表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
138/192

二年孟秋 寒蟬鳴 9



 夜が更け闇が深まった静寂の中、ぎぎぎと音を立てて皇城西側の白虎門が開いた。そこに現れた役人は虚ろな目をしていた。剣を持ったまま門扉にかけた袖から覗く手首には、黄色い布が巻かれていた。

 血に(まみ)れた剣が握られていない方の手には、崩れ落ちるように倒れ伏す男の腕があった。ぐったりとしたその男は引きずられるように運ばれて来たのだと想像された。


 虚ろな目をした役人は放り出すように男の腕を離した。

 地に這いつくばる形で自由になった男が呻き声を上げながら顔を上げると、その瞳に困惑の色が広がった。

 何度か瞬きをした後、漸く声を発した。


「辛先生……」


 そう呟いた男は、前蒼国王を害した重罪により収監中の呪禁師、楊更真——長古利だった。


「古利、久方ぶりですね」


 白虎門の前に立つ小柄な老人は、にこりとその場の空気には至極不釣り合いに微笑んだ。


「大丈夫ですか? 手荒なことをしてはいけないと言ったのですよ」


 受叔が血まみれの剣を片手に門の真ん中にぼんやりと立ったままの男を見て、やれやれ、と首を振った。


「立てますか?」


 何が起こっているか理解できないでいる古利に、受叔が労わるように手を差し出した。

 古利は受叔の手を取らず、拘束されたままの手をついてよろよろと立ち上がった。


「一体どうなって……」


 そう言いかけて、古利は目に入った光景にその先の言葉を失った。


 受叔の背後の暗闇には数十人ほどの武装した兵士と一台の荷車。そして虎や豹といった獣たち、更には土螻などの怪物が従っていた。

 すると突然、受叔の後ろにいた大きな虎が、のそりと古利の体すれすれのところを通って受叔の隣に座った。

 古利は無意識に一歩下がっていた。


「大丈夫。私が命令しない限り、お前に危害を加えるようなことはありません」


 受叔はそう笑うと、虎の頭を撫で、背後の兵士をちらりと見て言った。


「お前を迎えに来たのですよ。彼らに聞いたのです。長古利がここに囚われていると」


 黙って立っている兵士が身につけた鎧には、朱国の紋章が入っていた。そしていずれも手首に黄色い布を巻いている。

 古利の視線が朱国の紋章に向いているのに気付いて受叔が言った。


「彼らは武恵の扱いに耐えられずに私の元に来た者たちです」


 その兵士たちは武恵の反乱の後、軍からの配置換えに不満を抱いて辞めた武官だった。


「お前も大変でしたね」


 言葉を返さず立ち尽くす古利に受叔は同情を込めた声をかけた。そして、古利が手を使えないようにつけられた拘束具を外した。


「お前が私の元を去ってからも、ずっと気になっていました」


 受叔はそう言いながら外した拘束具を投げ捨てると、古利の腕をぽんぽんと叩いた。


「お前やお前の父親を酷い目に合わせた蒼国に、今度こそ復讐をしてやりましょう」


 古利は受叔の表面上は慈愛に満ちた微笑みを見つめながら、いつだったか収監中に受叔のことを聞かれたことがあったのを思い出していた。

 すると、傍にいた痩せぎすな男が老人を呼んだ。


「受叔様。そろそろ……」

「……ああ。そうですね」


 受叔が頷く。


「あまりに懐かしくて長話をしてしまうところでした」


 微笑みながら、受叔は懐から竹の水筒を取り出した。


「突然のことで驚いたでしょう。無理も無い。さあ、これでも飲んで。少し落ち着きますよ」


 そう言って蓋を外し、薬草酒です、と古利に差し出した。


「……ありがとうございます……」


 言われるがままに古利は竹筒を受け取った。

 古利の頭の中は、いつもより高速で回転しているのにほぼ空回りしているようでうまく思考が噛み合っていなかった。口の中もいやに渇いていた。

 古利は竹筒の中身を一口含んだ。

 しかし、そのまま飲み込んでしまうのをすんでのところで踏みとどまった。今、口に入れたのがただの薬草酒ではないことに気付いてしまったからだ。

 思わず受叔を見ると、笑みを向けられ、古利は口の中の液体を仕方なく飲み込んだ。

 受叔は、古利が水筒の中身を飲んだのを確認すると、満足そうに笑い、黄色の布を差し出した。


「では、これを巻いておいてください」

「何ですか」

「これを巻いておけば、うちの子たちに間違って襲われることはありませんから安心です」


 ”うちの子たち”というのは、虎や土螻たちのことだろう、と古利がちらりと受叔の背後に視線をやる。受叔の口振りから、それらを操ることができるのだろう。

 古利は手にした黄色の布と受叔を無表情に見比べた。すると、受叔の側にいた痩せぎすな男が、古利の手から黄色い布を無造作に取った。


「腕を出してください」


 そう言って古利に腕を出させ、手首にその黄色い布を巻いた。

 一瞬、古利はごく僅かにちくりとした痛みを感じた。鍼が刺さったような感覚だ。


 そういうことか。


 古利は自分の手首を見た。

 先ほど飲まされた酒には阿片が溶かされていた。古利自身、何度かそういった方法で他人に阿片を飲ませたことがあるからわかる。

 恐らく通常はそれによってこの痛みは感じにくくなるはずなのだろう。

 しかし、古利自身にはその程度の阿片は効かない。そのようにわざと慣らしてきたからだ。阿片による不自然な興奮も、逆に感覚が鈍化することもない。

 一体この黄色い布はどういう役割があるのか。受叔は自分に何をさせたいのだろう。

 男が自分の手首に黄色い布を巻くのを凝視していると、受叔が言った。


「ああ。紹介していませんでしたね。その男は共画甫(かくほ)と言います」


