせず英賢が蒼国の女官たちの心を掴んできた極上の笑顔で応えると、菫香が、はあー、と感心したように頷く。


「優美なお顔に似合わず肝も太そう。貴方になら奏薫を安心してお任せできそうですね」


 そのあけすけな言い方に、さすが血のつながった恭仁の母だと英賢が微笑む。


「どうぞご安心してお任せください」


 英賢が言うと、菫香が目元を緩めた。


「相変わらず奏薫は普段、無表情なのだけど、貴方の話になると感情が漏れて出るのよね」


 菫香が、ふふ、と思い出し笑いをする。


「貴方のような方に奏薫を見初(みそ)めていただいて、本当に良かった」


 満足げに英賢を見る。

 しかし、ふと負い目を思い出したように目線を落とした。


「……あの子にとって……ここでの記憶は辛いものばかりだったのではないかと思うんです。味方のはずの母親とも……良い思い出はほとんど無いようですし……。私にしても結局、あの子には助けてもらうだけで何も返してあげていない。あんな事件が起こった時ですら……。今更だけど、本当に申し訳ないことをしたと思っているんです……。あの子の父親の統来が大嫌いで、私は統来の手柄になるようなことは一切協力しなかったから」


 独白するように菫香が呟く。


「結局、私も統来と同罪です。あの子を利用するだけだったもの」


 自らを責めるように顔をしかめる菫香を英賢が見つめる。


「そんなことはありませんよ。奏薫殿が言っていました。養妃様と皇太子殿下には良くしていただいたと。あの蒼国への木材の事件の時も、お二人からの信頼を裏切ることにならないようにという思いで動いていたのですから」


 菫香たちがいなかったら、奏薫は延士に冤罪を着せられたまま、自分の命さえ簡単に諦めていたかもしれない。

 そう思うと今更ながらぞっとする。


「辛い状況でも彼女が過ごして来られたのは、養妃様たちがいらっしゃったからだと思います。私はお二人にとても感謝しています」


 それは英賢の本心だった。

 菫香は自信なげに英賢の真意を探るように見ると、勝ち気そうな瞳を弱々しく伏せた。


「……そう言っていただけると、罪悪感が少しだけ薄れます……」


 そしてそのまま頭を下げた。


「あの子のこと、よろしくお願いします。……翠国(ここ)はあの子に笑い方も忘れさせてしまったの。きっと貴方なら、あの子を本来の姿に戻してくださるでしょう」

「承知いたしました。彼女の笑顔をお見せできるよう、力を尽くします」


 英賢が微笑んだ。 



続きます。

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