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異聞蒼国青史  作者: おがた史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
146/192

二年孟秋 寒蟬鳴 17



 蒼翠殿北側の青輝門の重い扉が音を立てて僅かに開いた。一旦扉は止まったが、再び人がすり抜けられるだけゆっくりと開くと、そこから壮哲と昊尚、佑崔が中へ滑り込んだ。いずれも剣を手にし、丈の長い外衣を羽織っている。

 蒼翠殿を囲む回廊の上の松明は煌々と焚かれていた。隠れて行動するならば通常は暗闇の方が都合良いが、玄海に棲むものを相手とするため、あえて灯りを消すことはしていない。


 門の中は随分と静かだった。蒼翠殿の周りにも人気(ひとけ)がなく、殿舎へは速やかに辿り着いた。

 受叔側の数は、矢による攻撃でかなり減っているはずだ。見張りに割ける人員は足りないだろう。

 しかし、蒼国側がこのまま放っておくはずがないことはわかっているはずだ。

 となると、元より見張りを立てるつもりなどなく、壮哲らがやって来るのを待っているのだと推測できた。


 蒼翠殿の檐廊(えんがわ)を伝い、東側の窓から中を覗く。蒼翠殿の東側に壮哲の執務室が(しつら)しつらえてある。窓から覗いた中には誰もいないようだった。 

 不意打ちを避けるために見通しのきく場所から中に入ることにする。


 殿の正面に着くが、壮哲らに気付いて何かが出てくる気配もない。中を覗くと、北寄りに鎮座する玉座には人はなく、堂の中に動くものはない。

 暗い室内に目を凝らすと、堂の隅の方に何かが横たわっている。

 壮哲が昊尚と佑崔に頷いて合図をすると戸を開けた。

 扉の立てた、ぎぎ、という控えめな音は静かな闇の中では耳障りに響いた。

 中に足を踏み入れた、その時。

 突然、堂の隅の黒いものが起き上がった。そのほかにも幾つか獣のようなものがむくりと身を起こした。

 佑崔が壮哲の前へ出る。昊尚は壮哲の背後を守るように構え、周囲に目を配った。


 すると、どこからか声が聞こえてきた。


「蒼国王ですね。ようこそ。待っていました」


 音が堂内で反響して、その声の主が何処にいるのかわからない。壮哲が起き上がった獣たちから目を離さず言った。


「ようこそと言われる筋合いはないな。ここの(あるじ)は私のはずだ」


 壮哲の落ち着いたよく通る声は受叔のに劣らず堂内に響いた。


「そうでしたね。まあ、今のところは、ですが」


 可笑しそうに返ってきた声を聞いて、佑崔が奥歯を噛む気配がする。壮哲が佑崔の肩を宥めるようにぼんぽんと叩く。

 そうしながら壮哲は堂の隅の方で起き上がった影に目を(すが)める。外から差し込む松明の灯りでその形が浮かび上がったものの一つには頭部がなかった。

 頭部のない影も他と同じように起き上がっただけでこちらへ向かってこようとはしない。

 壮哲は昊尚に振り向くと目配せをし、前を守る佑崔に小さく声をかけた。すると、佑崔が壮哲の前からするりと離れた。


「で? お前が辛受叔か」

「おや。私のことを知っていましたか」


 壮哲が聞くと、大仰に驚いた様子を作った声が答えた。


「顔ぐらい出したらどうだ」

「遠慮しておきます。突然矢を射かけてくる(やから)の前に出て行く馬鹿はいないでしょう」

「押し入って来た賊を討つのは正当な防衛行為だと思うが?」


 受叔の初めから挑発的な言いようにも釣られることなく、壮哲が泰然と応える。


「何をしに来た。あんな物騒なものを持ち込まれては迷惑だ」

「黯禺のことですか? 実はお願いがあって来たのですよ。だからこちらのお願いを聞いてくれれば大人しくさせておきますよ」

「お願いか。それにしては人にものを頼む態度ではないな」


 壮哲が淡々とした口調で言うと、受叔が、気に入りませんか、とわざとらしく笑いを含んだ。


「では、”要求”と言い換えましょう。蒼国の御璽が必要なのですよ」

「我が国の御璽をどうするつもりだ」

「民のために必要なのです」

「妄想のため、の間違いではないのか」

「不敬なことを言いますね。玉皇大帝のご意志ですよ」