 古利の手首に黄色の布を巻き終わると、紹介されたにも拘らず画甫は挨拶をするわけでもなく、古利をじっと見返した。


「画甫。古利をよろしくお願いしますね。この子はとても優れた力を持っているのですから」


 受叔が愉快そうに笑うと、画甫は、はい、とやや不機嫌な声で返した。

 そして受叔が古利に言った。


「これから申黄国を蘇らせるのです。手を貸してくれますね?」


 無表情だった古利の眉が動いた。


 申黄国とは()うの昔に滅びた国だ。それを蘇らせるというのはどういう意味なのか。


 唐突な受叔の言葉に対して古利は返事をし損なった。

 しかし古利が拒否するという選択肢は想定されていないようで、返事をしない古利を当然のように促した。


「では行きましょうかね」


 受叔の言葉に兵士や獣、怪物たちが従った。古利も画甫に背中を押され、受叔に付き従う形になった。

 宮城と皇城の間の道は静かだった。兵士たちが荷車を引く音だけが響く。

 古利は画甫と受叔に挟まれて歩いた。

 大人しく受叔の横を歩いている虎は古利に見向きもしない。他の獣や怪物たちもそれは同じだった。


 この異様な隊列はどこへ向かっているのか。自分は何をさせられるのか。

 受叔がわざわざ牢番を殺めてまで古利を助け出したのはただの親切心ではあるまい。自分を利用するためなのだということは古利も想像がついた。

 どのみち処刑される身の上だ。牢から出してもらえただけでも良かったと考えるべきか。


 古利の頭の中の歯車がようやく噛み合い、思考が可能になってきた。

 そこで古利が受叔に言った。


「……辛先生、私には今の状況がよくわからないのですが」


 すると受叔が、ほ、と笑う。


「そうでしょうね」


 受叔が横を歩く虎の首に手を沈ませて撫でた。


「私は遥か昔に滅びた……いや、滅ぼされた申黄国の辛王の末裔なのです」


 古利が受叔の横顔を見た。

 冗談を言っているようには見えない。受叔とは以前何年も一緒に過ごしたが、古利にとってそれは初めて聞く話だった。


「……存じませんでした」


 古利が言うと、受叔が笑った。


「ええ。言っていませんでしたから。あの頃はまだ実現の目処が立っていませんでしたからね」

「……実現、とは何のですか?」

「もちろん、申黄国の再興ですよ」


 そう言う受叔の横顔には既に笑みはなかった。


「お前も申黄国の名前くらいは聞いたことはあるでしょう。長く続いた偉大な国だったのですよ。にも関わらず、我が祖先たる王は(いわ)れなく逆賊たちに(しい)されたのです。おまけに、一族末孫まで虐殺されました」


 淡々と受叔が語る。古利はその受叔の横顔をまじまじと見る。


「私は不当に奪われた先祖の名誉を回復し、逆賊たちに返報したいのです」


 受叔の目は冷ややかに前方に見えて来た宮城の門へと向けられている。


「そのために私は長い間準備をしてきました。お前が出て行ってから、欲しかった能力も手に入れました。画甫にも出会えました。……ああそうだ、画甫も黄国王家の末裔なのですよ」


 静かに聞いていた画甫がそれに頷く。受叔は更に饒舌になって続ける。


「捜していたものも手に入り、準備が整ったところで朱国があのような状況になったのは僥倖でした。正に私に道が開かれたのだと感じました」


 興奮して来たのか、受叔の口の端が上がる。


「だからまず朱国を(おと)しました。加護を失った国というのは脆いものです。人心は乱れ、民は目先の利益に捉われています。甘い言葉にすぐに飛びついてしまう。それが全体にとって良いことなのか悪いことなのかなど二の次なのです。民とはそういうものです」


 そして、受叔が、ふ、と鼻で笑った。


「だから彼らには彼らを導くための強い国、強い指導者が必要なのです。まさしく申黄国のような」


 そう言葉を結ぶと、受叔は古利を見て微笑んだ。


「これから蒼国を(おと)しに行きます。これは必要な過程なのです。それに蒼国を滅ぼすのはお前も望むことでしょう?」


 古利は、まあ、そうですね、と答えながら、受叔と(たもと)を分かった原因、魔物を操ってみろと言われたのはこういう目的があったからなのか、と古い記憶への答えをようやく見た気がした。

 受叔は自らが獣や怪物を操る能力を得たらしいが、それでもまだ古利の力が必要としているということだろう。

 受叔には以前世話になった恩もある。古利は、どうせ処刑を待つだけの身ならば協力してもよいかもしれない、と思うようになっていた。




 受叔らは白虎門から東へと向かった。夜更けとはいえ辺りには人の気配が全くなかった。


「いやに静かだ……」


 古利が左右を見ながら呟くと、画甫が僅かに嘲るように言った。


「朱国へ援軍を送っているのでこの国の兵士の数が少なくなっています。だからでしょう」

「他国になぞ援軍を送っている場合ではないと言うのに。間の抜けた王です」


 受叔もわざと残念そうに言う。

 宮城の正面の門に着くと、受叔が門へ向かって、扉を開けるように、と静かに声をかけた。

 すると、門の内側で錠を外す音がして、音を立てながらゆっくりと扉が開いた。


「ご苦労でした」


 受叔が扉を引き開けている役人に声をかけた。その役人も先ほど白虎門に古利を引きずって連れて来た者と同じく、どこか焦点の合わない目をしていた。

 片側の扉が開き切ると、受叔は満足げに微笑んだ。


「では行きましょうか。古利は私の側にいなさい」


 受叔は(かたわら)の虎の首を撫でると、一行を迎え入れるべく開いた宮城への門の中へと進んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