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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
142/192

二年孟秋 寒蟬鳴 13



「どういうことだ?」


 壮哲が台に置かれた昊尚の書いた文を見た。

 昊尚も台の上に目を戻す。紙には側に焚いている篝火の影がゆらゆらと踊るように映る。

 自分の書き付けた文と千切れた紙片を凝視して考え込む昊尚を、文莉と月季も固唾を呑んで見守る。


 昊尚が顔を上げた。


「……順を追って話してもいいですか? 考えを整理したいので」


 壮哲が、ああ、と返事をすると、昊尚は目礼をして話し始めた。


「受叔は玉皇大帝から御璽を賜ったと言っています。それが本当だとしたら、武恵殿には申し訳ありませんが、加護を失った朱国を受叔が代わって治めるというのは道理がとおります。……怪物や黯禺を従わせるという特異な能力も、加護を得た(あかし)と考えられないこともありません」


 昊尚は自分の言ったことを点検するように少し間を置くと、再び口を開いた。


「その受叔が今、我が国へ来ています。黯禺を連れていることからも、決して友好的な訪問ではありません。その目的は、申黄国の再興のために朱国に続いて我が国を陥し、手に入れるためである、と推測していました」

「違うのか」


 ”していました”という過去形に壮哲が思わず反応した。


「いえ。受叔が蒼国も支配するつもりだろうという考えには変わりありません。ただ、この共山甫の詩集から出てきた書き付けの全貌がわかって、受叔の蒼国襲撃について少し見方を変えました」


 昊尚が台に置いた紙を指でとんとんと叩く。

 壮哲が視線を昊尚の指先から青味がかった瞳に移して、先を促す。


「受叔は新しく治める国の体制を整えてもいないのに我が国にやって来ています。それはひどく拙速な行動に映ります。そんな無茶とも思われる行動を起こした理由として考えられるのは、それが玉皇大帝のご意向である場合です。蒼国を陥すことが大帝のご意志なのであれば、受叔なら喜んで従うでしょう」


 昊尚の言葉に、壮哲が首を傾げる。


「だが、先刻も言ったとおり、我が御璽はまだその力を失っていない。つまりまだ我々には玉皇大帝のご加護があり、蒼国の統治を認められているということだろう? 矛盾していないか?」

「そのとおりです。受叔の蒼国への侵攻が玉皇大帝のご意向だとしたら、大帝ご自身がさっさと蒼国への加護を取り上げてしまえばいいだけのことです。それに、受叔にそう玉皇大帝からのご意向が下ったのであれば、こんなふうにこそこそと我が国にやって来る必要はないはずです。堂々と正面から蒼国を否定すればいい」


 壮哲が肯首する。


「このような理に(かな)わない行動から、やはり受叔は玉皇大帝から加護を賜ってなどいないと判断せざるを得ません」


 昊尚が言うと、壮哲がそれを補足するように付け加えた。


「受叔が加護を得ているかどうかに関して言えば、我が太祖たちが玉皇大帝から加護を賜った経緯から考えても、腑に落ちない点があるぞ。我が国が青公という複数の氏が治めるという体制をとっているのは、玉皇大帝が申黄国の末路を嘆き、王一人に全権を委ねるのを厭ったからと言われている。それを考えると、受叔一人が加護を得たというのにも疑問が残る」


 玉皇大帝は、黄国が滅びた後"神無き時代"を含めた長い間、新たに加護を与えることはなかった。黄国の滅亡から約七百年を経て、漸く蒼国の太祖に加護を与えることにはなったが、王となる者にではなく、共同で国を治める条件で三氏に加護を与えるという、他に類を見ない形をとったのだ。