 教えを垂れるような受叔の言い方に壮哲が苦笑いする。


「玉皇大帝のご意志のはずがないだろう。玉皇大帝のご加護は我が国に下されている」

「この私とて玉皇大帝から御璽を賜ったのです」

「その御璽とやらは何処かで拾ったただの石塊(いしくれ)ではないのか」

「無礼ですね」


 煽るように壮哲が選んだ言葉に受叔の声が尖った。


「畏れ多くも金剛石の御璽を石塊などと……!」


 壮哲は気に留める様子を見せることなく続けた。


「一体どこで拾って来た? 他の獣たちと同じく玄海か」

「……」


 返事は返ってこない。壮哲がさらに煽る。


「いずれにせよお前の言うその石塊に力はないのだろう」

「……不届き者め。つべこべ言わず御璽を渡しなさい」


 低い声で受叔が続ける。


「大人しく渡せば、黯禺はこのまま連れて帰ってあげます。でも、言うとおりにしないのであれば……そうですね、この采陽の市中(しちゅう)にこの子たちを放ちましょうか」

「そんなことをして神の加護が得られると思うのか」

「この御璽が私の手に巡ってきたこと自体が天啓です。玉皇大帝のご意志です」


 受叔の声に僅かに恍惚の色が混じる。


「……金剛石の御璽に託された玉皇大帝のご意志とは何だ?」


 誘導するような問いに受叔が答える。


「申黄国の再興です」


 そして厳かに続けた。


「偉大なる申黄国が復活することこそ民のため」

「……どうして申黄国が滅んだのか分かっているんだろうな」


 壮哲が聞くと受叔は軽蔑したように言った。


「勿論、利己心に走った愚かな逆賊たちのせいです」

「本気でそう思っているのか」

「他に何があるのです?」


 当然とばかりに言う受叔に壮哲が息を吐いた。


「そんな考えでいる限り、玉皇大帝から加護を賜ることができるとは思えない。たとえ我が国の御璽を破壊すればその石塊が力を得る、という話が本当だとしてもな」


 壮哲の淡々とした声に、受叔が冷水を浴びせられたように黙った。

 がらんとした堂内に沈黙が降りる。


「……そのことを知っているのならば話が早い。渡してもらいましょう」


 受叔の声から高揚した様がなくなり、低く不機嫌なものになった。


「それは無理だな」

「そうですか。残念です」


 壮哲は受叔に答えながら、堂の端を進む佑崔を目で追っていた。

 佑崔は黯禺の背後に辿り着いていた。

 玄亀の石を身につけているので、黯禺に思考を読まれることはないはずだ。黯禺の毛が鎧のように硬くても、大人しくしている状態であれば、佑崔なら剣を突き刺すことができるだろう。鋭い剣で迅速に、肉を無駄に断つことなく急所を刺すことができれば返り血も最小限で済む。

 念の為、返り血を直接浴びないよう、黯禺を覆って剣を刺すのに使えるよう外衣を羽織ってきている。しかし黯禺の背後に下がる帷を利用すれば万一血が噴き出た場合も防ぐことが期待できる。

 一番怖いのは、仕留め損ねた黯禺が血を撒き散らしながら暴れることだ。


 佑崔が帷越しに慎重に剣を構え狙いを定めた、その時。


 それまで壮哲の方を向いてゆらゆらとしていた黯禺が突として振り返り、鋭い爪を備えた長い腕を佑崔に向けて振り回した。


「……!!」


 佑崔は黯禺の振り向くほんの僅かな気配に気付き、後方へ飛び退いた。黯禺は今し方佑崔がいた場所に空気を裂く音と共に鋭い爪を振り下ろした。爪は佑崔の鼻先を間一髪で通り過ぎ、切り裂かれた帷が落ちて騒々しい音が響き渡った。


「佑崔!」


 壮哲が佑崔の方向に駆け出す。その後を昊尚も追う。

 飛び退った佑崔へ向かって黯禺が跳躍し、鋭い爪が尚も襲う。佑崔が柱を盾にしながら左右に避けると、爪を立てられた柱は深く抉り取られ、次々と凶々しい跡が刻み込まれていった。

 佑崔は向かってくる黯禺に火のない燭台を蹴り倒しつつ黯禺の追跡を(かわ)す。そこへ駆け寄った壮哲が黯禺に狙いを定めて剣を構えると、黯禺は再び壮哲の方へ振り返った。

 ぼんやり立っていたはずの朱国の鎧を着た兵士たちも、いつの間にか剣を構えて壮哲たちを囲むように距離を詰めて来ていた。土螻と諸懐も見るからに獰猛な角を振りながら壮哲たちに迫りつつある。


