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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
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二年孟秋 寒蟬鳴 11



 青公らが果たすべき役割のために退出すると、壮哲は佑崔を伴って月季と理淑のいる涼美殿に向かった。


「月季殿、入っても構わないか」


 声をかけて返事があったので壮哲が部屋に入ると、茶を飲みながら理淑と話をしていたらしい月季が穏やかな表情を残したまま壮哲を見た。


 向けられたことのない顔に、壮哲の足が思わず止まる。


「どうしたの?」


 少し驚いた顔になった月季が壮哲に声をかける。


「……いや」


 壮哲は再び歩を進め、月季と理淑の前に立つと用件を切り出した。


「くつろいでいるところを申し訳ないが、今夜は碧公の屋敷に移ってもらってもいいか」


 それを聞いて月季が怪訝な顔をする。壮哲を迎えるために立ち上がった理淑も、きょとんとした顔になる。


「これから? 夏邸(うち)にですか?」


 理淑が聞く。


「ああ。すまんな。話が変わってばたばたさせて」

「……うちに行くのは別にいいんですけど……」

「何があったの?」


 月季の声が鋭くなり、探るように壮哲を見る。

 返事を促されるように視線をあわされて、壮哲が少し躊躇った後に言った。


「……受叔が近々この宮城を襲撃してくると思われる」


 理淑の碧色の目が見開かれ、月季の琥珀色の瞳に緊張が走る。


「いつ?」

「恐らく今夜だ」


 驚くこともなく月季が咎めるように壮哲を睨む。


「それで、私に逃げ出せって言ってるの?」

「いや、そういうつもりではない。まだ体調は万全ではないだろう。だから……」

「何度も言うけど、もう大丈夫よ」


 壮哲の言葉を月季が遮ると、壮哲が困ったように月季を見た。


「……ああ。百歩譲ってそうだとして、これは蒼国の問題だ。月季殿が巻き込まれる必要はない」


 壮哲の言葉に、壮哲を睨む琥珀色の瞳が少し傷ついたように揺れた。


「……紅国の公主が蒼国を見捨てて自分だけ安全な場所に避難したって言われるのは死ぬよりも嫌」


 壮哲から目を離さず月季が低い声で言うと、壮哲もその視線を正面から受け止める。

 琥珀色の瞳は一歩も引く様子はない。壮哲の視線を押し返すように睨みつけていた。

 壮哲は視線を外すと、首をさすって溜息を吐いた。


「月季殿に何かあったら、私に預かってくれと言った慧喬陛下と大雅殿に申し訳が立たない」

「私のこと何だと思ってるの。子どもじゃないのよ」


 壮哲の前に仁王立ちして抗議する琥珀色の真っ直ぐな瞳は、美しいほどにぶれない。壮哲はその瞳をよく見ようとするかのように覗き込む。


「実はもう一つ頼みがあるんだ」

「何?」

「玄亀の石を貸してもらいたいんだ」


 ぴくりと月季の眉が上がる。


「……黯禺がいるのね」

「襲撃には必ず黯禺を連れて来るだろう」

「もしかして貴方が出るつもり?」

「ああ。受叔は私を狙うはずだから、私が出ていけば間違いなく黯禺をけしかけてくるだろう。黯禺を片付けるには私が行くのが恐らく最も効率が良いはずだ」


 壮哲が標的だからという点は別にしても、黯禺に対するには蒼国一とも言われる腕を持つ壮哲が適任なのは違いない。


 そう考えながらも、月季はじわじわと胸に不安な気持ちが広がるのを感じていた。それを抑えるかのように胸元に手をやると、首からかけた玄亀の石が衣服の下に触れた。

 月季はそれを無意識に握った。

 その仕草を見て壮哲が申し訳なさそうに言う。


「すまない。玄亀の石を借りてしまうと、月季殿が黯禺に遭遇した時に身を守れない。だから避難してもらいたいんだ。慧喬陛下がせっかく月季殿に持たせたものを貸してくれと言うのは、心苦しいんだが」


