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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
157/192

二年孟秋 天地始粛 5



 翌日の昼過ぎの壮哲の執務室。

 壮哲は手にしていた文を読み終わり、佑崔に返した。

 それは古利の妹から佑崔に宛てたものだった。


 古利は麻薬等によって前王周啓康の精神を崩壊させ、更に昊尚の兄である周承健の殺害を誘導した罪などにより収監中で刑の執行を待っていた。古利の母親や妹が面会に訪れても、古利は頑なに会おうとはせず、それどころか、自分に母親や妹などいない、と言ってその繋がりをも否定していた。

 朱国の牢から脱獄してまで母親らの姿を見に行ったというのにだ。

 自分のような者が身内にいることは肩身を狭くする、と二人のことを考えてのことだったのだろう。古利が母親と妹を疎んじていたわけではないことは、最期の時まで二人のことを案じていたことからも明らかだった。


 佑崔は古利の最期を伝えに自ら南青県へと行ってきた。

 後日佑崔に送られてきた文には、古利……更真への想いと最期について伝えにきてくれた佑崔への礼の言葉が(したた)められていた。


「……咎人(とがにん)とはいえ一度会わせてやりたかったな」


 壮哲が複雑な顔で呟くと佑崔も同意するように目を伏せた。

 そこへ昊尚の事務官が遠慮がちに声をかけてきた。


「お話の最中に申し訳ありません。藍公から陛下にご伝言でございます。郭文陽が尋ねて来たので、客間に通します、とのことです」


 それを聞いて壮哲の周りに纏わっていた空気が一変した。


 郭文陽とは紅国の王の側仕えだ。

 慧喬がお忍びで出歩く時は文陽が必ず同行すると昊尚が言っていた。以前、文陽の名で昊尚に面会を申し込んできた時、確かにお忍びの紅国王の慧喬が一緒だった。

 昊尚からの伝言が文陽を内廷の客間に通すというものであるということは、今回も慧喬がいるのだろう。


「わかった」


 事務官に返事をすると、壮哲は内廷の客間へ向かった。





 壮哲が客間に着いて少しすると、昊尚が客人を連れて入って来た。

 立ち上がり迎えると、やはり文陽だけではなく、商人風の旅装束の慧喬が一緒だった。更に驚くことにはもう一人、李将軍までもいた。

 文陽を大店の主人とした旅の一行という設定であると聞いているが、それにしては従う者の佇まいが只者ではなさすぎる。相変わらずそのいでたちにはそぐわない威厳が慧喬から漏れ出している。

 市中(しちゅう)ではどのようにその雰囲気は隠しているのか一度見てみたい、と言っていた昊尚に同意だな、と考えながら壮哲が出迎えた。


「ご無沙汰をしております」


 壮哲が拱手すると、慧喬が、うむ、と頷く。


「もう黯禺の毒は抜けたか」

「はい。お陰様で何とか事なきを得ました」

「そうか」


 壮哲はにこやかに頭を下げると、李将軍に向き直って言った。


「李将軍。先日はありがとうございました」


 前回李将軍が蒼国に来た時には、壮哲は黯禺の毒により(とこ)についていたので顔を合わせてはいない。


「いや。ご無事で何よりです」


 李将軍が和やかに応じた。

 挨拶が済むと、慧喬を上座に案内し、李将軍と文陽も各自席についた。


「すまぬな。突然」


 慧喬がこめかみを指で揉みながら言った。


「お疲れのご様子ですね。今日はどうされたのですか」


 壮哲が聞くと、ふう、と大きく息を吐いて言う。


「朱国へ行ってきた。その帰りだ」


 昊尚が用意させたおいた茶器で茶を淹れ始めると、慧喬が壮哲に聞いた。


蒼国(ここ)も災難だったな。もう落ち着いたか」

「はい。……と言っても、受叔が自死して共画甫の供述だけなので今一つすっきりはしないのですが」

「辛受叔も共画甫も我が国の民だったな。迷惑をかけた」

「いえ。情報提供やご協力などいただいたので助かりました」


 壮哲が言うと、慧喬が一見それとはわからないくらいに口元を緩めた。


「時に、朱国の騒動の顛末はお主も聞いているな」

「はい。こちらからも軍を差し向けておりましたので、朱国から帰ってきた者に聞きました」


 それは受叔が自死した直後のことだった。


 朱国王の武恵の要請で派遣された紅国と蒼国の軍は、夜明けとともに宮城へ踏み込む計画になっていた。

 しかし、いざ踏み込むときになると、宮城の中が突然騒がしくなった。

 急ぎ宮城へ入った連合軍が見たのは、夜明けの城内を多くの獣や怪物が徘徊し、それに驚き逃げ惑う黄朋たちだった。

 兵士たちが姿を見せると、黄朋たちには見向きもしなかった獣や怪物が兵士たちに襲いかかろうと向かって来た。しかしその襲いかかるまさにその時、突然それらが消え去ったのだ。