「残念でしたね。不意打ちは失敗です。さあ。どうしますか。黯禺に斬りつければ返り血で毒にやられますよ。それならば御璽を渡した方が利口だと思いますが」


 剣を構えた壮哲に向かって黯禺が一歩近付く。昊尚が壮哲に並び立つと、壮哲はじりじりと黯禺の横に回るように移動した。

 壮哲は玄亀の石を身につけている。思考が読まれることがないから、黯禺が壮哲を標的に定めることはできないはずだった。

 しかし黯禺は壮哲に合わせて体の向きを変えた。

 視力がないはずの黯禺が明らかに壮哲に合わせて動いている。先刻は背後から狙い討とうとした佑崔にも気付いていた。まるで全方向に視界が開けているように。

 壮哲は顔の向きはそのままに、黯禺の位置と堂の中を目線だけを動かして窺い見た。


 なるほど。


 壮哲が剣を握り直す。

 そして羽織っている外衣の首の留め金に手をかけると、黯禺の後方に佑崔が忍び寄って来ているのが見えた。

 佑崔は壮哲に頷いて合図をすると、黯禺に剣を振り翳した。

 後少しで暗愚に剣が届くというところで黯禺は振り返り、鋭い爪のついた長い腕を佑崔に向けて振り下ろした。佑崔が横へ避けつつ襲って来た爪を剣でいなし、黯禺の攻撃を(かわ)す。


 背を向けた形になった黯禺に向かって、壮哲は剣を構えると肩から外した外衣を黯禺に被せるように投げた。

 しかし黯禺は振り返りざま跳び上がり、投げられた外衣をその爪で引き裂いた。そして着地すると威嚇するように長い腕を上げた。


「ちょろちょろと鬱陶しいですね」


 受叔が苛立たしげに舌打ちをする。


「無駄ですよ。黯禺には敵いません。今無事なのは手加減してあげているからですよ」


 昊尚が守る壮哲の背後には兵士や諸懐たちが、正面には長い手をだらりと垂らした黯禺が戦闘態勢に入ったかのように小刻みに揺れている。


「動いたら黯禺をけしかけます」


 受叔の声が響く。


「これが最後です。大人しく御璽を渡しなさい。そうしたら特別に蒼国の領地の管理を任せてあげましょう」

「随分とふざけたことを言う」


 壮哲が黯禺に視線を合わせたまま言うと、受叔が呆れたように溜息を吐いた。


「状況がまだわかっていないようですね。お前の生殺与奪の権利は私に握られているというのに」

「私を殺してしまったら御璽の在処はわからないぞ。他の者は私が何処に移したのか知らない」


 壮哲の言葉に受叔が楽しそうに笑った。


「ならばお前に聞くのみです」


 それまで黙っていた昊尚が壮哲の背後から小さく言った。


「そろそろ引きましょう」


 それに頷きかけて、武装した兵とは違う影が近寄ってくるのに気付き、壮哲が、もう少し、と昊尚を止めた。

 壮哲がその影に視線を当てたまま待つ。昊尚もその方向をちらりと見る。


 ゆっくりと近づいて来たのは古利だった。


 黯禺の背後で剣を構え直した佑崔にも壮哲が、待て、と合図を送る。

 古利が昊尚に気付き一瞬立ち止まる。しかし、再び進み出て壮哲の前に立った。


「さあ、古利、そこの蒼国王に御璽の在処を聞いてください」


 受叔の促す声に、古利は自分の手のひらを体の前で広げると、壮哲を見た。

 壮哲は、古利の手から牢の中で付けられていた拘束具が外されているのをちらりと確認すると、古利の目を真っ直ぐと見返して静かに言った。


「受叔の言いなりか」


 古利は壮哲を無表情に見つめたあと、ふと目を逸らした。

 そして壮哲の手を掴もうと手を出した。


 その瞬間。


 佑崔が黯禺に剣を構え、外衣を投げつけた。

 黯禺は外衣を払い佑崔に襲いかかった。しかし佑崔はその動きを読んでいたかのように横に跳び退き、黯禺を引き付けるようにそのまま西側の扉へと走った。

 その隙に壮哲と昊尚は踵を返し、二人を囲んでいた兵と獣たちを薙ぎ払うように斬って退路を開き、外へ駆け出した。


「待て!!」


 受叔の怒りに満ちた声が堂内に響いた。

 壮哲と昊尚は蒼翠殿から外へ走り出ると、出て直ぐの檐廊(えんがわ)の下に身を隠した。

 黯禺が壮哲たちを追って出て来た。

 しかし、黯禺は壮哲らを探すように檐廊の上をうろうろとするだけで、直ぐに中へと戻っていった。

 壮哲と昊尚は黯禺が堂の中へ入るのを見届けると、堂の中から聞こえる受叔の不機嫌な声を背に、回廊の柱の影に身を隠しながら元来た青輝門へと向かった。



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