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異聞蒼国青史  作者: 緒方史
宗鳳の記 −瓊玉の巻−
137/192

二年孟秋 寒蟬鳴 8



 女官が来て月季と理淑を連れて行くと、壮哲は執務室に戻り、縹公を呼んで月季が見たと言う受叔の側近の探索を指示した。

 さらに昊尚にもいくつか壮哲から指示があり、後ほど改めて青公揃っての会議をすることになった。


 各所で用事を済ませ、昊尚が一旦執務室へ戻ると、応接室で文莉が待っていた。

 昊尚が部屋に入ると、文莉が立ち上がり頭を下げた。


「お忙しいところにお邪魔して申し訳ありません」

「いいえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。お願いしたものを持って来てくださったのですね」


 昊尚が文莉の前に置かれた古びた本に目を遣る。


「はい。お急ぎとおっしゃっていたので」


 そう言って文莉は本を取って昊尚に手渡した。


「ありがとうございます」


 昊尚は本を手にすると、その表紙を見ながら椅子へ腰掛けた。"詩鈔(ししょう)"と表紙には記されている。何の変哲もない題名だ。


「該当の箇所に栞を挟んでおきました」

「助かります」


 文莉に言われて栞の挟まれたところを開くと、黄国を虎に見立てて詠まれた詩が幾つかあった。虎は黄国の王旗にも用いられ、当時黄国の象徴とされていたものだ。

 それらの詩には、黄国王家の末裔として先祖がその末期に行った苛政を遺憾に思う、という旨の添え書きがあった。

 その添え書きを見て、昊尚は意外そうに瞬きをした。


 誰某(だれそれ)の末裔だ、という根拠の示されない自称に信憑性はない。

 正直なところを言えば、今回のものも、王家の末裔だという可能性だけを元に、自尊心を満足させようとしたものなのではないかと昊尚は思っていた。しかし、この詩集の作者である共山甫からは、その血筋を誇示しようとしているというよりも、黄国末期の悪政を恥じ、一族は王家が行ったことを忘れてはならないと自らを戒めているような印象を受けた。


 その本にざっと目を通して閉じようとした時、昊尚はふと裏表紙の手前で何か違和感を覚えた。

 そこだけ紙の厚みが違うように感じる。

 よく見ると、袋綴じにされている紙の内側にもう一枚紙片が挟まっていた。


「何か内側にありますね」


 そう言いながら文莉に見せると、文莉は袋綴じの紙の間に指を入れて紙片を引き出そうとした。しかし、その紙は本のノドで固定されていて紙を取り出すことはできなかった。


「何か書いてあります。この紙も一緒に綴じてあるようですね」


 袋状に折ってある紙を輪状にして、文莉が覗き込み目を(すが)める。


「綴じを(ほど)いてみましょうか」


 文莉がことも無げに言った。


「いいのですか?」


 昊尚が驚いて聞くと、文莉があっさりと頷く。


「後で綴じ直せばいいので大丈夫です。それにこの糸自体が元々の綴じ糸ではないようですし。一度綴じ直されているみたいです」


 そう言うと、文莉は小刀を昊尚から借りて各頁を綴じてある糸を切った。


「これですね」


 文莉は各頁がばらばらにならないように丁寧に本を置くと、該当の頁を取り出した。折られている頁を広げてみて現れた紙片は、本に使われている紙とは異なるもので、劣化したせいか黄褐色に変色していた。

 それには"裔に伝う"と添え書きと、詩のようなものが書き付けられていた。しかし、紙が破れていて、その文章は途中で切れている。


 ”虎沈深海 而自底見 如不”


