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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
149/192

二年孟秋 寒蟬鳴 20



 荷車の上に起き上がった黯禺は、先ほど佑崔が倒したものよりも一回り大きかった。

 それは荷車から下りると、のろのろと壮哲たちの方へとやって来た。

 目標を何に定めているのかはわからない。本能的に殺戮に向かっているのとは様子が違うようだが、友人を迎えるように待っているわけにはいかない。

 佑崔が古利の亡骸(なきがら)を壮哲がかけた外衣で改めて(くる)み直し、玉座の陰へと避難させる。

 昊尚は床に倒れたままの受叔の肩を掴んでみるが、意識はないようだ。黯禺が佑崔に飛びかかってきた際に、佑崔が気絶させたそのままだ。画甫も同様にまだのびている。

 ということは黯禺は受叔に操られているわけではない。


「……受叔の支配下にはないようです……」


 昊尚が壮哲に言うと、そうか、と壮哲が剣を握り直す。

 黯禺はこちらに向かってきてはいるが、攻撃の目標にしているわけではなさそうだ。玄亀の石のお陰だろう、壮哲たちを気に留める様子もない。何かを探すように歩いているようにも見える。


「このまま始末しよう」


 壮哲の決断に、昊尚が倒した兵士の剣を拝借して戻って来た佑崔が言った。


「土螻たちのように喉元を一突きでは絶命しませんでした。胸の中心にも同時に剣を入れる必要があるかと」


 先ほど黯禺を倒した時に得られた情報だ。


「そうか。では、二手から攻撃しよう。佑崔は喉元を狙ってくれ。私は胸を突く。昊尚は合図をしたら覆いを」


 壮哲の言葉に二人が頷き、昊尚は外衣を脱いで手に持つ。

 佑崔と壮哲が剣を構え、黯禺を挟むようにじりじりと近付く。昊尚は背後から外衣を手に黯禺へと距離を詰めた。

 近寄って見ると、体を覆う毛も先ほどのものよりも黒々として太く、剛そうなのがわかる。

 先に倒した黯禺ですら、佑崔の剣は酷く刃毀れしてしまった。少しでも躊躇したり手元がぶれれば剛い毛に阻まれて剣は折れてしまう可能性が高い。


 (いや)が上にも緊張が高まる。


「三、二……」


 壮哲は佑崔と昊尚に目配せをすると、黯禺に近付きながら三人の機を合わせるように数を数え始めた。


 しかし黯禺は突然怒りをぶつけるように足を踏み鳴らしだした。

 壮哲らが反射的に飛び退くと、黯禺は走り出し、猛り狂ったかように堂の中を凄まじい勢いで疾走し始めた。

 そして堂内を一周すると、黯禺は突然殿舎前の広場へと飛び出した。


「まずい」


 壮哲はその後を追うと、見張りのいる左右の滄明門に向けて合図を送った。

 非常事態により退避を命じるものだった。







 月季は内廷から避難させた女官たちを待機させている場所で、立ったまま蒼翠殿の方向をじっと睨んでいた。明々と焚いた松明の光がぼんやりと夜空に映っている。

 女官らも不安げに空を見上げていた。


 すると女官の一人が空を指差して言った。


「あれ……(ふくろう)じゃない? こんなところに珍しいわね。嫌だわ。何だか不吉……」


 その言葉に月季も女官が指差す方向に目をやる。

 見上げた先には、ぐえっぐえっと甲高い声を上げながら旋回している鳥がいた。

 小ぶりだが確かに梟のようだ。

 梟は不吉の象徴とも言われて忌避されること多い。よりによってこんな時に現れたら女官たちが不安に思うのも無理はないのかもしれない。