 兵士たちの目の前に残されたのは黄朋ら民たちのみで、獣や怪物は一頭もいなくなっていた。

 宮城内を隈なく調査したが、永賀殿に土螻二頭と狍鴞の死骸があっただけで、その他の受叔が連れてきたはずの獣たちは見つからなかったという。

 まるで狐につまれたような状態だった、と葛将軍も首を傾げていた。


「獣たちが突然消えたと聞いていますが、何かわかったのですか?」


 壮哲が聞くと、慧喬が椅子の肘掛けに肘をついて眉間を指で押しながら言った。


「それがな……武恵が雲起が関わっているようだと言うのだ」


 茶を淹れていた昊尚の手が止まる。

 雲起というのは、かつて蒼国の乗っ取りを企てた朱国の王子で武恵の腹違いの弟だ。


「どういうことですか? 雲起は自らの起こした爆発に巻き込まれたはずです」


 昊尚が怪訝な顔で聞く。昊尚はその爆発の場に居合わせていたのだ。


「ああ。しかし遺体も見つかっておらんだろう」

「確かにそうですが……」


 爆発現場には雲起の衣服の一部が残っていただけだった。


「武恵の元に雲起が来たらしい」


 慧喬は苦々しい顔で武恵から聞いたことを話し始めた。







 紅国と蒼国の兵士たちが去った後、武恵は眠ることができず、夜の宮城をそぞろ歩いていた。

 寝所のあった永賀殿は黯禺による兵士の殺戮が最も激しかったため、別宮に新たに寝所が用意された。しかし犠牲になった兵士たちを悼むため、武恵の足は永賀殿へと向かっていた。

 宮城内に残っていた僅かな女官と末の弟の雪昇は牢に入れられたまま放置されており、脱水症状で体は衰弱していたが命は無事だった。

 また兵士らの犠牲を目の当たりにするにつけ、こうも簡単に国の本拠である宮城が奪われ、他国を頼らなくては何もできなかったことに、武恵は自分の不甲斐なさを痛感していた。


 凡庸な自分が朱国を建て直すことなど、元より無理な話なのだろうか。


 酷く気分が沈んだまま武恵が永賀殿の門をくぐると、中庭にぼんやりと月の明かりに照らされた見覚えのある人物が立っていた。

 夜風が武恵の首筋をぬるりと撫でた。


「……まさか……」


 武恵が呟くと、その人物が振り向いた。


「兄上。何ですかこの有様は」


 月明かりに照らされ浮かび上がった恐ろしく美しい容貌は、紛れもなく武恵の腹違いのもう一人の弟だった。


「雲起……!」


 武恵が思わずよろよろと近づくと、雲起が、ふん、と笑った。


「兄上。相変わらず不甲斐ないですね」

「……生きていたのか」


 武恵が瞬きもできず雲起を見る。美しい姿は以前のままだが、どこか儚くも見える。

 雲起は武恵の問いには答えず、永賀殿の中庭に目を移して言った。


「……玄海のものたちは元の場所に返されました。あれらは訳もわからず連れて来られただけですからね」

「……どういうことだ? 消えた獣たちは玄海へ行ったということなのか?」


 武恵が呆然と聞く。そして、はっと目を見開いた。


「……まさか、雲起、お前……黄翁の仲間なのか?」

「違いますよ」


 雲起が、馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑う。


「じゃあどうして……」

「私はちょっとお使いで来ただけです。上の方が獣たちを返してくださったのを見届けに」

「上の方……とは?」


 武恵が聞いたが、雲起は母親の澄季によく似た顔で妖しく笑うだけだ。


「今まで何処にいたんだ?」


 武恵が重ねて問うと雲起が首を傾げた。


「ちょっとこことは繋がりが薄いところですね。下働きでこき使われていました」

「誰に? その上の方、にか?」

「いえ。私をあちらに連れて行った方です」

「……連れて行った……? もしかしてあの爆発の時いなくなったのは……何処かに連れて行かれたということか? ……そうだ……お前と一緒にいたあの女官……あの女官は誰なんだ? あの女官が何かをしたのか……?」


 立て続けに武恵が疑問をぶつける。

 武恵は雲起が爆発で行方不明になった時に一緒にいた女官が誰なのか探した。しかし誰もそれらしき女官を覚えている者がなく、結局いたという痕跡すらも見つけられていない。

 もしかしたらその女官は人ならぬ者なのかもしれないと武恵は考えていた。


「……ええ。その方です。どうも私のこの顔が気に入ったらしくて」


 雲起が自嘲するように笑みを浮かべる。その様子を武恵が見つめる。


「……戻って来られないのか?」

「無理ですね」


 今度の武恵の問いには雲起が即答した。そして夜空をちらりと見た。


「もう会うことはないでしょう。もう行きます。兄上、しっかりしてくださいね。お人好しも大概にしたらどうですか。相変わらず隙がありすぎます。情だけでは国は治まりませんよ。今のままでは加護などいただけませんからね」


 雲起が時を惜しむように言葉を詰め込んだ。


「待て、雲起。どこへ行くんだ」


 武恵は雲起の輪郭が薄くなったような気がして焦って呼びかけた。

 雲起はその武恵を見て(にが)そうに笑うと、そのまますうっと姿を消した。




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