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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
154/192

二年孟秋 天地始粛 2

**



 月季は再び蒼国へ来ていた。

 宮城への入口の門で溜息を吐く。一歩引いたところで忠全が気遣わしげに見守っている。

 蒼国から紅国へ帰って、慧喬に一連のことを報告した後、共氏を訪ねた。その結果を知らせに来たのだが、月季はこの門から足が動かなかった。


「うーん……」


 ここへ来て何度目のことになるのだろうか。月季は柱に手をついたまま唸って固まった。







 月季は紅国へ帰ってからとにかく忙しく過ごした。やるべき仕事だけではなく、意図的に自ら多忙を求めた。

 そうすることで膨らんでしまった壮哲への気持ちを、少し冷やそうと思っていた。

 蒼国での騒動の中で緊張感をそれと勘違いしたのかもしれない。冷静になればそうではなかったと思うかもしれない。

 そう考えたのだが、いくら忙しくしても膨らんだ気持ちが萎むことはなかった。


 初めて会った時から壮哲は自然で気負ったところがなかった。大抵の異性が向ける月季の容姿への賞賛もなく、適度な無神経さが心地よくて話していても楽だった。自分なりに腕に覚えのある剣で全く刃が立たないのも、口に出しては言わなかったが凄いと尊敬していた。

 友人としては申し分ない。そう思っていたはずなのに。


 いつからか状況が変わってきた。


 壮哲に”紅国の公主なのだから”と言われると殊更に苛々したのは、自分を自分として見て欲しかったから。黯禺を退治しに行く時に自分だけ遠ざけられることが悔しかったのは、自分も壮哲の役に立ちたかったから。

 壮哲と文莉がお似合いだと思うと胸の奥が痛んだのは、嫉妬したから。

 具合を悪くした時に迎えに来てくれた壮哲を思い出すと、今更ながらときめいた。

 壮哲の深い声と縹色の瞳を思うと胸が震えた。


 そう。この間昊尚を諦めたばかりなのに、お妃候補がいたのに、壮哲のことを好きになってしまったということは事実なのだ。

 自分の心なのに思うようにいかない。


 月季は諦めて自分の気持ちを受け入れるしかなかった。


 そうした上で、今の状態を考えた。

 輿入れの打診の返事はもう少し待ってくれ、と壮哲に言った時は、月季は紅国から輿入れの打診を取り下げてもらうつもりでいた。にもかかわらず、今になって踏み切ることができないでいる。


 何故か。


 その権利を手放すのが惜しいのだ。


 結局、”紅国の公主のくせに”と言われるのは嫌なのに、その立場を利用して、自分の想いを優先させようとしているのではないか。

 そう考えると、自分はなんて身勝手な人間なのかと落ち込みもする。

 しかし、そうは言うものの、自分の輿入れは国益になり、蒼国王としては望ましいことのはずだ。


 でも。


 壮哲自身の幸せのためには文莉が伴侶となる方が良いのではないか。きっと文莉は模範的な良い王妃になると想像できる。……それに、壮哲は文莉が好きなのかもしれない。

 そうならば、自分が嫁げば国益になるはずだという理由づけはあまり意味をなさないようにも感じた。


 月季は長い溜息を吐いてぼんやりと思った。


 ……私のことを好きになってくれればいいのに。


 そうしたら国益のため、なんて言い訳ばかり考えなくてもよくなるのに。

 考えれば考えるほど、月季の落とした溜息は積もるばかりだった。




 そんなふうに悶々としているうちに、保留にしていた輿入れの打診の件で月季の予想外のことが起こっていた。







「蒼国から正式にお返事が来ましたよ」


 宗正卿である大叔母が、共氏を訪ねに行って帰ってきた月季を待ち構えていた。

 月季の足が止まる。


 返事?

 返事って何の?