 そう思いながら見ていると、その梟は月季の頭上へ来て、何かを訴えるようにしきりと甲高い声を上げてぐるぐると回った。


「あれは……」


 少し考えた後、月季が腕を梟の方へと差し出してみると、その小さな梟は降りて来て月季の腕に止まった。その愛嬌のある顔には見覚えがあった。


「お前……」


 腕に止まった梟の足元を覗き込むと、右脚に金色の足環が付いているのが見えた。その足環には思った通り、剣と盾による図案の墨国の紋が刻まれていた。


「夜雨……だったかしらね」


 腕から見上げてくる梟に話しかけると、そうだ、と言わんばかりに月季を見つめ返して首を傾げた。


「どうしたのよ。どうしてこんなところにいるの? お前一人? 飼い主は?」


 墨国の皇太子である秀騎駿の連れていた小金目梟(こきんめふくろう)のはずだ。不機嫌な顔の横に肩に乗せたこの愛嬌のある小さな梟が並ぶ絵面が記憶に残っている。

 そこへ女官たちと話していた理淑が走ってやってきた。


「誰ですか? この()は!」


 月季の腕の上の梟を覗き込む。


「墨国の皇太子の梟だと思うのだけど……」

「そうなんですか! うう! 可愛い!」


 梟が縁起が悪いと言われることにも頓着せず、理淑が満面の笑みで梟を見る。


「んん? 何か持ってますね」


 理淑が夜雨のふさふさとしたお腹の下に出ている脚を見て言った。その言葉のとおり、足環のない方の脚には紙を折りたたんだものがくくりつけてある。


「ええ。そうなんだけど……。外してもいいものかしら」


 月季も夜雨の足元を覗き込む。


「これ、持ってきてくれたの?」


 理淑が夜雨を見て聞くと、こっちに、と言うかのように月季の方に首を傾げ、少し脚を伸ばした。


「すごい。賢いね!」


 理淑が目を丸くして賛辞を述べると、夜雨は、いいから取れ、と言うように理淑を見上げた。


「じゃあ。月季殿の代わりに外すね」


 そう言いながら理淑がそっと夜雨の脚から括り付けられていたものを取る。


「ありがとうね」


 理淑が言って夜雨の頭を躊躇なく撫でると、夜雨はそれに抗わずうっとりと目を細めた。しかし、はっと我に返ったように首を伸ばすと、もう用は済んだ、とばかりにばさばさと再び暗い空へ飛び立った。


「これを運んできてくれたみたいですね」


 理淑は飛び立ってしまった夜雨を名残惜しそうに見上げながら言うと、月季に外した紙を渡した。

 広げてみると、その中から紐のついた青い亀甲形の小さな石が現れた。ちょうど壮哲に貸しているものと同じように見える。


「これって、玄亀の石ですか?」


 月季の手元を覗き込んでいた理淑が聞く。


「……そのようだけど……」


 騎駿が寄越したのだろうか? 何故玄亀の石のことを騎駿が知っているのか? 知っていたとしてもどうしてこれを自分に?


 月季は深い青色の石を見つめながら、腑に落ちない面持ちで広げた紙に書いてある小さな文字を目で追った。


 ”白雁門外にて。父上より、月季の剣を用いよとのこと"


「兄上だわ」


 月季が思わず呟いた。


 白雁門は采陽の西側の羅城門で、紅国の都の華京からは最も近い門だ。

 大雅は黯禺がいることを承知して蒼国まで来ているのだ。墨国の騎駿も一緒なのだろう。まだ夜明け前で城門が閉じられているから、取り急ぎ夜雨を借りて知らせてくれたというところか。


 文を見つめながら、月季は腰に差した剣の(つか)をぎゅっと握った。

 月季の剣は、李将軍が単身で魔物を討伐に行った時に携えていた剣を作った職人の手によるものだ。李将軍がわざわざこの剣を使えと言うのならば、黯禺を倒すのに適しているのだろう。


