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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
144/192

二年孟秋 寒蟬鳴 15



 古利が蒼翠殿の窓から外の様子を窺っていると、黯禺があっという間に帰ってきた。手に下げた二つの生首に思わず後ずさる。


 黯禺は蒼翠殿の中に入ってくると、その首を大事そうに暗い堂の隅に置いた。

 古利が見ている中、窓辺にいた受叔が低く呪文を唱えた。そのとたん黯禺はまた床に横たわった。

 黯禺が動かなくなったのを確認すると、古利が受叔のそばに行って聞いた。


「えらくあっさり戻って来ましたね。あれで終わりですか?」


 受叔が薄く笑い、玉座の方へと歩きながら言った。


「思ったより兵の避難が早かったですからね」

「でも、あの回廊の向こうに兵は沢山いるんですよね」


 受叔の後についていきながら古利が聞く。

 黯禺が現れると、並んでいた兵たちは一斉に屋根の上から向こう側に消えた。しかし黯禺のあの速さならば、追えば容易に捕まえられるだろう。


「そうでしょうね。でも、挑発したかっただけだからあれでいいんですよ。それに見えないと指示できませんし、あまり離れると制御できなくなってしまいますから」


 受叔が灯りを点けようとしないので堂の中は暗いままだが、その足取りに迷いはない。玉座に着くと、やれやれ、と言いながら腰掛け、ふう、と息を吐く。そして怪訝な顔をしている古利に言った。


「黯禺には目も耳もないでしょう? だから代わりに私が黯禺に何処に何がいるか教えてあげているんです。あの回廊を乗り越えてあちら側に行ってしまったら、私が指示してやることができなくなりますからね。それに距離的にも私の"声"が届かなくなってしまうんですよ」

「どういうことですか?」


 古利が聞くと、受叔が、ああ、と古利を見る。


「古利は黯禺のことをよく知らないんでしたね。あの黯禺という魔物は、見てのとおり頭がありませんので視覚も聴覚もありませんが、人の思考を読むことができます。それによって獲物が何処にいるのかを感じ取って攻撃をするのですが、見境なく狩ってしまうんです」


 まるでやんちゃな子どものことを話すように苦笑して続ける。


「そんなことにならないように、私が制御してあげてるんです。声の届く範囲も、さっき黯禺をやった辺りが限界でしょう。私の指示が届かないところへ行ってしまうと、まあ、大変なことになるでしょうね」


 そう言って堂の隅に転がる兵の生首の方を見遣る。つられて古利もその目線の方向へ目を向けると、受叔が言った。


「黯禺には頭がないから、それを欲しがって頭を狩ると言われています。ここがあれで一杯になっても困るでしょう?」

「それは……嫌ですね……」


 古利が同意すると、受叔が声を出して笑った。


「それになかなか黯禺を操るのは疲れるんですよ。だから用がない時はああして寝かせるようにしています」


 玉座の背にもたれて受叔が大きく息を吐く。


「……辛先生は黯禺たちをどうやって操っているんですか?」


 古利が黯禺から目を戻して聞くと、肘掛けに肘をついた受叔と視線が合う。


「古利は生まれつき恵まれた能力を持っているからわからないでしょうが、とても苦労したんですよ」


 受叔が微笑みかける。


「でもお前のお陰でもあります。お前の能力を参考にしました」

「私のですか?」

「そうです。お前は、相手の心に自分の意思を送り込み、自分の意思であるかのように感じさせることによって相手を操りますね」


 はい、と古利が頷く。それは受叔に拾われて世話になっていた時、一緒に試行錯誤をして探り当てた方法だ。


「玄海に棲む獣や怪物たちは耳が聞こえません。頭の中にあるのは自分の意思だけで、外からの情報に慣れていません。つまり、そこへ私の意思を送り込むことができれば、自分の意思だと感じるでしょう。だから、玄海の獣たちを操ることは玄海の外に棲むものたちよりも容易なのではないか、と考えたんですよ」

「……なるほど……。でも、どうやって意思を送り込むのですか?」


 そこが一番問題だろう、と古利が聞くと、受叔の目が僅かに自慢げに細められた。


「黯禺を使ったのです」


 益々怪訝な面持ちになった古利を受叔が満足そうに眺める。


「お前が私のところを出て行ってから、私は玄海で暮らしていたのですよ」


 だから暗闇に慣れているのか、と受叔が灯りを付けないことに合点しつつ黙って聞く。


「そこで獣たちを操るための研究をしていたのですが、ある日、玄海で黯禺の死体を見つけたのです。本当に幸運でした。どうして死んだのかはわかりませんが、まだ息絶えて間もないようでした。その死体を見て、黯禺を利用することを思いついたのです。黯禺は周りにいるものの思考を読み取ることができます。その仕組みがわかれば、きっと獣たちに思考を送り込む方法がわかるはずだと思い、黯禺の死体を持ち帰ることにしました」

「でも、黯禺には全身毒があるのでは? 危険ではなかったのですか」


 古利が聞くと、受叔が頷く。


「だから先ずは黯禺の毒の解毒剤を作ることから始めました。調査するにはどうしても必要でしたからね。解毒剤を作るのは大変でした。……でも、解毒剤を作り、いろいろと試すことができるようになると、秘密はあの剛い毛だということがわかりました。あの針のような毛が思考を受け取る装置の役割をしていたんです。つまり黯禺の毛を操りたいものに埋め込めばよいのだということに気づいたのです」


 眉を顰めながら何度か瞬きをして古利が首を傾げる。


「黯禺は周りにいるものの思考を読み取るんですよね……」


 腑に落ちない面持ちで言う古利を、受叔がその先を促すように見る。


「それだと辛先生のものだけでなく、黯禺がそうであるように、周りのいろんなものの意識を受け取りませんか?」


 古利が聞くと、受叔は、よく気付きましたね、と古利に微笑んだ。

 その顔を見て、古利は受叔に世話になっていた時を思い出す。

 そして、受叔の中では自分とは当時と同じ師弟関係のままなのだ、と気付く。


 だから色々と教えてくれるのだろう。


「そう。でも、黯禺の毛が少量では周りの意思を読み取るほどのことはできません。そこで暗愚の爪が役に立つのです。黯禺の爪に傷をつけられると、傷をつけられたものは思考や感情を隠すことができなくなります。つまりそれは言い換えると、爪で傷をつけたものからは思考を受け取りやすくなるということなのです」


 古利が、よくわからない、というように首を傾げると、受叔が説明を続ける。


「爪が傷をつける、つまり爪と血が触れると、爪の持ち主は、毛を介して血の持ち主の意思を受け取りやすくなるという仕組みです。そこで私は爪を自分に取り込むことにしました」

「……え……でも毒が……」

「何年かかけて少しずつ自分の体に毒を慣らしました。お陰で今では多少の毒なら私には効きません。おそらく私自身、毒に馴染んでいるのしょう」


 ふふ、と受叔が笑う。


「玄海の獣や怪物に、黯禺の死体から採取した毛を弱毒化して仕込むことによって、それらは私の意思を受け取り、言うことを聞いてくれるようになりました」

「……は……凄いですね……」


 古利はその受叔の執念に感嘆の溜息を漏らした。



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