 動揺する月季に、大叔母が踊るような足取りで近付いてきた。


「喜びなさい。輿入れの件はあちらも是非にということですよ」


 月季は言葉を失った。

 壮哲に返事は待ってくれと言ったと思っていたのは勘違いだったのかと考えたが、そんなはずはない。


「まあ、当然と言えば当然です。蒼国のような小国に紅国の唯一の公主を嫁がせてさしあげようというのですからね。そもそも断るなんてことをするはずがありません」


 何故か大叔母が勝ち誇ったように、ほほほ、と笑う。

 ぐずぐずしているうちに紅国(こちら)から何か言ったのだろうか。


「叔母上。もしかして返事を催促したのですか?」


 月季の背中に冷や汗が流れる。


「いいえ。していないわよ。でもそろそろそれとなく探りを入れてみようと思っていたところだったのは確かね。でもね、そうするまでもなく、昨日、お返事が来たのよ」


 ご機嫌で歌うように言う。


「……何て書いてあったのですか?」


 月季が聞くと、大叔母は、うふふ、と勿体つけたように微笑んだ。


「貴女に見せてあげようと思って借りてきたのよ」


 そう言って手にしていた書簡を月季に渡した。

 月季は焦って広げた書簡に書かれている文字を追うが、目が滑って同じところばかり辿ってしまう。

 ようやく当たり障りのない定型文の後に、「貴国の宝玉たる公主との縁組が成ればこの上なく慶ばしいこと」という一文を見つけた。

 言葉をなくしてそれを凝視する月季を見て、大叔母は何を勘違いしたのか涙ぐんで言った。


「良かったわね。月季。全く公主らしくしてくれない貴女には本当に手を焼いたわ。その分、貴女が蒼国に嫁いでしまうのは寂しいのよ。でも、想いを寄せる人と結ばれるのが一番」


 棒立ちする月季の肩を撫でる。そして、


「さあ、忙しくなるわね」


 と来た時と同じく踊るように、そして更に歌まで口ずさみながら去っていった。







 月季が蒼国へ来たのは、昊尚に頼まれた件もあったが、輿入れの打診の件を確認するためでもあった。蒼国からは承諾の返事が来たが、それは本当に壮哲の意志なのか。


 壮哲のことを好きならこのまま黙って受け入れてしまえばいいではないか。

 いややっぱり壮哲のことを考えるのならば、なかったことにした方がいいのではないか。


 心の中で二人の月季が囁く。


 しばらく柱にもたれかかって固まっていた月季だが、大きく息を吸い込むと、意を決して門をくぐった。

 まずはやるべきことを済ませてしまうことにする。

 月季が昊尚への面会を求めると、程なく顔見知りの事務官が迎えにきて、事務室横の応接室に通された。


「ばたばたしていてすまないな」


 そう言って入ってきた昊尚に目を向けるのに月季は少し躊躇した。壮哲も一緒かもしれないと思ったからだ。

 しかし、入ってきたのはちょうど執務室にいた昊尚だけだった。

 前回は昊尚と二人きりで話す時に壮哲が入ってきてくれてほっとしたが、今日は逆だわ、と月季が苦笑する。

 輿入れの件について何か言われるかもしれないと思っていたが、昊尚はそれには触れることなく月季の向かいに座った。


「共氏の件だよな。忙しいところ悪かったな。どうだった?」


 早速用件に入った。


「画甫の実家にはもう共氏は住んでなかったわ。だから探すのに少し時間がかかってしまったの」


 月季も背筋を伸ばし、気持ちを公務に切り替えた。







 画甫が申告した実家の場所にはもう家族は住んでいなかった。父親は地方で下級役人をしていたようだったが、二年ほど前に亡くなっていた。

 画甫の父親が亡くなると、母親は家を引き払って娘——画甫の妹——の嫁ぎ先へ身を寄せていた。画甫の祖父もとうに亡くなっていた。

 月季は画甫の妹の家を尋ね、母親に昊尚が例の言葉を書きつけた紙を見せて話を聞こうとしたが、全く心当たりがないと言う。息子がしでかしたことを話すと、ただ恐れ慄いて聞くだけだった。