 月季は形の良い唇をきゅっと噛むと言った。


「ちょっと行ってくる」


 月季が足を踏み出すと、月季から片時も目を離すまいと側に控えていた忠全が立ちはだかった。


「なりません! 月季様!」


 忠全が断固とした声で止める。


「未だ(かた)がついたとは連絡がありません」


 その言葉に月季が完璧に整った美しい顔を歪めた。


 そうなのだ。先ほどから知らせを待っているのだが、一向にそれは届かず蒼翠殿の様子がわからない。


 忠全に改めて言葉にされて嫌な予感が月季の胸に広がる。


「だったら、尚更行かないと」

「月季様!!」

「届けに行くだけよ」


 そう言っても退かない忠全を月季が視線で押す。


「兄上からの伝言があったのよ。壮哲殿が黯禺を仕留めるのに手間取っているのだとしたら、私のこの剣を届ける必要があるわ」


 ざわざわと不安に侵食された気持ちを落ち着かせるように、剣の鞘につけた琥珀に触れながら言う。


「しかし……」

「急がないと」


 渋る忠全と月季を呼ぶ理淑の声を置いて、月季は蒼翠殿の方向へと走り出した。





 門下省の仮陣営に近付くと辺りは騒然としていた。兵士たちが持ち場を離れて建物の中に走り込んでいる。


 状況がおかしい。


「何があったの?」


 走ってきた兵士の一人を捕まえて月季が聞くと、問われた相手が月季だと気付き、兵士は慌てて拱手して青い顔で答えた。


「黯禺が……黯禺が来ます。公主様も避難をしてください!」


 その言葉に一瞬で心臓がひやりと冷たくなる。


 まさか……。


「壮哲殿は?」


 月季は思わずその兵士の腕をぎゅっと掴んだ。


「へ……陛下御自ら、蒼翠殿から退避の合図をくださったのです」


 強張った美しい顔に叱責されるように問われ、狼狽しながら兵士が答えると、月季が短く息を吐いた。


「無事なのね?」


 兵士がその問いに頷くのを確認すると、月季は掴んでいた腕を放して人の波に逆らうように滄明門の方へと駆け出した。


「月季様!」


 忠全が後を追って来ていた。


「着いて来るなと言っているでしょう。玄亀の石を持っていないお前がついて来ても足手纏いになるだけよ」

「しかし……!」

「これは命令よ!」


 月季が振り向いてそう言った時、背後で恐怖に満ちた(どよ)めきが起こった。

 その声が上がった方向に反射的に目を向けると、回廊の屋根に黯禺が現れたのが見えた。

 先刻見たものよりも大きい。


「何……? どういうこと……?」


 しかしその月季の呟きに答える者はない。


「月季様!! お戻りください!」


 黯禺を目にして焦る忠全が必死で月季を呼ぶが、月季は振り返って言った。


「お前は避難しなさい! お前が着いてくるとお前を守らないといけないのよ!」

「では私がお届けしますので、剣をお貸しください!!」


 懇願するように言う。

 月季は一瞬言葉に詰まった。しかしきっぱりと言った。


「いいえ。私が行くからお前は待機していなさい」


 忠全の提案は正しい。忠全の任務は紅国の公主を守ることなのだから。

 そうではあるが月季は、危険だからと言う理由で自分の代わりの誰かに行かせるということをしたくなかった。

 それに。

 それ以上に、どうしても壮哲の無事を自分の目で確認したかった。

 こんな感情的な行動はすべきではない。だけどこの耐え難い不安を解消するにはそれしかない。居ても立ってもいられないのだ。

 月季は首にかけた玄亀の石をぎゅっと握ると、忠全の声を振り切るように走り出した。




 滄明門の付近まで来ると、酷く焦った声で名前を呼ばれた。


「月季殿!」


 滄明門の扉を開けて飛び出して来た壮哲だった。昊尚と佑崔もそれに続いて走り出てきた。


「何してる! 逃げろ」


 血相を変えた壮哲が飛んできて、有無を言わさず月季を抱えてそのまま建物の影に滑り込んだ。


「ちょっと! 離して!」


 壮哲に抱えられた月季が暴れる。


「私も玄亀の石を持ってるから!」


 壮哲が月季を下ろすと聞いた。


「どういうことだ」


 壮哲に険しい顔を向けられるが、無事な縹色の瞳を見て膝の力が抜けそうになる。しかしそんな様子は噯気(おくび)にも出さず月季は早口で言った。


「兄上が蒼国の羅城まで来ているの」

「大雅殿が?」

「ええ。仔細はわからないけど、そこから梟を使って玄亀の石を一つ届けてくれて」


 月季が腰の剣に手をかける。


「それで……」


 剣を腰の帯から外そうとするが、安堵のあまり指が震えて手間取る。

 そこへ遠くで上がった悲鳴が耳に入った。

 壮哲がそちらの方へ振り返る。


「陛下!」


 昊尚が壮哲を呼ぶ。


「月季殿、来るんじゃないぞ!」


 壮哲はそう言うと、あっという間に未だ剣を手にしたままの月季を置いて、昊尚たちと悲鳴が上がった方向へ走り去ってしまった。




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