三日目 御前会議 1
夜が明けると、未だ普段会議を取り仕切る都省長官の斉左丞相が戻っていないにもかかわらず、午前中の朝議は中止とし、午後に六省の長官たちに急な会議の招集がかかった。緊急の案件のため、とだけ各人には伝えられていた。
招集をかけたのは、都省のもう一人の長官である陳右丞相だった。
「斉丞相の留守中にこのようなことを進めてしまって良いのだろうか……」
自身で招集をかけたにもかかわらず、尻込みしておどおどした口調で言う。
「斉丞相がいない今だからやるんだ。このような好機を見過ごすわけにはいかないでしょう。わざわざ朱国に立ち寄る用事まで追加してもらったんだから」
呂将軍が陳丞相の小心を鼻で笑う。
朱国との国境で起こった官吏の不正を収めるために、斉丞相は王都を離れている。その間に今回の事件が起こった。
とてもこのようなことに与しないであろう斉丞相が早々に帰ってきてしまわないように、わざわざ朱国への派遣を、中書省令を仲間に引き入れ、作らせた偽の勅命で追加したのだ。
「しかし…」
「斉丞相は朱国で足止めしてもらいますから、その間に済ませてしまいましょう」
まだぐずぐす言う陳丞相に、呂将軍の横に立つ若者が微笑みかけた。
「貴方も斉氏にいつもいいようにされてご不満なのでしょう? 大丈夫ですよ。これは蒼国のためなのです。周家のみを正当な王位継承者とすることが蒼国の安定のためなのです。我が朱国が後ろ盾になります。しっかりしてくださいね」
若者は朱国の使者であった。朱国の皇子を蒼国の公主の婿にという申し入れを持って、数日前にやって来ていた。
「大丈夫です。陛下の御為です」
いつの間にか陳丞相の手をそっと掴む者がいた。二月程前から怜花妃の元に出入りをしている呪禁師だった。
呪禁師に触れられた途端、陳丞相の眉間の皺が無くなり、不安げな表情が消えた。
その様子を横目で見ていた朱国の使者が、呂将軍に小声で聞いた。
「縹公がいなくなったってどういうこと?」
「……昨夜遅くに連れ去られたようです」
「見張りは何してたの」
「何も見ていないと……」
「ふうん」
朱国の使者は呂将軍をじろりと見て、何かを言いかけたが止めて言葉を継いだ。
「古利の用意した番犬は?」
「禁苑で斬られていました」
「……」
朱国の使者は片眉を上げて再び呂将軍を見たが、思い直したように言った。
「ま、いいか。とにかく急ごうか」
*
会議を行う蒼翠殿には六省の長官が集っていた。
本来ならばその場には、それらの上位官である三公の職に就く碧公、藍公、縹公もいるはずであるが、彼らの姿はない。なお、もう一人の都省長官のである斉丞相もいない。
玉座には王の姿影が見えた。しかし御簾が降ろされ、顔は確認できない。そして玉座の脇には珍しく呂将軍が控えていた。
室内のあちこちで、隣り合った者同士がひそひそと言葉を交わしている。これから行われる緊急の御前会議を受け止めかねている様子の者もいれば、憮然として椅子に腰掛けている者もいる。
「皆様、ご静粛に。これより本日の緊急会議の議題を進めてまいります」
陳丞相の開会の宣言で御前会議が始まった。
「先日、藍公とその後継である承健様がお亡くなりになりました。大変痛ましい事件が起きてしまったことに、まず哀悼の意を表します」
議場がざわつく。それを押さえ込むように陳丞相が声を張り上げた。
「では、まず今回の件の経緯をご説明いたします。この一部始終を目撃いたしました右羽林将軍の呂氏から」
呼ばれて呂将軍が王の傍から御前の壇へと進んだ。
「一昨日の夕刻、私は陛下のお側に控えておりました。すると隣室から争う声が聞こえてまいりましたので、陛下と共に部屋に入りますと、床に倒れている藍公、その傍らには碧公と血塗れの剣を持った秦将軍、そしてその足元には血を流し事切れた周承健様がおられました。そこでは碧公が秦将軍に何か指示をしておられました」
つまり、英賢が指示をし、壮哲が藍公と承健を殺害したということを言いたいようだ。
ざわざわと更に室内が騒がしくなる。
構わず呂将軍は更に声を大きくして続けた。
「畏れ多いとは思いながらも、碧公と秦将軍を捕えようといたしましたが、秦将軍には抵抗され、逃亡を許してしまいました。碧公は拘束させていただきました。その様子をご覧になっておられた陛下は、衝撃を受けられたご様子で、お倒れになり、以来お言葉を発することができなくなってしまわれました」