 諦めて月季が帰りかけた時、画甫の妹が追いかけてきた。

 そして、母親は知らされていないのだ、と前置きをして話してくれた。


 画甫の妹は、父親から紙片の言葉について聞いていた。本当は嫡子である画甫が受け継ぐことだったのだが、そのことを告げられる前に家を出てしまい、行方知れずになってしまった。だから父親の具合が悪くなった頃に、呼び出されて自分がその話を聞かされたのだと言う。

 共氏は最後の申黄国王の末の公主の降嫁先だった。その公主は、暴君だった父王に唯一諫言した人物だった。しかしそのお陰で父王に疎まれ、辺鄙な地の貴族に嫁がされた。


 申黄国が滅ぼされた時、王家の血を引く者は悉く処刑されることとなった。末の公主も例外ではなかった。

 まだ少年だった一人息子と牢の中に捕えられていた公主の前に、どこからともなく大きな虎が現れた。

 その虎は、申黄国の化身だと名乗り、公主に告げた。


「申黄国の御璽が何者かに持ち去られ、所在がわからなくなっている。この先それを用いて申黄国を再興しようとする者が現れるかもしれない。私は玉皇大帝に破門され玄海に身を寄せることになったが、最後の責任としてそれを阻止しなくてはならないのだ。もし御璽を用いて不穏な動きが起これば、私がその御璽を砕きに駆けつける。お前の息子を生かす代わりに、私の手助けをすることを命じる」


 そして公主の一人息子をその場から連れ去ったという。生き残った息子には、申黄国を復興させようとする動きがあれば玄海へ赴き、黄国の化身である虎に知らせるという使命が課せられた。


 以来、断罪を逃れるために王家の生き残りであることを隠して過ごすことになった。

 この使命は脈々と共氏の嫡子に受け継がれてきたのだと言う。

 画甫の妹は、まさかそれがまだ生きている話だったとは思いもしなかったと狼狽していた。

 彼らの何代か前にあたる山甫は、自ら王家の子孫であることを明言し、詩を書くことによって祖先が行った罪を忘れないようにすることを試みた人だったそうだ。その山甫の詩集にその紙片を綴じたのは画甫の祖父だったらしい。

 件の山甫の詩集は、父親が亡くなって家を引き払う際に、母親が気付かずに他の本と一緒に古本屋へ売り払ってしまったということだった。



 




「そうか……」


 月季の話を聞いて昊尚が腕を組んで溜息を吐いた。


「まるで逆の話だったんだな……」


 それに頷くと、剣の鞘に付けた例の琥珀を手にして月季が言う。


「この琥珀についてはわからないと言っていたわ。でもその話と虎が金剛石を砕いた時の状況から考えると、この琥珀は申黄国の化身の虎の魂ってことよね」

「……そう……なるんだろうな……。長い時間を経るうちに魂が石になった、ということか」


 ふむ、と昊尚が唸る。

 だとしたら受叔の持っていた金剛石は本当に申黄国の御璽だったということだ。どういう経緯を辿って御璽が玄海にあったのはわからないが、琥珀になった魂を持ち去られて力を失くした虎がそれを守っていたのだろう。

 その琥珀を持った月季が蒼国にいたというのも、単なる巡り合わせなのか。

 いや。もしかしたら申黄国の化身の虎の執念が引き寄せたのかもしれない。

 答えの出ないことを考えながら、昊尚は琥珀を見つめる月季を見て言った。


「……色々とすまなかったな」

「いいえ。紅国のことでもあるから」


 月季が答えると、椅子から腰を上げて昊尚が聞いた。


「もう帰るのか?」


 月季は昊尚をちらりと見ると、「ううん」と首を振った後、左の手のひらを右の親指で擦りながら言いにくそうに切り出した。


「……ええと……。あの、ちょっと聞きたいことがあって……その、私の輿入れの話なんだけど……」


 昊尚は一瞬動きを止め、俯いてごにょごにょと口籠る月季を見て笑みをこぼした。


「悪い。その話は陛下と直接してくれ」


 そして、忙しそうに出ていった。




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