「そうですね。……それに、念の為、同じ神に加護を賜る国が同時に存在したことがあるのかということを再度確認してみたのですが、そのような例はありませんでした」


 昊尚が顎に手をやって青味がかった黒い瞳を細める。


「そのことからも、玉皇大帝の我が国への加護が続いている限り、受叔が玉皇大帝から加護を得ることは難しいと考えられます」


 壮哲が腕を組んで、そうだな、と頷くと、昊尚が続けた。


「それらを踏まえた上で、受叔が我が国に黯禺らを連れてやってきた理由を再度考えてみます。単に領土拡大のためというのではなく、蒼国であることが必然であったとしたら」


 一旦言葉を切り、台の上の千切れた紙片を手に取る。


「もしこの共山甫という詩人が本当に辛氏の末裔で、ここに書かれていることが代々子孫に言い伝えられてきたことであれば、同じく辛氏の末裔を称する受叔がこれを知っている可能性があります」


 ようやく話が核心に近づく。


「……それでその文は一体何を意味するんだ」


 壮哲が聞くと昊尚は紙片を戻し、自分が文を書き付けた紙を手に取った。


「この文を書かれているとおりに解釈してみます。"虎深き海に沈む"の"虎"は申黄国の象徴だったことから、申黄国そのものを表すものと考えられます。そうすると、虎が海に沈んだ、つまり、申黄国は滅びた、という意味になります。"(しこう)して底より(あらわ)る"は、つまり、だけれども復活する。そして、"如し正しくすること能わざれば、応に貴石を砕くべし"。……上手くいかない時は貴石を砕くべし、と続きます。この"貴石"が何を示すのか。……受叔がこれを我が国の御璽と考えたのだとしたら」


 そう言って昊尚が壮哲に紙を手渡す。


「なるほど」


 壮哲が手渡された紙を睨みながら、昊尚の言わんとした続きを引き継ぐ。


「申黄国の再興が上手くいっていないから、蒼国の御璽を破壊しにきた、ということか。玉皇大帝の加護の象徴である御璽を破壊して、玉皇大帝からの我が国への加護を無いものにすれば、受叔が加護を受けられる、そう解釈したわけだな」


 壮哲が嫌そうな顔をして大きく息を吐いた。


「もしかしたら受叔が賜ったと言っている御璽は、(あなが)ち全くの偽物というわけではないのかもしれませんね。我が国の御璽を壊せば加護が備わると信じ得るだけの物なのかもしれません」


 冷静に推測してみせる昊尚を壮哲が苦い顔で見る。


「嫌なことを言うな」

「ちなみに、玉皇大帝からの御璽ではありませんが、御璽が盗難に遭って加護を失いかけた国があったと聞いたことがあります」


 昊尚がしれっと仮定の信憑性が増すような事例を紹介すると、壮哲が溜息を吐く。


「そうか……」


 そう呟いて疲れたように眉間を揉む壮哲に昊尚が聞いた。


「陛下、御璽はどちらにありますか?」

「流石に蒼翠殿の執務室に置いたまま受叔らを閉じ込めるわけにはいかないから、この門下省の保管庫に一時的に移させてある」


 壮哲が門下省の建物を振り返って言うと、昊尚もそちらの方向に目を遣り頷く。


「我が国の場合は、王の御璽のほかに、青公の印章と合わせて四つで一揃いなので、簡単に全て奪われることはないと思いますが、御璽の警護は強化しましょう」

「そうだな。……まあ、しかし受叔の目的が御璽だとしても、どのみち私が標的になりそうなのは変わりないな」


 壮哲が苦笑した。

 そして、じっと様子を見守っていた文莉と月季に視線を向けた。

 目が合った文莉が不安げな瞳で頭を下げると、壮哲が言った。


「文莉殿、わざわざすまなかった」


 壮哲の言葉に文莉がふるふると首を振る。


「いいえ。とんでもございません」


 昊尚も文莉に言う。


「いや、本当に。とても貴重な情報でした」

「お役に立てたのならばよかったです。……あの詩集はどこで手に入れたのかと父に聞いてみましたところ、やはり紅国の古書を扱う書店が店を畳んだ際に丸ごと引き受けたそうでした。父は共氏のご子孫を知っていて、紅国にお住まいのはずだと申しておりました」