 月季は、自分が玄亀の石を渡すのを渋っていると思われたのか、と壮哲をじろりと睨む。


「そういうのじゃないわよ」


 そう言って玄亀の石のついた紐を首から外し、壮哲に差し出した。


「申し訳ない。後で返す」


 月季が差し出した玄亀の石を受け取ると、壮哲は手のひらに載せたまま、青く輝く石をまじまじと興味深げに見た。

 その姿を見つめながら、月季は自分でも説明のできないもやもやを胸に残したまま壮哲に聞いた。


「でも、王自らが行って大丈夫なの?」


 壮哲がふいに、ん? と玄亀の石から顔を上げた。

 意図せず無防備に壮哲を見つめていた月季の視線と縹色の瞳がまともに出会う。

 不意のことに月季が思わず目を逸らしてしまったところへ、ちょうど昊尚が声をかけて入ってきた。

 壮哲の注意がそちらに向いて月季がほっと息を吐く。


「陛下、やはりご自分で黯禺を始末するおつもりなんですね」


 玄亀の石を手にした壮哲を見て、溜息を交えて昊尚が言うと、壮哲がにやりと笑みを浮かべて昊尚を見返す。


「何だ、昊尚。文句でもあるのか。私の役割は蒼国を守ることだと言ったのはお前だぞ。私が行かなくてどうする」


 昊尚が朱国へ黯禺討伐のために出向くことになった際に、自分が行きたいのだが、と残念がったところに言われた言葉を持ち出す。


「それに、お前だって行くつもりだろう」


 壮哲に言われて、昊尚が以前玄海で黯禺に怪我をさせられた左胸あたりに手をやり、ふん、と息を吐く。


「当然です。私は黯禺に借りがありますからね」


 そして理淑に向き直って言った。


「ところで、理淑殿、一つ用事を頼まれてもらってもいいか」


 それまで目の前でされるやり取りをそわそわしながら見ていた理淑が、突然話の水を向けられて背筋を伸ばす。


「何ですか」

「申し訳ないが、範玲殿に右の耳飾りを借りて来てくれないか」


 理淑が、あ、と小さく声を上げる。


「そっか。姉上の耳飾りも玄亀の石だ」


 範玲が今つけている五つ目の耳飾りは、月季の持つ玄亀の石と同じ効果を持っている。だから黯禺に思考を読まれるのを防ぐことができる。


「そうだ。頼んでもいいか。だが、くれぐれも範玲殿には宮城に近づかないように釘を刺しておいてくれ」

「わかりました」


 理淑が神妙に頷く。


「そうすれば、玄亀の石が二つになる。私を合わせれば三人で黯禺に対応することができる」


 昊尚が壮哲に言った。すると。


「玄亀の石の一つは私にお預けください」


 壮哲の後ろにじっと控えていた佑崔が声を上げた。


「佑崔が一緒なら心強いな」


 壮哲が笑いかけると、佑崔が硬い顔で言った。


「一緒と言わず、壮哲様はお出でにならないでいただきたいのですが……」

「何だ。自分の方が腕が立つと言いたいのか」


 壮哲が少し揶揄うように言うと、佑崔が困ったように弓形の眉を下げる。


「そういうわけでは……。しかし、壮哲様に何かあったら……」

「大丈夫だ。それに万一の時は、文始先生の万能毒消を持ってるんだろ?」


 壮哲が昊尚に言うと、黙ったまま見ていた月季が腰に下げていた荷包(きんちゃく)を解いて、壮哲の目の前に差し出した。


「何だ?」

「万能毒消。昊尚殿が持ってるのより効くはずよ。改良したって文始先生が言ってたもの」

「くれるのか」

「欲しかったら私を追い出そうとしないことね」


 月季が不機嫌に言った。


 月季は先ほどから自分が感じている苛立ちの原因を考えていた。

 そして昊尚や佑崔とのやりとりを見ていて、壮哲に自分は関係ないと言われて宮城から追い払われるのが嫌なのだ、ということに思い至った。


 壮哲には自分の助けなど必要ないのだ。むしろ邪魔なのかもしれない。


 その考えは思いのほか月季を傷つけた。


 頼ってももらえないことがこんなに腹立たしいなんて。


「……私にも協力させなさいよ」


 親切の押し売りのような言い方で月季が迫る。

 壮哲は月季を見て、うーん、と腕を組む。