呂将軍がちらりと玉座の方向に目を遣る。
言われれば、先ほどから王は玉座に座ったまま、一言も発しない。御簾に隠され表情を読むこともできない。
「碧公は大変興奮しておられましたが、我に返られると、取り乱して大変後悔をしておられました。ご自身でも何故あのようなことをしたか解らないとおっしゃられていましたが、全てをお認めになりました」
呂将軍がそこまで言うと、後を陳丞相が引き継いだ。
「藍公と承健様は、実は王位の継承について陛下にご相談に来られておりました。皆様ご存知のとおり、王位を継がれる方は青公三家のお血筋のうちから決められます。しかし、他国を見ますに、我が国以外が王の直系により安定的に継承されております。今後の我が国の発展を鑑みますと、やはり他国と足並みを揃えてによる安定的な王位継承が望ましいと思われます。故に、このことについて、陛下と藍公がすでにお考えを進めておられまして、今後直系による王位継承とする誓約書を作成されていらっしゃいました。しかし、碧公はご自身が次の王になることをご希望されていたため、そのことを知ってお怒りになったようです。それでこのようなことに……」
陳丞相は一旦言葉を切ると、室内を見回して更に続けた。
「この悲劇の根本的な原因は、王位の継承の方法にあります。これまで我が青蒼国建国以来、継承されて来たしきたりではありますが、問題のある点は改善していくことが、国の安寧のためでございます」
そこまで言うと、陳丞相が芝居がかったように右手を振り上げた。
「そこで王位継承の安定化を図るため、これ以降、王位は現王の直系による継承とする、と定めることを進めていきたいと思います。これは、陛下及び今は亡き藍公が命を賭してお決めになったこと。それに縹公も既にご賛同いただいており、継承方法の変更に関する誓約書も、あとは碧公のご署名とご捺印をいただくのみとなっております。今回の出来事を引き起こしてしまわれた碧公も、深く悔恨の意をお持ちでございます。そこで、償いの意も込めて、継承の変更に関する誓約書をこの場で完成させることをご提案いただいております。皆様にも証人として見届けていただきますようお願い申し上げます」
陳丞相の口上に更にざわめきが大きくなる。
「縹公はどうしておられる。何故ここにおられないのか」
声が上がる。
「縹公は現在床に伏せっておられます。秦将軍の振る舞いに大変ご立腹でありましたが、心労が祟られたのでしょう」
縹公がそんな柔なお人か? という囁きが聞こえる。
「そもそもその事件は本当に碧公が起こされたことなのか。何故正式な審議をしない」
兵部尚書が声を上げる。
「それに関しては、すでに碧公がお認めになっています。碧公にはここに来ていただいております」
陳丞相が議場の脇の扉を見やると、そこから英賢が静かに入って来た。
側には禁軍の兵士ともう一人道衣を着た者が付き添っている。その者は寄り添い、支えている振りをして英賢を誘導している。
英賢の顔は青ざめ、目は虚で足元もおぼつかないように見えた。
普段の隙のない英賢とはまるで別人のようである。その姿に室内は更にざわめく。
「碧公は自責の念により憔悴され、お身体の具合も悪くなっておられます。介添えをそばに置かせていただきます」
付き添っていたのは、呪禁師の古利であった。
古利に伴われ、呂将軍と入れ替わりに英賢は玉座の前に置かれた壇の前に立った。
「英賢様、これは一体どういうことなのですか!?」
「碧公! ご説明を!」
以前から英賢に信頼を置いている者たちから声が上がるが、英賢は無表情のまま前を向いて立ったままだ。
「こちらが、向後蒼国王は周家直系で継承していくという誓約書です。既に陛下、藍公及び縹公の署名がなされ、印璽が押されております。あとは碧公のご署名、ご捺印いただければ、完成いたします」
議場で上がる声を無視し、陳丞相が英賢を促す。
古利が英賢の手をとる。
いよいよ署名が行われるか、という時。
「秦将軍が手を下されたとのことだが、まことなのか!? この場にはおられないじゃないか! 秦将軍の証言も聞かず、このように国家の重大事を進めて良いのか! あまりにも拙速だ!」
官吏の一人が叫んだ。
「逃げておられることが、疑惑が真実である証拠なのでは?」
別の声が応じる。
すると。
「私を呼んだか」
議場の後方の扉が勢いよく開くと、そこには壮哲が立っていた。