 文莉に紙片を渡された昊尚がその書き付けられた文字を声に出して読む。


「虎深き海に沈む……(しこう)して底より(あらわ)る……でしょうか?」


 昊尚が紙片から顔を上げて文莉を見ると、その手元を覗き込んでいた文莉が、多分、と頷く。


「”如不”の続きは何だったんでしょうね」


 昊尚が顔をしかめて呟く。


 この紙の存在に気づいた誰かが引っ張ってみて破いてしまったのだろうか。


「……虎は海に沈んだ。しかし底から姿を現す……」


 昊尚は不可解な面持ちで書かれている文章の意味を呟くと、文莉に聞いた。


「よくわかりませんね。これは何でしょう。詩ですか?」


 それに対して文莉が首を傾げる。


「四言にはなってますが、形式は出鱈目です……」

「共山甫のものでしょうか」

「……それにしては他のとは随分雰囲気が異なりますね」


 昊尚もそれを感じていた。

 文字を見つめる昊尚の目が細められる。


 山甫も黄国を虎に置き換えて詩を書いているように、この紙片に書かれた文中の虎も黄国のことを言っているのだろうか。

 だとしたら、滅亡した黄国が復活する、そういう意味だろう。

 単にこの紙片の文だけ見れば、取り立てて騒ぐこともないものだ。

 だが分かりやすく黄国王と同じ辛という姓を持つ者ではなく、あまり知られない公主の降嫁先の共姓の者が、しかも思わせぶりに隠すようにこの紙片を持っていた意図は何だろうか。


「この詩集は何処で手に入れられたのですか?」


 昊尚が文莉に聞いた。聞かれて文莉が困った顔をして申し訳なさそうに言う。


「……恐らく、何処かの本屋が店を畳む際にごっそりと丸ごと引き受けてきたものの中に入っていたのではないかと……。多分……紅国か墨国の本屋かと思うのですが」

「そうですか……」


 考え込む昊尚の横顔を見て、文莉が遠慮がちに聞いた。


「……あの……もし差し支えなければ、黄国の王家の末裔をお探しの理由をお聞きしてもよろしいでしょうか……」


 昊尚は顔を上げて改めて文莉を見た。

 そう言えば、この本を持ってきてもらうことにはしたが、その理由を言っていないことに気付く。そんな状況にも関わらず、文莉は快く協力してくれている。

 昊尚は、文莉ならば事情を話しても問題ないと判断し、朱国の宮城を占拠した者が黄国の王家の末裔である可能性があるため調べていることを説明した。

 話を聞いて、徐々に文莉の凪いだ水面のような瞳が不安げに波立った。


「そうでしたか……。わかりました。一緒に本屋から引き取ってきた物の中に何か他の手がかりになるような資料がないか見てみます」


 そう言うと文莉は昊尚の元を辞去した。







 壮哲の執務室に昊尚が戻ると、少し前に着いた英賢がちょうど椅子に座ったところだった。縹公は既に席に着いている。


「申し訳ありません。お待たせしました」


 到着が最後になった昊尚が謝りながら席に着くと、壮哲も執務机から同じ卓に移動した。


「芳公主は目を覚まされたのですね。理淑から聞いたのですが」


 腰を下ろしかけた壮哲に英賢が聞くと、ああそうだった、と壮哲が英賢を見た。


「そう。それで今日は太医署から移って別の殿に滞在することになったんだが、理淑も一緒に泊まってもらうことにしたからよろしく頼む」

「そうでしたか。わかりました」


 英賢が頷く。


「その月季殿から朱国で何があったのか聞いたんだが」


 そこから壮哲が続ける。


「月季殿の話から推測すると、受叔は黄国の再興を目論んでいる可能性があると思われる」


 この話が初耳の英賢は、思わず美しい眉を寄せた。先にそれを聞いていた縹公は、目を瞑り黙ったまま険しい顔で腕を組み直す。


「何ですか、それは。……だから玉皇大帝から御璽を賜ったとか虚言を吐いているんですか」

「まあ、御璽が偽物かどうかの確認はできてはいないんだが」

「いや本物のはずはないでしょう……。ああ、そうか。そういえば受叔の姓は辛でしたね。受叔は辛黄国の王の末裔を名乗っているということなのですか?」


 理解の早い英賢が疑わしげに首を傾げると、それには昊尚が答えた。


「それもわかりません。ただ『申黄書』を信頼するならば、公主の降嫁先の末孫まで処刑されているはずです。ちなみに、今、辛姓を名乗る氏族は黄国とは関係ないとされているようです」