「……では、受叔が来た際に内廷に残っている女官たちを外へ逃すのを手伝ってもらってはどうでしょう」


 渋い顔をして考え込む壮哲に昊尚が助け舟を出すと、壮哲が眉間に皺を寄せて首を傾げる。


「……そう、だな……」


 そのまま女官たちと避難してくれれば良いかもしれない、と言いかけたが口には出さずに壮哲は頷いた。


「じゃあ、理淑と一緒に内廷の女官たちを安全な場所に避難させるのを頼んでもいいか」


 壮哲が聞くと、月季は不服そうな顔をして口を開いたが、結局何も言わずに渋々頷いた。

 月季がその提案を受け入れたのを確認すると、


「また後で段取りの連絡を寄越すから女官たちのことは頼む。理淑は玄亀の石を預かってきたら執務室へ届けてくれ」


 そう言い残して壮哲は昊尚たちと部屋を後にした。

 理淑も夏邸へと向かい、一人残された月季は、窓の外の暗闇を見つめながら胸元の玄亀の石があったあたりを撫でた。




 壮哲が執務室に昊尚と戻ると、少しして縹公と英賢が揃ってやって来た。


「陛下、受叔らしき者たちの潜伏先がわかりましたよ」


 縹公が大股で部屋に入りながら言った。


「何処にいた?」


 壮哲が聞くと、佑崔が素早く城下の配置図を棚から取り出して卓の上に広げた。


「西側の屋敷街のはずれにある屋敷です」


 縹公が配置図上の宮城西側のある地点を指で円を描いて囲んだ。


「荷車から足取りを追って探索を進めましたところ、いくつかこの屋敷に入って行くのを目撃されていました。門下省の職員の屋敷です」


 門下省の建物は宮城内にある。そして羅城の門をはじめとした各門の管理をする城門局は門下省に属している。

 壮哲が顔をしかめると、縹公が更に続ける。


「芳公主付きの護衛の者に屋敷を張ってもらい、芳公主のおっしゃった黄翁の側近とやらの男がその屋敷に入って行くのを確認できました」

「肝心の黄翁……受叔は?」

「見張りをつけてからはそれらしい者の出入りはないとのことです」

「そうか。では、その側近の男の他には?」

「旅姿の者が何人か入って行ったようです」


 ふむ、と壮哲が考え込む。


「……荷車の荷の確認は?」

「残念ながらそこまではわかりません」


 縹公が言うと、そうか、と壮哲も立ち上がって配置図を見る。


「宮城へは白虎門から入るつもりだろうか」


 壮哲が図上の宮城と皇城を囲む城壁西側の門を指でとんとんと叩く。


「潜伏先から最短の距離で来るとすればそこでしょうね」


 昊尚が同意すると、英賢が順番を待っていたように口を開いた。


「私からの報告をしてよろしいですか」


 壮哲が椅子に腰掛けて英賢に先を促す。


「監察対象者の中に、今言っていた潜伏先の屋敷の持ち主がおりました。その職員が郷里が同じということで目をかけている門衛がいます。その門衛は今夜、蒼翠門の担当に変更を申し出ていました。……その者の袖から黄色の布が見えていたのを確認済みです」


 英賢が温度の低い声で言った。





**





「放て!」


 曹将軍の合図により、放たれた矢が蒼翠殿前の広場に侵入した虎や熊、土螻などに降り注ぎ咆哮が上がる。突然の襲撃に荷車を引いていた兵士たちも、何人かが矢に当たって崩れ落ちる。

 慌てて残りの兵士が背負っていた矢をつがえて応戦する。


「受叔様!」


 画甫が呆然と立つ受叔を荷車の影に引っ張り込んだ。


「おのれ……!」


 荷車の影に隠れた受叔が顔を歪めて蒼翠殿を睨みつける。

 そして低く呪詛のような言葉を唱えた。

 すると兵士たちの引いていた荷車の上の荷が、びくびく、と震えると、ゆっくりと手をついてのそりと起き上がった。

 荷車の上で立ち上がったそれは、黒々とした剛そうな毛に覆われた(さる)のような生き物だった。


 しかし猴と明らかに異なるのは、頭がないことだった。


 


 


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