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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
158/192

二年孟秋 天地始粛 6



 慧喬の話を聞いて壮哲が唸った。


「武恵殿が夢を見たということではなくてですか?」

「うむ。その可能性はある。だが、宮城にいた獣や怪物が一瞬にして消え去ったのは多くの者が見ている。その状況の説明がついておらぬ」

「最後に雲起と一緒にいた女官が、普通の人間ではないというのは同意できます。対面した者が誰一人としてその容貌を覚えていません。一度見たものは忘れない夏家の県主(ひめ)も攫われた時に一晩中間近にいたのに顔を思い出せない、と言っています」


 昊尚が茶を出しながら言うと、慧喬も眉を顰めた。


「……ああ。その女官は(あやかし)か……もしかしたら女仙の可能性もあるな」

「その雲起を連れて行ったという者が……后稷神の配下だとしたら……」


 壮哲が言うと慧喬は大きく息を吐いた。


「うむ。雲起の言う”上の方”というのは后稷神なのかもしれぬ。……だとしたら、朱国……武恵も全く見捨てられたわけではないということなのだろう」


 慧喬が昊尚の淹れた茶を手に取る。


「まあ、武恵はそう信じて進むしかないだろうな」


 呟くように言って一口飲むと昊尚を見た。


「昊尚、お前も雲起が生きているかもしれないとなると複雑だろうがな」


 昊尚の兄が殺害されたのは雲起の(はかりごと)のせいだ。父親もあのことがなければまだ生きていたかもしれない。

 昊尚の青味がかった黒い瞳に、名状し難い色が浮かぶ。


「……雲起を許すことは到底できませんが……神のご意志なのだとしたら、どうしようもありません……。話を聞く限り、どのみち奴とは会うこともないでしょうし……」


 努めて冷静に語っているように見えた。しかし、昊尚の心中を思うと不用意に慰めの言葉をかけることはできず、壮哲はただ昊尚を見守る。

 慧喬も、昊尚の言葉には、「そうだな」と溜息混じりに頷くのみに留めた。

 重くなった空気を払うように、昊尚があえて話題を変えた。


「そう言えば、月季も蒼国(ここ)に来ていますよ」


 ああ、と言いながら慧喬がもう一口茶を飲む。


「恐らく羽林軍の詰所にいると思います。月季殿と仲の良い県主を訪ねるとおっしゃっていたので」


 壮哲が昊尚から会話を引き継ぐ。月季は理淑のところに行っているはずだ。


「使いを出しましょうか」


 壮哲が聞くと、慧喬は首を振った。


「いや、いい」


 そして湯呑みを置くと、壮哲へゆっくりと視線を定めた。


「壮哲殿、先日月季の輿入れの打診の返事をもらったが、それに間違いはないか」


 壮哲は向けられた月季と同じ色の瞳を真っ直ぐに見返した。


「今なら取り下げも聞き入れよう」


 慧喬の口から出た思いもよらなかった言葉に壮哲が一瞬怯む。輿入れの件が話には上がるだろうとある程度予想はしていたが、まさかこうくるとは思っていなかった。

 慧喬が眉を上げて壮哲を見ている。同じ色の瞳ではあるが、その圧倒的な威厳は月季を遥かに上回っていた。

 壮哲はその威圧感に押されまいと僅かたりとも目を逸らさず言った。


「いえ。取り下げは絶対に致しません。取り下げられるのも困ります」


 壮哲が縹色の瞳をぶつけるように慧喬に向ける。

 慧喬はそれをしばらくの間見定めるように受け止めると、言った。


「そうか」


 慧喬が、ふ、と笑った。


相分(あいわ)かった」


 慧喬が再び茶を手に取る。


「少々面倒なところはあるが、真面目な子だ。よろしく頼む」


 そう言うと茶を一口飲み、美味いな、と眉を顰めた。

 その姿を見て、月季の素直ではない一面は、きっとこの慧喬から受け継いだのだろう、と壮哲は思った。

 慧喬の姿が月季と重なり、緊張していたはずの壮哲の口元が思わずほころぶ。

 すると、慧喬と壮哲のやり取りを見守っていた李将軍と目が合った。

 壮哲は改めて二人に頭を下げた。



 茶を飲み終わると、早速帰ると言って慧喬が立ち上がりかけた。

 しかし昊尚が、「珍しい茶があるからもう一杯いかがですか」と誘うと、慧喬は再び腰を下ろした。

 昊尚が淹れ直した茶を飲みながら、慧喬が昊尚と喜招堂で仕入れた東方の珍品の話をしているのの横で、李将軍が壮哲に声をかけた。


「壮哲様」


 そう呼ばれて李将軍の方へ顔を向けた壮哲が眉を下げた。


「将軍。……やめてください。貴方にそのように呼ばれるのはどうも……」


 李将軍に”壮哲様”と呼ばれたのがどうにも壮哲には居心地が悪かった。伝説の将軍と呼ばれる李将軍は他国の将軍ではあるが、壮哲の尊敬する人でもあるからだ。


「いや。そうはいきません」


 そう言って穏やかに笑う。

 壮哲が困ったように頭を掻くと、李将軍が頭を下げた。


「……月季のこと、どうぞよろしくお願いします」


 壮哲が驚いて、頭を上げてください、と慌てると、李将軍が微笑んで言った。


「うちの陛下は見た目と雰囲気がああなので分かりにくいのですが、とても情の深い質でしてね。その点は月季もよく似ているのですよ。月季のあの無愛想な態度もうちの陛下にそっくりです」

「……わかる気がします」


 壮哲が慧喬に聞こえないように小さく言って頷くと、李将軍は愉快そうに笑った。


 そして李将軍は懐かしむように月季の幼い頃の話を壮哲にしてくれた。

 話が一段落すると、李将軍が昊尚と話に興じている慧喬を見ながら言った。


「陛下は月季をとても可愛がっているのですよ。だから本当は信頼できる臣下に嫁がせて、ずっと手元に置いておきたいと思ってたようです。でも、月季が壮哲様に心を開いているのを知って、壮哲様に託す方が良いと考えたのです」

「そうでしたか……。……そうお考えいただいて本当に有り難く思います」


 壮哲が心から言うと、李将軍はまるで伝説と呼ばれるような武功を立てた人物とは思えない穏やかさで微笑んだ。


「いや、お目にかかることができて良かった。無理を言ってついて来た甲斐がありました」


 李将軍が慧喬のお忍びに同行しているのは、壮哲に会うためでもあったのだ。

 慧喬がいかに月季を可愛がっているかを李将軍は語ったが、将軍も同じ想いなのだ、と壮哲の目元は思わず緩んだ。





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