 文莉が付け足すと、昊尚は一瞬何かを思い出したような顔をしたが、その内容については触れず文莉に言った。


「では、ここは危ないですので後はお任せいただいて、一刻も早く避難してください」


 文莉は心配そうに壮哲を見たが、「わかりました」と頭を下げた。


「じゃあ、送って来るわ」


 文莉を連れてきてしまった責任を感じてずっとそばにいた月季が言う。


「すまん。頼む」


 昊尚が言うと、月季は文莉を促して歩き出した。

 月季たちが壮哲たちの元から離れた時。


「うわぁっ!!」


 突然滄明門の上の見張の兵から叫び声が上がり、回廊の屋根の上にいた兵士が転げ落ちてきた。転げ落ちた兵の身体は血まみれで、そして首がなかった。

 恐る恐る人々が見上げた回廊の屋根の上には、今落ちてきた兵の首を手にぶら下げた黯禺がいた。


「逃げろ!」


 兵たちが口々に叫ぶ。


 予め兵たちには黯禺に出会った時は立ち向かおうとはせず、とにかく逃げろと指令が出ていた。

 隠れても思考を読まれて見つかってしまう。中途半端に向かっていったところで、剣が黯禺を刺す前に黯禺の爪に引き裂かれてしまう可能性が高い。

 黯禺の爪に搔かれれば、その毒は身体中に周り、命を落とす危険性が大きい。また、黯禺を仕留めたとしても、返り血を浴びればやはりその毒に侵される。

 昊尚の経験から割り出した黯禺に思考を読まれない距離を周知し、無理に対抗しようとしないで思考を読まれない距離まで逃げるようにと徹底した。

 月季も、逃げろという声に反射的に駆け出そうとする。


「文莉殿!」


 一緒にいた文莉に目を向けると、真っ青な顔をして地面に座り込んでしまっていた。

 月季は慌てて文莉の腕をとる。


「早く!」


 しかし文莉は腰が抜けてしまったのか、立ち上がることができないようだ。月季の力では文莉を持ち上げて逃げることは難しい。

 月季は回廊の方を振り返った。

 地面に転がる首のない兵の遺体。そしてその上方には兵の首を手にした黯禺が見えた。


 まずい。この距離では黯禺に気付かれる。


 月季は動けなくなっている文莉を背に庇い、黯禺を睨みながら腰の剣を抜いた。


「誰か! 早く文莉殿を!」


 剣を構えながら、そう月季が叫んだ時。


「月季殿!!」


 目の端に壮哲が駆けて来るのが見えた。

 壮哲は月季のところまで来ると、文莉を軽々と抱えた。

 そして、


「行くぞ!」


 そう叫んで月季の腕を掴むと、壮哲は文莉を抱えたまま走り出した。

 振り返る一瞬も惜しい。

 恐怖によるものなのか、走りながら月季は後頭部がちりちりと痛むのを感じた。

 思考を読まれないだけの距離まで走ると、ようやく壮哲が月季の腕を離した。

 月季は後ろを振り返り黯禺を探した。

 黯禺は相変わらず兵がいなくなった回廊の屋根の上をうろうろとしていた。

 兵のほとんどは黯禺からは思考を読まれない距離まで逃げている。


 しかし黯禺からそう離れていないところに、屋根から落ちて足を痛めたのか、一人の兵が這いずりながら逃げようとしていた。

 壮哲は文莉を降ろすと、


「あとは頼む」


 月季に言って、その兵の元へと向かった。

 逃げ遅れた兵に壮哲が手を貸す。


「壮哲様!」


 後を追った佑崔が、壮哲を背に黯禺の前へと出る。昊尚も駆けつけ、黯禺に向かって剣を構えた。

 思いがけず突然黯禺と対峙することになり、びりびりとした緊張が走る。

 佑崔は背後の壮哲と兵を気にしながらも、あらゆる神経を集中させて黯禺の動きに合わせられるよう間合いを計った。


 ところが。


 突然、黯禺は踵を返して回廊の向こう側へと消えた。




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