 昊尚が史館で調べた限りでは、文献上で黄国の末裔が存続している事実は確認できてはいない。文莉が教えてくれた共氏が本当にその末裔だとしても、受叔は辛を名乗っている。


「その御璽や受叔が黄国の末裔かの真偽に関わらず、奴の目的が申黄国の再興なのだとしたら、我が蒼国も危険に晒される可能性が高い、と考えられる」


 壮哲が苦い顔で言った。


「……気に食わんが、そうでしょうな」


 縹公も普段の三割増しに厳つい顔で同意する。

 他国の騒動が自国の禍となって降りかかってきそうだと聞かされ、英賢は思わずこめかみを押さえて目を瞑る。


「実は先ほど、この采陽の城内で、芳公主が朱国の宮城で受叔と話をしていた男を見かけたらしい」


 更に続いた壮哲の言葉に、こめかみを押していた長い指を離して英賢が顔を上げた。


「本当ですか? その男は捕まえたのですか?」

「真義門の南側、ちょうど花街のあたりだったらしいというので探索を命じているが、何か見つかったという報告はまだ来ていない」


 縹公が苦々しげに答えると、英賢が訝しげに首をひねった。


「どういうことなんでしょう。側近が朱国を離れて来ていい状況なんですか。朱国には援軍が駆けつけていることは承知しているでしょうに」


 縹公がそれに唸る。


「葛将軍によると、朱国の宮城は随分静かなようだ。陽豊門前の広場でやっていた民への食糧の配布も停止しているらしい」

「それは援軍の攻撃に備えて籠城しているという感じなんですか?」

「そうとも取れるな。とにかく動きもなく静からしい」

「撤退したということはないのですか?」

「折角手に占拠した国をそう簡単に手放すだろうかな……」


 縹公が答えると、英賢も、そうですね、とやや前傾になっていた身体を戻す。


 二人のやり取りが途切れたところで壮哲が昊尚に聞いた。


「昊尚、頼んだことは調べてくれたか」


 縹公と英賢も昊尚を見た。


「はい。ここ数日で各門を通った人数と、物資などを確認させました」

「どうだった?」

「人の入城はいつもとほとんど変わりがないようです。朱国でのように黄朋で溢れかえるほど人が入って来た様子はありません」


 そう言った後、少し間をおいて昊尚が続ける。


「……ただ」

「ただ?」

「ここ数日、毛皮の持ち込まれた量が普段よりも多かったようです。一箇所の門からまとまって入ってきたのではなく、各門から分散するように入ってきています」

「この時期に毛皮?」


 英賢が当然の疑問を口にする。季節はまだ夏だ。


「……毛皮」


 壮哲が呟き、記憶を探るように縹色の瞳が左方に動く。


「……まさか」


 壮哲が不快そうに眉間に皺を寄せた。その反応に昊尚が頷く。


「ええ。可能性としては十分に考えられます」

「何のことです?」


 壮哲と昊尚の二人の間で進む会話に縹公が聞く。


「……実は、月季殿が朱国の内廷で虎や熊などの死体を見たと言っていたんだ。もしかしたらそれは死体ではなく、眠らせていただけだとしたら」


 壮哲の声が自然と低くなる。


「まさかそれを毛皮と偽って我が国に持ち込んだってことですか?」


 縹公がぎょっとする。


「そんなことができるのでしょうか」


 英賢も顔をしかめる。


「受叔は土螻(どろう)や黯禺を操ることができるとするのならば、難しいことではないだろう。獣だけでなく怪物も眠らせることができるかもしれない。死体ではないからそのまま置いておいても腐敗しない」

「では、そうだとしたら、既に受叔は怪物などを連れて我が国に入り込んでいるということですか」

「そう考えておいた方が良いだろう」


 壮哲の声が部屋に重く響いた。


「受叔の目的は、やはり我が国の占拠でしょうか」


 英賢が駄目押しするように聞いた。


「怪物らを連れてやってきたのならば間違いないだろうな」


 壮哲は卓に肘をつき顔の前で手を組むと、何かを見据えるようにしばし黙考した。


 そして。


「ならば」


 そう言うと壮哲は卓を囲む三人を改めて見回した。



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